ありがとう、トニ・エルドマン : 映画評論・批評
2017年6月13日更新
2017年6月24日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
破天荒なパパと、がんじがらめの娘。奇想天外に見せかけてリアルに人間を描く
世界各地で絶賛を浴びたドイツ生まれのヒューマンコメディだ。主人公は、ルーマニアでバリバリのキャリアウーマンとして働く娘と、そんな娘を案じる父親。サプライズで突然娘を訪問した父親は、娘がちっとも幸せそうじゃないことに気づき、人生の喜びを思い出してもらおうと一計を案じるのだ。
ところが困ったことに、この父親は子供じみたイタズラが大好き。宅配便が届けば、いそいそと出っ歯の付け歯をして別人のフリをしたりする。当人は楽しくてしょうがないが、周りの人にとっては迷惑千万。娘にしても、仕事で忙しいのに、構ってくれと言わんばかりに寒いギャグやイタズラを仕掛けてくる父親が面倒でしょうがない。
そんなパパだから、良かれと思ってしでかすこともピントがズレている。一度はドイツに帰ると見せかけて、“トニ・エルドマン”なる別人に化けて娘の行く先々に出没するのである。もちろん正体はバレバレ。考えてみて欲しい。仕事先にもプライベートの外出先にも、変装した父親がストーカーのように付いてくるのだ。娘がもはや中年と呼べる年齢だけに、一種の地獄だと言っていい。
よくあるヒューマンコメディなら、破天荒でお茶目なお父さんが、娘に笑顔と幸せを取り戻す感動ストーリーとしてまとめるだろう。しかし“トニ・エルドマン”の試みは片っ端からスベリまくっている。「たいして面白くない人が悪ふざけをしている姿」を延々と見せ続けるだなんて、なんと恐ろしい映画であることか。
ところが、だ。無謀な悪ふざけが積み重なることで、娘はペースを乱され、自分がコントロールしていると思っていた日常から切り離される。そこで初めて、長らく押し殺してきた感情や想いが蠢き始める。大人という存在は“生活”や“仕事”に縛られているものだが、その鎖は本人が思っている以上に重くて硬いのだ。
娘が自分自身をがんじがらめに縛り付けていたことに気づくために必要だったのが、トニ・エルドマン級の荒療治と、本作の2時間42分という上映時間だ。ヒューマンコメディで2時間越え、というだけで相当な異常事態だが、この物語にはどうしても必要な尺であり、決して長さも感じない。奇想天外に見せかけてとことんリアルに人間を描いた良作。ジャック・ニコルソン主演でハリウッドリメイクされるそうだが、どうかハリウッド版でも、この親子の不器用な時間の流れが失われないでいて欲しい。
(村山章)
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