しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのレビュー・感想・評価
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実話をドキュメンタリーではなく、ドラマとして描く本作の魅力はどこだ?
この物語はモード・ルイスと言う画家の生涯を描いた実話だと言うが・・・
先ずこの作品のヒロインモードを演じているサリー・ホーキンスに本作での魅力が感じられなかったのが残念だった。
しかし、私にはサリーの以前の作品で唯一記憶に残る物と言えば「ブルージャスミン」だ。
それでも、あの作品でも強烈な見栄張りキャラを余す事無く描いていたジャスミンの存在が大き過ぎて、演じていたケイトの見栄張り振りのゴージャスさに釘付けになり、全く正反対の妹を演じているジンジャーの魅力ももっと目立っても良い筈だが、特別今では印象に残っていないのだ。
ヒロインを演じる女優として華の無いと言うか、印象が薄目のサリーは逆に本作では、モード・ルイスと言う控え目キャラが生きて良いと言う事での配役起用なのだろうか?
その方がこの薄幸の画家のヒロイン性にはピタリと嵌り役なのだろうか?
モードが画を描いていた時代は、まだまだ女性の社会進出が困難で、しかも健常者ではないと言うハンディを背負った彼女の生きた時代を考えれば、ああした生き方しか出来なかったのだろうか?
だが、少なくとも貧しい環境で育った彼女は特別絵画の基礎を習った訳ではなく、独学の自己流の筆使いで、粗野で、素朴だけれども、彼女の描いている作品の色彩はとても綺麗で明るいし、生命の躍動感を持つ作品であるように感じられるのだ。
この彼女が描いた作品から想像すると、私が思うには、モード・ルイスと言うヒロインは決してこの映画に描かれているような暗い印象の女性では無かったのだろうと思う。
もっともっと心は広く、自由で力強さを秘めていた女性だと思うのだ。
本作はA・ウオルシュと言う女性監督らしいけれど、もしも、本作を別の男性監督が描いていたとしたら、きっともっともっとモードは人間的に面白い、魅力溢れるチャーミングなキャラとして描かれていたに違いないと想像するのだ。
本来人が描き出す作品には、絶対に隠す事が出来ない、作者の人柄の本質が露わになるものだと思う。
それだけに、本作がモードの心の内の深い広がりと自由や、豊かさと力強さを描けなかった事が残念でならないのだ。
画を描く世界を手にした自由な女性。そして少しずつでは有るが、彼女の生き様を理解し、愛した夫との生活を得た、一女性としての喜び心の内をもっと、明るく見守る作品であって欲しかったと思う。
あくまでもこれは、私の想像だけの世界の事なのかも知れないが・・・
このモード・ルイスの物語あなたはどう思うのだろうか?
なぜこんなにいい映画をもっと宣伝しないんだ!
しあわせは今あるものからみつける。
シェイプオブウォーターに続いてのサリーホーキンス主演作です。これはこれでよかったです。
モードは割と裕福な家庭出身なのに両親早世ののちは辛い日々だったみたいですね。兄も叔母もひどいったらない。
モードは自立しようとしてエべレットの家政婦募集に応募します。
はじめの頃のエベレットはまぁ粗野で無愛想なヤローで、そんなに怒鳴らんといてよ、なんなん?とスクリーンのこちら側から怒っていましたが、何年もかけてゆっくりゆっくり近づいて行き…という、過程が良かったです。
わたし、好きなんです、はみだしっ子が傷を癒し合うように寄り添い、やがて愛し合うというプロットが。自分にとっておとずれてほしいとかすかに願っているからなんですが。
シェイプオブウォーターもそういう物語で、この映画もその類でしょ?だから、ね。すきなんですわ。
モードの絵が売れても小さな小屋で二人ちんまり生きる。
もっといろいろ便利にできそうなところを、そうはせず昨日と同じような今日をもとめ、明日も求める。
体が言うこと聞かなくても、目の輝きは昔のまま。
そんなモードから見いだしたのは、しあわせはどこか遠いところから見つけるのではなく、今自分が持っているものから見つけるってことなのかな、ということ。
確信はないけど真実味があるなぁと思っています。
自分の幸せや彩りのある人生について考える映画
サリー・ホーキンスさんの大ファンになってしまって、ずっと彼女のお芝居が観たくなっちゃって、シェイプ・オブ・ウォーターとはしご!
カナダの画家モード・ルイスと夫のエベレットの物語。観るまで存じ上げなかったけれど、人が出会って共に暮らすこと、人生の伴侶とは如何なるものか、ということがどんな物語よりもリアルな気がした。
輝かしいハレの日だけじゃなく、遠回りでも地道に心を通わせてゆく過程、またはすれ違う瞬間、人生の殆どを占める「日常」を丁寧に追っていき、それをゆっくりと眺めている時間はとても贅沢で多幸感に満ちた映画体験だった。まるで彼女によって色づいてゆくあのおうちのように。
生まれ故郷の周辺から一度も離れず生きたモードが窓の外を見て「命の輝きが1つのフレームに」と話す所。
全体的に窓越しのショットが多かったけれど、そのフレームから見える世界が1日として同じ風景でないことを知っていたし、その美しさと尊さを毎日感じ、絵に残しながら生きたんだね。
エベレットは不器用な人だけど、雲を見て笑うモードを見つめ、“I see you as my wife.”と最後に言えた。
彼は彼なりに世界を縁取りまなざし(=フレーム)をモードに向け続けていた。その静かな愛情の豊かさに心が震えたし、ラストであのメモを見つけた瞬間私も涙腺決壊した…
モードの「人って自分と違う人間を嫌うの」という台詞は、奇しくもシェイプ・オブ・ウォーター にも繋がる話だ。その「違い」にひそんでる何かをお互いに見出せた夫婦だったのかな。
心が絵の具のように鮮やかにあたたかく染まる物語。主演のおふたりは言わずもがな素晴らしかった…
【2回目 4/24@Bunkamuraル・シネマ】
観納めかなと思っておかわりして来たけど、もうじんわりあたたかいものが身体にしみてゆく名作…あの時こんなこと言ってたのか、そんな表情を見せていたのかと再発見が。
このお話を見つめている時間はそんな細やかな気付きをゆるやかに、でも確かに積み重ねてゆく時間。
今日は完全にエベレットの視点になってて、モードが笑ったり怒ったり拗ねたり楽しそうに絵を描いたりする、そのくるくると変わる表情や言葉の1つ1つをきっと好きになっていったんだな…と追体験したみたいだった。
「皆はあなたを嫌うけど、私は好き」なんて言われたらなあ…
そもそも、エベレットは「俺の人生に入り込めると思うな」って言ってたのにさ…モードは突然現れて、彼の心をノックし続けいつのまにか人生のパートナーになり、先にいなくなってからエベレットがあの貼り紙ラストで見つけるわけじゃん…ほんと見事すぎて泣く…
さて、2人の関係性について改めて考えてみると、エベレットもモードも思うことを、適切な瞬間にきちんと伝えてる。嘘偽りのない自分の言葉で。
だからお互いの想いが私達にも透けて見える。人として尊いと心から思った。
本当に人生の中ではとてもさりげなくささやかな一瞬なのだろう、でもその美しさが沢山きらめいていた。
今日は私より年上の女性達が沢山で、涙目になりながらいそいそと帰って行ったり、感想を丁寧に書いていたり、いつまでも愛おしそうに看板の写真撮ったり、いろんな人がいてそれがじーんと来た。
私が好きなものに対して、その人なりの「好き」が滲み出る瞬間に立ち会えて嬉しかった。
ノバスコシアの景色が本当に本当に美しくて、特に空の色とそれを反射する海と空気の透明感にため息が出るくらい。
モードが窓から見ていた景色を私もいつかこの目で見るのが夢になった。
カナダはシェイプ・オブ・ウォーター も撮ってるから本当に聖地巡礼するために頑張ろうと思う…!
夫婦の物語
これはもしかして夫が主人公の映画なのでは。
二人の生活
モードがエベレットの家に「転がり込む」ところから物語はスタートする。生まれつき障害のあるモードと性格的に偏りのあるエベレットが、出会ってから死別するまでの物語。モードに絵の才能があったことから巻き起こる騒動は副次的なことに過ぎない。
夫婦はずっと小さな小屋で暮らした。電気もガスもない生活を、たぶん二人は不幸だとは感じていなかったのではないか。
トラブルのない人生などない。その過程の中でどれだけ幸せを感じることができるか、幸福だと思える瞬間がどれだけあるかが、その人にとっての人生の価値を決めるのではないか。
モードにとって絵を描く行為そのものが喜びであったこと、エベレットがそんな彼女を受け入れたこと。そこに、凡庸なわれわれでも幸福な人生を送れるヒントがある。
黒猫の絵欲しい‼︎
不器用なのはわかるけど
仕事仲間に
からかわれたぐらいで
いや
殴らなくても...
なんかあのシーンが
引きずっちゃった...
モードは
身体は不自由だし
子供や家族の事で色々あったけど
死ぬまで
好きな人と暮らせて
好きな絵を描けて
しあわせだったのでしょう
とても
ホッコリする
優しい絵だなと思います。
可愛い絵画も見れて★★★★★です!
虐げられた生活を照らす華やかな絵
カナダで人気の画家 モード・ルイスが夫のエベレットと過ごした日々を描く
私としては、あの「昭和の頑固おやじ」的な夫エベレットの男尊女卑な態度に腹を立てながら観ていた
特に「お前はチキン以下だ」なんていうセリフの精神的虐待度の高さはかなりのものだった
しかし、彼女のそんな悲惨な生活はエベレットと暮らしてから始まったものではなく、幼い頃から、兄の虐待があり、両親が亡くなって預けられた叔母からも虐げられるという不幸の連続が続いていた末のことである
その生活の中で、彼女の描く、この世のものとは思えないカラフルな絵の世界は、モード自身が辛い現実から逃避し、頭の中で思い描いた空想の夢の世界である
辛いことがあるたびに、彼女の手が絵の具や、絵筆を求めていたことがその証である
ということは、モードが幼い頃から虐げられた生活を送り、その裏で空想の世界を膨らませ、それを絵に表現してきたからこそ、彼女は人気画家になったのである
つまり、兄のチャールズや、夫のエベレットの虐待も、意地悪な叔母も、モードにとっては、画家になるために必要な存在だったのだ
それは何とも皮肉な話だと思った
それでも、自由に絵を描かせてくれたエベレットに対し「愛してくれた」とモードが言うのは、彼女があまりにも純粋過ぎて心が痛む
しかし、エベレットがいなければ、モードの絵がこの世に出ることもなかったかもしれないというのも、また事実だろう
多くの人を感動させる素晴らしい絵というのは、時には、誰かの人生の犠牲の元に生まれるものなんだなと思った
幸せは築くもの
暖かい。
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