「日本の臓器移植の現状を思う」あさがくるまえに 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
日本の臓器移植の現状を思う
本作の原題は『生者をつくろう』になり、原作はフランスでベストセラーとなった小説らしい。
ファルハディ監督作の『ある過去の行方』や『サンバ』『消えた声が、その名を呼ぶ』、黒沢清監督作品『ダゲレオタイプの女』などに出演してこのところよく目にするタハール・ラヒムやグザヴィエ・ドラン監督作品『マミー』で強烈な母親役を演じたアンヌ・ドルヴィルが本作へ出演している。
脳死と判断された少年とその家族や恋人と、心臓を提供される女性と2人の息子と恋人、心臓提供に関わる医師やスタッフを描く群像劇であり、誰に焦点が当たっているとも言いがたい作品になっている。
監督のカテル・キレヴェレは「メイン・キャラクターのいないリレーのような映画を作りたかった」と語っているが、ある意味誰に対しても感情移入しづらい面があり、それだけで苦手な人がいる作品だと思う。
感動するとかそういう類いの作品でもなく脳死から心臓移植までの過程、そこにまつわる人々それぞれの悲喜こもごもを淡々と描く知的な映画である。
脳死は植物人間とは違うので生き返る可能性はゼロらしいが、臓器移植法が制定されて20年が経過した日本での臓器移植は2014年の時点で37件、100万人に対して0.32人と欧米の5〜6人、台湾の3.7人、韓国の1.3人に比べて相当低いらしい。
そのせいか以前は日本で臓器移植を受けられない家族が痺れを切らして募金によって渡米して手術を受けるというケースが相当あった。
しかし近年は外国人に優先させるのはおかしいという世論に押されてそれもままならなくなっている。
お隣の大国では法輪功という宗教団体を弾圧した際に行方不明の信者が多数発生していて、彼らの臓器を闇で売買していたと言われている。
日本でも開催された『人体の不思議展』で利用された臓器はほとんどが彼ら法輪功の信者たちのものだったと言われ、フランスでは同展の中止を命じる判決まで出されている。
筆者も北京留学中に自然博物館で相当数さまざまなホルマリン漬けの人体や臓器を目にしたが、正直どこから調達しているのか不思議なものがたくさんあった。
現在も死刑囚はもちろん囚人からも臓器が取り出されて売買され政府や軍の資金源になっていると聞く。
また特に子どもの臓器は高く売れるため東南アジアでもその目的で子どもが誘拐されている。
そしてアメリカで拒否され始めた日本の患者たちが知らず知らずのうちにそれら闇臓器を利用する事例が多発している。
本作ではティーンエイジャーの少年の臓器移植に両親が賛成して物語は進んでいくのだが、日本の場合上記の数字が示すように国内での臓器提供は少数であり、幼児や10代の子どもではいくら脳死でいずれは心停止を起こすと分かっていてもさらに臓器提供は難しいだろう。
これは日本人の宗教観に影響しているのかもしれないが、たとえ死体であっても体に傷を付けることをよしとしないのだろう。
本作からはそれぞれの人々が命を大切にしていることは十分伝わってくるのだが、筆者は日本ではフランスのような決断は難しいだろうなと観ている最中からつらつらと考えてしまった。
ただ1点残念なのは心臓を提供される女性がレズビアンという設定である。
原作よりも女性のキャラクターを深く掘り下げているらしいが、もし映画で追加された設定であるなら、ただでさえ重い話がテーマなのにさらっと滑り込ませるにはふさわしくないように感じられた。
心臓移植の手術シーンは実際の手術にスタッフや俳優たちが立ち会うなど相当綿密に準備して映像化されているようだ。
しかし、同時に高精彩なCGを見慣れてしまった現在、どうしても切開する際の肌や心臓が作り物であることもわかってしまうのも避けられない。
いくら実写だとわかっていても『ダンケルク』の空戦がお粗末に見えてしまったのと同様に、映画業界全体がCGを使うか使わないか新たな難しい選択に直面していることを感じた。
なお心臓提供をする少年とその恋人はオーディションで選んだらしいが、本当に若い生命を感じさせる演技で素晴らしかった。
本当に日本にも見習って欲しい。
オーディションをすれば男女ともに絶対に日本にも素晴らしい逸材がいるはずである。