「中学生の恋愛劇」ミックス。 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
中学生の恋愛劇
卓球をテーマに扱った映画の金字塔といえば『ピンポン』が即座に思いつく。
漫画原作をうまく映画化しており、配役も当時として適材適所だったと言える。
また行き交う球の絶妙なCG処理も試合の緊迫さに一定の説得力を与えていた。
『ピンポン』ー青春ー真剣ーセンス+恋愛+コメディ=本作、といったところだろうか。
卓球を題材に扱った恋愛作品という点では新しいはずなのに、なぜか既視感がハンパない。
出演俳優?演出?脚本?
本作はフジテレビが東宝とともに制作陣に名を連ねているが、筆者が個人的に思うのは、作品全体から感じられるTV的な安っぽい雰囲気が原因なんだと思う。
俳優自体もTVでよく観る顔ぶれで、監督も脚本家もTV上がりがほとんどという今の日本映画はテレビの2時間番組を観ているのと大差ない。
おまけに今やTVのアスペクト比も映画と同じ16:9になってしまったのだからどこに違いを見出せばいいのだろうか?
俳優にとって映画がTVドラマのレギュラー出演の合間を埋めるいい小遣い稼ぎになってもらっては困る。
本作も出演俳優だけは無駄に豪華だ。
主演の新垣結衣は29歳のアラサー、瑛太は35歳の中年なので、本作のターゲットはアラサーからアラフォーまでのある程度大人の観客だろう。
しかし、本作で展開される恋愛劇はまるで中学生のようである。
新垣演じる多満子が瑛太演じる萩原に飛びつくキスシーンがそれを代表している。
とうてい大人の鑑賞にたえる作品には思えない。
また多満子にも萩原にもあまりにも陰影がなさすぎるし、作品全体でいやな人間がほとんど出て来ない。
作品の趣旨としては、いろいろな葛藤をそれぞれの登場人物が克服していく作品に見せたいのだろうが、ただいい人が集まっている物語にしか見えなくて味気ない、深みがない。
よく作品というのは作者の人間性がにじみ出ると言われるが、本作の監督や脚本家が味気なくて深みがないのだろうか?
筆者にはそうは思えない。長年テレビで無難な作品を創り続けているうちに、彼ら自身も知らず知らずのうちに作品の中に自分たちの人間性を出さないよう自主規制をかけるようになってしまっただけなのではないだろうか?
また撮影の間中、フラワー卓球クラブのレギュラー俳優陣はかなり和気藹々としていたようだ。
仲がいいのは結構だが、それは必ずしも作品の成功を保証しないし、監督や脚本家、俳優たちが誇らしくそれを語るのもよくわからない。
気のせいか昨今のTVバラエティ番組にも通じる内輪だけで盛り上がる雰囲気を本作にも感じてしまう。
試合で飛び交うピンポン球がほぼCGなのは観ていてわかるが、俳優たちがそれに見合う動きをしているようには思えなかった。
蒼井優と森崎裕之がいかにもなステレオタイプの漢族の楊や張を演じている。
「〜あるよ」って!今さら『サイボーグ009』の006・張々湖(チャンチャンコ)じゃないんだから。
母親以外は家族で漢族から日本人に帰化した卓球選手・張本智和のかけ声「チョレイ!」を使うセンスもいただけない。
このかけ声は日本の一部地域では馬鹿にされているように感じるらしく不評であり、最近では張本自身も気にしているのか言い方を変えたりあまり言わないようにしているように思える。
また卓球選手の水谷隼や石川佳純、伊藤美誠、吉村真晴らをゲスト出演させたり、お笑い芸人トレンディエンジェルの斎藤司を起用する演出もTVドラマの延長にしか映らない。
韓流のドラマや映画が面白いとは全く思わないが、それ以上に出来の酷い日本の作品がアジアですら全く受けないのはわかる気がする。
日本を好きで韓国嫌いな台湾ぐらいでしか影響力がないのも仕方がない。
主演の新垣結衣を久しぶりに観た。よく言えば大人の女性になっただが、悪く言えば老けた。
本作では出演時間が殆どないにもかかわらず鬼母親を演じて強烈な印象を残し、正当派美人の役からは外れつつあるものの着実にバイプレイヤーの道を歩んでいる真木よう子や、本作でも気の強い漢族娘役を無難にこなすような芸域の広い蒼井優と、新垣は違う。
『暗黒女子』で主演を務めた背が高いやせ形美人の飯豊まりえは新垣に似たような雰囲気を持っているように感じたし、他にも若手女優に新垣の変わりはいくらでもいそうである。
IT社長などを捕まえて社長夫人に収まって早々に芸能界を引退するのも1つの選択肢だし、今まで堅実に貯蓄していたのであれば、たまに呼ばれれば作品に顔を出す程度に優雅に人生を楽しむことも可能だろう。
いずれにしろ今のままでは加齢による容姿の衰えに伴って徐々に女優としての仕事は減っていくと思う。
ただこれは新垣自身の問題というよりもいろいろな役柄に挑戦させて来なかった所属事務所の問題なのかもしれない。