ふたりの旅路のレビュー・感想・評価
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リガの水彩画はいくらだったのだろう?
亡父のすぐ下の弟が画家で、ソ連時代のリガへ行っている。その時にスケッチした水彩画を高校の入学祝でもらった。この映画の最初の場面に登場する先鋒の様な教会(?)の絵だった。なんか懐かしく感じたが、僕自身はリトアニア共和国へは行ったことは無いし、その絵も10年以上前に断捨離してしまった。その絵を描いた画家の弟もこの世の人では無い。
そんな事考えると、
一度はリガへは行かねばと思っている。フィンランドのタンペレとロシアのサンクトペテルブルグとね。早く争いは止めてもらいたいものだ。でも、そうはいかないか。
そう言えば、もう一つ前に起きた災害から30年経つんだね。あの日は月曜日だった。サザ◯さん症候群(所謂、月曜日病で)で仕事を休んでニュースに見いってしまった。
そうだ。神戸へ行ってみよう。長田町でサンダルを買ったのは30年以上前なんだね。
さて、彼女はもうすぐ娘にもご亭主にも、嫌と言う程会えると思う。
それまて、人生を楽しもうよ。
よりどころ
世の中には不思議な事があるものでとても面白いですね
今年になって直ぐかな、手塚悟監督を知り映画『Every Day』を見ました
そしてテレビでは草彅剛さんと吉田羊さんが出てたドラマ『ペペロンチーノ』も見た
イッセー尾形さんが好きでNetflixで探してたらたまたまこの作品を見つけてね
三作品とも内容はほとんど知らずに見始めたのにさ、不思議な事ってあるものです
そういえば一昨日かな、『シックス・センス』もテレビでやってたのを後半だけ見たな〜
何なんでしょうね、あの人が突然現れたりしたらどうしたらいいのだろうか、それがあの人かも知れないな
そんなことを考えながら見ていました
残された者がこの先どう生きるか、どう生きたか 先に逝ってしまった者も気になるところはあるでしょうが私達は特殊な力でもなければ向こう岸のことは分かりもしません
ただこちら岸で悲しみ悩み通り過ぎるのを待ちそして必ず私も向こうへと行くのです
人って便利に出来ているなと思うのは「忘れる」事が出来る
まるっきり忘れる事はありませんが薄まるような感覚でしょうかね
映画『ラビット・ホール』的な言葉ならポケットの中の小石になる
でもけっして無くなりはしないのだ、でしたっけ
とにかくそんな事をしながら折り合いをつけて生きていくしかないのかも知れませんね。
夢の中で
過去の戦争や大きな災害で家族を失ったケイコの様な人は、結構いるのかもしれませんね。表には出てこないだけで。日本で会うとリアルすぎるから、ラトビアで『あら、ばったり』だったのかしら?夢の中でしか再会できないのだから、言いたいことは言わなきゃね。
殯の期間
個人評価:3.0
河瀬直美作品の様な、偲ぶ事や殯の期間の事を伝えていると感じる。普段はとても馴染みがなく、みにつまされる事がない気持ちだか、死と生を感じるさせる作品である。
イッセー尾形と桃井かおり。その2人芝居を見るだけでも一興。
コンセプト映画かな?
桃井かおりとイッセー尾形がコンビで共演する日本=ラトビア合作映画である。
桃井と尾形のコンビといえば想い出すのはソクーロフ監督作品の『太陽』である。
尾形が昭和天皇を、桃井が香淳皇后を演じた。
日本人である筆者からすれば完全に昭和天皇と皇室自体を誤解した映画だったが、2人のやり取り自体は丁々発止で息が合っていた。
本作の監督がマーリス・マルティンソーンスというラトビア人?なので、『太陽』における2人の相性の良さと演技力が強く印象に残っていても不思議ではない。
尾形の方は最近だとマーティン・スコセッシ監督作の『沈黙』において代官を演じていた。
作品自体はそこまで評価しないが、尾形の演技は主演者の中で1、2を争う良さだった。
いずれにしろそんな芸達者の2人の共演作なのでいやが応にも期待させられた。
しかし蓋を開けてみると、2人の才能が浪費されているなぁ、と思わず嘆息する内容だった。
ラトビアの首都リガと神戸が姉妹都市であることからこの企画が出発しているかもしれないのだが、主人公の桃井の娘が事故で死んだ直後に夫も阪神大震災で死んでしまったという設定はどうだろうか。いささか安易だ。
また異国の地で2人が着物を着続けるから必ずしも日本的になるわけではない。
都市全体が「バルト海の真珠」と言われ、世界遺産にも指定されているリガの歴史ある町並みや王宮などの観光地を着物姿の2人が歩くのは異国情緒を刺激してなかなか絵になるが、表面的だ。
物語の中で和食は大きな地位を占める。
また最後に唐突に折り鶴が登場する。
どちらも日本を代表するアイコンだが、日本人である筆者には全くピンとこない。
もし本作の監督が日本人なら間違いなく世界向けに日本を表面的に紹介するヤバイ奴が監督していると思うが、外国人だとわかれば許せる。
先日今年の訪日外国人の数は既に2000万を上回ったとニュースで見た。
インターネットでも日々日本の映像が海外に紹介され、良くも悪しくもあまりにも他の国と違うことから「日本惑星」とまで呼ばれている。
筆者は以前に『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』というドキュメンタリー映画を観たことがある。
元アメリカン・ヴォーグ名物編集長の生涯を扱った映画だが、映画の中で彼女が「日本は美をよくわかっている。スタイルこそ美であり、しかも日本はそれを哲学の域にまで高めている」のようなことを言っていたと思う。
実際に彼女は何度か来日して、わざわざヴォーグの撮影もしている。
おお、こんなところにも日本信者がいたのか!とビックリしたが、彼女の発言はある種の的を得ていると感心した。
「ある種」と書いたのには理由がある。
上記の内容や「わびさび」など日本の国内外で日本人論はさかんだが、結局のところよくわからないからだ。
我々日本人が日本的だと感じるのは理屈じゃなく感覚なのだと思う。
これがまた説明が難しい。なにせ感覚なのだから。
本作は名優2人の演技を活かしきれずふわふわと物語が流れ、そしていつの間にか終わった。
まさにそんな印象だった。
外国人監督が一生懸命日本的なものを引き出そうとしていた熱意は感じる。
悪くはない。しかし良くもない。評価の難しい作品である。
着物のコンセプト映画と捉えればあるいは…
好きな人には面白い。
桃井かおりとイッセー尾形のキャストに魅かれて見ました。
ウーン、面白くないわけではないのですが、・・と言ってすごく
良かったというものでもない。
着物とリトアニアの景色との共演が印象に残ったかな。
ただ、日本が舞台では この雰囲気は出なかったように思います。
神戸震災と、バルト三国の四半世紀を重ね、"生きる"意義を浮き彫りにする
上映館が極少なので、スルーしようと思っていた作品ながら、ちょうど(?)立ち寄った名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマ(MLS)でやっていた。
初MLSだったが、トヨタグループ主導で作ったプレミアム映画館だけあって、通常料金でクッション性の高い革張りシートでくつろげる、セレブな都市型シネコンに感激。意外と映画館事情の悪いナゴヤにあって、比較的アップデートされた設備ではある。
本作のMLSでの初日ということもあり、キモノ姿の女性がシアター内を埋め尽くしている。これについては、後で言及する。
さて、主演は桃井かおり。日本の大女優である彼女は「SAYURI」(2005)でハリウッドデビューして、今年も「ゴースト・イン・ザ・シェル」(2017)に出演するなど、いまや海外作品を中心とした活動に切り替えている。すでに66歳ということを考えると、引き合いがあること自体が凄いと言わざるを得ない。本作もラトビア・日本合作であり、しかも主演!! ときたもんだ。
注目は、夫婦役でイッセー尾形と共演。2人の共演は、昭和天皇を描いたロシア映画「太陽」(2005)以来で、桃井かおりは香淳皇后を演じていた。イッセー尾形も今年、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」(2017)に出演し、井上筑後守役が海外でも高い評価を受けている。
桃井かおり演じる神戸在住のケイコは、ラトビアで行われる、着物ショウに参加するため、首都リガを訪れる。そこで、かつて震災(阪神・淡路!)で行方不明になった夫と不思議な再会をする。桃井と尾形の喧嘩ごしの掛け合いはアドリブではないかという思われるシーンもあり、2人が作り出した夫婦の間(ま)は、監督の意図を越えたところにある。
監督がラトビア出身のマーリス・マルティンソーンスということや、リガ市が神戸市と姉妹都市ということで、日本のキモノ(とくに留袖)文化・日本食がテーマになっている。町の一部が世界遺産で、ヨーロッパ有数の美しい都市、リガの風景が満喫でき、美食でも知られるバルト三国の料理も出てくる。しかし、なんとなく観光宣伝に感じなくもない(協賛に"JTB"の名前もあるし)。
また着物ショウの出演ボランティアに、"一般財団法人 民族衣装文化普及協会"の協力を得ている。雑誌"美しいキモノ"(ハースト婦人画報社)も協賛。おそらくその関係で、わざわざキモノ姿で映画を観にくる女性たちが揃ったのだろう。そう考えると、実にオトナの映画(笑)である。
不思議エピソードの偶然性がゆえに、ストーリーに飛び込みにくい構成であるが、脚本が日本(人)に精通しているだけでなく、阪神・淡路大震災がモチーフになっていて、とても繊細な切り口の作品だ。ちなみに脚本も監督自身だ。
食の本質は、"食べる=生きる"にある。生命の尊さをさりげなく、"食"に結び付け、さらに震災やバルト三国の歴史を引用することで、"死"と"生"によるコントラストを描き出す。また"留袖"は、結婚式に着るもの。"誕生"、"結婚"、"出産"、"葬式"という人生イベントに、意味を持たせている。
震災は1995年。バルト三国のソ連からの独立は1991年。"復興"・"再建"を歩んだ期間はいずれも四半世紀である。それを主人公ケイコの孤独の20年とこれからの再出発に重ね合わせていく。
(2017/7/15 /ミッドランドスクエアシネマ/シネスコ)
生きることは食べること
出だしはコラージュ風で、いろいろなシーンが行きつ戻りつする。どういう状況なのかがわかりにくいまま、作品は進んでいく。この調子で日常的な整合性が得られないままに終わるのかと思っていると、だんだん光が差して設定が明らかになる。その過程で、桃井かおり演じるケイコの心情が浮かび上がってくる。
最初から設定を明らかにしてしまうと、観客にバイアスが働いてしまい、複雑なケイコの心理状態に踏み込む前に勝手な解釈をしてしまったかもしれない。このあたりの作りこみは非常に卓越している。
リガは低い街並みに緑と水が豊かに合わさった美しい都市だ。日本の着物がよく似合う。街並みを守ろうとする姿勢と、着物ショーなど、他国の文化を受け入れようとする進取の精神がこの町の文化を維持しているように見える。この町を旅したケイコの心が次第次第に素直になってゆくのは、この町が持っているおおらかさによるものかもしれない。
桃井かおりはやはり大女優である。ケイコという役柄をしっかりと演じながら、自分の世界を表現する。ケイコはあちこちで色々なものを食べる。それはレストランの食事だったり、公園でのおにぎりだったり、市場で買ったものだったりする。食べるシーンが多い理由は、作品が進むにつれて明らかになっていく。どんな状況でもどんな気持ちのときでも、美味しいものは美味しい。生きることは食べることなのだ。
静かに進む映画だが、見終わるころには生きつづけていく気力が湧いてくる、とてもいい作品である。
しみじみ&楽しく
20年のブランクはどちらの方が辛いかを言い合えるって夫婦は、素晴らしいよね。しみじみ考えさせられながらも、楽しく見ることができた。
ラトビアって、歴史的建造物も大事にされて、綺麗な所だなぁ。
異国情緒はあるものの・・
「異国ラトビアでの着物ショー」「黒紋付」「神戸在住独居」、この設定だけが決まっていてあとは桃井かおりとイッセー尾形のスジナシ・・・、そんな映画。ほぼ、桃井とイッセーの演技力におんぶにだっこ。
観終えた感想は不愉快なものだった。
言葉が通じなくて、行き違いのドタバタを繰返しながら、いつの間にか異文化の美しさに気付き、肉親との別れにも心の整理がついたってオチなんだろうが、いかんせん不愉快。
桃井かおりの着た黒紋付の訳、イッセー尾形の正体、いいと思うが、あまりにもラトビア人たちの自分勝手さにがっかりした。(もちろん実際がそうとは言いませんよ)僕には、桃井かおりをコケにしているようにしか思えなかった。
となりでボサッと突っ立っているだけで全然仕事をしない通訳。
ケイコの都合も聞かずに一人で勝手に話を進めてしまうビジネスマン。
ゲスト(ケイコ)の話に興味を示さず、存在を無視するかのようなテレビ司会者。
そしてその番組中に苛立った。え、ラトビア料理をケイコに作らせるってなに?、そこは和食でしょ?、素材を生かした和食で視聴者を唸らせる場面でしょ?
とんだ茶番だよ、茶番。
それにケイコは神戸の人なんでしょ?イッセー尾形も木内みどりもみんな言葉が関東で、震災の悲劇にぜんぜんリアリティを感じない。
予定通り??夫婦漫才(笑)っぽい作品
かおりの演技健在!!!というところか。そこへ「イッセー尾形」色が加わって最高!
夜道での二人の会話が絶妙だ。
最初の場面で、留袖姿のケイコが慌てている場面で「?」と思った点や話が、日本に移ったりラトピアに飛んだりする所が戸惑ったが、話の流れがしっかりしているから難解とか意味不明な場面はなかった。神戸の震災の後に娘を亡くすというエピソードも盛り込まれ、つい(カタログがないのでくわしいことは言えませんが)「ケイコが独り言を話してしまう。」という場面は、夫婦の会話で少しウルッとさせられた。
日本の女性と言えば、「やはり着物姿が一番美しい。」なんだろうか?
上映時間も良い長さ。良い作品に良い時間に出逢えた。と思う。
木内みどりさんのチョイ役も、良い意味で懐かしかった。
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