散歩する侵略者のレビュー・感想・評価
全73件中、61~73件目を表示
黒沢監督はやっぱり好きだな。 コミカルで皮肉な視点が最高。 2人の...
黒沢監督はやっぱり好きだな。
コミカルで皮肉な視点が最高。
2人のもう、交わることの無いであろう愛が切ない。
その愛の強さを知り涙。。
「○○とは何か?」
宇宙人が地球のことを学ぶときに「概念」を奪うのね。そうすると奪われた人は、その概念を喪失しちゃうの。
「家族」の概念を奪われると家族と他人行儀になるし、「所有」を奪われると「もう戦争なんてしなくて大丈夫」となり、「仕事」を奪われると子供に戻って、「敵」を奪われると「みんな友達だよね」になるの。
これって「○○とは何か?」に答えてるんだよね。「○○とは何か?」っていうのは哲学だから、哲学的問に脚本家は答えてんの。「どうやって答えるのかな?」って観てる途中から興味はそこに集中したな。
こういう話をうまく捌く黒沢清監督はすげえなあ、意識して他の作品も観てみよと思った。
役者さんはみんな演技いいのね。長澤まさみは特に表情だけで全部伝えてくるからすごい。長谷川博己は予告編では「なにこの下手な演技?」と思ったけどそういう役なのね。
恒松祐里は予想通り良かったなあ。悪者の役だけじゃなく、正統派ヒロインとかもやらないかな。前田敦子も「いいかも」と思ったよ。
ストーリーの中で、長谷川博己が最後に人類裏切んだけど、あれって「俺は誰にも必要とされてない!」ってのが前フリにないとだよね。そんな自分が宇宙人には必要とされたから「俺が必要なんだろ」って裏切るんでしょ。
長澤まさみが松田龍平を抱きしめて「私はこれで十分だから」ってやるところは「人類が滅びてもあなたがいればいい」ってことで、良かったなあ。
そこから最後に「愛」を奪いにいくけど、「愛とは何か?」は明確に答え出せてないんだよね。奪われた瞬間とその後の長澤まさみから想像するんだけど、ここは前川知大といえども含みのない答えは出せないんだろうなと思った。
話は面白いし、役者さんみんな達者だし、演出も面白いから、観た方が良いよ。
怖い!乗っ取られる!!
主人公鳴海を演じる長澤まさみがとても良かった
突然夫が別人となり僕は侵略者だなんて言われたら
妻はいいたいどうしたらいいのだ!!
宇宙人と化した夫を嘆きながらもイライラしながらも
懸命に夫と向き合おうとする姿に感動しました
夫演じる松田龍平は相変わらず 同じようなキャラで
笑えましたが 無表情なのに気持ちが伝わってくるのには
毎度 毎度 彼は凄いと思ってしまいます
ジャーナリストと2人の宇宙人の話も面白かった
ジャーナリスト演じる長谷川博巳が街中の人に向かって
「見ぬふりをしているのではないですか?」と言う問いが
心にささりました
日本や海外今や色々問題がある中 私たちは見ぬふりを
してはいないか?
宇宙人役の高杉真宙もいつのまにやら背が伸びて
顔も長くなって今まで以上にかっこよくなっていて
嬉しかった!!
この映画は
昔 テレビでやっていた「ウルトラQ 」を思い起こさせるような
不思議なSF作品でした
雰囲気いいけど、もう少し細かく設定してくれ!
アラ探しじゃないが、話しの辻褄が合わないと、映画に集中出来ない。
侵略の目的がわからないのは、まあいい。
なぜ、三人が選ばれてきた?
どうして、感染と思われる症状が急拡大した?
桜井さんが、宇宙人に感情移入していく過程は?
せっかく三人いるんだから、役目を変えてみよう。
女の子は、人間の身体の調査のため、
身体の専門家であったとしたら?
身体の使い方には詳しくて、身体を操りがうまくて、
すぐにマスターし、強い。が、頭が足りなくて、
殺人事件を起こす。
少年は、エンジニアで、人類の技術を調査し、
通信機を作る役目。アンテナ探してたら、マスコミの移動中継車両を発見し、利用出来ると思った。
桜井と出会う。
通信機目的だったが、ひとりひとり概念を採っていたら効率悪いので、アンテナで採取出来る装置にした。
そのため、概念喪失 患者が、大量発生し始めたとする。
松田は、ココロの専門家。ゆえに、身体が最初操れず、よく転ぶ。表情も乏しい。だから、よく散歩して歩く練習する必要があったとしたら?
そして、自分たちにはなかったと思われる、
複雑な「人類の愛」
に関心を持ち、調査し始める。
究極のナルミの自己を殺させるほどの愛の概念を直接に受けとり、結果侵略をストップさせる。
教会では、概念とらなかったけど、なぜ?
取ったけど、まだ侵略止める程の概念じゃなかったって方が、いいんじゃないか?
ナルミが松田に送った夫婦愛のひとりが、ひとりに対しての愛が、最大最強だって事で。
最後の場面、ナルミ脱け殻だったけど、期待ハズレ。
教会の説教で、愛は、限りなく生み出されるとか言ってたじゃないか!
概念盗られたけど、あんまり変わらないって言ってたじゃないか。
他にない症例って、メチャクチャ元気で現場で働いてた。だけど、松田の事は忘れちゃった、松田に対する愛は無くなった、とかだったらどう?
それでも、ナルミのために、これから生涯、生き続けます。とかだったら?
すごく、もったいない映画だと思う。
テーマは愛かな?
最初の場面はちょっと目を覆いたくなりましたが、全体的にはそんなに怖い感じではありませんでした。
加瀬夫妻、桜井と天野それぞれの間の愛とか絆みたいのを感じることができました。
牧師さんのお話で、「愛は枯れない」とあったから奪われてもまた湧き出るのでは?と期待してます。
俳優さんたちの演技もすごく良かったと思います。
桜井役の長谷川さんはさすが!って感じで、「サンプルで残りたい」と言った時のちょっとずるい感や、爆破シーンの演技などすべてさすがだな~って思いました!!
ミカンなんだな。
地球を侵略しに来た宇宙人達が、偵察のために人間のなかから「概念」を収集していくという設定が面白い。
彼らが人間から奪っていく「概念」とは、辞書にのっている「定義」のような普遍的なものではなく、奪い取った元の個人それぞれによって違うものである気がする。教会で子供たちに「愛とは何か」を尋ねたときに、それぞれの答えが返ってきたように。
最後に宇宙人が鳴海からもらった「愛」の概念は、鳴海から真治に向けた愛なのであり、愛情を手に入れた宇宙人が廃人となってしまった鳴海にかける「ずっとそばにいるからね」という言葉も、突然おかしくなってしまった夫に翻弄されながらも一緒に歩きつづけた彼女のなかにあった気持ちだったのだと思うと、切なくてグッときてしまった。
冷め切った夫婦関係から鳴海が愛情を取り戻した相手が、真治本人ではなく真治とは食べ物の好みも違う宇宙人だというのは皮肉な気もするけれど。
無機質で殺伐とした病室のなかで鳴海に差し出されたミカンの美しさだけでもう、この映画観てよかったな〜という気持ちです。
派手なアクションシーンよりも、宇宙人が散歩しながら概念を奪っていく様子や夫婦のシーンをもっと見たかったかも。
侵略の目的
ん〰️。
宇宙人には仲間意識があっても
愛の概念がなかった。
その概念を知ることで、
侵略の愚かさに気付き、
やめた?
侵略による植民地化をしないと
宇宙人は生きていけないのでは
ないのか。
やめていいのか?
侵略にきた目的が不明のまま
もやっと終わってしまう。
人類を視察にきた3つの宇宙人は
人間の思想を、我々が物事を認識する
概念の集まりとして研究することで
人間とはどういうものなのかを
仲間に伝えようとしている。
盛り上がるストーリー性は
無いのだけれど、退席するほど
退屈でもない。
見所はどこなんだろう。
長澤まさみさんの包容力、母性愛は、
ファンでなくても、安心感あるし
役者さんの宇宙人演技と
長谷川博己さんの爆弾による被爆姿の
演技かなぁ。
素直な感想としては、
愛着があれば、宇宙人でも
愛せる人がいてそうだなと。
なんか、
自主映画のような自由なノリでした。
今回もちょっと。
「CURE」が好きでそこから黒沢監督作品を観るようになったのですが、いつも当たり、外れのどちらかに大きくわかれるような作品が多い気がします。
黒沢監督が書いた原作ものではなく、他の方が原作を書いたものを映画化すると外れが多い気がします。
今回もちょっとうーん。といったところです。
人間の「概念」を奪い、人間とはどういうものかを知った上で最終的には侵略をしていくという話。
侵略者とタイトルにありますが、そんなに大それた描写はなく、淡々と話しが進む感じ。
それといつの間にそうなっていたの?というシーンが多かったような気がします。
(例えば、後半の病院のシーンでの混乱。
いつの間にそんなに概念を奪っていたのかなと疑問。)
松田龍平さん、長澤まさみさんは、良かったと思います。
「愛」という概念を失った鳴海、傍にい続けようと決めた真治の今後が気になりました。
愛は地球を救う? 愛って何?
どこだかわからない、日本の地方都市。
イラストレーターの加瀬鳴海(長澤まさみ)の夫・真治(松田龍平)が保護された。
記憶も覚束なく、物事が判然としないような状態で。
彼が言うことには「ぼくは宇宙からの侵略者で、人間のことを知るため、ガイドをしてほしい・・・」。
一方、別の場所では、一家惨殺事件が起きる。
ジャーナリストの桜井(長谷川博己)は、事件の生き残り・立花あきら(恒松祐里)を行方を追おうとしたが、現場からほど近い場所で天野と名乗る高校生ぐらいの少年(高杉真宙)と出あう。
彼が言うことには「立花あきらを一緒に探してほしい。彼女もぼくも宇宙からの侵略者で・・・」。
というところから始まる物語で、侵略ものSF。
ユニークなのは、彼ら侵略者が人間を知るためにしていること。
それは、「概念」を盗むこと。
おぉぉ、大学時代を思い出したぞ。
記号論でいうところの、シニフィアンとシニフィエ。
「言葉」を例にとると、言葉の表層(音や文字など)と、その言葉がもつ本質的な事柄(ここでいう概念)だ。
これはコワイ。
概念がなくなれば、その概念が指すもの自体がなくなってしまう。
真治の姿をした侵略者は、鳴海の妹(前田敦子)から「家族」を、引きこもりの青年(満島真之介)からは「所有」を、鳴海の上司(光石研)から「仕事」を、刑事(児嶋一哉)から「自分」と「他人」の概念を奪ってしまう。
特に、最後の「自分」と「他人」の概念を奪われると、どうなっちゃうのだろう。
コワイ、コワイ。
だけど、そのほかの三人は、なんだが意外と楽しそう。
そして、「愛」の概念を奪おうとして教会を訪れたものの、牧師(東出昌大)の心の中に明確な「愛」が浮かばず、奪えない、そんなエピソードもある。
これは伏線。
最後の最後、遂に侵略者たちが押し寄せるのだが・・・
へへへ、「愛」が地球を救うのね。
そして、「愛」を奪われたひとは、当初、「全然、以前と変わらない」と言いつつ、結局はもぬけの殻になってしまう。
愛って何? っていう落としどころの異色のSF映画。
愉しみました!
昨日おもしろい夢見たよ!っていう感じ
ちょっと怖い。R12とかじゃないの?っていう残酷なシーンもある。
それでいてちょいちょい笑えたり、なにこれ泣けちゃうじゃんってところもある。
宇宙人の女の子のアクションのキレが気持ちいい。男の子の方は、浮世離れしてる感じがぴったり。
松田龍平はあのままの感じでちょうど合ってるし、長澤まさみは1番普通の人に近い感じでわかりやすい。演技がうまいなと思った。
長谷川博己はシュっとしてカッコいいのになぜか笑っちゃう感じがこの映画に合ってておもしろかった。叫んでるところとか、起き上がるところとか…いっぱい。
いろいろなシーンがあって、いろいろな感情が湧いてきて、てんこ盛りの夢をみたようなおもしろい映画だった。
愛は地球を救ったのか?
最後がよくわからなかった。なぜ宇宙人は侵略をやめたのか。そこに松田龍平はどう関わったのか。長澤まさみはどうなっちゃったのか。
この映画の不思議な世界観は受け入れられたけど、不思議なラストは受け入れられなかったみたい。
不思議?...不思議って何
それでも愛は
黒澤清監督の近作は、「夫婦愛」がその底流に描かれている。
『岸辺の旅』では、死んで幽霊となった夫を愛する妻。
『クリーピー』では、たとえ夫が超変人だとしても愛してしまう妻。
『ダゲレオタイプの女』では、自分が死んで幽霊になっても恋人を愛し続ける女(この作は夫婦設定ではないが)。
死すらも、女たちから愛を奪えない。それが切なく怖い。ラブストーリーでホラーな映画だった。
本作『散歩する侵略者』も、
たとえ夫が宇宙人で侵略者だったとしても、愛し続ける妻の物語だった。
-----
『散歩する侵略者』では、
侵略者たちが地球にやってきて、次々と人間の「概念」を奪っていく。
奪われていく「概念」…「他者と自己の区別」「所有」「仕事への責任感」などなど。
奪われると書くと、何か困ったことが起きそうだが、案外そうでもない。
「所有」の概念を奪われた満島などは、むしろイキイキし始め、「概念の消失」=解放・救済なのではなかろうか?とも思う。
「他者と自己の区別」を奪われた児嶋に至っては、そもそもこの人、そんな概念持ってたの?最初から必要なかったのでは?とすら思う。
侵略者の側も、奪ったからといって大して嬉しそうでもないし彼らの何かが変わるわけでもない。
日々固執し大切だと思っていた事(概念)が、さして必要でも重要でもなかった…。
価値観が入り乱れ混迷する現代で、奪われて困るものなどあるのか?奪う意味があるものなどあるのか?本当に大切なものなんてあるのか?侵略者たちは、その事を問うているようにも思える。
-----
主人公の女性は、夫が何だがおかしい、夫が侵略者だと気づいても、何故だが夫を愛し続けてしまう。
(宇宙人ということは差し引いても、かなりポンコツな夫なんて愛さなくていいんじゃない?と思うが、愛に理由や分別は無いのだろう。)
そして侵略者が取ろうとしても、「愛」という概念だけは女性の中に残ってしまう。
果たしてそれが彼女にとって幸せだったかは判らない。
(満島の例が「概念の消失」=解放・救済だとするならば、主人公に救済は訪れない。)
それでも愛は残る。
-----
原作、前川知大。
(ストーリーの構成がどうのこうのというよりも)このスレた世の中で、前川知大氏が、臆面もなく「愛」の物語を描いたことに、何かしらの希望を感じる。
それを、黒沢清氏があえて若いキャストを起用して映画化したことにも、希望のようなものを感じる。
「混迷する現代で、本当に大切なものなんてあるのか?奪うor奪われる事に意味があるものなどあるのか?」が侵略者(演じたのは若い高杉真宙・恒松祐里)の問いだったとするならば。
侵略者=若者への答えがこの映画にはある。
-----
追記1:
舞台版『散歩する侵略者』も観た。前川氏の舞台は、ミニマムかつシンプルで、描写を省略し、その先を観客に想像させるのが非常に上手い。
それの映画化となると、舞台では省略されたシーンを視覚的映像的に表現しなくてはならない。これは、とても大変なことだし、果たして映像化に向いた話なのか?と映画を見る前は思っていた。
舞台ではセリフのみで語られる事象(例えば血まみれの部屋とか)が、映画内では嬉々として視覚化映像化されている。あえて「視せる」事にこだわった映画だなあと思った。特に恒松祐里のアクションシーンなどは、ストーリー上の必要よりも、「視せたいから撮った」感じすらする。
(黒沢監督『リアル』でも、匂わす程度で十分な筈のネッシーをあえてガッツリ視覚化してたしなあ。)
黒沢氏の映画は、登場人物の心情が変化するとき風が吹く。風は目に見えない。だから各映画で風車が登場し、風を視覚化する。
「目には見えないものを視覚化する」に固執する黒沢氏だからこそ、ミニマムな舞台の映画化、非常に面白かった。
追記2:
松田龍平氏の素なのか演技なのか判別できない得体の知れなさが素晴らしかった。あと脇役の東出さんも面白い。
追記3:
長谷川博己さんの切ないコメディ感も良かった。
長谷川さんのインタビュー「黒沢清映画の衝撃」by文學界10月号がメチャクチャ面白い。長谷川さん、映画オタクをはるかに超えた怒涛の映画マニアだったんだなあ。知らんかった。
全73件中、61~73件目を表示