「輪廻と神?」君のまなざし P・F・Dさんの映画レビュー(感想・評価)
輪廻と神?
本当に輪廻があるならそれは救いだ。
主人公の人生は、昼ドラマさながら。主人公と姉の二人を置いて亡くなった両親。姉も主人公が小学生位の時に亡くなる。自分が親なら死んでも死にきれない。理不尽である。
主人公はひたすら自分の力だけで生きていく努力をする。他人と比べたらとても真っ当には生きられないかも知れない。
自分なら、DQN職人ぶち殺してぇと思いながヤクザな生き方をする。
親友アサヒの生い立ちもなかなかへヴィ。理解者は一人もいない。母親は自分を産む時に亡くなった。
父はアサヒを思い、男手一つで息子を守り無理解な汚い世間から隔離して、滝行などの行で、厳しく息子の心を鍛えようとした。それがアサヒには愛情として届かない。母親の愛情に、代わりえないのだろう。
特殊な世界に住み「自分は普通ではない」という劣等感と優越感の狭間で、人間は心を歪めない事など出来るだろうか?
そのアサヒの過去世とされる陰陽師も、正義感と人の好さだけでは乗り越えられない、1000年自分と他人を恨む事になる体験をする。
これは泣けた。戦争など究極の人生の理不尽さの一つだろう。
自分と親友に絶望し、世の汚さと不条理に絶望するには充分。「神などいない」という言葉にも説得力がある。
それでも、もし輪廻などというものがあるならそれは救いではある気がした。
「死んでも死なない」世界、全ての経験と苦労が無駄にならない世界。そんな物があるとしたら確かに、神は人々を見捨ててはいないのだろう。あの白塗りさえも。
白塗りの生い立ちを想像するに、両親は、子供が悲しむ姿を見たくなくて、なに不自由なく育てたのかも知れない。そんな気持ちも半分わかる。
白塗りは、本当に本人を思って叱られたり諭されたりする事は無かったかも知れない。 貴族社会の、無理解や薄情、自己保身の汚さ、そんな物だけは目につくだろう。
私も宗教の説教じみた言い方には、微妙な違和感を感じる。
しかし、白塗りに努力だの謙虚だの思いやりだの教えるられる人がいたとするなら、宗教家くらいしか考えられないとも思う。
その世界では、あまり努力も謙虚も思いやりも必要ない人に、世界観を転換させずにどう諭したら良いのか?私には到底わからない事である。
煮ても焼いても食えない輩を、ただ殺して回れば本人が鬼になる。それはそうかも知れない。
白塗りさんのことまで、考えなかったけれど、貴族社会の犠牲者でもあるんですよね。悪を見過ごせないとき、人の心の中にある隠している偽善が見えてしまうとき、愛の気持ちや優しい気持ちにはなれない。けれど、誰もが、それぞれの問題集を解くために生まれて、生かされていて、転生輪廻の学びの過程であることを、頭で理解しているだけでなく、もっと深い部分で感じることができたら、もしかしたら、何か変わってくるのかもしれないですね。