ラビング 愛という名前のふたりのレビュー・感想・評価
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異人種間婚姻禁止法・・
1950年代の実話から・・当時は異人種間婚姻禁止法というのがあって、白人と黒人が結婚することは許されなかった。映画にはなかったが、白人と黒人はレストランやバス停など別々だったらしい。日系人も黄色人種ということで差別された。それは基本的人権を定めた憲法に違反するだろうということで裁判で最高裁まで争われた。その夫婦の州との10年間の争いが今回、映像となった。今だに白人至上主義を唱える人たちがいて、まさしくアメリカは自由の国だなぁと感じる。エンドロールで流れた本人たちのソファでくつろぐ写真が映画の中とそっくりだったと妙なところで感心した。
インディペンデント系で低予算。 真実の話なので、最高に盛り上げ様と...
インディペンデント系で低予算。
真実の話なので、最高に盛り上げ様としても真実は捻じ曲げれず、最後は地味に終わる。
従って流石にアカデミー賞では真っ先に弾き飛ばされてしまった感じ…ですが。
これは間違いなく秀作ですね。
今年を代表する作品だと思いました。
(2017年3月5日 TOHOシネマズ/シャンテシネ1)
『ラビング 愛という名前のふたり』
叫ぶわけでもなく戦うわけでもない、ブロック職人ラビングの朴訥な生き様がズシンとくる。彼にあるのはたまたま色の違った妻を守ること。人を肌の色で差別しない自然な気持だけだった。
感動的ないい作品だ。
憎悪はいつどこから生まれるか
仕事帰りに発作的に映画館へ行き、予備知識の全くないまま、消去法で選び鑑賞した。
ヴァージニア州の法律の理不尽さに驚くが、おそらく彼らは何の疑問も抱かずに淡々と遵守していたに違いない。
根本が憎悪なのか、種の保存本能なのか。そこが判断つきかねるわけだが、驚くのはそれを観ている時の自分の感情である。
夫婦の動静に異常なほどに敏感な保安官や、同じ地域で共に生活していながら夫婦の動きを逐一密告している誰かの存在に、憤りを通り越して、憎悪さえ感じてしまっている。
これが差別が生む、恐ろしい副作用なのではないか。
差別する側の憎悪は、差別を受ける者やそれを端から見ている者の憎悪を生む。時には後者が前者を上回ることも十分に考えられるのだ。
テレビドキュメンタリーも含めて3度目の映像化ということを鑑賞後に初めて知った。
なぜ今、この作品なのか。
ラビング夫婦が、憎悪には憎悪でなく、法と愛情を同じベクトルに働かせて闘い続けたという事実こそが、この問いに対する答えになるだろう。
最高裁の判事に向けた夫リチャード・ラビングの一言は、どうやら実話であるようだ。
彼こそが、古き良きアメリカの良心だ。それを取り戻すための長い闘いにアメリカは向き合っている。
それを傍観する我々は、どのような形の愛で関われるだろうか。そんなことをぼんやりと考えてしまう。
愛育
ラブストーリー要素はかなり薄めで、どちらかというと二人が権利を勝ち取るまでを淡々と描いた感じで、「ハンズ・オブ・ラブ」とかなり似た雰囲気の映画。
どちらもマイケル・シャノンが出ているが、こちらはほぼオマケ出演に等しいくらいの出番のなさ。
個人的にジョエル・エドガートンとマイケル・シャノンは現役最高レベルの俳優だと思っているので、ガッツリ共演が見たかった。
それにしても、エドガートンとシャノンが共演して二人とも善人を演じているというのも凄い。
作品自体ほ賞レースに絡むようなものでもない小粒なものではあったけど、出演者の演技は素晴らしかった。
やはりエドガートンはすごい。
63
いつまでも一緒。
実話というのでラビング夫妻の記事を探して少し勉強した。
名前からして「愛」とはすごい偶然と思いながらも、映画
で描かれた物語に登場する夫妻も本当に自然体、やれ国を
動かそうだの世界を変えようだのそういう類の運動家では
なく、ただ家族揃って地元で暮らしたいというだけだった。
当時の法律は当たり前の結婚生活さえ許さなかったのかと
だったらずっとワシントンで暮らしたほうが安全じゃない
かと思う第三者側のアドバイスなど、早く故郷へ帰りたい
妻に届くはずもない。不器用で寡黙な夫があれこれ尽力は
するのだが、バレるかバレないかの瀬戸際でドキドキする。
要領よく生きられない姿が却って好感触のエドガートンの
表情が堪らない。愛する彼女が妊娠したので結婚しました、
誰に迷惑かけているわけでもないのにどうしてダメなの?
全くその通りだよねぇと肩を叩きたくなる。やがて彼らの
訴えが人も法律も動かすのだったが、それより彼をもっと
長生きさせてあげたかったなぁ…あの家で。家族揃って。。
(写真に映る彼らが映像の彼らと瓜二つで仲睦まじかった)
リチャードがいい男だった。
リチャードがいい男でした。
ミルドレッドが辛そうにしているとか、落ち込んでるとかそういうことをよく観察し、その気持ちに沿おうとするところが、とてもよかったです。裁判をすることはリチャードとしては望んでいなかったけれど、ミルドレッドの望みを通したわけです。
こういう風に愛せるって、いいなと思いました。
本来リチャードは好きなタイプではないんです。口が重い人が苦手だし、サプライズ嫌いだし(すみませんすみません…)。
でも、どんな境遇でも黙々と働き、ミルドレッドが大好きで大切で心配で、というリチャードがすっごく素敵な男性に思えました。
密告者が誰だったのかということを、この映画では扱いませんでした。
私はまさかリチャードのお母さんだったらいやだよ、つらすぎると思っていましたが、そっち方面に話が広がらなかったので、安心しました。
助産師のお母さん素敵でした。ミルドレッドとの関係が良さそうで、お互いが役割でなく個人として付き合おうとする人だったら嫁姑問題なんて関係ないよねって思いました。
ミルドレッドの膝に頭を乗せてテレビを見るリチャードの幸せそうな事。
あの写真は本当にいいですね。
何処かにはある愛ってやつだなと思って見ていました。
異人種ってどういうことなんでしょうか。
異人種間結婚の何がダメなのでしょうか。
犬と猫の違いでしょうか。
それともマンチカンとラグドールの違いでしょうか。
犬と猫が交配したとして、それが悪だと決める権利をもつものがあるのでしょうか。
私はあるとは思えません。
人間と犬と猫は同列に語ってはいけない?そうでしょうか。
そんなことをずっと考えています。
愛を信じられない派なのですが、あるところにはあるかもって時々思いたくて、そんな気持ちにぴったりな映画でした。
あ、ミルドレッドのお姉さん役の方が、ジェニファーハドソンにめっちゃ似てるなって思ってました!
少々画一的だが、法に打ち勝った尊い愛の映画
白人男性と黒人女性の結婚。人種差別がアメリカという多民族国家において、やはり根強く残っていることを感じさせられる物語。特に閉鎖的で保守的な田舎町においては、異人種間の結婚ということが1950年代という時代(そしてそれは決して遠い過去ではない)に、このような捉え方をされて、扱われ方をしたのか、と暫し唖然とするが、なるほど、当時の州法では禁止された結婚。そういった法や制度を動かすきっかけを作った、たった一つの夫婦の物語。
結果的には歴史を変えることになる二人だけれども、当人たちが強い意志を以て歴史を変えた、というのとは少し異なり、当人たちはただお互いを慈しみ合い愛を貫いただけで、歴史や世間を変えようとしたわけではなく、ただ歴史や世間がそれに反応し変化した、という趣がある、こういう描き方は好きだと思った。
個人的に、ルース・ネッガのエキゾチックな美貌にすっかり見惚れた。現在、第一線で活躍する如何なる女優達とも違う存在感のある容姿と妖しさ。映画の中でも無言でスクリーンに映っているだけでも、そして愛する夫を見つめているだけで、何か此方に感じさせるような目をしていて、なんか素敵だった。武骨で素朴で寡黙で男らしいジョエル・エドガートンとの相性も良かったし。
ただなんとなく、終盤に入って二人が取材を受けたりといったメディアとかかわりを持っていく展開や、裁判に臨む姿というのが描かれるようになって、まぁそれが重要なエピソードなのは重々理解してはいるものの、なんだか二人の純粋な愛の物語に俗っぽさが加わるような印象で、あまり快い感覚ではなかった。作り手もやはり映画が法廷劇のようになってしまうのを避けてか、裁判のシーンはあえて描かないやり方を取っていて、確かに愛を裁判で問うのは何か違うと思うので、裁判シーンが省かれていたのは賢明な気がする。しかしその一方で、話が進めば進むほど、次第に「やっぱり裁判のシーンも必要だったのではないか?」と思い始めてきた。彼らが法や制度と闘っている様子は、やはり裁判に顕著だったはずだと感じるからだ。映画が二人の「愛」に焦点を絞っていて、そこに好感を抱きながらも、その分、彼らの戦いがいかに進展しいかに挫け、いかに人々に影響し、人々が彼ら夫婦にどんな影響を与えたか、などが見えにくく感じたのは勿体なかったかもしれない。
それともう一つ気になるのは、この映画の人種差別に対する正義感と愛の尊さに関しての捉え方や表現方法が若干ステレオタイプに思えたこと。同年公開の「ムーンライト」が人種やセクシュアリティなどのシリアスなテーマを詩的ながらも先進的に捉えて鋭く表現していたのを思うと、この映画は聊か画一的な表現に見え、それによって伝わるものが非常に分かりやすい「差別はだめ」「愛は尊い」「旧い慣習はよくない」というこれまた画一的なメッセージに留まって見えたのは惜しい気がした。
凡庸な話かと思いきや
つくづく人間に限らず、生物としての歓びとは愛し愛される事である。
勿論、これは皆がすべからく当てはまる訳では無いが(私も含め)、映画や舞台という芸術に関しては納得せざるを得ない。
中盤からやや駆け足気味に話が進むが、それを差し引いても、それだけの説得力が、この映画には、この二人には、あるように思う。
米国の驚きの差別法がこんなに最近まで⁈
有色人種(特に黒人)に対する差別が酷く、今も根深いことは理解していたが、異人種結婚禁止なんて法律が1970年代まで(アラバマでは2000年まで)まかり通っていたとは⁇(絶句)。生物は神の創造だとして、未だに進化論を排斥して学校で教えていない州があるとも聞いてはいるが。科学によらない原理主義者には要注意だな。日本においても。
愛し合うために
不遇の時代でも愛を突き通すという映画は、さほど珍しく無い。だがこれほどまでに純粋に相手を愛し、相手のために闘うという映画はなかなか無い。主人公たちが法律と闘った理由には、「法律が人の権利として間違っているから」というのもあると思う。だが一番大きな理由は、「家族を守りたい。愛する人を守りたい。」これだと思う。
酷い扱いを受けてもお互いを愛し、その愛を貫く姿に心を打たれた。決して、法律を変えてヒーローになりたいなどという考えではないというのが強く感じられた。
ジョエル・エドガートンの最後の「I love my wife.」というセリフでは、胸が締め付けられた。
ルース・ネッガの夫を想う眼差しは忘れることができないほどに印象的だった。
もう少し短くて良いかな?
夫役の俳優さんが真実味が増しました。
本当にあのような背格好と口調なのかな?
結末が分かっている映画だからとは思いますが
少し中弛みする感じでした。
もう少し短くしたほうが観やすいと思いました。
理不尽な時代があったのだなと痛感する映画でした。
じわーと沁みる 淡々と丁寧に史実を追って 作られると こんな映画に...
じわーと沁みる
淡々と丁寧に史実を追って 作られると こんな映画になるのかな
抑えた演技 過剰なき演出をする事で細やかな感情を伝える。そういう 意味では日本的に思えた
主人公が北の国からの田中邦衛のようだが この時代を忠実に再現していて 音楽 車 Zippoのライター… それがカッコいい
たぶん この監督はアメリカン ビンテージ大好きだと思う
物語は淡々と進む ひどい暴力や虐め 主人公の勇敢さも特にあるわけでもない
だが、この生活を守りたいという 当たり前な普通な気持ちだ 社会のためにでもなく それは 「基本的人権」という事
それを ラスト 旦那が一言で表す そこでこの淡々のストーリーが一気に集約する
そして、最後 実際の二人のライフ誌の写真が…それがいい また役者がこの二人にそっくり じわじわと染み入るこの映画
神の名の利便性
不自然な環境下での自然な愛を描いた作品。
動きが少ない中で役者達の表情が見事に活きている。
脚本については、3人もの子宝に恵まれ、数は少ないが理解者・協力者もおり、衣食住に不自由無く暮らせているにも関わらず、ミルドレッドが檻と例えるワシントン州での生活の息苦しさが、此方に伝わる様描写されていなかった為、彼女が家族の危険を顧みずに荷物を纏める行為が我儘かつ感謝の気持ちが足りない様に思え、その後の人の目に怯えながら暮らす生活こそ檻の中であり、子供達に悪影響では無いかと感じた。
我が国において異人種間での婚姻問題を考える事は大変難しいが、現代社会の閉塞感を檻と捉えるならば、その檻の中で地に足を付け穏やかに歩む事こそ我々の戦いであると感じられた。
余韻半端ない珠玉のラブストーリー
もはやこの映画を観られること自体が
歓びそのものになってるような。
上映中の身体の震えはそのせいか…
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2017.3.19 TOHOシネマズシャンテにて2回目
おいらの失くしたものが
この映画にはいっぱい詰まってる…
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2017.3.8 TOHOシネマズシャンテにて1回目
ある一組の夫婦の日常に
こんなにも心を揺さぶられるなんて。
目の当たりにするのは
単にふたりの愛情の深度の高さ。
つつましく純粋に願う想いは
国をも動かすきっかけを作るが
世間に食い潰されることもなく
ふたりは日常を守っていく。
欲を持たず武骨に過ごしていく
リチャードとミルドレッドの日常は
とても澄みきって実に美しく思えた。
最高裁のシーンに織り込まれる
家族の生活のカットは
我が事なのに他人事のような
達観した感じを覚え
いわば崇高な印象さえ感じた。
もう一度映画館でこの感動を味わいたい。
なんか心を洗濯したような清々しさ!
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