ユリゴコロのレビュー・感想・評価
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親子の愛
ラストの亮介のセリフの俺にも人殺しは出来る、だってあんたの血が流れているから
それに応え、自分自身を殺させることで自分と同じ殺人衝動を持った、自分の子であることを証明させようとするようなシーン
中盤以降はあらすじから想像していたような作品ではなかったのですがこれが逆に作品としての良さを感じさせてくれました
何もなく中盤までの勢いでラストまでいってしまえばただただ陰鬱な作品だったと思うのですが、終盤には人としてズレて生まれきてしまった美紗子が特異な部分を持ちながらもたしかに人として生きられた、そういったことを感じさせるようになっていて、個人的にはとても良いラストだったと思いました。
ただグロテスクなシーンが多かったので苦手な人は要注意だと思います笑
しかし、それ以上に絵として綺麗な場面もたくさんありそういった楽しみ方も出来る作品だと感じました。
言葉を発するには・・ユリゴコロが必要なんです
映画「ユリゴコロ」(熊澤尚人監督)から。
なかなか難しい作品だった。(汗)
「ユリゴコロ」は「ヨリドコロ(拠り所)」の聞き間違い、
そう作品の冒頭で、説明しているのが可笑しかった。
子どもの言葉の発育に不安になった親は、病院へ連れていく。
そして、医者はこう伝える。
「言葉を発するには心が安全な場所で生きているというような
何らかのユリゴコロが必要なんです」と。
心の拠り所が「ある・ない」は、人間の成長にとって、
大きな影響を与えることに気付いた。
ところが、気になって仕方ないのが、いつものように
ワンシーンの小道具として用いられる掛け軸に書かれた文字。
きっと監督を始め、スタッフが作品の意図を組んで選んだ、と
勝手に決めつけているのだが・・。
今回は「雲蒸龍変」(うんじょうりょうへん)
英雄や豪傑などのすぐれた人物が、時運に乗じて出現し活躍すること。
雲がわき起こり竜りゅうが勢いを増して、変幻自在に活動する意から。
▽天に昇る竜は雲を呼び起こし、その勢いをさらに増すという。
「雲蒸」は雲がわき起こること。「竜」は「りゅう」とも読む。
これが、作品にどうかかわっているのだろうか、う~ん。
どうやって殺した?
役者はうまい。大切な人ができ変わっていく姿も悪くはない。
ただ、木村多江はどうやってあの屈強なヤクザたちを殺せたんだ?さすがに一人では無理だろ…
あとリストカットのシーン多すぎ。
婚約者のちえさんが失踪する背景も今時じゃない(旦那がヤクザで…というイマイチな筋)
容赦のない愛の物語
とても見応えのある映画だった。
色々と強烈なシーン(濡れ場やリスカなど)もあるので苦手な人は苦手かも(これでも大分ない部類だと思うが)
皆素晴らしい演技だし、登場人物の熱が伝わってくるようでグッと掴まれる
現代パートがスタートし、青年の婚約者が消えるという謎から始まる(真相はなんだか突飛すぎて何か裏があるのか?とか思ったらそんなことはない。でも良いのだ、主軸じゃないし)
そしてノートを見つけて話は過去パートへ
それぞれ各時代の美沙子を演じた3名の演技は凍えるような感じで凄まじい。
前半部ではかなり光のコントラストの明暗が強烈で主人公の闇が深いものであるようなのを表していると思われる(そこまで全部は見られないけど強烈なコントラストだったし)
過去パートの登場人物は皆「死」に捕らわれているようで、共感は出来ないが惹きつけられ彼らの行く末に釘付けとなる。
死を拠り所にする者、死との狭間で生を見いだす者、死に捕らわれて地獄に落ちた者
三者三様の「死」への想いが彼らを結んでいく。
松山登場からは明るいシーンが増えていく。
ここから物語は殺人鬼の話から男女の、親子の愛の物語へとシフトしていく
現代パートでは婚約者の友人からの情報から真相が明かされ、彼もノートの影響から暴走を始め出す(ここは分かっていたのでここからどうなるかが見物だった。松坂桃李はああいう狂気じみた感じも似合うよな)
過去パートではついに現代へと繋がる話が進み、彼女の過去が容赦なく今の幸せを壊しにかかってくる。
さらにそこから事態は想いもよらぬ展開へと動き出す…
とネタバレない風に書いたが、婚約者の友人と名乗る女が実は美沙子(つまりは母親)という展開になる。(これは予想外でビックリ!なんか関係あんのかな?と思ってたけどもまさか!)
この辺はミステリとして驚愕展開で話的にも満足。
とまあダラダラと書いてはみたけど要するに強烈な設定の登場人物たちをしっかり演じきっていたし、ただの殺人鬼の話という訳ではなく、愛の物語であるということと言えるのだろう。
登場人物たちに自分との共通点を素直に見いだすことは難しく、共感出来るところも見いだせない人もいるだろうが(普通に暮らしている人ではなかなか…別のアプローチから共感したり共通点を見いだす人はいるだろうが)間違いなく愛の物語であり、最期の2人で会うシーンが美しく残る映画でした。
TOHOシネマズ府中にて観賞
原作からは相当に脚色しているとのことで、登場人物を絞ったところは、主役2人を描写するに効果的だと思う。
吉高由里子と松山ケンイチも寄る辺なき感をヒシと感じさせる好演だ。
反面、母親が息子の婚約者の状況を知る理由などは度を越した偶然へ依存しており、この辺りはまだ原作の方が説得力がある。
母親が殺人に長けた守護天使だったという話は発想が凄いし、カタルシスもあるのだが、整形したって木村多江の瞳には吉高由里子の狂気は無い。ミスキャスト。
あと、松坂桃李、叫ぶから全部台無し。舞台じゃないんだから。
前半の虚仮威しホラー演出、ベッドシーンのCGも不要。
怖くて美しくて切ない
目を背けたくなる場面が何箇所かありましたが、その描写には必然性がありました。
美紗子は異常者です。しかし、それは外側から見た認識です。美紗子が自分の視点から語るとき、本人にとっては自分の行為は必然です。それが観ていると伝わってくるため、美沙子に不完全ながらも「共感」している自分に気づきました。美沙子にとっての必然を描くためにああいう描写が必要だったのではないでしょうか。その点は、原作小説より鮮明に精密に描かれていると思いました。映画ならではなのかも知れません。映像は恐ろしくも美しい。
自分が人間のクズだと認識しながら半分眠ったように暮らしていく美紗子がとても哀れでした。そして、始めて「嬉しさ」という気持ちを味わうことができ、そしてそれをまた失ってしまう、それが切ない。
多少ご都合主義的なところもあります。でも、そういう細かいことには目をつむる価値は十分あります。
またあの場面をみるのかぁ、と怯む気持ちもありますが、もう一度観たい映画です。(あと、原作小説も素晴らしい。)
守護殺人。
これもタイトルで「?」となった作品だったが、すぐに冒頭で
ユリゴコロがよりどころのことだと分かる。吉高由里子の的確
な演技で前半の過去が苦しみと共に描かれるが、同時に愛に満
ちた展開にもなる。松ケンのような男と出逢えば自分の過去を
清算したくなるのは当然。哀しい男女の行く着く果てが現在に
繋がってから、松坂桃李と父親の関係や婚約者の行方が加わり
そこから随分唐突な展開になるのが惜しい。殺人行を厭わない
主人公に肩入れはできないが、その一つ一つの意味、守る対象
の変化を彼女の成長だと受け止めてしまう自分がいた。息子が
そう感じたように、どんなに離れていても血の絆は永遠なのだ。
運命
見応えあった。
何気ない日常から作品は始まる。
なのだが、ファーストシーンから異物感を投入する周到さ。伏線の張り方が巧妙で、その回収の仕方にも得心がいく。
殺人という性癖をもつ主人公に当てられる照明も雰囲気があり、吉高さんの表情とも相まって、彼女が孕む狂気に色を添える。
この作品の吸引力は絶大で、開始早々から物語の世界にがっつり囚われてしまった。
映像作品としての矜持に溢れた作品だった。
抗えない運命というものを感じる内容ではあるが、その背負わされた運命もそれに翻弄される人々もやるせない。
誰しもが「生きる」という業を背負い自らに生きる価値を切実に問う。
誰かを必要としたいのか、誰かに必要とされたいのか…いずれにせよ愛するが故に苦悩する様がヒシヒシと伝わる。
この「愛するが故」の深度が半端ない。
この作品の中の誰とも境遇を分かち合えはしないのだが、ホントに不思議なのだが、共感できたり理解できたりしてしまえるのだ。
まるで、人として生まれてきた時点で、ある種共通の何かを有しているかのように。
哲学的な側面はあるものの、ミステリーとしても秀逸な作品。
俺的、最優秀照明賞。
乱雑に殺害された現場に落ちてたひっつき虫が、ちと不可解ではあった。
血統妄想
リストカットから気分が悪くなった。十分嘘っぽいのだが、凄惨なシーンに目を覆った。逃げ出したくなるくらい恐かった。松山ケンイチが現れてから正視できるようになった。
異常なカタルシスの演技はどれが適当だったのだろうか。清原果耶、佐津川愛美は堂に入っていたが、あっさりとした吉高由里子の演技とどちらがより真の異常心理の表現だったのだろう。
松坂桃李は自分の不可思議な心理を咀嚼できず自らの生い立ちに答を見たとき、己の血を呪ったが、これは唐突な印象を。彼は今まで自らの心理に、スピード違反以外、なにに葛藤を感じていたのだろう。ムカデ殺しだろうか。そんなに遺伝は単純ではない。それでも母親同様、リストカットの清野菜名と接近していくのは血のなせる技なのか。だが、松坂桃李は母の血を嫌悪している。清野菜名の異常性は受けとめられるのか。
木村多江は家族と別れて殺人癖はなくなっていたのだろうか。それともまだ続けていたのだろうか。最後の殺人は息子のためだけだったのか、それとも……。
いやミスではなかった?
沼田まほかるの原作を熊澤尚人が映画化。
小説と映像の違いを見せつけられることになった。
地方のさらに田舎でちょっと洒落たレストランを経営している亮介(松坂桃李)。彼の婚約者千絵(清野菜名)が突然姿を消す。
そんな中、亮介は実家の父の家で奇妙なノートを見つける。それはある殺人者の記録であった。
この亮介の父を演じているのが貴山侑哉という人でまったく知らない役者である。ただ面影が松山ケンイチに似せてあるのだ。ほくろも丁寧に合わせている。
これはひょっとして松山ケンイチが特殊メイクで演じているのか(松山ケンイチならやりかねない)と思ったほどである。
貴山侑哉の口跡が松山ケンイチに似ていると思ったりもしたし、役者が別人でもそこは吹き替えたかもしれないし。
と、そんなことばかり気になっていた。
小説では亮介の生まれはなかなかわからず、それがどんでん返しのひとつになりえたかもしれないが、そこは映像では難しい。
鋭い人なら木村多江が出てきた時点で見抜いたかもしれない。
ちなみに僕は原作を読んでいない。
亮介があまりかしこそうに見えないのは致命的だが、熊澤尚人の映像美は健在だったので、それはうれしかった。
初めて味わった感覚
怒りのときに味わった感覚とは違い、余韻があるにはあるのだが、なにか釈然としない、なにかを壊したくなるそんな感覚に襲われた。
最初は人殺しの話でそこそこグロい話も出てきて、自傷行為を繰り返す友人との話のときには、失敗したな~つまらないなぁーと思っていたが、松山ケンイチとであってからが俄然面白くなった。
それまでの殺人映画から一転恋愛映画になるのだ(少し例えが極端だが)しかも、その転調を余り観客に考えさせず、その世界に引きずり込んでいく。
そして、吉高由里子の役の幸せを願うようになるのである(殺人鬼なのに)。
さらに、吉高由里子と松山ケンイチの役の接点がただの恋愛映画ではないことを思い出させてくれる。
そしてそこから現代での再開に至るまでがとても感動的であった。
息子に殺人鬼になってほしくないという一心で再び殺人を犯す所が母の愛を描いていて感動。
結局この映画はひとりの女が息子というユリゴコロを手に入れその息子のために殺人から抜け出せないという話なのだろうか?しかし最後の現代パートの殺人と最初の殺人は違う。最後の殺人は息子と嫁を救うために殺した。しかし、人を殺した事は変わらないこの映画は殺人という罪に重い軽いがあるのかというテーマも伝えてくれている。
最後に俳優陣の演技について触れておきたい。吉高由里子と松山ケンイチはいうことなしの演技特に吉高由里子は息子を手に入れた後と最初の演技の差がスゴい。
松阪とうりは批判もあるようだがあのオーバーな演技は舞台みたいでまだ見ぬ殺人鬼の母に右往左往する男の姿を上手く描いていたと思う。
最後にこの映画を表すのにぴったりの四字熟語をお届けしたい。
『因果応報』
思ってた以上に楽しめた。
湊かなえ的なからくりだと思った…原作未読なもので。
切ないラブサスペンスだ。
吉高由里子と松坂桃李のキャスティングは、はまっている。
少々変態的な描写が気になったが、全体的にきれいな絵作り。
ひっつき虫の使い方は詩的だが、吉高由里子の全身に纏わせるのは、やり過ぎかな。
吉高由里子が、やや強ばってるように見えたけれど。
松坂桃李は、自分にも“ユリゴコロ”がある…と言っていたが、
吉高由里子は、“ユリゴコロ”を持っていないから探し求めていたのでは?
殺人鬼といっても、超人的な殺人技術をもっている訳ではない筈だが、
ヤクザ者3〜4人を木村多江がどうやって血の海に沈めたのか?
ここだけは看過できないな。
演技力のたまもの
病気?や性癖?のことはいっさいふれず、ひたすら殺して行くので退屈していく。
そこに演者の演技力が光って魅力を加えて行く。
吉高さんと松山さんの演技に魅了 されてしまった。
二人のシーンはたまらない。
迷ってる人は、吉高だけでも見ろ!
自分も迷ってたけど、見て正解だった。
サイコパスとか呼ばれる?人が実際にいるのかは
じぶんには、わからない。
だか、その存在は現実だろう。
多分、自分の中にも少しは、あるのだろうか?
この映画は、ストーリーをそのまま見ると
偶然が過ぎるよ!と思って、シラけてしまう部分もあるのは否めない。
だが、ソレを飲み込んでも、見る価値を感じた。
吉高の、演技。この人に、やっぱり引き込まれる。
子役時代の演技者も、素晴らしい。
ミツ子の女優さん(佐津川愛美)の演技。難しい役を、嘘っぽくならず、美しさと、怖さが混在していい。
マツケンは、あのくらいで当たり前。
松坂も良かったと思う。
自分の生きる、拠り所、ユリゴコロを求めると、
その人を殺してしまう。
殺して、楽しいのとは少し違う。
時に、無感情に殺す。
時に、涙を流しながら殺す。
人が、死ぬところが見たくて殺す。
そんな人間でも、幸せになっていいのか?
人を不幸にしても、
自分の幸福の為に生きていいのか?
という、究極のテーマだ。
そんな殺人鬼も、容赦のない優しさの前には
抗えず、幸福を感じてしまう。
自分も、意識して他人の不幸を見逃し、
また意識せずに、他人を不幸にしてしまっているだろう。
自分を、優先するのは当然とはおもうが、
どこまで、それが許されるのか?
対局として、
他人の為に、生きる価値を見つけた、
絶望の人生を生きていた人間。
これからの、生き方を問う映画だ。
1冊のノート
前半は私も夢中になってこのノートを読み進めた。
殺人でしか感情が揺り動かない少女の結末が知りたい一心に。
結局 人は何かに依存しながら生きているのだろうな。
リスカが辞められない友人だってそれで生きている実感があったわけだし。
後半は、2人が出会うことになった理由がわかるのだが、いろんな偶然が重なり過ぎて、まさかの結末でした。
全体的にはとても好きな作品です。
ただ、後半が急ぎ過ぎててもっと掘り下げたい部分があったような。
時間内に作らないと行けないからなかなか難しいのかもしれないけど。
吉高由里子さんは素晴らしいですね。
見て良かったです♡
うーん
吉高由里子と松山ケンイチの関係が美しすぎて、この愛に憧れつつも胸が苦しくなる。この点においてはとてもよかったと思う。
でも結末が読めてしまった。公開前のあらすじからもある程度読めるし、本編で木村多江が出てきた時点でやっぱり読めてしまう。
そして松坂桃李の豹変ぶりが物語から浮いているように感じた。感情移入ができなかった。
過去の部分だけでもよかったのではないかと。
期待が大きかっただけに
もっと、情念どろどろしていたものを期待していたんだが、意外に純愛風な物語に拍子抜け。以前に原作読んでいたものの、詳しいストーリーは覚えていなかったのだか、やはり、映画見てるうちに思い出すもので、あー、確かに原作でも前半のぬめぬめ感が後半では見事に愛情物語に昇華していたわなぁと記憶が今になって蘇る。こういう変化の激しいお話しに吉高はきちんと対応していて、それなりのギャップ感を魅せてはくれて、ファンとしては大変嬉しく思うものの、出来れば、前半の暗い目をした吉高をもっと観たかった。後半のお話しが随分原作とは異なるように思えたので、家帰ってチェックしようっと。
映画よりテレビ向き
ノートの回想のお話は秀逸だけど、現実パートは説得感に欠ける。婚約者の話が辛い。映画の尺だと後半の話がどうしても回収じみてて辛い。テレビドラマにしじっくり見たい。
途中までの禍々しさが最後まで持続していれば・・・
山里でカフェを営む20代後半の亮介(松坂桃李)。
父親がすい臓がんに罹り、仕事の合間を縫って、父親を見舞いに出かけていた。
ある日、押し入れの段ボール箱の中に一冊のノートを見つけて読んでいくと、美紗子という女性の告白のようであった。
その内容は衝撃的で、彼女が犯した数々の殺人についてであった・・・
というところから始まる物語で、カフェで共に働く亮介の婚約者・千絵(清野菜名)が突然失踪してしまう、と展開する。
千絵の行方も気がかりだが、ノートの内容も気になる・・・
映画は、ノートに書かれた内容が映像として登場し、美紗子を吉高由里子が演じ、後に彼女と知り合い、遂には結婚してしまう青年を松山ケンイチが演じている。
監督・脚本・編集を『おと・な・り』の熊澤尚人が務めており、中盤まではなかなかスリリングで、見応えがある。
特に、秀逸なのは、美紗子を演じた吉高由里子で、これまでどちらかといえばコメディ寄りの女優だと思っていたが、「目が笑ってなくて、ちょっとコワイな」とも思っていた。
なので、生まれついての殺人者という役どころは、ピタリ、はまり役。
心の平安を満たす拠り所(=ユリゴコロ)が、ひとが死ぬのを観るときだけだというのが、怖い怖い。
亮介と美紗子の関係は・・・
まぁ、おおよそ想像がつくところなので、それほど驚嘆しないけれども、そこから先の展開がいまひとつ。
美紗子と松山ケンイチ演じる青年との純愛への落としどころはまだしも、千絵が見つかったあとの展開が腑に落ちないことだらけで、ミステリーとしては少々な感じ。
途中までの禍々しさが最後まで持続していれば、佳作になったんだけれど。
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