マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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街角のシーンが胸にいつもある
観た人なら伝わると思う 街角のシーン。
主人公は赦しを求めてはいない。求めていないが不意に赦され救われてしまう。救われたくなんかないのに。それでまた混乱してしまう。
彼女の溢れ出る思いがずっと胸に残って、それだけでずっとこの作品を切なく思い出し続けるだろうと思う。
孤独な男の悲しき人生。
寡黙な主人公…。
ただの孤独な男にしか見えませんでしたが、辛く苦しい過去を引きずって生きていたようです。
自分が犯したちょっとした不注意で、愛する家族を失ってし待ったことを悔やみながら生きる人生だなんて悲しすぎます。
そんな中、悲しみに追い打ちをかけるように、兄の訃報の知らせを受けてしまった彼。
不幸のどん底にいるのに、更に不幸になる人生…。
兄の残した一人息子の後見人となった彼ですが、自分のことで手一杯の彼にとってこれ以上の負担は無理なのです。
苦しいときほど人は苦しみに溺れてしまう生き物なのでしょうか。
だとしても、どうにか悲しみから脱却して、一歩でも先に踏み出して欲しいものです。
そうすれば少しずつ、環境も人も変わってくると思うのです…。
これから先、彼が少しでも幸せになってくれるといいですね。
実話のようなリアリティ、過去から逃げられない現実
自分自身とは全く異なる世界のフィクションなはずなのに、まるで実話のようなリアリティ。主人公に感情移入しまくって、自分が映画の中で生活しているかのような錯覚を覚える。
主人公とその周囲の喪失感と、自分自身の経験した喪失感がシンクロする。とても他人事とは思えない。
過去に対する後悔の気持ち。現在進行の描写と過去記憶的な描写を混在させて表現してくるので、観ている自分自身が記憶の彼方に意図的に投げ捨ててきた後悔の気持ちがふつふつとよみがえってくる。
人間は過去とくに後悔の記憶とは無縁ではないが、健康に生きていくために無意識に無縁にしようとしているのだろう。けど、完全に捨て去ることは不可能。過去の記憶・後悔は永遠に人間を苛むのだろうか。つらい過去と上手く共存することはできないのだろうか。
好きな人には好きな人の作品
いわゆるヒューマンドラマ。過去に色々あった男の数ヶ月間の心の変化の話。まーとにかく辛い人生です、彼。
父親無くした甥っ子も可愛そうだけど、モテまくりなので、あまり悲壮感無い。
作品としては素晴らしかった。けど私の好みでは無いので★2つ
音楽が好きじゃなかった。 この役を演じたケイシーはきっと苦しかった...
音楽が好きじゃなかった。
この役を演じたケイシーはきっと苦しかっただろうなぁ。
映画自体はすっきりしないし、何かを感じ取るまでにいたらなかったかな。
大切な人を失った辛さは胸が苦しくなるほどわかるけど、そこからの展開がいまいち。
心がしんどい!w
ケイシーアフレック演じる主人公のリーは、元々は陽気な性格であったが、ある日暖炉のチェックを怠ったことから家を火事にしてしまい、3人の子供を失ってしまう。そしてそのことが原因で妻とも離婚してしまう。そしてその当時、「100%夫のせいだ、夫が完全に悪い」と余裕のない妻はリーに罵声を浴びせたということと、消防の取り調べの際、「僕は家に帰れるんですか?」と自分が無罪であることに驚いていた様子から、リーは相当強い罪悪感をもっていたことがわかる。
その日を境に、リーは他人とオープンに関わることを辞め、悲観的な人間になってしまう。ここでこの悲観的な人間になる過程だが、現在→過去→現在→過去…といった具合で現在と過去をわざわざ行き来して回想する演出は、視聴者に強烈な印象を残す粋な技法だと思った。こうして我々は、「辛すぎる悲劇」と「強烈な印象技法」によりリーに共感・同情せざるを得ない状況になり、今までのリーの行動が理解できるようになる。
また、要所要所で挟まれるまるで時が止まっているかのような美しい海の映像、プラスでもマイナスでもないような不思議な曲が、リーの人生が止まっていることを連想させる。
そして「とても仲が良かった兄の死」、「甥の後見人になる」、「元妻が既に新しい男との子を妊娠している」など次々に辛いことが起こる。
おそらく「兄の死」の時点でリーは、完全に人生を諦めきってしまったのではないだろうか。それはバーで女に色目を使われても見向きもしなかったことから伺える。そして次に来るのが「兄の子の後見人になること」である。ここからがリーの転換点である。他人とオープンに接することを辞めたリーは、父親を失った甥っ子にも最低限の気遣いしかしない。なぜなら、甥は父親が死んでも女遊びなどに徹し、病んでるといった素振りがしばらく感じられなかったからである。しかし段々甥と接していくうちに、冷凍チキンを見るだけでパニックを起こすほど「甥も傷ついている」ということを認識するようになる。この時点でほんのわずかだけ甥に気をつかえるようになったリーだが、やはり過去の事件の罪悪感は晴れない。リーは過去のあの時点から人生が進むことはなく、つまりはリーにとっての家族は記憶上では元妻と死んだ子供達なのである。
そんな折、元妻から「妊娠した」という連絡がくる。この時のリーの心情を想像すると、とても耐えられない。「自分は過去の事件から逃れられないのに、元妻はもうそれを克服して自分とは全く関係のない奴を新しい家族にするのか」などと思ったことだろう。「世界でたった一人自分だけが過去のあの事件にとらわれている」、そう思ったことだろう。リーは電話に耐えられず元妻からの通話をすぐに切ってしまう。ここで再びドン底にたたき落とされたリー。私は「これ以上の悲劇があるか」と本当に心がしんどかった。。
そしてある日、リーは子供を連れた元妻に会う。
ここがこの映画の見どころ。
元妻は、「私の心はあの日から壊れた、あなたは悪くない、あなたを愛している」と、こう言った。
これを聞いたリーはきっと、「ああ、元妻も今もまだ引きずっているんだな、俺だけじゃないんだな」という安心を得、そして1番はリーと同じようにつらい経験をし、そこで始めてリーのことを考えられるようになった元妻から「責めて悪かった」と謝罪があったことを受け、罪悪感が少し拭われただろう。
この時のリーの動揺する様子がなんとも素晴らしい。
そして罪悪感が拭われたリーの行動も、少し変わってくる。特に甥と船に乗り、にこやかにしている様子はリーに同情しきっていた我々を救ってくれる。しかし、リーの人生を諦めたかのような下向きな覚悟は揺るがなかったかのように思う。それは、甥に「ここは辛過ぎる」と最後に言ったことから。元妻に許しを得たにも関わらず辛過ぎるというのは「前向きな希望がないわけではない」、「しかしあるとするなら再び元妻と家庭をもつこと」、「だがそれは不可能」と、クリアできない別の問題に結局直面してしまうからではないだろうか。だからといってなにもできず、「前向きな意思はあるがそれが実現できず結局下向きな人生を歩んでしまう」ならば、「最初から下向きな覚悟をしてボストンへ去ろう」と思ったのではないだろうか。「人生をやり直せるかも」と思うけど、それが実現できないことが分かってるから辛かったのではなかろうか。
寡黙なリーがどこまで考えていたのかは、わかりません。
想像を絶する悲しみ 276-10
罪を背負い、心を閉ざした男の話
心が壊れた人間は周りに分かってもらおうとしなくなる しかし他人をわかろうとすることで自分が自分をわかっていき1歩を踏み出せるようになるのではないだろうか
どこか自分と似たところのある感情的な甥っ子に振り回されたこと、元嫁さんに許されたことでリーは少し止まった時間を動かし始めた…のかな?
どのようにして陽気な男はあんなに陰気になったのか。それがわかる過程は非常にスリリング。
全編にわたってかかっているゆっくりで、悲しげで、しかしどこか前向きな気もする音楽が不思議な感覚。
自分と周囲の温度差から生まれるギャップ。そこから生まれるユーモアにクスッとしてしまった。
ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ2人の名演が光る。
(映像 3 脚本 5 演出 3 音楽 4 配役 5)×4=80
乗り越えるだけが前進じゃない
友達も多く陽気なリーがある事件を境に生きる気力を失い何にも興味がなくただ生きているだけの抜け殻のようになる。仕事はするが愛想もなく評判が悪い。
3人の子供を自分の不注意による火事で亡くすという、映画の表現でいうと「想像を絶する経験」の中で彼の心は壊れてしまっている。そんな時に兄が死に、その息子の後見人となる。
彼は最終的な場面でも、完全に心が癒えるわけでも生活が元に戻るわけでも悲しみを乗り越えられるわけでもないのだが、少しずつ、でも確実に彼の心は前進してきたかに思えるのがラストである。元奥さんも事件の日から心が壊れ、それを彼に罵声を浴びせることで、なんとか一本の細い糸レベルのギリギリ精神を保てていたのだろう。その奥さんから謝罪をされそして許されたことで前に進めるようになったのかもしれない。しかし自分を自分で許させない気持ちは完全には癒えない。一方で、甥のためにも生きようと努力し始める。そこから前向きな思考になったのか、彼は変わっていく。他の大人と少しは世間話が続けられるくらいはなっているので、彼は変わったというのがラストのシーンの意味である。
そして、彼の甥をボストンに呼ぶ時に1部屋欲しいと言った時にはいっそ晴れやかな笑顔になっている。そして、未来についての話をしている。これは大きな前進だ。完全に心が癒されることはない。でも人は前進することはできるのだ。最後に甥のパトリックと釣りをしているシーンは見てる側の心も救われる気持ちになる。
主役のケイシーアフレックがアカデミー賞で主演男優賞取れたのも納得。彼は、悪ふざけが過ぎて映画界から干されていたところに友人のマット・デイモンにこの役をもらっている(彼が主演する予定だった)。そして、見事カムバックしたわけで、まさにこの映画の主人公とも重なる。正直、マット・デイモンでこの映画のテイストは無理だろうから、ケイシーで正解だった気がする。
この映画は、内容においても俳優においてもカムバックする男の物語という面白い作品でもある。大傑作。
ちなみに、この映画では号泣してしまった。号泣する場面があるわけでもないのだけど。リーが兄の葬式で元奥さんと再開したシーンと、2度目に道端で再開したシーンだ。後者はまだしも前者はなんでもないシーンでもあるが、この映画の魔力だろうか。
過去に自分が犯した決して贖うことの出来ない過ちに呻きながら向きあい...
過去に自分が犯した決して贖うことの出来ない過ちに呻きながら向きあい、今彼を必要とする存在に対して誠実に接して行こうとしている。静かな映画
乗り越えれなくても生きなければ
主人公のリーの悲しみがはかりしれません。
奥さんも子供の事、主人公を責めた罪悪感を一生抱えて生きていくのでしょうがそれでも前を向いています。
甥っ子も父を亡くし母や(主に婚約者)にも拒絶されて傷ついていますが、友達や彼女、アイスホッケーやバンドをする事で悲しみを乗り越えようとしてました
でもリーは?
人を拒絶し、小さい窓しか無い暗いワンルームに暮らし趣味も持たず1日を淡々と生きていました
リーは 許されたいわけでも励まされたい訳でもなくただ過去の傷を抱えてそのまま生きていくのでしょうか
余りに主人公だけ救われず重い話だと見るのが辛かったですが、最後に甥っ子と無言で釣りをするシーンで見てるこっちは少し救われた気がしました。
乗り越えられなくてもいい
マッドデイモンが脚本した作品のグッドウィルハンティングを思い出した。
繊細な感情の揺れを上手く描いていて、 それを自分が見ながら感じることで癒された。
乗り越えられないことがあってもいいじゃないの。
私は実生活である出来事があって人に「乗り越えろ!!」って言われた。
その言葉を言われてしんどかった。今思えば無神経な言葉だと思います。
最後、生きる励みが出来て良かったね。
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