静かなる情熱 エミリ・ディキンスンのレビュー・感想・評価
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19世紀後半なので、さすがに『シット』は使わないね。
パノラマ写真の様な映画。
健全が好きなら、編み物でもするでしょう。
『アメリカ人は偽善のお陰で高潔でいられる。』エミリの言葉では無い。
ブロンテ姉妹のファンの様だが、名前は知っていたが、作品は読んだ事は無い。だから、評価が出来ない。
映画は舞台劇にすれば良いと感じた。本人がナレーターとして語る様にしているが、誰が誰の為に語っているのか分からない。結末は誰が誰の為に語っているのか理解出来ない。
つまり、
知らない人の死を見ても感動はしない。
また、どこがフェミニストなのかなぁ?
19世紀後半なので、さすがに『シット』は使わないね。でも、目一杯下品でアドレナリン垂れ流している様に思えるし、途中から道徳観が変化している様に思えたが。
アイデンティティやイデオロギーが見えてこない。ただの言葉遊びの様に思えたが、
もう一度繰り返すが、フェミニストなのだろうか?フェミニストに見えると言うなら分かるが、フェミニストは社会学におけるイデオロギーのひとつと考えるべきだろう。
彼女は多分時代に合わなかっただけ。
静かなフェミニスト映画
エミリ・ディキンスンについては、アメリカの女性詩人という知識しかないまま鑑賞した。女性が表現活動をしたり、家庭の外へ出て活動したりすることが制限されていた時代、どのような葛藤や困難があり、それに対処したのか。
彼女は学校でも家庭でも地域でも「反抗的」だとされ軋轢を生むが、それは自分なりの意見やポリシーがあるだけなのだ。封建的な家父長制の中では、従順でなければ「反抗的」とされる。
1800年代のアメリカは、とても保守的で、とくに女性にとっては、婚前は父親に従い、結婚後は夫に従うという窮屈な暮らしぶりだった。エミリが夜中に一人起きて詩作することについて、「誰にも迷惑をかけないから」と父親に許可を求めているのが印象的だった。
とはいえ、彼女が結婚しないで育った家庭に踏みとどまり続けたのは、魂の自由を守れるのは世界でそこだけだったからだ。当時としてはリベラルな父親で、奴隷制度に反対の立場だったし、家の使用人には尊厳を持って接するように(奴隷ではないのだから)と諭す。それに、彼女を理解し、慕ってくれる妹がいる。
エミリは今どきの言葉でいえば、「こじらせ女子」。
彼女に憧れ好意を寄せてくれる異性が現れても、ああでもないこうでもない、と言っては遠ざけてしまう。恋愛への憧れはある一方、愛を信じて傷つきたくないと臆病になってしまう。彼女が選んだのは、魂の自由を守り続け、ひそやかに1700篇以上もの詩作を続けた人生だった。
伝記映画としては良作
エミリ・ディキンソンは引きこもっていたため、自宅周辺での話が多いです(派手なエピソードがない)。
そのおかげで、伝記映画にありがちなエピソードの羅列に陥らず、本質的な部分に踏み込んだ作品になっていると思います。
歳を取るとともにどんどん頑なになって、周りとの関係がうまくいかなくなってくる。
しかし詩は冴えてくる。
自分の死までも見越した詩作には、何か時間を超越するスケールを感じました。
本作は細部までこだわっているようで、衣装・美術はもちろん、キャスティングも良く、台詞回しも凝っていたようです。
英語がわからないなりに、言葉に耳を傾けて楽しみました。
伝記映画としては、かなり良い方だと思います。
そして詩はやっぱり音で聴くのがいいですね。
詩人映画
ディキンスンの自宅とその周辺、家族と少しの知人で2時間の映画が成り立つことに驚いた。それだけ狭い世界でディキンスンが暮らしていた、ということなのかもしれないけれど。
映画としては好きな感じだけれど、詩人ディキンスン、の映画としては物足りない。
苦手
同じ時代を生きている人が作ったとは思えないくらい普通の映画でした。ずっとおばあさんみたいだから幾つの設定なのかよくわからないし、終始うじうじしてて高潔ぶっててイライラする。
性への怖れと憧れが仄めかされてはいるが、面白みがない。彼女の孤独が寂しい人のように描かれていて残念だ。孤独はむしろ自由を与えたのでは?
若い頃のシーンは活き活きとしていて、皮肉が効いててよかった。
夜中にひとり詩を書くことすら許可を得なくてはいけない人生を思うと胸が痛む。
認められなくても
私は詩人であり、私は詩を書く。
しかし、未明の詩作に父の許可を得たり、友人と弟のロマンスを許せなかったりするあたりには、時代の中に生きていた人を感じた。
南北戦争の頃の北東アメリカは、まさに清教徒の国だった。お茶さえ贅沢だからか、拒絶する牧師夫人の頑なさに、社会の狭すぎる了見を感じた。
エミリ・ディキンソンの詩は、魂の自由を静かに語るが、それを演技で見せるのは至難の技だ。
所々の詩の朗読が良かったが、彼女の手稿などもあればもっと興味を引く映画になったと思う。
伝記映画と割り切って
アメリカのある犯罪ドラマの冒頭とエンディングで、古今東西の有名人の言葉や詩が引用されるんですが、そこでエミリ・ディキンソンの詩を初めて聞いたとき、詩に興味のない私の心にディキンソンの詩の言葉がグッと入ってきて自分でもびっくりしたのがエミリ・ディキンソンとの出会い。「こんな詩を書く人ってどんな人なんだろう?」と思っていたのだが、映画を見て、内面はこんなに激しい人だったのね、と認識を新たにした。
映画を見る前に、彼女の詩を何編かでも読むことをお勧めします。ディキンソンの予備知識なしに見ると、いつも家族で口論しあって意外にうるさい(笑)シーンが多くて、映画のエンタテインメント性だけを期待していくと裏切られると思う。
容姿に自信がなく異性から疎まれるのではないかという恐怖感、心を許した親友が先に結婚して離れていくときの喪失感や自分を愛してくれた伴侶や叔父叔母や両親に先立たれた時の心にぽっかり穴が空いて立ち上がれないほどの喪失感など人生の様々な喪失感は誰でも覚えがあるだろう。その自分の喪失経験を映画に重ねながら見ると、共感できるシーンが多々あるかと思う。
ディキンソンが生きた時代は、今みたいに様々な生き方ハウツー本なんてなかったわけだし、キリスト教のガチガチの教義に基づく信仰しか道しるべはなかった。そんな中で、彼女が信仰に対してあえて反抗的にふるまったのは、彼女の悩みが信仰だけでは解決できないことを知っていたからであり、ガチガチ教義の支配下にあるような生活の中で、信仰に頼らず自分の内面から力を引き出そうともがいた結果があの詩の数々だということを映画を見て認識した。
映画は、あくまで伝記映画と割り切って見る方が良いでしょう。
現代の照明を使わず、当時と同じロウソクやランプの光のみで撮影された(ように見える)映像の美しさ、衣装や室内インテリアなどは一見の価値ありかと思います。
孤独な魂を支え続けた勇気
19世紀のアメリカは、まだまだ英国文化が色濃く残っており、話す言葉もアメリカンスラングではなく、クイーンズイングリッシュに近かったと考えられる。言葉は思想や情緒、風俗に大きな影響を及ぼす。従って当時のアメリカ人の価値観は英国式の古臭い道徳の範疇から逸脱することはなかっただろう。
本作品は、そんな窮屈な倫理観に凝り固まった社会にあって、断固として精神の自由を貫こうとした孤高の詩人の物語である。キリスト教の価値観から1ミリも抜け出すことのない周囲の人間たちとは、当然いさかいを起こすことになる。
金持ちの家に生まれたから働かないで一生詩を書いて暮らせたのか、それとも当時は女性が働くことはなかったのか、そのあたりは不明だが、経済的環境は恵まれていたようだ。しかし金持ちは現状の社会体制が継続するのを望むはずで、同時代の価値観を疑わない傾向にある。にもかかわらずエミリが時にはキリスト教の価値観さえも相対化してしまう自由な精神を維持しえたのは、おそらく幼いころに獲得したであろう自信と勇気の賜物である。
映画の冒頭から、シスターによって同調圧力に従うかどうかを試されるシーンがある。あたかも踏み絵のようだ。エミリは自分の真実の声に従って対応する。この行動のシーンにより、観客は主人公が若いころから勇気ある女性であったことがわかる。そしてその勇気が、詩人を一生支え続けることになる。
イギリスの詩人、W.H.オーデンは「小説家」という詩の中で、詩人について、次のように書いている。
『彼等は雷電のようにわれらを驚愕し、または夭折し、または長い孤独に生きのびる。(深瀬基寛 訳)』
若いころに女学校のシスターを驚愕せしめたエミリ・ディキンスンもまた、長い孤独に生きのびた詩人であった。
詩作の裏側
未明に行われる創作活動。描写は少ないが、昼間の生活から生まれる様々な思いを一心に書きため続けたのだろう。
誰もが感じる思いを、限られた世界で生きるが故の感情の煮詰まりと、純粋な詩の創作に昇華する過程が丁寧に描かれている。
美しく、深い
映像も音楽も美しく、言葉も深い。
今のように騒々しくなかった、古き良きアメリカの、信仰厚き、「静かな」時代。しかし、信仰厚き時代ゆえに、それに疑問をいだく者にとっては苦しい。その苦しみを昇華するエミリの詩は、あまりに美しい。
125分、惹きこまれた。
静かな?情熱
タイトルから物静かな女性をイメージしたがさにあらず。確かに情熱的な人だが静かではない。2時間の上映時間中1時間50分は周囲と諍いを起こしてた。しかもそれをシンシア・ニクソンが体当たりで演じてるのでやかましいことこの上ない。こういう作品もありはありだと思うが自分の好みではなかった。ただキャストはみな頑張っていた。
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