マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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登場人物ひとりひとりが丁寧に描かれ、心が共鳴しあう人間ドラマ
やはりマット・デイモンは、"ハリウッドの良心"である。これがアカデミー作品賞でも誰も文句は言わなかっただろう。しかし本作の原案者マット・デイモンは、プロデューサーに身を引き、信頼するハリウッドの才能たちに、このダイヤの原石を託した。おそらく「ジェイソン・ボーン」(2016)や「オデッセイ」(2016)などの超大作に忙しかったから。
作家性の高いアーティストは、一芸に長けた不器用な人が多い。しかし自分の作品を完成させるためには、経済性も必要だ。マットが完璧な"ジェイソン・ボーン"になるのも、ベン・アフレックが超マッチョな"バットマン"になるのも、一流の作家だからであり、真のマルチプレーヤーなのである。我々は、この2人の一流が提示するものに、敬意を払わなければならない。
さて、前置きが長すぎた。その脚本を仕上げたのは、マーティン・スコセッシの「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002)の脚本にも参加しているケネス・ロナーガン。ロナーガンはそのまま監督も務めた。
…独り身のリー・チャンドラーのもとに電話で、兄のジョーが心臓発作で亡くなったと知らせが入った。急いで生まれ故郷に戻り、葬儀の準備にかかったリーは、弁護士から自分が16歳になるジョーの息子の後見人に指名されていることを告げられる。リーは思春期の甥を養育できるかどうかという不安だけでなく、彼の深い心のキズに向き合うことにあった。
状況に関して説明的な表現はまったくなく、シーンの一端からじわじわと主人公のリー・チャンドラーが置かれている問題が炙り出されていく。リーはとてつもない人生の破綻に直面しているのだ(見てからのお楽しみ)。
この手の作品は、主人公の問題だけにフォーカスしがちだ。しかし本作は、登場人物ひとりひとりが抱える人生の問題も、丁寧に描かれている。セリフの一言一言が腑に落ちる。
各人の状況が、その行動(しぐさ)、言葉、表情、反応で浮き彫りにされていく。世代も性別も家族関係も異なるからこそ、皆にあって当たり前の問題が省略されず、並列に展開され見事に共鳴しあっている。
主演のリー役は、ベン・アフレックの弟、ケイシー・アフレックだ。ケイシーは本作でついにアカデミー主演男優賞を勝ち取った。兄弟で実力派であることを見事に示している。マッチョな兄よりイケメンだし。
また甥のパトリック役を演じたルーカス・ヘッジズの今どきのティーンエイジャー像も深い。父の死に向き合いながら、ある事情で所在の分からない離れた母親とメールを交わしているパトリック。学校では女の子にモテる彼は、そんな中にあってもガールフレンドの親の目を盗んで彼女とエッチすることに執心している。養育者となった叔父へ気遣いをしつつ、自分の心のバランスを取るパトリックも、この物語の重要なプレイヤーである。もちろん、このルーカス・ヘッジズも助演男優賞にノミネートされた。
心象を象徴する、隠喩シーンが各所に散りばめられている。"事故現場で、脚部折り畳み式の担架が、救急車のドア前でなかなか収容できない"シーン、"深夜、冷蔵庫のドアにパトリックが頭をぶつけるシーン"、ちょっとした演出なのだが、そういった細かいことがピリリと効いている。
じんわりと、そしてしっかりと心揺さぶられる。ぜひ見てほしい人間ドラマである。
(2014/5/17 /新宿武蔵野館/ビスタ/字幕:稲田嵯裕里)
かすかな、かすかな心の動き
オープニング。マンチェスター・バイ・ザ・シーの風景が映し出されるのを観て、私、この映画は間違いないな、と確信しましたね。海がね、もう本当美しいんですよ。こんな風に海が撮れるなんて、その実力をまざまざと証明しているように思えましたね。
それに、出演のケイシー・アフレックとミシェル・ウィリアムズ。この二人、私大好きなんですね。彼らの出演作で嫌いだった映画ってないですよ、実際。
しかし、静かな映画でしたね。静かで、かすかなこころの動きを、たしかな演出で描き出していたように思います。ケイシー・アフレックのつぶやくようなかすれ声が、この男の悲しさを表現します。ミシェル・ウィリアムズの乱れたウェービーな髪と、ストレートのボブの髪との対比が、彼女の中で何かが決定的に変わったことを印象付けます。
多くは語れません。しかし、たしかにこの映画には本当のこころの動きが映し出されていて、そのかすかさに触れることが、そのかすかさのリアルさを感じることが、この映画の体験だったように思います。
よかった
ひたすら地味な描写が続き、テーマも暗い内容なので退屈に思う人もいると思うが、所々笑えるやり取りがあり、どんなに絶望的な状況でも悲しみと笑いは表裏一体なのだと実感。
映画自体には大きなカタルシスはないが、俳優陣の演技が素晴らしくまた観たいと思わせる映画だ。
悲しみの沼からはい上がることの難しさ
苦しくて切なくて胸を締め付けられるような映画だった。
取り返しのつかない失敗をしてしまい、そのことを長い間後悔し続ける主人公。
この映画は、その彼をずっと見守り続ける。
無理に彼を立ち直らせようとしない。
その静かなスタンスと無理のない距離感がすごく良かった
人は急には変われない
もがいて、あがいた先にわずかな光が見えてくる
そんな人の生きるスピードを感じた作品だった
ひしひしと感じる…。
アカデミー賞主演男優賞なだけはあるなー、とは思ったけど…。
家族を失った悲しみと過去の厳しい記憶と現実に今たたされた自分の状況と締め付けられる思いがマンチェスターの肌寒い風景に絶妙にマッチしてひしひしと伝わってはきたなー。
アフレックだけではなくて甥っ子の演技もなかなか見応えありました。
弱くても良いんだ
美しく、静謐で、悲しくて、優しくて、弱い映画。
あまりにも悲しい事があったときには、それを乗り越える強さを持ったりしなくても良いんだ、弱くても良いんだよ、と言ってくれる映画。
うん、映画って乗り越えすぎじゃない?人間ってそんなに皆が強い訳じゃないよね…
弱さを抱え、それを受け入れてゆく主人公をケイシー・アフレックが、その元妻をミシェル・ウィリアムズが好演。
人は互いを認め赦し合うことで自分の居場所を見付けて行くのですね...
アメリカ東海岸の平和な田舎町での物語。ちょっとした油断から取り返しのつかない事故を起こしまったことがトラウマとなって心荒んだ生活に入り浸る主人公。一見すると起伏の乏しいドラマのようですが、後見を任された甥っ子との交流を通して少しずつ主人公は自分の居場所を見付け閉じた心を開いてゆく... そんなちょっとほっこりさせられた作品でした。主人公を甥っ子の後見人に指定したのは、亡くなったお兄さんから主人公への最後の贈り物だったのかも知れませんね。
そうかぁ、そんなにいい映画だったんだ…
前の人の座高の高さにイラつくべきか、シートの傾斜が甘いのかスクリーンが低いのか、とにかく字幕が読めなくて、全く興醒めでした。
英語、いつもはわかるんですけど、ケイシーアフラックのムニャムニャした発音はわかりづらくて残念です。他の方の絶賛評価を見るたびに、1800円返せと言う気になります。
まぁ、そこまで共感も感動も…。多分あの映画館はもう行かないかなぁ。改装前の方が好きだったわ。
ジワジワくる
忘れたくても忘れられない過去がある街、マンチェスターに再び戻ってきた主人公。兄の死をきっかけに、止まっていた時間が再び動きだした感じだった。後からジワジワきて、考えさせられる。
美しいマンチェスターの街並みを見ることもできた。
濃縮ドラマ
どんな話なのか、簡潔に説明するのが難しいくらいに、特筆すべき出来事が起こらないドラマ。現実世界を切り取って、多少ドラマティックに仕立て上げたといった印象。それでも(それ故?)、涙したり笑ったりしたところがたくさんあって、シリーズドラマを凝縮して見ることができたような気がする。
刺激が薄いところを、カットカットの繋ぎで工夫していたようにも感じられるし、多少混乱を招きかねない編集も見終わって非常に納得させられるところがある。
スタンダードな絵と音の組み合わせであったり、撮影の仕方や絵づくりなど、お手本通りといった印象が強いので、新鮮味といったところに関しては乏しいものを感じるけれど、伝統的な手法が見事に融合すると、こういった素晴らしい作品が出来上がるといった典型のような作品。
傷負い者に響く映画
まず、「あ、音楽がいい映画だな。」と、普段は思わないことを思いました。
大きな出来事は起こりません。
身近な人がなくなり、そこから始まるエピソードです。
私の身内は皆元気ですが、自分に置き換えて見ることができる映画でした。
身内が亡くなって初めて、思っていた以上に心が揺れ、その人が残したものの重さや、普通に生きることの尊さに気付いたりするのかなとか、いろんなことを想像しました。
不器用な男が主人公というのがよかった。
時間も長く、起伏も少なく、だけどそれが悪い意味ではなくて、どっぷり映画に浸れる時間でした。
故郷に戻ってしまったことと、未来がある若者が自分のそばにいるということが、自分の過去の傷をえぐっちゃったのかなと思いました。
自分は手に入れることができなかった未来。
自分は本当はこんなはずじゃなかったのに。
時系列の整理がなかなか難しいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
「過去を乗り越えられない」と言い切った、潔い映画です。
新しい価値観を得ることができました。
過去を背負って生きる人達のための映画
家族や大事な存在を、突然不本意な形で亡くした時、人は、今日と同じように明日が来ること、未来が当り前に続くことが、信じられなくなる。生の呆気ない幕切れを目撃した人は、より良い未来を信じることなんてできずに、刹那的にしか生きていけない状態になるのだ(たとえば、数年前の私がそうだったように)。
それでも大抵は、時間が解決してくれる。
だが、この映画の主人公リー(ケイシー・アフレック)は違う。何年もそんな状態から抜け出せずに、空虚に毎日を生きている。
ボストンで便利屋をしているリーは、腕が良いのに、無愛想な態度のせいで客からの苦情が多く、上司を悩ませている。
ある雪の日、リーの元に病気を患っていた兄ジョーが亡くなったと知らせが入り、彼は車を走らせ、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーへと戻る。
ある悲しい事件をきっかけに故郷を離れたリーにとって、そこは居心地のよい場所ではなかった。亡くなった兄の後始末をさっさと行おうとするリーだったが、ジョーが遺言で一人息子のパトリックの後見人に自分を指名していたと初めて知り、愕然となる。
甥の後見人になるということは、自ら離れた故郷に戻り、そこで甥が成人するまで彼と暮らすことを意味する。だが、この場所には、リーにとってはあまりにも辛すぎる記憶が残っている。
葬儀の準備や、パトリックの面倒をみながら、今後どうすべきかリーは混乱しながら模索する。
久しぶりの故郷で過ごすうち、リーの前にかつての故郷での記憶が時折フラッシュバックし始める。かつてのリーは、妻と子供に恵まれ、故郷で幸せに暮らしていた。常に暗く陰鬱な今の彼とは真逆の明るい性格で、友人達にも恵まれていた。
では、一体なにが彼を変えたのか。
そんな観客の疑問に答えるかのように、画面はリーの現在と、過去の記憶を織り交ぜて映しだす。故郷に戻って兄の後始末をする現在の彼と、幸せだった過去とかつて悲劇……現在と過去を対比するかのように、映画はリーという男の半生を語る。
多くの映画では、回想シーンと現在のシーンとの違いが観客に明確に伝わるように、過去の回想シーンの色調や照明のキーを変えたり、回想シーン部分にフィルターをかけたり、現在のシーンと過去のシーンの繋ぎに明確な区切りをつけたりする。
だがこの映画では回想シーンと現在のシーンの間にそのような分かりやすい区別をつけず、リーの脳内に突如浮かんだ記憶をそのまま映し出すが如く、過去が蘇る。
過去の記憶は、現在の出来事と同じ撮り方で描写される。それはまるで、リーにとっての過去が現在と同じ時間軸にあり、まだ彼にとってそれは「過去」になっていない事を示すかのような、記憶の生々しさを伝えてくる。
そして実際、彼は未だ過去の世界に生きている。
社会との繋りを放棄して生きている中年のリーとは対照的に、遺された甥のパトリックは、友人や(二人の)恋人に恵まれ、クラブやバンド活動に精を出し、16歳という年齢を謳歌して生きている。彼は父ジョーの死に対しても混乱せず、死後直後でも友人や恋人を家に呼ぶなど、落ち着いている様子だ。
パトリックのガールフレンドの親と30分の世間話も続かない中年のリーと、社交的な少年パトリックとでは、一見パトリックの方が冷静で、大人びているようにさえ見える。
そんなパトリック相手に、後見人になったリーは遠慮なく自分勝手に行動し、故郷を離れたくないというパトリックの思いを無視してボストンで暮らすことを決め、勝手にジョーの遺した物達の後始末をしようとする。
だが、ある些細な事をきっかけに、突然パトリックはパニック発作に襲われる。そしてその時はじめて、リーはまだパトリックが大人に守られるべき子供であることを実感する。
そこから、リーはパトリックに対して、彼の為に自分ができる最善の事を考え、行動し始める。
一方で、頑なにボストンで暮らすことを譲らないリーに対して、パトリックは反抗する。リーの方が故郷に戻ってくるべきだと主張し、何年も行方知らずだった母と連絡を取り、会うことを決める。
だが、母とリーという、本来は頼るべき大人も、一人の弱い人間でしか無いことを、パトリックは知ることになる。
ある時、パトリックはリーの過去の写真を見つけたことをきっかけに、リーの心の傷がまだ癒えていないこと、故郷のこの場所で暮らすことが、リーにとって苦痛でしかないことを察する。
そして、反発しあっていたリーとパトリックは、だんだん互いを理解し、相手のどうしても譲れないものを尊重する決意をする。
映画の終盤、リーの元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、同じ悲劇を経験した者として、リーに対する過去の行いを謝る。赦しのはずのその言葉は、しかしリーにとっては救いにはならなかった。
彼女の言葉によって、リーは頑なに蓋をしていた悲劇の記憶を、再び甦らせてしまう。
「乗り越えられない」というリーの呟きは、あまりにも重く、私に響いた。
辛い過去からの再生を描いた物語は、世の中に多くある。けれど、実際はリーのように、逃れられない過去を背負い、失った誰かの不在を心に抱えながら、生きている人達もいる。
「乗り越えられない」という彼の言葉は、絶望の告白のはずなのに、何故か私には希望に聞こえた。
逃れられない過去を引き摺って、それでも生きていかねばならない人がいる。皆がみな、強く生きられる人間ばかりじゃない。それは、残酷な事実のようで、私のような弱い人間にとっては、救いでもある。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、まさしく『わたしの映画』と呼びたくなる一本になった。
クールな映像と主人公、しかし非常にエモーショナル
まず、ポスターが美しい。それだけで鑑賞を決めてしまったほどだ。薄い水色の基調に、黄色が派手すぎず、綺麗に映えている。蛇足だが、ララランドのポスターもかなり良かったのだが、日本版でダメになった。
さて、本編だが、気になったことは映像が一貫して非常にクールな印象を受けるということである。クールというよりは、アンニュイといった方が良いだろうか。終始マンチェスターの街は曇り空で、その空を映す海もグレーがかった色になり、街並みも派手な配色になっていない(白やグレーが多かったように思える)ため、全体として冷たい印象を受けるのだ。
それが、ケイシー・アフレック演じる主人公の暗く、まさにアンニュイな性格と重なるのである。これが驚異的にハマリ役なのである。納得のオスカー。
しかし、ストーリーを追っていて映像ほど冷たい感じがしないのは、脚本の熱さゆえであろう。暗くて、人付き合いもうまくできない主人公、彼が抱える過去、現在、そして未来の問題・苦悩は、本編のセリフ通り、理解を越えたものである。それを彼なりに、不器用ながらも、1つずつ向き合っていく。抱えきれなくなって、爆発。それでも良いじゃないか。彼自身で悩み、苦しんだ、彼なりの愛情がクールな映像とコントラストとなって伝わってくる。時折笑いを誘うシーンもあり、なんとも憎めないキャラクター。
人生を立ち止まってみたくなる
前進などしない。ただそこに、漂っているだけ。だけど、立ち止まっても、無意味ではない。それは人生に価値をもたらす停止なのだ。
人は誰もが過ちを犯し、愛別離苦からは逃れられない。失った苦しみは簡単にはぬぐい去れないという、人生の痛みが伝わってくる。
それでもいつか、人間はボートを前進させ、人生の苦難を乗り越えられる時が来るのだろう。
我が子を愛する表情とニヒルな演技の対比に、徐々に涙がこみ上げてくる。じわじわとその余韻が残るヒューマン作品である。
アメリカの田舎町は街並みが綺麗ですね。 綺麗な風景の中で乗り越え難...
アメリカの田舎町は街並みが綺麗ですね。
綺麗な風景の中で乗り越え難い過去と向き合う主人公を淡々と描いたヒューマンドラマ。
凄く面白いとかもう一度見たいとは思わないが、ジンワリ来ます。
邦画に有りそうなストーリーでした。
リアリティ溢れる映画
昨年度アカデミー賞で脚本賞、ケイシー・アフレックが主演男優賞を獲得したことで注目してたので鑑賞。
ストーリーは兄の死により甥の面倒をみるためにツライ過去があるマンチェスターに行くことに。
まずキャストの演技が素晴らしい。甥役の俳優も良かったし、ケイシー・アフレックとミシェル・ウィリアムズの演技は完ぺき。特に二人が会話するシーンは映画史に残ってもおかしくないと思う。慎みや思いやりの折り合いが感じ取れる。
リアリティある演出と美しい情景描写はソフィア・コッポラ監督作品に似てるところがあると思った。リアリティがあり、起承転結の起伏が少ない作品であるとしばしば鑑賞者は退屈になる。だがそこにヒューマンドラマの本質があるとこの作品で実感できる。
個人的にとても本作で好きだった部分は回想シーン。時折、主人公が回想してフラッシュバックするが、とても滑らかな回想であった。過去のことが心の中につっかえる主人公を丁寧に描いていた。
主演男優賞、脚本賞には納得。
♪なるべくちいさなしあわせと~なるべくちいさな・・・♪
♪なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方 涙はそこからやってくる そんな気持ちわかるでしょー♪
ベン・アフレックがアカデミー授賞式で干されていた弟のオスカー受賞に涙していたのと作品自体が重なってみえた。
ベーシックに悲しい事、小さな言葉、微妙な表情、痛ましい身体でユーモアも交えて丁寧に物語を紡いでいくのはビリー・ワイルダーやフランク・キャプラの映画を観ているようだった。
ラスト付近、リーの小さな決断を意味するそのセリフは細か過ぎてつたわらないよ~。
でもそれが現実だ~。笑いながら泣き、泣きながら笑う・・・・そんな気持ちわかるでしょう?
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