三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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法廷ドラマの最高傑作
裁判とは何かを描く法廷ドラマに仕上がっている。とくに弁護人と被告の関係について深い考察がなされている。事件そのものがどうであったかよりも担当弁護士と殺人犯とのやりとりに重きが置かれている。横浜が舞台であったのと、斉藤由貴や広瀬すずの演技に惹かれてこの長いドラマを観る。裁判員裁判なのだそうだが、その制度についての描写は少なかったように思う。うろ覚えだが、法廷経済?なる裁判用語がでてきて、たしかに裁判はさまざまな費用もかかるし、人を裁くのにエネルギーを費やすので、裁判官としては、一個の裁判をさっさと終わらせていきたいという心理がはたらくのは仕方ないのかもしれない。本作の場合、被害者はなぜ殺されたのかという点がメインだったように思う。あと、役所広司がもしかしたらこの人はいいやつなのかもしれないと思わせる演技の幅を見せていた。本作で、事件の全貌が全てがつまびらかになったわけではなく、是枝さんがほんとうに描きたかったものが描けていたのかどうかは微妙だった。しかしそれ以上に広瀬すずと斉藤由貴が良かった。
思惑
実に巧妙な構成であった。
淡々と進む作品であったものの、思い返せば退屈だったという訳ではない。
かといって、グイグイ引き込まれるかと言えばそういう覚えもない。
でも、いつの間にかどっぷり引きずり込まれてるかのような…。
物語を追ってく内に標的がコロコロ変わっていくばかりか、標的の性質さえも変わっていく。その進行と人物設定のさ巧みさが絶妙であった。
この作品を見て、様々な側面を見つける事は出来ると思う。
サスペンスだったり、ミステリーであったり、人間性の話しだったり、司法の闇の話だったり…見る人のバックボーンによって、色んな表情を見せてくれる柔軟性に富んでるようにも思えた。
「誰も真実は話さない」この台詞が示すように、この物語の何たるかは、観客の選択に委ねられてるようにも思う。
後半になって犯人は犯行を否認する。
その前後に「司法」を扱うものは神ではなく、お給料と時間に束縛される一介の人間だという見解が刷り込まれる。
これにより、真実は得体の知れない渦のようなものに飲み込まれ埋没していくとも思うのだが…恐らく犯行には及んだのであろう。
映画館を後にしながら「3度目」という題名を考えてた。
自らを抹殺するという事ならば、この話しはやはり「いい話し」なのだなと思える。
が、それすらも器に何を注ぐかなんだな。
後、BGMがとても好き。
難しいと言うか…
問題提示てんこ盛り。
ストーリー的には、
先の展開が見え見えで、最後にやられた感を期待したけど、へ?終わり?
って感じでした。
ただ、どんだけ詰め込むの?
って問題提示山積み!
なのに答えなし?
作り手側の考えは?
理不尽に感じてる現代社会の問題点、
誰が観ても何かは引っ掛かるだろうくらい、範囲の広さ(笑)
最後の最後に、この作品は何を伝えたかったか考えて下さい的な
『ただの器?』の台詞
丸投げか?とも思ったのですが、
『死刑宣告を受けたのにもかかわらず、
その話しは素晴らしい、だの、
私は、人を傷つけてしまう人間、だの、
自分の行い、現状に向き合う事をしない』
こんなに深刻な問題ばかりの世の中を他人事、自分の中心になりがちの人への
「あなたはただの器ですか?」って投げかけなのか?
って思いました。
誰も真実を言わない法廷劇。
真実とは何か。自分なりの定義を見つけたいと思いますが、なかなかこうだとあらわせないことのひとつで、そのことに迫る物語に惹かれます。
なので、「三度目の殺人」は大好物な作品です。もちろん、是枝裕和作品だからという点でも、見逃せない作品でした。
真実とは、誰にもゆるがせられない本当のこと、という意味でよく使われると思います。
事実と真実は、私は違うことかなと思います。
事実は客観的なもので、人の感情によるフィルターが入らない出来事を指し、事実を元にその人にとってそれが何を意味するかというフィルターをかけたものが真実なのかなと、今のところ思っていますが、それが普遍性のある答えなのか、わからないなーというところです。
三度目の殺人における事実は、食品工場の社長が河川敷で殺害されて燃やされた、ということ。
その容疑者として逮捕された殺人の前科をもつ三隅が、すでに犯行を自供しており、その裁判を迎えている。
自供が事実である、という認識の下、裁判は進められていきますが、三隅の弁護人になった重盛には、時が経つに連れ三隅が話していないことに囚われていく。
殺された社長の妻と娘もなにやら関わっていそうで、最終的に三隅は全ての事実も真実も話してはくれなかった。
重盛は元々裁判に真実なんて必要ないといっています。それは分ります。真実はいかようにも作る事ができますから、裁判に有利な真実を根拠にして戦うのですから、本当のことはどうでもよい、ということです。
でも、真実は必要なくても、裁判をするためには、クライアントの望みと事件の概要を、裁判用の真実として構築しないと弁護できないので、彼なりの三隅の行動原理を組み立てたいのだけれども、三隅は会う度に証言を変える、非協力的な依頼人なのです。
見くびりながらも、その非協力な殺人者(仮)の術中に踊らされていきます。
三隅の造形がすばらしいなと思いました。役所広司、恐るべし。
百戦錬磨を自認してそうな福山雅治演じる重盛が、まるでいたいけな少年のように見えました。
三隅の内面や事件前後の行動を、監督は正確には設定していないのではなかろうかと思いました。
三隅がもつ真実は誰にも明かさない事だけが決まっていたのかなと。
だから実際は、三隅以外の協力者がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。
冒頭の殺人シーンはミスリードを誘う引っ掛けかもしれない。それは誰にも分らない。
恐らく咲江は本当のことを言っていたと予想しています。父親に性的虐待を受け、そのことを母親に黙認されていた。
三隅と肉体関係があったかどうかは不明ですが、それは恐らくないのではと勝手に思っています。
また、咲江が父親を殺したとも思えません。ガソリンを運べるような足ではないと思うし。もちろん、確証はないのですが。
多分、三隅は咲江の父親による虐待の話を証言させたくなかったのも本当じゃないかなって思います。
が、所詮、私が私の偏見から見出した筋道なので事実かどうかは分りません。
三隅がしゃべる気がなければ、分からないことでしょう。
日本の裁判のいい感じの茶番ぶりも垣間見ることができます。
裁判の流れの打ち合わせをして、その予定に沿って進める原則があるんだなーとか、興味深かったです。
裁判の終盤で、三隅のたっての希望で、有罪を否認して無謀な無罪答弁へと切替えしたのですが、無罪を前提とした裁判のやり直しは行わない。
陪審員の再任とか、いろいろ面倒だし、裁判長は無罪にするつもりもないので、続行。なので、どうせ死刑は免れないんだし、無罪は勝手に言わせとけということで、弁護側の主張変更を検察側も飲むと。ま、そういう感じでした。
そっか、じゃあ、本当に本当に、三隅じゃない人が、裁判も結構進んだ中で、自供もしているけれども、やっと本当のことが言えて無罪を主張したとしても、再審なんてろくにされなくて、そのまま死刑なんだ。裁判の意味ってあるんだかないんだか・・・・
でも、職業として裁判官とか弁護士とか検察官とかやっていくってことはそういうことなのかもな、とも。
もし、自分が被疑者にされても不利になる自供したら終わりやな、どんだけ取調官に恫喝されても耐えようって思いました。
三隅を単純にサイコパスだと断罪しておしまいでも別にいいのですが、もうちょっと心情に寄り添いたいなと思ったりもしました。
生まれてこなかったほうがよかった人間がいる、っていうのも、そうかもしれないしそうとはいえない気もするし。
1人の人間は小さい小さい存在だと思っているので、誰かを生まれてこなくてよかったのにと決める権利ないんじゃないか、と思います。
なので、やっぱり刑罰に死は私は選びたくないなと思いました。とはいえ、厳刑なしの終身刑を服役させるコストもあるだろうし、被害者家族の感情もあるし、決められないですね。
役所広司だけでなく、他の役者も皆よかったです。
中身空っぽな感じがする咲江の母・斉藤由貴(大河降板ショック・・・渡辺謙はしれっと出演するくせにね、本当に男尊女卑な世界だよ)、つんけんした感じがシン・ゴジラに出てたときと被る市川実日子(このキャラが盛大にデレる恋愛ものとか見てみたい)、若さゆえか正義感がまだにじみ出てる満島真之介などなど。そして咲江を演じた広瀬すず。広瀬すずはティーンむけの映画やめて、この映画みたいな、演技がへただと使えない系の映画やらドラマにもっと出て欲しい。せっかくの演技力がもったいないわー。ティーン向けのはもっと下手なかわいいだけの子にやってもらったらええんちゃうかな。ようさんおるからさ。
誰が殺して、事件の概要がちゃんと分るサスペンスが好きな人には向かない話です。
わからない
面白かった。見て損はない。
ただし、映画館じゃなくてDVD等でも楽しめると思う。
感想を端的に言うと「分からない」だ。
主人公の弁護士といっしょに犯人に翻弄され、分かったような分からないような釈然としない気分で放り出される。見終わるといろいろなことを言いたくなるが、プロットの分析は、たぶん、意味がない。
接見シーンの映像演出は良かった。
そして、真実は観客に委ねられた。
人間の行動には必ず理由があるという考え方に警鐘がもたらされた。世の中には「空っぽの器」なる人間がいるのだ。殺人に意味などなく、快楽でもない。呼吸するのと同じ、人が生きる上で行う無意識な行動なのだ。
頭でっかちでも、堅物呼ばわりされても、僕は人間という尊厳を無くしたくないと思った。
これは映画ではない…
すぺてに於いて中途半端…
観客のことなど考えてないに等しいくらい映像で見せなきゃならない本質が欠如している…
映画は想像するものではないし、内容的に必要なシーンは網羅すべき!
謎を隠すこの見せ方は好きじゃない!!
役所広司さん、やっぱりすごい
人が人を裁くことについて、司法の場に真実があるわけではないということ、生まれながらにしての悪…、テーマは深かった。
良かった点
役所さんの芝居が兎に角良かった。役所さんと福山さんの芝居(人間力?)に差があったが、次第に役所さんに引っぱられて行く福山さんもストーリーとリンクしていてよかった。
ラストのガラス越しに、それまで対峙していた2人が重なるカットがよかった。
タイトルも結局3度目の殺人は誰が殺したのかということを考えさせられるので、いいタイトルだと思った。
空っぽの器という悲しさが響いた。
疑問
福山と吉田は国選弁護士?事務所がすごく古い建物だったのは、国選弁護士の成功報酬が少ないから?家の内装が普通だったのはそういうこと?
なぜ役所さんは広瀬すずを抱いたのか?娘と重ね合わせていたのでは?
役所さんは供述をひっくり返すことで裁判官の心象が悪くなり、死刑になるというようなことをなぜ知っていたのか。30年前の裁判があったから?もしくは福山さんは広瀬すずの独白があった時、すでにこのストーリーを思い浮かべていて、それを役所さんが読み取った?
希望
福山さんが勝ちにこだわるようになったのがなぜか知りたかった。
福山さんと娘、役所さんと広瀬すずの関係をもう少し描いて欲しかった。
勝手な戯言
制作者サイドは全く悪くないのですが、私の中で「そして父になる」の福山さんが抜けていなく、重盛役は福山さんではないほうがよかった。
親による性的虐待など、ありがちと言えばありがちな要素が作品として新しさを感じなかった。それと物語の重要な要素が超能力というのは、ちょっと都合がよくないかなと。嫌いじゃないんだけど…
あとポスターと内容がリンクしてないのが残念。ポスターを見る限り、単純な殺人事件にしか見えない。
楽しめなかった
是枝監督は大好きなのですがこの作品はあんまり楽しめなかった。福山が好きじゃないからか。広瀬すずも役所広司も見飽きた感がある。弁護士事務所のお茶汲みのおばちゃんもなんだかわざとらしくて目障り。80分くらいに収めてくれたら最後まで集中できたかもしれない。ちょっと冗長な気もした。退屈はしなかったけれど、何か胸に迫るものは感じなかった。今回は寝ないで最後まで観れそうだとおもってたら、最後の最後で眠くなって寝てしまった。是枝監督を尊敬しているという韓国の女性監督がとった「わたしたち」の方がずっとリアルで胸に迫るものがあった。
個人的には合わないが…
ふむふむなるほど…。ラストの一幕とラストカットは好きでした。
面会室のアクリルを使った描写もゾクゾクする。しかしなんだかボンヤリ長い印象。全体の展開は嫌いじゃないのに、眠くなるというか平和というか。もう少し商業的なスパイスがあっても良かったかなぁ、なんて思いながら浸ってます(苦笑)
主役二人の熱演が光りました
弁護士(福山)が殺人犯被告(役所)の心の奥底に沈んだ澱を一生懸命掘り返そうとするが、そうしようとすればする程闇が深くなる... 所詮、他人の心は分かるようで分からないもの。他のレビューでも題名の謎が話題のようですが、そこから暫し離れて、被告対弁護人の心理劇を堪能されてはいかがでしょうか?
あざとい
福山雅治の顔は同性から見ても端正で美しい。結婚して熱狂的ファンが離れたと聞くが、スクリーンいっぱいに何度もアップで映る彼の顔は、「劣化」という言葉と無縁のようだ。
広瀬すずは「海街diary」ではじけるようなかわいらしさを見せたが、彼女を左から撮ると違う印象をつけることことができるということがわかった。
この2つ以外、得ることがなかった映画だ。
「司法は真実を追求しているか」と投げかけるが、この映画は映画として表現したいことに忠実だろうか?
ヨーロッパ映画によくあるBGM。
死刑廃止論。
実子の性的虐待。
コンペティション受賞狙いの白人ウケしそうなことばかりちりばめられている。
広瀬すずが出てきたときに福山雅治にニュートラルな態度だったので、まさか「父親の虐待」じゃないだろうな。と思ったらそのとおりだったのでガッカリした。それだけ広瀬すずの演技が優れていたということでもあるが。
広瀬すずは「怒り」でもレイプされる役だった。なんで彼女に性的匂いをそんなにつけたがるのか?土屋太鳳と対比して批評されていたが、「アイドルっぽい役だけじゃなく、将来につながるように役者の幅を広げなければ……」などと吹き込んでいないだろうか。「いずれ自分の作品で脱いでもらう、それを観客ものぞんでいる」という「映画業界の忖度」を作っていないだろうか。勘違いも甚だしい。満島ひかりの裸しかり、そんなもの誰も望んでいない。
この監督は家族のテーマから離れられないようだ。今回は親に翻弄される子。役所広司と娘、被害者と広瀬すず、斉藤由貴と広瀬すず、福山雅治と娘、橋爪治と福山雅治。詳しくは語られていないがもしかしたら役所広司とその親。ちりばめたはいいが、収拾がつかなくなっている。
誰かをかばうために嘘をついて罪をかぶるなんて、福山雅治がいるだけに「ガリレオ」か?めまいがした。東野圭吾の原作なのか。
この監督はこの映画で使い古されたテーマを羅列するだけで、新しいものをなにも示していない。表現したいことがあって作った映画ではないだろう。
「司法の内輪の事情」に批判めいたことを言っているが、この映画は「受賞狙い」、「スキャンダラスなテーマ」、「大衆ウケ狙い」で塗り固めた、多分に「映画業界の事情」で作られている。偽善の塊だ。
三度目の殺人とは…
三度目の殺人とは結局どういうことだったんだろう。という風に見た後に感じました。
俳優さんはみな素敵な演技だと思いました
役所さんはあんな猟奇的というか不思議な空気感のある殺人犯を演じてることがすごいおもしろかったです。
福山さんが演じるのは仕事出来るクールな男、だけど家庭は上手くいかず三隅に翻弄されていく…。
広瀬すずちゃんが演じる役はとてもダークな役ですが、やる役でキャラと普段のイメージが変わるなとほんと思う人かな
あと、斉藤由貴さんは最近悪い女の役が似合いますね
悪女とか小悪魔な感じがとても合う気がします。
最近の邦画映画の終わり方で曖昧というか
もやもやとした感じ、見る側に考えさせる終わり方。
うーん、微妙な感じもします。
心情の描き方が見事
私は是枝監督の作風が好きで、今回は何と言っても役所広司がどのように絡んでいくのかがとても楽しみでした。
始まってみるとやはり役所の演技が一歩深いところにあり、凄みすら感じます。
途中から福山雅治が役所の芝居に引っ張られている感じがするのですが、それが作品の中の二人の関係性ともリンクしていてとても面白いのですね。
そうした「重なってしまいそうになって重ならない二人」を、面会室のアクリルを使い見事に表現しています。
この手法が本当に見事で、見ていてこちらも引っ張られるのを感じました。
監督は作品の中で全ての答えをはっきりさせない描き方をしますが、本作も同様な作りでどこか引っかかりがあります。
が、そうした「フック」が作り手の狙いでもあるのでしょう。
それでいて最後に「三度目の殺人」に気づくように作っていたりもするんです。
真実そのものの意味とは?と言った監督の問いかけが、心にいつまでも残る作品でした。
タイトルから推察
是枝監督の法廷サスペンス。
犯人は誰か?でもなく、法廷での心理戦を描くでもなかった。現行の裁判制度だけでなく、人が人を裁くことへの疑問を投げかけていた印象。
福山と役所のやりとりは見所もあり悪くはないのだが、物足りなさを感じる映画だった。
最後に犯人について。タイトルの3度目は三隅が自分のことを殺すことを指しているのではないか。司法が三隅を殺したのは3度目とは呼べない。そう考えると三隅が殺したってことになる。やはりあの子をかばってなのか。でもそれでいいのかモヤモヤが残る。
モヤモヤ
邦画はこういうモヤモヤした作品は多いですが。。
ぽかーんとしてしまう終わりは桐島以来かな。
自分の中で全然終われていないです。
タイトルの意味さえもよく解らない。
生まれて来てはいけない人間なんているのか。法廷で本当の事を言う人はいない。このあたりがひっかかりました。
ずっと考えられる映画も良いですな。
複数のテーマとそれぞれの葛藤
まず広瀬すずの女優としての成長を評価したい。これまでの、好き嫌いや嬉しい悲しい淋しいなどの単一の感情を表現するだけだった演技が、悲しくて辛くて怖いという複雑な情緒に加えて、年代なりの人生観や世界観も合わせて表現できるようになった。
作品のテーマはひとつではない。裁判という制度そのものに呈する疑問、司法関係者たちによって構成される、所謂司法ムラ社会の実情、真実よりも司法関係者の利害が優先される裁判の進め方など、人が人を裁くという行為がいかに様々な問題を抱えることになったかを炙り出すのがひとつ。
もうひとつは事件を通じて登場人物がそれぞれの葛藤をそれなりに乗り越えていくことで成熟していくことだ。つまり社会性と人間性の両輪がこの映画を前に進めている。その象徴的な役柄を演じたのが広瀬すずだ。役所広司や斉藤由貴の達者な演技に引っ張り上げられたような、これまでとは見違える演技で、テーマの集中する難解な役柄を見事にこなしていた。
ひとつひとつの台詞や場面を言葉で分析しようとするのは難しい。それぞれの相関に必ずしも整合性があるわけではないからだ。その整合性のなさをこの世界の混沌としてそのまま理解するのがこの作品の正しい見方だろう。
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