空(カラ)の味のレビュー・感想・評価
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天気の悪い日の晴れ間は嬉しいな
高崎映画祭にて
非常に作家性の強い、アクのある作品である。というのも、上映後の舞台挨拶で監督が語っていた自身の体験がベースとなっているプロットであるらしいので、色濃くその内容がクローズアップされているのだろう。
拒食と過食を繰り返す女子高生が、家族や友人、そして偶然出会った大人の女性との交わりの中で、徐々に前を向いて進む希望を描いている作品。
きっかけは恋心を抱いた男性教師の結婚話であるのだが、その辺りは余り強く主張していないのは、多分鬱病の発症にはきっかけはあまり意味がないことというメッセージなのだろうと思う。問題は、その自意識過剰なメンタルの状態での家族との軋轢、その後の友人宅への居候の中でも中々その症状の改善がみられないまま、しかし食費欲しさに友人宅の金を物色していた際にみつけた、故人である友人父親からのお年玉袋というエピソードは、これも監督の実体験だったのではないだろうか?
後半は、メンタルクリニックへの通院を決めて、覚悟して行った先での、女性との邂逅で大きくターニングポイントが訪れる。はっきりと自分よりも症状が酷い(多重人格、オーバードーズ、言動の不一致感等々)その女性がしかし、その症状故の同類感から、初めて自分と同じ世界観を共有できる人間に、素直に真情を吐露できた皮肉が巧みに演出されている。
ラスト近くの川でのシーンは、所謂、観念性の強いイマジネーションであり、監督の説明で言うと、海と陸とを隔てるボーダーが川であり、その川を泳ぐことでポジションを表現してるという演出は、完全に監督の概念を表現してるシーンであるから作家性として豊かなイマジネーションを訴えていて大変感心させられた。ただ、土手で歩く女性がマンホールに落ちることを匂わせるシーンは、一寸難しい演出かなとは思うのだが。監督の説明では決して悲しいシーンではなく、マンホールに落ちることで偶然にそのマンホールのしたに流れる下水から川に流れ行く、そういう救いを込めて、もしくは怪我をすることで笑いを取れるそういう救いの可能性を意図したとのことなのだが、その辺りはかなり読解が深すぎるかなと。実際にモデルがいたそうで、思い入れが強い役柄だったのであろう。
とにかくミニマムに自身の鬱体験を通じてのその時の時間を映像という作品に落とし込みたいという信念からの作品というのはヒシヒシと伝わる、良作であった。劇伴でありエンドロールの『どこまでも行こう』は、懐かしい郷愁に満ちた曲である。
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