「鑑賞には事前知識が必要」セールスマン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
鑑賞には事前知識が必要
鑑賞する上で、「セールスマンの死」をちゃんと理解していれば、あるいはイランの政情や文化に造詣が深ければ、また違った感想になったのかもしれない。
いつも夫婦揃って映画を観るのだが、興味深いのはお互いが注目している登場人物が違ったときである。この映画「セールスマン」では夫は完全にエマッド目線だし、私はラナ目線。
先に帰宅したラナがシャワーを浴びようとしている時にインターホンが鳴る。てっきりエマッドが帰ってきたものと思い、確認もせずにドアを開けるラナ。そして事件…。
私はどうしてもラナが気になってしまう。事件という第一の暴力。周囲の目という第二の暴力。そして自分の価値観という第三の暴力。何よりも辛いのは、こんなに苦しんでいる自分に追い討ちをかけるのが他ならぬ「自分自身」であるということ。軽率さだけでなく、今まで自分が当然と思っていた「社会的評価」からしても、自分が一番自分のことを蔑むという苦しみ。
そんなラナに対してエマッドが出来ることって何なのだろう。女性的には、何の解決にもならないかもしれないけど、傍にいて欲しいときに傍にいてくれる、それだけで良かったんだけどね。
犯人を見つけ出すことに躍起になっているエマッドには、ラナの思いは届かない。エマッドだって傷ついているし、その傷は極めて男性的な方法でしか落とし前をつけられないからだ。この辺り、旦那にはよく分かるらしい。私には、「わからなくもないけど、ちょっとう~ん?」な心理。
イランが舞台なので、細かい部分で気になるところはそういうお国柄なのかな、と思うしかないところが歯がゆい。でもそれを補えるだけの普遍的な面白さがあった。
究極に自分と異なる人物とは、自分の伴侶なのかもしれない。