「何も考えなければ楽しい映画」グレイテスト・ショーマン スネーク・オーガニックミントさんの映画レビュー(感想・評価)
何も考えなければ楽しい映画
起承転結がはっきりしていて、ミュージカルシーンは魅せる魅せる。何も考えなければエンターテイメント作品としては良質。
但し、マイノリティ擁護や反差別といった自己満ポリコレに媚びたメッセージを中途半端に差し込むせいで何も考えずに楽しむにを邪魔される。
例えば、フィリップとアンの恋愛についてだ。
アンは黒人と言えども非常に美しい女性で、その身体も非常に美しい。一面を見れば黒人差別に対するアンチテーゼだが、見た目が良ければ良いというのはポリコレ側の言葉を借りるならルッキズムってやつじゃないのか?
結局見た目か。醜い者は愛されるべきではないのか?
実際、健常者であっても先天的な容姿によって人生の難易度は大きく左右されるのが現実だ。
だが黒人だったり医学的に証明される障害だったりした場合は反差別という名の腫れ物扱いによって寧ろ厚遇され、それ以外の生まれ持った美醜の差によって生まれる格差、逆ハロー効果は透明化されるばかりか今も尚格差は広がる一方である。
ちゃんちゃらおかしくて臍が茶を蒸発させる勢いである。
ポリコレに媚びたいなら、髭女レティの歌声だけを聴いたフィリップが一耳惚れし、その容姿を知っても尚愛を誓うとか、ドラァグクィーンに惚れて…とか他にいくらでもやりようがあったのでは?
また、ミュージカルシーンに尺を割く都合上、物語上唐突な展開がちらほら。
例えば、終盤挫折したバーナムの元にフリークスが集うシーン。
それまで人目を避けて生きてきたフリークスだがバーナムに勧誘されサーカスに出演することで自己肯定感を得た。それを恩義に感じたフリークスはバーナムに手を差し伸べる。
このフリークスが自己肯定感を得る、という描写が不足しているので、納得しがたいものがある。
そして挫折から再起を遂げるラストシーン。
これも挫折→再起という展開に理路が存在しない。それもそのはずでバーナムの挫折の直接の原因は妻子持ちのバーナムに迫って振られた女の逆恨み、フリークス排斥派の市民による放火と、バーナム自信に否が無いのだ。
だから挫折と再起の間に「反省と改善」という重要な工程が抜け落ちている。どうせなら挫折はバーナムの自業自得にするとか、フリークス排斥派と和解して劇場再建を手伝って貰うとかして、再起に至る理路をはっきり描いた方がより大きなカタルシスを得られたのではないだろうか。