漫画誕生のレビュー・感想・評価
全2件を表示
近代日本のサブカルチャーの開祖
不勉強ながら北沢楽天さんのことは存じ上げなかった、調べてみると、公式ページの作品紹介に・・・。
日本人で初めての職業漫画家として成功し、初めての印税契約、初の定期連載、漫画家のプロダクション化、カラー漫画雑誌の発行など現在の漫画業界の礎を築いた。
明治・大正・昭和と移りゆく激動の時代のなか、彼が描き続けた漫画は、手塚治虫や長谷川町子など後年の人気漫画家にも大きな影響を与えた。
とある。斯様に凄い業績がありながら余り名が知られていないのは何故か不思議だったが映画をみて分かるような気もした。
漫画と言うジャンルが軽く評価されたこと、広く和洋の才に長けるものの大志を抱く野心家では無く只管作画に精進、時に国のプロパガンダに甘んじたことや、根はどこにでもいそうな好々爺、無類の愛妻家だった側面にもあるのでしょう。
検閲官との対峙は「笑いの大学」を彷彿とさせるが、楽天さんが語る漫画家としての矜持は胸を打つ名セリフでしたね、人物模写の大家、イッセー尾形さんならではの好演でした。
時代や業態に根差した薀蓄あるセリフや絵の数々は北沢楽天顕彰会々長のあらい太朗さんの資料によるものでしょう、また、登場する女性が皆個性的、その辺は大木萠監督の女性ならではの感性でしょう。
よくできた人物伝、今になってみるとまさに近代日本のサブカルチャーの開祖、再評価があっても良いでしょうね。
映画や舞台で知った偉人では昔演舞場で観た勘九郎さん演じる油屋熊八伝を思い出しました、別府観光の開祖のような人の波乱万丈の半生で感銘を受けました。単に私が無知なのかも知れませんが、こういう知る人ぞ知る秘めたる物語との出会いは宝物に思えます。
『撃ちてし止まむ』
本作の感想は後にして、まずは小川治平役の櫻井拓也さん急逝について。自分は全くもって知らなかった。今作を鑑賞していて、見知った顔が出演されており、暫くそのアンパンマンみたいなとぼけた顔の俳優を思い出せなかった。暫くして、膝を叩いた。そうだ、『OP PICTURES+フェス』でかなり出演数の多かった目立つブスカワ俳優だったと。特徴あるルックスと攻めた役柄、それでいて内包する奥ゆかしさを感じ、大変共感を持てる人だったと記憶していた。そうか、ピンク出身でもこうやってメジャー作品に登ってくる器用な俳優になったんだなぁと感慨に耽って、さて、その注目株をレビューで加筆しようと調べたら、なんと…。かなり驚いた。勿論、彼はメジャーではないし、今作でこうして役名を持ってきちんとしたシーンを与えられた事自体、失礼だがビックリし且つ今後の活躍を期待したのに、こんなに早く、しかも件のフェスでの上映後挨拶に登壇した姿を拝見し、それから1ヶ月と経たずしてこの世を去るとは・・・。余りにも悲しすぎる出来事であった。今作の役も又長生きはしなかったというテロップがあったが、そこまで演じる必要もなかったのにと悔しいばかりである。着実にキャリアアップしていたら、ネクストバイプレイヤーの地位に座るだろう特異なキャラクターだっただけに残念でならない。故人のご冥福をお祈り申し上げます。
本題に戻す。“漫画”という語彙を発明したと言われる、“始祖”的存在の人の伝記ストーリーである。しかし、名前は存じ上げていなかった。だが、作品中に溢れる挿絵は正に小さい頃に何度も見知った画そのものである。兎も一休さんも、その他風刺画など、教科書で記憶している位、この国に生まれたならば知らない筈がない超有名な作画のオンパレードである。それなのに、かなり個性的な名前であるにも拘わらずこの人を知らなかったかといったら、本作にも登場した“レオナール藤田”と同様、いやもっと積極的に第二次世界大戦中の大政翼賛側に加担していた人だからである。そんな北澤楽天の人生を、旧内務省に呼ばれて検閲官に漫画の概念を話す間に振り返る構成になっている。シークエンス毎に現在の内務省内に戻ってくる構成は極めてオーソドックスで奇を衒わない優しい見せ方だ。今作が実際の事実や心情とどれだけ差違があるかは分らないが、作品中の楽天は、そのベースに横たわる“おぼっちゃん”像を印象付ける。ヲタク気質も手伝ってか、画を描くことそのものには神経を集中させるのだが、しかしそれ以外のいわゆる政治的な出来事となると途端に日和ってしまうのである。全く介入しない、又は反体制に身を置くと言った“気骨”が現れない。その割にそういう権力に縋る帰来さえ感じさせる。こう書くといやらしいゲスな人物像という印象を持ってしまうが、今作の妙は、本来偉人としての表層をデフォルメするというよりも、1人の風刺漫画家がその生業を職業として完成させる際のしなやかな発想や、伴すれば権力への憧れと仕事の本質である体制批判という矛盾の中で、人間臭く藻掻いてきたドラマを紡ぎたかったというテーマなのであろう。確かに鑑賞していて歯痒いイメージ、もっというと情けない、恥ずかしいというシーンが続く。福沢諭吉に呼ばれていそいそ訪問し、西洋料理やコーヒーにかまされたシーン、そして顕著なのは、年齢を重ねてきた後半だ。段々と世俗に塗れる中での、はっきりと青年期の志を捨てたのは、旧友からのファンレターを焼き捨てた事。旧友と共に誓った“気骨”を失った瞬間だ。しかしそれ以上に注目するのはその思いに至った会合であろう。発行する雑誌に権力側からのお咎めに際し、『日和ると外国に舐められる』というある種のトンチで乗り切った楽天を権力側が感心した件だ。乗り切ったと思った楽天だが、実は取り込まれたのも彼であり、正に日和って権力に舐められる後生の始まりなのである。確かに、彼には信念みたいなものが存在していない。その時その時の時勢に合わせた生き方に、検察官から矜持を問われた楽天が描いた画、そして作品序盤に父親が描いた画、その2つの画が伏線であり、終盤にそれが回収されるカタルシスを得られる。それは、自分が若かりし頃に妻に贈った妻の似顔絵と、父親が観た闇夜に浮かぶホタル。その2つが楽天の画家としての矜持そのものであろう。しかし、それに気付くのが余りにも遅く、それだけ自分の我を出しにくい日本人の気質そのものを表現しているのではないだろうか。生温いと揶揄するのは簡単だが、今作品に意味するものとは、正にあの戦時中、多くの日本人達が権力に阿ったその思想や心中をコミカル且つ情けなく描く事で、俯瞰でみたそのメカニズムを教えてくれた作品なのだと思う。まさに今作品そのものが“風刺画”そのものであることは間違いない。そのテーマ性で言えば、幼少の手塚治虫に多大な影響を与えたこと、そこが輪廻のように又、楽天が認める漫画家へとなっていく作りも又、彼の余りにもの“軽さ”故に、ヒョイヒョイ跳び越えて進んでいく流れは“滑稽”そのものである。彼自身も又風刺された始祖なのである。実は緻密に計算された作品であることは明らかだ。
全2件を表示