散歩する侵略者のレビュー・感想・評価
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映画『散歩する侵略者』評
☆映画『散歩する侵略者』(2017年松竹・日活その他/黒沢清監督作品)評
-闘争に明け暮れる現代の地球人の反動として侵略者が知る愛と友情で結ばれる事の優位を黒沢清監督は冷徹な眼差しである夫婦をパラダイムとして極めて聡明に描いて観せる。或いは映画のテクスト化を目論むに当たり物語の内省を矩形のフィルムという表層に塗り込める際に映画的引用を施す事で成就するフィクション化された現実を物語る映画が僥倖に恵まれた容貌を観る者全てに感受させるのだ。黒沢清監督にとって映画とはフィクションを料理する際に生成される光と影の戯れが犇めく空間が叙事的リアリズム作りに貢献する事で催す感動そのものの霰も無い姿であろう-
これは映画が映画であることの優位を示唆する為に愛の概念を構築する事で成立する越境性に満ちた夫婦愛の確認をパラダイムとして加瀬夫婦に従事させる作業を実に聡明に描いた黒沢清監督の1950年代の映画の経済学を遺憾無く発揮させた近未来映画の傑作である。それはこの年代の近未来映画の殆どがB級予算で成り立っていた事実を世界映画史を敷衍させる事で証明させた彼自身の映画の記憶装置の披瀝であるだろう。
ここには卓抜なフォルマニストとしての黒沢監督の相貌が実に端的な表象体系で刻印されている。それはジャーナリストである桜井氏が宇宙人の男性・天野氏と女性・立花氏により地球ガイド役に抜擢される辺りから遍在する過剰性溢れる記号体系として扇風機や車のハンドルそして常に外さぬサングラスや自らが運転するバンのルーフに設置されたパラボラ・アンテナに代表される円形への固執である。
それはガイドとして責任を負った自負と共に宇宙人は勿論地球人の暗殺組織からも守られる守護神的な代替作用を及ぼす記号として君臨しているのだ。コミュニケーション能力の育成が博識な知性と正義の人としての他者性を纏ったこの人物にヒューマニズムの痕跡が窺えるのだ。
ここに越境の美学を感得するのも人類の英知を司る人間愛の根源を認識するからに他ならない。そこには例えばスティーヴン・スピルバーグ監督が『E・T』で示す人差し指でコミュニケートする宇宙人を不覚にも天野氏に演じさせるのと同じ引用作法で同監督の秀作『未知との遭遇』に於けるフランソワ・トリュフォー演ずる科学者の優しい視線が桜井氏のサングラスの奥底で見つめる双眸にも酷似している気がするのだ。
同様に地球人の女性ガイドに抜擢された加瀬氏の妻・鳴海氏もこの桜井氏の女性版をなぞる如く宇宙人を自称する夫・真治氏を寛容性に富んだ献身的な姿でバックアップするのもポスト・モダンな生活が育んだグローバルに満ちた性格によるものかも知れない。そこには他者性は勿論妻の座が行使するジェンダーの優位性を説く事で夫婦の紐帯をその視線の交錯により醸すのだ。この包容力溢れる女性性が振る舞われる事で真治氏はラスト近く不覚にも彼女から愛の概念を盗み取る仕儀に至るのだ。
そんな彼女がラストでは宇宙人の夫との倒錯的関係に陥り茫然自失した姿で夫に介護される時この逆転の構図は観る者に夫婦の視線の戯れを殆ど沈黙で描く事でこの越境的な説話的磁場を病院というトポスに配置する黒沢監督の慧眼が発揮される。この磁場にはまさしく愛の概念が執拗に纏い付いておりそのラストシーンが冷徹且つ簡潔であればある程黒沢監督作品に通底するナラトロジーが実に心地良く確認できるのだ。それは感動を催すに足る極めて豊穣な最期と謂えよう。
そこに至るまでの軌跡がこの荒唐無稽とも謂える物語を虚構とは一線を画するリアリズムで彩るのもそれが黒沢作品の真骨頂でもある説話的磁場に概念をも透かす独自の倫理観に基づく普遍性を露呈させるからに他ならない。
単純化と聡明さへの希求が映画にテクスト化された現実性を操作する為に偉大なる先達の映画の引用行為に及ぶのも彼の映画文体の特徴とも謂えよう。例えば殆ど豪快とも思える立花氏のマシンガンの炸裂には黒沢監督も魅せられたに違いないリチャード・フライシャー監督の犯罪映画やロジャー・コーマン監督作品『血まみれギャングママ』の記憶が息づいていよう。
そして加瀬夫妻の愛情の高まりを示す愛の概念の伝授にはジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』のベッド・シーンや或いは同監督の『アルファビル』のモチーフが綿々と引き継がれている。
これらを全て包含するこの映画の黒沢清監督は映画のテクスト化を目論むに当たり物語の内省を矩形のフィルムという表層に塗り込める際に映画的引用を施す事で成就するフィクション化された現実を物語る。そこに他者性に富む視点をカメラに仕込む事で独自のリアリズムを構築させるのだ。
その時映画は僥倖に恵まれた容貌を観る者全てに感受させるだろう。彼にとって映画とはフィクションを料理する際に生成される光と影の戯れが犇めく空間が叙事的リアリズム作りに貢献する事で催す感動そのものの霰も無い姿であろう。
(了)
ストーリーテラーのタモさんは?
これが黒澤清、、かな
心理学的実験としては面白い
長澤まさみは単細胞でエロいだけのキャラクターを卒業しつつある。本作品でも強気なだけではない脆さや弱さを抱えた複雑な女心をうまく表現できていた。
日常的なヒロインとは対照的に、ストーリーは奇想天外に進んでいく。本来の姿を見せず人に乗り移って侵略を進める宇宙人のやり方が面白い。
人間の意識は身体を媒介とした五感の記憶で成り立っている。記憶の塊を分類し体系化することで世界を認識していく。同じものと違うものを区別出来るようになるのだ。三毛猫とチンチラペルシアでは見た目がかなり異なるが、両者を同じ猫として認識できるのは分類と体系化の能力によるところが大きい。いわゆる概念である。
概念は人によって異なるものである。人間とは何かについて10人に尋ねたら、10通りの答えが返って来るだろう。様々な概念についての個人個人の捉え方の違いが、即ち世界観の違いとなる。人間とは何か、決定的な答えが得られることは決してない。
人間は概念をひとつひとつ自分のものにすることで成長していく。ひとりの人間の中での概念は互いに連繋してひとつの思想を形作ってゆくのだ。だからパンドラの匣みたいにひとつの概念だけが思想や世界観を救うことはない。
終わり方に迷った挙げ句、底の浅い予定調和みたいなラストになってしまったが、映画のアイデアとしては秀逸だし、心理学的な思考実験として捉えれば、なかなかの傑作である。兎にも角にも長澤まさみがとてもよかった。
原作星新一のような世界観かな
全く予備知識なく見に行きました。元々は原作者の劇団での演目、小説が原作となっているものなのですね。
侵略者というワードからウルトラなオタクの仲間内から「ウルトラセブン意識してるよね」「実相寺監督風味なの?」と言われていたのを小耳に挟んでいた位です。
予備知識なく観た感想
◆役者さんが最初から最後まで豪華でほお~と感心
◆どこかで見た顔かと思ったら、鎧武のミッチが!ファブリーズのCMの子が!(笑)頑張っているねえ😊
◆淡々と色々と進む
◆松田龍平がケムール人のように走っていた
◆淡々と終わった
SFなの?ハートフルな物語なの?何だったの?と思って、かつてこのようなテイストの作品を読んだ記憶があって、思い出してみたところ…
星新一の物語が世界観としてほぼ一緒なのではないかと思います。
と言うより原作星新一な映画だと言っても違和感無いと思いました。
ただ映画としてはどの客層にアピールしているなのか…多分カテゴリー的にはラブストーリーなんだと思います😊
特筆して面白いと言う作品ではありませんが、日常の当たり前の小さな事が幸せなのだと、思い出させるための映画だったように思えました。
なんて愛すべき映画なんだろう
監督と長澤まさみさんの登壇ありの上映会にて。
今年一番感動しました。現代の映画のほとんどに出てくる“愛”をこれほど真っ直ぐに、斬新に描いている。その愛に涙が止まらない。
タイトル通り、散歩するように侵略をしていく宇宙人なのだが、もちろん彼らは人類の敵。なんてったって人類を滅ぼそうとしているのだから。しかし、その侵略者たちは人間に何を気づかせてくれたのだろうか?
まず、満島真之介演じる丸尾だが、彼は引きこもりらしい。真ちゃんは丸尾の家に入ろうとするが止められる。そこで真ちゃんは疑問に思う。「なんでこの家は丸尾のものなのか?所有とはなにか?」
そして、所有という概念がなくなった丸尾はどこか清々しい。所有という概念があるから憎しみが生まれると堂々と演説する丸尾に引きこもりの影はなくなった。
概念が奪われたこれらの人を見ると、これから普通の生活を送れるように見える。丸尾は宇宙人に感謝しているし、生まれ変わることができたのだ。
宇宙人としては悪気しかないのだ。人類を滅ぼすための生け贄として概念を奪って行くのだから。
そして、これからも数人、様々な概念が奪われるのだから鑑賞中、なぜかその侵略を楽しんでいる自分がいる。それは、まさにSFの醍醐味と言える地球人の常識に逆らうような結果が見れるから。奪われる概念によって反応が違う点がエンターテイメントとして純粋に楽しめる。
そして、鳴海と真治の愛の喪失と再生の物語が美しい。とはいっても、真治は宇宙人ではないか?あるシーンで、自分が真治のような気がしてきて、一体化してるような気がするというセリフがある。つまり、これこそが普通の状況では育めない愛であるということに感動が押し寄せる。いつもどこかに行ってしまう夫を毎回「どこ行ってたの〜」と言ってあげる鳴海が本当にいい。デパートのようなところで真治が鳴海を抱きしめてあげるシーン。とにかく大好きです。
いままでうまく手に入れられなかった愛を手に入れたと同時に手放したという真実。そして愛こそが人間の全てかとでもいうような極端な表現。まさに極論だが、自分を見つめ直してしまう。
桜井と2人の宇宙人のシーンと鳴海と真治のシーン。この2つの対比がとにかく安心感と高揚感を併せ持っていて居心地がいい。
最後に、素晴らしいと思うのがラストの桜井。あのシーンは何度考えて見ても映画を超越していると思う。彼はまさに人間としてではなく、生き物として人生を選んだのだ。あの時の彼が素の桜井でも、宇宙人に乗っ取られていたとしても、心に響く。
SF映画として、とにかく美しい映画。
ある程度承知の上で鑑賞したのだが
散歩する侵略者
エンタメはきっちり作ってほしい。
黒沢清の映画を観るのは久しぶりになる。
概念を奪うという手で人類に侵食していく宇宙人。
とはいうものの、宇宙人の実態は提示されない。まあ、そんな種類の映画ではないので、それはいいのだが、先乗りしている宇宙人が3体というのは悪い冗談にしか思えず、なかなか乗り切れなかった。
厚生労働省という名の国家が出てきて、宇宙人の殲滅を図ろうとするが、彼らはどこからその情報を得たのか。
映画の大きなウソを補完するためには、小さなリアリティの積み重ねが必要で、それはやっぱりきっちりやってほしかった。
黒沢清の映画はいつも舌足らずの印象がある。
好き嫌い・評価がはっきりと分かれる作品だと思う。自分は嫌いじゃない。これはラブストーリーである。
movixあまがさきで映画「散歩する侵略者」を見た。
「散歩する侵略者」は全国週末興行成績の2017年9月9日~2017年9月10日の結果は初登場で「スパイダーマン ホームカミング」の9位に続く10位だった。
「君の膵臓をたべたい(2017)」が公開7週目でまだ7位につけていることを見ると「君の膵臓をたべたい(2017)」の人気と粘り強さをまじまじと感じる。
敬老の日で休日で、朝一番の上映ではあるが、「散歩する侵略者」の劇場には我々夫婦を含めても観客は10人にも満たない。
「散歩する侵略者」の出演は長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己など。
主演は長澤まさみらしい。
長澤まさみは今年30歳。
TVCMなどではよく見るが(長澤まさみ、高橋一生 出演のdTV「ふたりをつなぐ物語」篇のTVCMは好き)、
今回はじめて長澤まさみを本編でじっくりと見た。
地球を侵略するために地球にやってきた宇宙人が3人の地球人に乗り移る。
松田龍平に乗り移った宇宙人は物静かな宇宙人。
女子高生に乗り移った宇宙人は凶暴で簡単に人を傷つけたり、殺したりできる。
SF(サイエンスフィクション)ものではあるが、宇宙船やハイテクモノなどはいっさい登場しない。
原作はもともとは舞台劇だったのでこのような構成や表現になったよう。
この作品を見た人はその好き嫌い、評価がはっきりと分かれると思う。
印象的なのは冒頭から終盤近くまで、長澤まさみが夫役の松田龍平を終始罵っていること。
しかし、これは間違いなくラブストーリーであると思う。
自分は「散歩する侵略者」、嫌いじゃない。
上映時間は129分。
長さは感じない。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
古さの中に新しさ、様々なジャンルが折り重なった良い意味で邦画らしいSF映画でした
ベースは昔からよくあるタイプの古典的な侵略物SFでしたが、侵略者(宇宙人)が地球を侵略する為のプロセスとしてまず人間の概念を奪い人間を知ろうとする様子が、何気に新鮮味溢れる設定で、とても面白みを感じた映画でした。
派手なドンパチ合戦の侵略系SFアクション大作も結構好きなんですけど、こう言う邦画らしい地味なアプローチの侵略SF物も悪くないものですね、しかも後から結構ジワジワ来るんですよ・・・途中これはブラックコメディか?なんて思いながら見ていたりもしたのですが、話の持って行き方、着地させ方が本当に上手くて、ジンワリ感動させられてしまいました。
まあ衝撃のとか、予想外の結末って訳では無く、ある程度予想通りの結末ではあるんですけど、役者の演技込みで思いのほかグッと来たんですよね、地味ながらいい映画だったと思いましたよ。
それにしても、人間の概念を奪うと言うその設定が、ホント面白かったなぁ。
特に概念を奪われた人間の様子が深く印象に残りました。
我々人間の概念はとても大切なものであると同時に、とても邪魔なものでもあるんだなと、しみじみ考えさせられましたね・・・。
崩壊でもあり解放でもあるような、何とも皮肉めいた様子が、とても印象に残った各人の一コマでした。
満島真之介、光石研、大島(あるいは児島)一哉、前田敦子、等々、奪われる側の演技も皆上手かったですね。
元々宇宙人っぽい松田龍平演じる真治の、ゆるーく侵略しようとする様子も、画的にシュールでちょっと面白かったです。
ゆる過ぎてやや間延びした感は無きにしも非ずでしたが、何も知らないって、それはそれで幸せなことなのかもと思わされたりで、まあ何かと笑わされたり考えさせられたり、これはこれで面白かったですよ。
真治が侵略されたことによって起こる夫婦仲の変化とか、ホント見入っちゃいましたねぇ、また奥さん役の長澤まさみのツンデレ感がたまらなく良かった、今回はいい感じに主婦感が出ていていましたよね、そして母性愛、長澤まさみ史上1、2を争う演技力を披露したと言っても過言では無かったと思いました。
一方、やや粗暴な侵略者、恒松祐里&高杉真宙側のパートは、松田龍平側のゆるさとは打って変わっての展開でしたが、その真逆さ、激しさが物語を加速させる感じで、こちらも何だかんだで結構見入ってしまいましたね。
長谷川博己演じるジャーナリストとの奇妙な交流、一風変わった友情物語的な部分も、あちらのツンデレ夫婦とはまた違った趣があって面白かったです。
そして人間の最大の武器でもあるあの概念がもたらしたミラクルな結末も、個人的には好きな結末でした、黒沢清監督作品がどちらかと言えば苦手な方でも、これは結構いけるのでは?(私もその口でした)
こういう全く宇宙人👽の出ないSF、好きだなぁ❤️
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