「本当の強さとは・・・」ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた るるびっちさんの映画レビュー(感想・評価)
本当の強さとは・・・
下手な脚本だと人物の感情を台詞で説明してしまう。
主人公をテロの被害に巻き込んだ為、恋人は罪悪感を持っている。
下手な脚本なら「私のせいでこんなことに…」と説明してしまう。
恋人のボストンマラソンを応援に行って、主人公は爆弾テロに巻き込まれたのだ。
しかし本作では恋人は罪悪感と共に、いつもはルーズで約束を守らない癖にこんな時に限って応援しに来て爆弾に巻き込まれた主人公に対して、戸惑い、不条理、苛立ち、謝罪、割り切れなさを感じている。
複雑な感情はひとつの台詞にすることは不可能だし、それを表現するのがすぐれた俳優である。
「私のせいで」と説明するのは、作り手側が状況を伝達しているだけで人物の感情を表現することにはならない。
だから体全部を使って、言葉にならない複雑な感情を表現するのが良い演技といえよう。
家族が多い。これが主人公の苛立ちのひとつ。一人になりたくても中々なれない。家族は皆、彼を心配しているが理解の配慮が足りない。
朝、不自由なのでベッドから落ちて唸っても、男だからあんな体になっても「マスかいてる」と誤解される。トイレットぺーパーの距離が遠くて便器から転げ落ちるなど、バリアフリーへの配慮がなっていない。そんな苛立ちを喚きたくても四六時中家族が居るので、タオルで口を塞いで聞こえないよう配慮しながら喚く始末。配慮するのは家族の方だろう、主人公が不憫である。
被害に遭いながらも、犯人逮捕に尽力した主人公を市民は英雄視する。
母親は、息子が英雄ということで承認欲求が満たされて喜ぶ。
そんな彼らの無神経ぶりに主人公は心を痛め疲弊する。
本当はルーズでいい加減で臆病な自分と、外で英雄として振る舞わなければならない自分とのギャップに苦しむ。
夫に罪悪感を感じている妻(事故後結婚する)が、彼の弱さを指摘するのは中々勇気のいる行為だ。罪悪感からそこは目を瞑りがちだが、愛情があるなら指摘した方が良い。彼には元々、面倒なことを回避する癖があるのだ。
主人公も市民も家族もみな自分のことしか見えていない。唯一相手の事が見えていたのは、この妻だと思う。妻は夫の糞便の処理までしている。だからこそ言いにくいことまで言えるのだ。介護ストレスで逆切れして厳しいことを言ったのではない。
自分しか見えておらず被害者意識しかなかった主人公が、後半に変わる。
無神経に思えた市民も母親も爆弾テロで怯え傷ついているのだ。
主人公は足を失ったが、市民たちもそれぞれ何かを喪失している。家族を失った者も居るし、平穏な日常を喪失した者もある。
そのことに気づいてから、主人公は皆の勇気になることを受け入れる。
本当の強さは自分の弱さを認めた人間だ。
外に出て互いに勇気を分け合い、悲しみを共有する。影響し合うことが人間の社会生活には必要なのだ。自分の喪失したものにしか目を向けていなかった主人公が、他者とのふれあいの中に生きる力を見出すのだ。