「分からなかったというの人の為に解説」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? T@KOさんの映画レビュー(感想・評価)
分からなかったというの人の為に解説
こちらのサイトには初投稿です。よろしくお願いします。
あまりにも酷評が多い本作ですが、それは作品が悪いというより、宣伝の関係で正しい視点で視聴がされなかったのが主な原因だと思います。
実際、本作は観る人を選びます。
分からない人には分からないが、特定の視聴者層からであれば十分評価できる作品なのです。
よくレビューで「話が意味分からなかった」とか「最後がどうなったか分からない」といった意見を目にしますが、話を読み解く上で必要な情報はちゃんと作品で描かれています。
それを単に「分からない」というのは己の無知を晒しているだけですので、レビューの際は十分注意するべきだと思います。
子供が漢字ばかりの小説を読んで「つまらない」というのと同レベルですので。
以下、本作を楽しむ為の解説と注意です。
まず、本作は全年齢向けではありません。
できれば30代以上かつ男性(の気持ちが分かる女性含む)が理想の客層。
現在進行形で子供・若者な方には楽しめないでしょう。
主役は子供ですが、よくある学園モノのように追体験して楽しむのではなく、自身の子供の頃に当てはめながら「自分もこういう時期があったな」と振り返りながら鑑賞すべき作風なのです。
また、宣伝ではあまり触れられていませんが、原作の存在を確り認知していることも楽しむ上で重要。
ここが宣伝における最大の失敗で、原作は90年代のテレビドラマです。
アニメでもその世界観を踏襲しているのですが、つまり観客も約20年前の視点で見ないと現代に当てはまらない価値観が出てくるのです。
例えば、映画ではケータイやPCが出てきません。
ケータイやスマホでいつでも友人と連絡が取れる現代人には待ち合わせをすっぽかされた時のもどかしさ等はあまりピンと来ないでしょう。
ドラマ当初は現代劇として見れた本作も、今では古典。
惜しいことに本編では時代設定が明確に「西暦◯年」などと出て来ない為、現代劇として間違って捉えてしまった観客も多いのではないでしょうか。
次に人物描写ですが、基本的に男主人公である典道のみ心理描写が描かれています。
よくヒロインのなずなが何考えてるか分からないという批判も見かけますが、それは分からなくて当然のこと。
そもそも描く気がないのです。
自身に当てはめて思い返して見てください。
昔いた「初恋のあの子」が何を考え、誰が好きだったかなんて理解している男なんてまずいません。
そんな「側にいるけど分からない」という不思議な存在がなずななのです。
ちなみに主人公達が下らない話題で盛り上がっているのは、単純に子供であることを印象付けると同時に、なずなが大人な女性であることを引き立たせるのが演出としての狙いでしょう。
終始主人公を翻弄するミステリアスで大人びた少女であるなずなですが、母親に連れ戻されたのをきっかけに主人公は気付かされます。
それはつまり「彼女は大人ではない」ということです。
どんなに大人びていても、結局は子供。
本物の大人には逆らえません。
だからどこまで行っても逃げることしか出来ない。
電車の中でなずなは両親が駆け落ちカップルだから、と自分達も同様に駆け落ちを提案しますが、これも実は全く親と同じではありません。
両親は大人同士だから駆け落ちしてもその先で生きていけます。
しかしなずな達は違う。絶対に近い内に限界が来て生きて行けなくなり、親の元に帰らざるを得なくなる。
恐らくなずなはそれを分かっていたのでしょう。
電車の中で歌うシーンで彼女はドレスを纏いますが、これは恐らく「午前0時になると魔法がとけるシンデレラ」をイメージしてのものと思います。
(このドレス=シンデレラというのも少々古風なイメージで、若い視聴者にはピンと来ないでしょうね)
で、その後両親達に見つかってやっぱり逃げる訳ですが、その後の巻き戻しでこの作品を読み解く上で超重要な場面が一瞬映ります。
見逃した方も多そうですが、それは両親の車をなずなが電車の窓からこっそり覗き込む場面。
母親は泣いていたのです。
ここでなずなは気づいたでしょう。
「母は本気で自分のことを心配している」「帰るべきだ」と。
一見、本作は典道の都合の良いように典道だけの時間が巻き戻っているように見えますが、それにより他の人物の心境にも影響を与えています。親友の意見がコロコロ変わるのもその暗示。
同様になずなも、繰り返す時間の中で、両親に対して逃げる以外の答えを見つけたのです。
その為、(明確にはなっていませんが)この後のなずなには幾分余裕が見られ、(ちゃんと最後は帰ることを前提に)典道との時間を楽しんでいたように見えました。
終盤おかしな空間に閉じ込め、典道はここで一緒に過ごすことを提案しますが、前述の答えを見つけたなずなは、それを肯定しません。
そして、「もしも」の閉じられた世界で共に過ごした二人に終わりが訪れます。
球が砕け、様々な「もしも」をガラスの破片のようなものに映しながら空間は消えていきます。
その中には主人公だけでなく、友人がなずなと時間を過ごす「もしも」も映し出されます。
そしてそういう可能性もあり得たのです。
そこがこの作品のテーマ性であり、「後悔しないように行動を起こせ。もしも、で終わらせるな」というメッセージでもあるのです。
余談ですが、ここの描写は原作以上に美しく、アニメらしさを最大限活かした名シーンだと思います。原作と同様の挿入歌が流れるのもファンには嬉しいところ。
本筋はここで終わり、その後のなずなと典道は描かれません。
スッキリしない終わり方だと思う方も多いでしょうが、何を描写したって興ざめしそうなので観客の想像に任せるの自体はありだと思います。
少なくとも、空席になった典道の机を見る限り、彼は何かしら行動を起こしたのでしょう。
成功するか失敗するかは分かりませんが、子供のうちは失敗も成功の母。見守ってやりたいと大人の私は思いました。
何もせず後悔した多くの大人(観客)達は、そんな経験を思い出しながら懐かしむというのがこの映画の正しい楽しみ方だと思います。
また、タイトルの下から見るかが話と関係ないという批判もありますが、これは原作でも同様だったと記憶しています。
原因はテレビドラマの企画でタイトルは「〜するか、〜するか」という形式にしなければならない縛りがあった為で、本当は別のタイトルにしたかったそうな。
そうした背景事情も含め、原作に忠実にしつつアニメらしいアレンジを加えた本作ですが、変に原作を引きずらずに現代劇として新たに構築した方が「時をかける少女」のように成功を収められたのではないかと悔やまれます。
長文失礼しました。
もし本作を観てよく分からず楽しめなかったという若い方は10年後にもう一度チャレンジしてみて欲しい一作です。
少なくとも今とは違った印象を受けることは間違いないと思います。
アニメなのに30代男性向けって。。
だったら確かに宣伝が悪いね
説明不足、力量不足をすべて「難解だからで読者に丸投げ」で説明できて監督は楽だなw
単に絵、テンポ、挿入音楽、構成、声優がつまらない。
小説読んでつまらないとは違う。
先ほどのコメントを書いていて再度考えてみたら、あの最後のシーンは新学期ではなく登校日だったのかなと。別世界から戻ってきた典道がなずなを連れてどこかに行ったのかなと。
それならなぜ(登校日の朝に戻るのかという意味不明な点を除けば)とりあえずつじつまがあうけど、私の意見は同じ。そのレベルのものならもったいぶらず観客に考えさせたりもせず普通に描いてほしかったです。
T@KOさんが解説しているポイントは皆が分からないと言っているポイントと違う気がします。
T@koさんの言っていることは皆さん大方分かっている、もしくは違う解釈をしているにしても、わからないって言っているところではないと思いますよ。
私もそうですが、皆さんがわからないと言っているのは最後のシーンだと思います。
教室で典道が先生に呼ばれていますよね。そして返事がない。
ここがわかりません。
このシーンを作った以上、何か意味があるはず。しかし何なのかわからない。
このシーンが新学期だったとして(登校日である可能性もあるけどとりあえず)、
1. 典道死亡説は先生が知らないはずがないからありえない。
2. 駆け落ちも同様。この日の朝に駆け落ちしてたら姓も知らない?引っ越したのは登校日(普通8月15日)のすぐ後のはずで新学期初日のタイミングでってのは可能性は低い。
3. なずなに会いに行っててた?前述したけど引っ越したのは登校日のすぐ後だったはずで新学期とはタイミング的に違うし、そもそも彼女も新しい学校で登校しているはずでそれもない。
4. いろんな可能性からありえないのを除いて行くと、最後のシーンの冒頭で走ってる2人が典道となずなで、なずなが何らかの理由で転校しなくなった?点呼に返事がないのは遅刻してるから?そうだとしたら、その程度の話ならもったいぶるんじゃねーよと思う。そのレベルの物で観客に考えさせるって稚拙すぎでは。
電車に乗らせてしまったために、
なずなが帰ろうと決心するきっかけが消失してしまったと感じます。
原点小説では
祐介に裏切られたなずなが
典道が電車に一緒に乗ってくれる
裏切らないと分かった時に
なずなは帰る決心をするシーンがあります。
ここからは想像ですが、自分にも存在価値があること認識したのかもしれません。
そういう所も含めて、
今回の映画は構成・演出が下手すぎです
もしもの世界がなくなった時
自分の行動に責任を持たなければいけない
大人に典道が成長した事を描きたいのであれば、
例えば、なずなが海に沈んだ時に
すぐに飛び込むとか、成長した所をしっかり描かないないとダメでしょう。
今作は不要な所ばかりに時間を掛けていたり
演出がちぐはぐで一貫性がなかったりばかりが目立ちます。
不要と感じるのは、
例えばループや祐介以外のほとんどの登場キャラ。
50m勝負で祐介が勝った時のなずなとのやり取りなどです。
こここそ、見ている人に想像させる所でしょう。
祐介が好きだったのか、それともかけおちを持ちかけて引かれたとか。
見た目で祐介選んだけど、最後は裏切らない人に決めたとか。
どっちでも良かったけど、自分の存在価値を確かめたかったとか。
まぢで、好きな女の子の持ち物投げてる場合じゃありません!
ちぐはぐなのは
例えば、見た目と年齢設定、時代設定と校舎のデザインやゲーム機の本体
親友の見た目と内面、登校時は乗り物乗ってるのに灯台に行く時は徒歩などです。
電車の駅がすぐ近くなのに電車のらないのは、電車賃が掛かるからまぁいいです。
でも、徒歩はダメでしょう!徒歩ならあの登校シーンはいらない。
参考になる考察がありましたが、やっぱり評価が低い気持ちは変わらないです。
序盤、出てくる女の子達が皆身体的に大人びていて、普通ではありえないデザイン性の高い校舎や豪華なプールなど、最初に見せられたものから察するに勝手に高校生だと思い込んでおり、祐介の父親が私立に行けと言ったのに、との発言や水商売云々の話、ゲーム画面、最後観月ありさが好きとのセリフ等で後出し的に年齢や時代設定に察しがつきました。
公立校でまして中学であの制服・あの設備、キックボードやスケボーでの通学なんてありえないし、もうちょっと序盤に色々伝わる描写が無いと意味不明でした。
そもそも、もしも、の葛藤の表現もイマイチだなと思ってしまい。。
時代設定的に対象が30代後半以降というならば、あのアニメーション、と主演の起用は全く合わないだろうとも思います笑
原作をここまで知ってないとダメだというのがそもそも論外では?と思います。
公開前に原作をテレビ放映すればよかったですね。
T@KOさんが記載したとおり、
単に全然わかんないという意見の人は予告だけ見て
もっと違う展開を予想してきた人が主に多いんだと思います。
ただ、T@KOさんが記載した内容をきちんと理解した上でもこの酷評になっているとも思います。
伝えたいことはわかるが、
後半がファンタジーな世界になりすぎてメッセージ性よりも強い印象なことが原因かなと。
(もしも駅など)
ただ、T@KOさんが記載した内容を理解した上でもう一度見れば
感想も変わるかもしれませんね。