「そうするしかないどうにもできない辛さ」ムーンライト movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
そうするしかないどうにもできない辛さ
努力すれば変われるなどという単純な問題ではない、根深い、黒人差別と貧困層の地域的な問題が人々の人生に世襲されてしまっている。
マイアミの黒人ばかりのダウンタウン。父親が元々いない家庭の少年シャロンは小さいからリトルと呼ばれ虐められている。母親は父親不在な中食べていかないといけないからドラッグとは繋がりやすい売春業、ろくに仕事もないからこそ、ドラッグ依存でネグレクト。
家庭により様々だがそういうコミュニティだからこそ子供達もいじめに走りやすいのだろうか?そこはわからないが、シャロンは口数もほぼなく、弱々しい歩き方で絶好の対象にされている。
シャロンと知り合い、温かく接してくれた同じ地域に住む成人男性フアンは、金銭的に困っておらず精神的に余裕がある理由はドラッグの売人だから。シャロンにとっては救世主だったけれど、シャロンの母親にもドラッグを売っているのがこの地域の問題の根深さを表している。
心の居場所がフアンとその彼女が住む家にしかなかったシャロンは、そのまま高校生に成長するが、子供の頃唯一気にかけてくれた友達に男同士だがほっとする恋愛感情を抱く。友達は彼女もいるしおそらくバイ。
フアンに泳ぎを教わった思い出の海に、フアン亡き後の思春期にも虐められ悲しい気持ちで訪れたシャロン。そこでたまたま友達に出くわすが、友達は、シャロンの家庭環境など身動きの取れない悲しい状況を知っている。2人の海沿いでのキスシーンは、あまりにも重苦しいシャロンを人間として最大限慰めたい癒したいと思った気持ちが性別を超えただけのように見える。
しかし、その友達も悪い同級生に逆えずシャロンを殴り裏切る。幼い頃からシャロンの心はどれだけ背負い耐えて来たのか、映像だけでもはたから見ていてもかなり辛い。そしてそれが誰のせいでもなく、怒りに変えたとしても行き場がないことが余計に辛い。
母親はもう少し努力できたと思うが、思春期には完全にドラッグに溺れ依存症人生の母親。責めたからと言って今更どうにもならない。
それに気付き、強い人格に変わる事を始めたシャロン。第3章ブラック。虐められて怪我した顔を氷水で冷やして新生シャロンが”ブラック”として覚醒。まずはいじめ首謀者を椅子で殴り少年院へ。
10年後。かつてのフアンと同じ、金の歯カバーでかつてのフアンの車を乗り回し防御万全のシャロン。仕事もフアンと同じ、ドラッグ売人。普通の売人からのしあがり、フアンのような売人のトップに昇り詰めたということだが、かつて母親のドラッグ依存に苦しめられた張本人のシャロンがまさかドラッグを売るなんて。でも、シャロンにとって唯一の人生のお手本兼親がわりがフアンだったのであり、そうするしか生きられない社会の構図。
友達も院に送られ、そこで覚えた料理がきっかけで料理人としてバツイチでレストランのコックになっていた。
大人になってからの2人の再会。友達から裏切りの謝罪をされ、友達の店で友達が作った料理を食べ、音楽を聴く。そして互いのこれまでを労わりあうかのように、シャロンは再び前回ぶりの同性愛へ。
とてつもない哀しみ寂しさ辛さを押し殺し、しかもそれが普通の毎日として繰り返され積み上げられていくシャロンの人生を通して、「同性でも歳上でも家族でなくても、人間が人間を頼ったり、愛情で包むことはできる。もし受け入れてもらえて甘えられる環境があるのなら、それが家族でなくても同性でも、死ぬより全然良い。困っているならこっちにおいで。」そう叫びたくなる作品。フアンの妻テレサのような、心が張り詰めただれかが逃げ込めるシェルターのような存在になりたい。