ありがとう、トニ・エルドマンのレビュー・感想・評価
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笑いと涙で父娘の距離を縮めるエルドマンという精霊
160分のヒューマンドラマと聞くと多少面食らってしまうところもあるが、本作を観ると、なるほど、あの父と娘が距離を縮めてじっくりと関係性を醸成していくにはそれだけの時間が必要だったのだと思い知らされる。とはいえ、これらのテーマや目的を熟させるのに、本作はなんと奇妙なアプローチを試みたことか。父が扮装するエルドマンは、見た目も言動も変だが、どこか人を惹きつけ、納得させるところがある。しかし、父親は決して聖人君主であるわけでなく、エルドマンに扮しなければ娘に直接本音をぶつけることができない小心者とも言えるのかも。そのいじらしさが何とも言えない共感を呼ぶ。やがてエルドマンというサナギは毛むくじゃらのオバケへと変貌。と同時に、娘の中にも、エルドマンの破壊力、いや人と人との触れ合いを尊ぶ心が受け継がれているのが見て取れる。この父があってこそ、この娘あり。そのささやかだが心に沁みるラストが素晴らしい。
【”父は娘の人生についてのコンサル&コーチ。そしてGREATEST LOVE IS ALL。”父親は、どんなに娘が優秀でも心配する生き物なんです。父と娘の関係性の変遷をユーモアたっぷりに描いた作品。】
ー 今作は、実に可笑しくてヘンテコリンな作品である。-
■悪ふざけの好きな性格の父・ヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック)とバリバリのキャリアウーマンの娘・イネス(ザンドラ・ヒュラー)。
娘と久しぶりに会った父は、コンサルとしてバリバリ働く姿を見て優秀だと思いつつ、彼女が営業用の作り笑いしかしない姿に少し心配になり”トニ・エルドマン”という名前になって、何処から見ても変装しているとしか見えない出っ歯の入歯とかつらを被り、彼女のもとに現れる。
イネスの大事なビジネスの最中に、突如現れ悪ふざけを繰り返すトニ・エルドマンに、イネスはいら立ちを募らせていく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作を観ていると、ヴィンフリートがキャリアウーマンの娘・イネスの事を、本当に大切に思っている事が分かるんだよね、娘を持つ男としては。
・けれども、あれだけ大事なビジネスの最中に、変装しているとしか見えない出っ歯の入歯とかつらを被り”トニ・エルドマン”と名乗って、”ドイツ大使です。”。とか言って現れたら、そりゃ最初は苛つくだろうなあ。イネスの女子会に突如現れるシーンは可笑しかったなあ。
・けれども、イネスはそんな父の姿を見て、徐々に父の自分を心配する気持ちに気付いていくんだよね。
・そして、ルーマニアの人達の仕事をマルっとアウトソーシングしようとする会社のコンサルとして働いていたイネスは、”トニ・エルドマン”が仕事の手順を間違えただけで首にされそうになったルーマニアの労働者を助けようとしたりする姿などを見て、”トニ・エルドマン”とルーマニアの家庭のパーティにお邪魔して、ホイットニー・ヒューストンの”GREATEST LOVE IS ALL”を”トニ・エルドマン”のピアノに合わせて歌っちゃうんだよね。
・徐々に”トニ・エルドマン”の影響を受け始めたイネスは、自分の誕生日パーティをイキナリ、全裸パーティにしちゃうシーンもクスクス可笑しいのだなあ。
会社の上司や同僚も、ビックリしながらも恥ずかしそうに裸になって参加するしね。けれども、一番笑ったのは、”トニ・エルドマン”が毛むくじゃらの”クケリ”の着ぐるみを着て部屋に入って来るシーンだったね。イキナリ毛むくじゃらの”クケリ”に肩を叩かれてビックリする(そりゃ、そーだ。)の上司の姿は可笑しかった。
けれども、部屋を出て行った”トニ・エルドマン”を全裸のイネスは一枚だけネグリジェみたいな服を羽織って追い掛けて行って抱き付くんだよね。
<今作は、お互いに相手を思い遣っているのに、上手く意思疎通できなかった父と娘が、父が”トニ・エルドマン”となって、娘に対して”そんなに、しかめっ面で仕事ばかりして、利益優先とか言って労働者たちの仕事を奪ったりしないで、人間らしく生きようよ。”と言う思いを伝える様が、何だかクスクス笑えて、少し心に沁みる作品ではないかな、と思ってしまったのだよ。今作はヒューマニズムを基調にした良き作品だと、私は思いました。>
オフ・ビートな思いやり。 流石、gerwomen♥
ジャーマンキャピタリズムの終焉も間近だが、エネルギーをルーマニアでなんとかすべえ。
娘とその父がルーマニアの下請け会社へやって来る。
父の眼の前でルーマニア人が合理化される
『解雇ってジョークだろ。』
と父が訴える。
トイレを貸してもらったルーマニア人にお礼の言葉として
『ジョークを忘れないで』と父は言う。
それを聞いて娘は
『ユーモアを忘れるなぁって、きつい冗談よ。』
『人員削減とは関係ない。交流が楽しかっただけだよ』
『一人の解雇で騒いでいたら合理化なんて出来ない。』
『その話は止めよう。』
『綺麗事ばかり言わないで
パパだって、結局私達の恩恵を受けているじゃない。』
と帰りのタクシーの中で会話が少し盛り上がる。
弾けた娘はタイトな服を着れなくて、冗談で裸パーティを!
余裕だね。
着れないタイトな服だけど、女性の服ってチャックがなんで背中にあるのかなぁ?勿論、ハイヒールはなんの為に高いのかなァ?
余裕と言うよりも『bullshit movement』だと思うね。それに裸パーティは重なったね。
終盤 娘との会話
『なんの為に生きているって聞かれたけど、困った事に、今はみんな成果ばかり重視する。義務に追われている内に、人生が終わっちまう。時間は止められん。大切な君の為に生活してきたんだ。でも、その時は気付かなかったけどね。』
娘は何も答えず
その時、娘は始めて父の前で笑う。付け歯とロシア帽を被って。
ドイツは日本を抜いてGNPで世界三位になったって知ってる?皆裸パーティやっんだよ。
勿論♥
株価なんて信用しない方がよいよ。
短期逃げ切るなら良いかもしれないでもね。
遍在する父! ホイットニー熱唱の転回点から、ドレスが脱げない→裸で...
遍在する父!
ホイットニー熱唱の転回点から、ドレスが脱げない→裸で出ちゃえ!のあるあるというか、わかりみがすごかった。
ちょっとエブエブ的でもある。
青少年は見ちゃだめだからマイナス星1つ
感動しました。
過激な描写があるから星を減らしたけど
私もいい年の娘なので解ります。
自分を見失ってまで…という親との関係。
あぁ素晴らしい父親と娘の愛。
お互い大事には思ってるんですよ。
でも何を話していいかわからないという壁を
取っ払ったら、お父さんは誰より甘えられる人。
見終わって、早く実家に帰ってお父さんに
会いたくなりました。
主人公がホイットニーを歌うシーンも秀逸!
流石の選曲だし、いつも笑って過ごそうとする
そんなお父様に私は100点を送りたい。
最後のシーンで、人生の意味を語るところなんて
じわーっときました。
みんな成果ばかり重視する
義務に追われてるうちに
人生はおわっちまう
時間は止められない
よく思い出すんだよ
自転車の練習をするお前や
バス停でお前を回収して帰ったことを
あとで大切さがわかる
でも、その瞬間は分からない
The Greatest Love of All
邦画では追いつけない逞しさを感じさせてくれる今作品。なるべくBGMを抑え、静寂と行間を読ませるような感情の抑制と、我慢していたモノが弾ける唐突の展開に、期待以上のカタルシスが用意されているストーリーとなっている。序盤は、娘を心配する父親のやるせなさがしんみりと表現されていて、ただ冗長ぽさを感じさせるが、ウェイティングバーのエルドマン登場シーンからは、もう切なさと寂しさをガンガンぶつけてくる。しかしそれが決してオーバーな演出になっていないのが娘役の演技によるものだと思うのが、表題のホイットニーヒューストンの曲を歌った辺りでの吹っ切れ方と、爆発力でガラッと画の雰囲気を変えたことによる転換で物語っている。何もかも馬鹿馬鹿しくなった娘の取った行動の影響は勿論父親の影響なのだが、ここに父と子の結びつきの強さが如実に表わされていて、愛おしさもひとしおである。
ハリウッドでリメイクとの話もあるようだが、これこそ邦画でリメイクすべきなのではないだろうか。キチンと逃げずに女優はあの演出を受けるべきだけどね。脱ぐことを厭わずにチャレンジすべきだ、役者達!!
私はあのパパを許容できかねる。
おとぎ話なんだから目くじら立てなさんなという内なる声も聞こえるけれど、私はどうしてもあのパパを受け入れられない…
そんな気持ちで約3時間鑑賞しました。
イネスの生活について、いいじゃん我がで稼いではっちゃける分にはさ、と基本イネス寄りでは見ていましたが、はっちゃけレベルが私にはぶっ飛んでますわ。
クラブの外でドラッグが一般的なんですか?
もう私には無理でがんすよ。
はだかんぼパーティとかも、玄関で速攻Uターンしますよ。
あのパパは多分絶縁の勢いで無視しちゃいますよ。
ああん、いいこと言えなーい。
よかった
娘が始終固い表情で、ところがお父さんに影響されて歌ったり発狂して全裸になるなど、異常行動をするところがとても面白い。特にホイットニー・ヒューストンの歌が感動的で素晴らしかった。せっかく全裸になったのに、ヘナヘナな物悲しいおっぱいだった。
彼女は終始固い表情なのに、彼氏に対してはSっぷりを発揮したり、パーティでドラッグを決める奔放で開放的な面もある。
ストーリーが全然技巧的ではなくあんまり面白くなくて、なにしろ長すぎて飽きた。お父さんは楽しい人ではあったのだが、ユーモアのセンスがそれほどではなく、娘がちょっと嫌がるのも分る。
ハートフルではないような
噛み合わない父娘。着ぐるみを着た顔の見えない父と裸になった娘はその刹那だけ心を通わせ、抱き合い、子供のように名残惜しそうに別れる。
イネスは恋人にも友達にも優しくない。そして心を開いてくれた上司や部下とも結局のところ打ち解けない。
現状を脱ぎ捨てはするけれど、結局別のコンサル会社に移るだけで本質的には何も変わらない。
終盤、父の前で入れ歯を入れておどけてみせるが、暫くして外し、真顔になる。その真顔がラストショット。
祖母の死に「会いにくればよかった」とつぶやくが、会いに来れたでしょう?きっと父が死んだときにも同じことをつぶやく。そして父の言葉を思い出す。「義務に追われているうちに人生は終わってしまう」
お客様第一で、家族と過ごす時間も恋人とのセックスも大事にしない人生。チーズを削る暇もない生活。イネスは食べ物を食べない。唯一食べるのがあのケーキ!
前半の仕事にもがいている姿は痛々しくて何度も抱きしめてあげたくなった。
アメリカ映画なら父のおかげで人生を取り戻しハッピーになるんだろうけど、ずいぶんと苦いラストだ。
The Prankster Movie
Prankster という言葉がありまして、意味は『悪ふざけ屋』だそうです。どれくらいメジャーな言葉かは不明ですが、偽エチオピア皇帝事件の偉大なるホーレス・コール大先生は英語版wikiにおいて、eccentric prankster と紹介されておりました。現代では、サシャ・バロン・コーエンあたりがこの系譜を継いでいるように感じます。
ヴィンフリートのおっさんはコール師匠のようなキレやスケールはないけど、間違いなくprankster でしょう。悪ふざけをすると、脳内麻薬がドバドバ出て、とんでもなく気持ち良くなるんだと思います。
冒頭の双子コントとか、先生の(自分のか?)お別れ会で生徒たちにコーパスペイントさせるとか、真に無駄で無意味です。これらのエピソードから、彼は気持ちがいいから悪ふざけをしてるだけであり、悪ふざけで何かを訴えるとか風刺するとかが目的ではなく、悪ふざけ自体が目的であることが判ります。
ブカレストを訪れた時は普通のヴィンフリートでしたが、トニ・エルドマンのキャラを閃いた(もしくは持ちネタで、ここでやりたくなった)ので、残って遊んでいたんだと思います。勿論、イネスが心配という面もありますが。
ラストの着ぐるみも、どっかで見つけて「これはヤバい!着ないと死ぬ!」みたいな衝動に従ったんじゃないでしょうか。着ぐるみの頭が抜けなくなるとか、破滅型ロックンローラーのような瞬間瞬間を生きている完全燃焼感がありますね。
幼女時代のイネスは、きっと親父の悪ふざけが好きだったのでしょう。だからヴィンフリートも「本当のところ、イネスは俺の悪ふざけが好きなんだろ〜」とダメな勘違いをしてしつこくやってたのかもしれません。実際、イネスは意外と親父の設定(秘書とか)に乗ってきますし。
ヴィンフリートは遊びやゆとりがまったく無く強迫的に生きているイネスに生きる喜びを感じてほしかったのも真実だと思います。しかし、彼のブカレスト旅行の感想は「マジで楽しかった〜。イネスとも遊べたし、エルドマンはクオリティ高かったぜ、グフフ」くらいのモンでしょう。そんくらいのびのびしていたからこそ、素直に楽しんで素直に愛を伝えるなどのフリーチャイルドな態度がイネスに影響し、結果的に彼女は変われたのだと感じました。
まぁ、石油発掘現場で野○ソしようとしたのはのびのびにもほどがありますがね。あのシーンは「このオッサン、マジでガチだ!」と実に興奮しました。
映画自体はとても丁寧で、グローバル企業の人たちを単純に悪く描写しないなどステレオタイプを排した誠実さもあり、とても複雑で深みのある映画だな、と思いました。ただ、独特の間延び感がありもどかしさは感じましたね。162分はやはり長すぎて少しばかりしんどかった。
イネスの全裸パーティで、上司と秘書が乗ってくれたのが素敵でした。上司なんて一杯ひっかけて覚悟を決めて来てくれているし。秘書の子は本当にイネスを尊敬してるんだなぁと伝わります。いい仕事仲間だね。
ラストも、イネスは地元に帰ってこないのも良心的で押し付けがましくない。たぶん、ブカレスト以降、イネスなりにバランスが取れ充実を感じられるようになったのではないでしょうか。
新宿武蔵野館にて観賞
父はイタズラに自覚があり、すぐネタバレする分、意外と常識人。
娘は表情は硬いけど、仕事にやたら同行させており、どう見ても父が好きで気に掛けている。(女優のツンデレ匙加減が上手い。)
よって、イメージと相違して微細な父娘の錯誤をリアルな感情を描いた物語だった。公園で毛玉を抱くシーンはちょっと感動する。
しかし、観た後のこの作品の印象は非常に悪い。
裸パーティー、発想がぶっ飛んでおり、我ら観客ももてあそぶ秀逸なイタズラ(この父にして娘あり)だった。……ここまでは良かった。
ところが、娘はあっさり会社を辞めていることが分かる。
裸になった上司と秘書を放置して、娘はあっさりと服を着た男性を部屋に入れていた。父のことで頭いっぱいだったのだろうが、裸の2人はどうなったのか。
この2人は娘への気遣いで裸になったのだが、彼らへのフォローも情もなく自分は会社辞めちゃうなんて、娘は自分の事だけ大事で人情味が欠片も無い人物だと感じてしまう。
厳しい東欧の状況を描くシーンもあるが、娘も非情な企業と同じであり、これでは同意したり感情移入するのは無理。
なので、最後の入れ歯シーンも「勝手にしてろ」という気になった。
人情コメディとして作られているならズレてるし、スノッブなコメディならお高く止まってんなぁ、という感想。
突発力のある笑いは魅力的なんだけど。
手が離れてしまった親子関係のすれ違いをユーモアで埋めていく。
ついつい、自分と親の関係のことを考えてしまった。子どもの頃はまるで以心伝心、心を全部読まれているような気がするくらいに通じ合えていた(と感じられた)はずの親とも、離れて暮らす期間が長くなり、それぞれに見るもの、食べるもの、読むもの、感じるもの、思うこと、そして過ごす時間も生活スタイルも違っていくうちに、心は明らかにすれ違ってしまう。この映画のキャリアウーマンの娘イネスと風変わりな父親の関係は、間違いなくお互いを想い合っているし慈しみ合っているのが伝わるのに、なぜかいつもぎこちなくて居心地が悪そうである。
私なんかでも、時々実家に帰ったり、あるいは両親が我が家を訪ねてきたりすると、久しぶりに見る顔に嬉しくなる半面、いつもの生活リズムが狂って落ち着かなくなるし、別れた後で感じるのは寂しさ以上に、ようやく一人に戻れた安堵感や解放感だったりするもの。この映画はそんな、すっかり大人になり、親離れも子離れもとっくに終わってしまった親子の間にあるすれ違いを見つめ、そこから親子の絆や愛を見定めていく、そんな物語なのだと思った。ぎこちなく不器用ながらも、すれ違う親子の心をすり合わせていく様子とそのユーモアに心癒されるような気分がしてなかなか良かった。
とは言え、タイトルにまでなったトニ・エルドマンという、父親が見せる扮装の人物のキャラが、予告編で期待させるほどには立っておらず、なんならサンドラ・フラーによって表現された娘イネスのキャラクター造形の方がよっぽど立体的で面白くユニークに感じられたほど。仕事に打ち込んでいる女性を決してステレオタイプな感じには見せず、人間味を齎して演じられていて、トニ・エルドマンよりよっぽど作品の中で輝く存在感を見せていたように感じたのは、必ずしも私自身の年齢がよりイネスに近いからだけではないと思う。トニ・エルドマンもっと派手にもっとめちゃくちゃやってくれても良かったような気がするし、これではちょっとキャラが弱いよ、と・・・。だって、毛むくじゃらの被り物で登場する父親より、テンパっちゃって裸のまま飄々と客を招き入れちゃう娘の方がどう考えても面白くて可笑しいでしょう?(ハリウッドでジャック・ニコルソン主演でリメイクされるのであれば、もっと破天荒なトニ・エルドマン像が見られそうな気がするので、そういう意味では期待できるかな?)
もう私は完全に娘イネスに共感し、またサンドラ・フラーの幅広い表現力に魅せられた(いつも仏頂面しているように見えるのに、怒ったり泣いたり動揺したり戸惑ったり挫折したり打ちひしがれたりという感情の振れ幅が明白に伝わる演技!)。そして私自身の少し倦怠感のある親子関係を顧みて切なくなりながらも、少し元気をもらったような気がする、そんな映画だった。
親子の関係とは何かを描いた名作
今作のダラダラとしたテンポと、ラストのあっさりとした終わり方、これはどちらも親子の関係の在り方をそのまま映画的に表現している様に思えます。
いつまでも親父のしょうもない冗談を聞かされ続け、こんな時間が永遠に続くのかと思っていると、いつの間にか映画は終わってしまいます。
自分の側にいて当たり前だと思っていた家族も、いつの間にかいなくなってしまう。そんな時になってから後悔しない様に、あの親父は娘に「人生の素晴らしさ」を身をもって伝えようとしたのだと思います。
そして娘が、祖母の帽子と親父の入れ歯という、過去の家族の思いを受け継いだ時に、親父は安心してひっそりと舞台から降りることが出来るのです。
ラスト30分の笑いの爆発力。"豊かな人生"とは何かを問われる
162分(2時間42分)と長尺だが、ラスト30分にやってくる想定外の笑いは、それまでに重ねられた知的な仕掛けと主演2人の演技力があるからこそ、強力な爆発力を生み出す。今年、この映画を観ないときっと損をしている。
グローバリズムの中で、時間と効率に追われる現代社会を風刺して、"豊かな人生とは何か"を問う映画。世界中の人が引き込まれた理由がここにある。
この映画は人生経験に比例して奥深さを増す。とくにクソ真面目に生きているビジネスマンには、この風刺の意味することが直接的に心を揺さぶるはず。
子供っぽい悪ふざけが大好きなドイツ人の父親"ヴィンフリート"。ルーマニアに暮らしている娘"イネス"は、才女でコンサルタント会社で国際的な仕事をこなすキャリアウーマン。ある日、仕事中の娘の前に父がとつぜん現れ、ひと騒動起こすが帰国。ところが今度はカツラをかぶって、バレバレの変装で、"トニ・エルドマン"と名乗って登場する。娘を想い、人生とは何かを問いかけるために、突拍子もない言動を繰り返す"トニ・エルドマン"。
"時間"を考え、"目標達成"を義務とし、数値化できる"成果"に価値を見いだし、第三者の"評価"に一喜一憂し、つぎのステージに上がることで充足感を得る。優秀なビジネスマンは、ほんとうに人生の瞬間の価値を認識できているのだろうか。
この作品の評価が割れるとしたら、まだ社会に出ていない若者、または幸運にも(?)社会の面倒くさいことから距離を置けている人。風刺作品は、身近に思い当たる事象がないと笑えるわけがない。しかしそれはそれで幸せだ。もしくはすでに”トニ・エルドマン人間”かもしれない。
この映画を観たからといって、いま頑張らなければならない緊張感で生き抜いている人を止めることはできない。実際、劇中のイネスは、職場こそ変えたが、キャリアウーマンであることに変わらない。人一倍のユーモアセンスが加わったと思うが…。
(2017/6/28/新宿武蔵野館/ビスタ/字幕:吉川美奈子)
困惑
一風変わったファミリードラマ。ストーカーの様につきまとうオヤジに困惑しながらニガ笑い、そしてジワリと感じる親の愛情。ヨーロッパの文化的な懐の深さに関心しきり。下品過ぎるシモネタに爆笑です。
それは・・・トニ・エルドマンに聞いてください。
最初の宅配便のシーン・・・こんな語り方をするんだな~~~~これは・・・・ながいぞ~・・・162分?もっとなが~く感じることになるだろうな~~。
スロージャーナリズム、スローニュースが流行っているが~~~~これはスロームービー、スローハッピ~~~~な作品だな~~~。
以上!
このゆっくり感がOKなひととNGなひとで評価が分かれるでしょう。
また、家族と仲の良いひとと悪いひとでも効き方が分かれるでしょう。
どっちにどんな効き方って?
それは、映画館に行ってトニ・エルドマンに聞いてください。
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