午後8時の訪問者のレビュー・感想・評価
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【ダルデンヌ兄弟が、ダルデンヌ・スタイルを貫きながら、貧困、社会的弱者、格差社会という彼らの自家薬籠中であるテーマを根底に置き、揺れ動く人間心理を描いたサスペンスフルな作品。】
■ダルデンヌスタイルとは、今作を観れば分かる通り、主人公を手持ちカメラを多用し只管に追いながら映す、劇伴はほぼなき密着ドキュメンタリーの如き映像と、貧困、社会的弱者、格差社会、移民問題、児童虐待などをテーマにした映画製作スタイルである。
<感想:Caution!内容に触れています。>
・今作でも、小さな診療所で働くアデル・エネル演じる女医・ジェニーは、多くの貧困層の患者を診察している。
・そして、彼女が研修医のジュリアン(オリヴィエ・ボノー)に”上から目線で”指導している時に診療所のドアが叩かれるが、診療時間を越えていた事も在り、そのノックを無視するが、翌朝無人カメラに映っていたその黒人少女が近くの工事現場で遺体で見つかった事で、彼女の良心は”人間として”痛み、警察から貰った黒人少女の写真を携帯に収め、事実を突き止めようとするのである。
・今作が観ていて引き込まれるのは、ジェニーが様々な人に、黒人少女の写真を見せながら彼女の名前を知ろうと懸命に診療の傍ら、行動する姿を短いカットで凄いスピードで追って行くテンポと、徐々に明らかになって行く事実である。
・黒人少女と関係しながら、最初はジェニーに対し嘘を付きつつも、彼女は診察患者であるブライアン少年を往診診察した時に、彼の脈拍が異常に早くなったところから、ドンドン真相に近づいていく姿に観ている側も、映画にドンドン引き込まれて行く。
■ダルデンヌ兄弟の映画は、観る側には優しくない。エンタメ映画であれば、例えば黒人少女が追われて転がり落ちる姿などが映されたりするのだろうが、今作ではそれはない。
更に言えば、故意ではなく少女を転落させたブライアン少年の父(ジェレミー・レニエ)が罪の意識に駆られ、ジェニーの診療所に来て葛藤しながらも彼女に真実を告げてトイレで首を吊ろうとし、失敗した後に自首を勧められ携帯電話を渡された後のシーンは映されない。
だが、次のシーンを見て観る側は、そのシーンを思い浮かべる事が出来るのである。
<今作で一番恐ろしいのは、ジェニーが謎の男二人に、車を運転中に”これ以上、写真を見せ回るな!”と恫喝されるシーンの後、警察署で刑事から”あの娘の名前が分かったよ。セレナ・エヌドゥングだ。”と聞かされるシーンで、”漸く・・、”と思ったら、最初はジャニーに嘘を付いていた黒人女性が、死んだ少女の姉だと涙ながらに告げ、”妹の名はフェリシ・・。”と言うシーンである。
勿論、警察が、不法移民と思われる黒人少女の死亡事件をろくに捜査もせずに、勝手に終わらせようとしていた事が分かるからである。
今作は、ダルデンヌ兄弟が、ダルデンヌ・スタイルを貫きながら、貧困、社会的弱者、格差社会という彼らの自家薬籠中であるテーマを根底に置き、揺れ動く人間心理を描いたサスペンスフルな作品なのである。
ジェレミー・レニエ、オリヴィエ・グルメというダルデンヌ兄弟の作品の常連且つ今や名優達が、確かなる演技で作品のクオリティを保っている作品でもある。>
少女の存在をなかったことにさせない
ダルデンヌ兄弟は移民とか貧困層、つまりダルデンヌ兄弟が考える恵まれない人を主人公に据えることが多い。彼らに寄り添って彼らの中にある人間らしさを描くのだ。
しかし本作の主人公ジェニーは違う。恵まれない立場にいない。
恵まれない人を直接的に描くのではなく、アプローチを変えてジェニーと触れ合うことで間接的に描いた。
割とシンプルな脚本になることが多いダルデンヌ兄弟にしては珍しいのではないかと思う。近年の作品はまぁまぁ凝った脚本だったりもするので、ダルデンヌ兄弟が変わったとみることもできるけれど。
あるアフリカ系移民の少女の死。これに対してジェニーは向き合おうとした。ちょっとした心のゆとりのなさからきた失敗が少女の死を引き起こしたと責任を感じているところもあるだろう。
しかし、必死に少女の身元を探ろうとするジェニーの行動は明らかに過剰だ。少し気に病む程度が普通だろう。
ジェニーが行動することで、少女に近しい人物や事件の真相に近い人物と接触することになる。
過剰に行動するジェニーの姿を見ることで、周りの人々に変化が訪れる。
一人の少女の死に多くの人が向き合わず、やり過ごそうとしていた。もうなかったことにしようとするように。しかしそれは亡くなった少女の存在もなかったことにすることと同義だ。
誰にも気に留められることもない移民の少女が確かに存在したとジェニーは証明したかったに違いない。
ドキュメンタリー出身の監督だけあって、手持ちカメラによるドキュメンタリーのような作風は物語の単調さを生みやすいが、サスペンス的な要素を含む本作は「娯楽性」という意味で過去一番だったかもしれない。
ダルデンヌ兄弟だから絶対に事件の真相は明らかにならないと思っていたけれど、それが判明するだけでミステリーやサスペンスの要件を満たしているのだから、今までと違って面白い。
自分の感情を抑えないと
映画「午後8時の訪問者」
(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督)から。
私の感性が試され、撃沈した感じの作品だった気がする。
作品がサスペンスであれ、有名な兄弟監督の作品であれ、
淡々と進むストーリーや、少ない台詞に対して、
どう評価してよいのか、分からないまま観終わった。
気になったのは、作品冒頭に流れる、
主人公の女医・ジェニーと研修医との会話。
「あなた、研修医よね、一つだけ見直すべき点を言うわ」と
アドバイスを送ったのにも関わらず、
振り向きもせずPC操作する研修医に我慢出来ず
「手を止めて」と語気を強めた後、冷静さを装い、
「診断の下し方よ、患者の痛みに反応しすぎるの」と言う。
なのに研修医は「直りません」の一言で片付けてしまう。
そこで最後に「自分の感情を抑えないと」と、
自分に言い聞かせるようなフレーズを口にするシーン。
そのあとの続く、いろいろな憶測に「反応しすぎ」だと思うし、
「自分の感情を抑えている」とは思えない行動が続いていた。
刑事でもなんでもない若い女医が、大勢の診察などをしながら、
関連情報を集め、事件を解決していく、と言うことなのか。
兄弟監督は、この作品を通して、何を伝えたかったのだろう、
やはり、私の理解度不足かな? (フランス映画は難かしいなぁ)
フランスらしい
犯人はブライアンの父親、ジェニーに告白して自首するといって首を吊るが失敗。
診療所を続けていくことにしたジェニーが、患者の老婦人の迎え入れる。
入口のブザー音。
診療所のドアを開けるジェニー。
ドアからなだれ込んでくるハイウェイの騒音。外界の生活、普通の人々の暮らし、それを表す騒音だ。
杖をついた老婦人の傍らで彼女を支え、階下の診療室へと降りていく・・・ラストシーン
ただ淡々と物語が進んでいくので観るのがつらいのはハリウッド映画の観すぎの証か?
民族・人種と人間をテーマとする本格フランス映画
ミステリーがあり、マイペースでフランス映画らしい。
女性の医師一人が真相を追う。
特に医師という設定は妙に色々映す。
多くの人の痛みを見てきた職業だからこそ、人の命を大事にする。
だが少女の死の背後に隠したのは人種に対する差別。
フランス人である女主人公のジェニーも結局少女の死と関わり、嘆くほかならない。
全体的にクライマックスもほとんどなかったが、新たな情報がどんどん入ってきてつまらなくもなかった。
死者の声を聞く
主人公が死者の思いをあのように真剣に受けとめたのは、医師だからこそと思った。
8時5分の訪問に応えなかった背景も、研修医との関係もよく書き込まれた脚本だった。
音楽が無いのも、脚本に集中できた。
ダルデンヌ兄弟らしいラストカット
社会的な問題を映画で取り扱うことが多い彼らは、ともすれば、社会派監督ケン・ローチと比べられることも多い。
特に、前作の『サンドラの週末』はケン・ローチ風なので、そんな風にみられても仕方がないのかもしれない。
が、本質はまるで異なる。
それは、この映画で如実に示されていると思う。
ベルギー(だと思う)の中規模都市の診療所。
目の前をハイウェイが走り、その向こうは海。
若き女医ジェニー(アデル・エネル)は、そこのお医者さん。
以前の老医師が病気で入院し、辞めざるを得なくなったので、そこを引き継いでやっている。
しかし、まもなく大病院に迎えられる予定。
この小さな診療所も閉めざるを得ない。
そんなある夜、診療終了から1時間経た午後8時ごろ、診療所のブザーを鳴らしたものがいた。
そのブザーを1度きりで止んだため、大したことがないと判断した。
しかし、翌日、診療所に刑事が訪れる。
目の前の海岸で女性死体が見つかり、周辺の聞き込みをしている、入り口の防犯カメラの映像を確認させてほしい、と。
カメラの映像を確認すると、果たして、死体となった女性であった。
ジェニーは「あのとき、ドアを開けていれば・・・」と自責の念に駆られる・・・
というところから始まる物語で、ジェニーが自分なりの決着をつけるまでのハナシだ。
ジェニー自前の決着、それは・・・
死体で見つかった女性はIDもなく、身元不明、そのため無縁墓地に埋葬されている。
彼女が誰なのか、少なくとも名前ぐらいは知り、家族がいるなら引き渡したい、そういう思いである。
そうして、件のカメラ映像をスマホに入れて、知っている者はいないかと診療時間外に尋ね歩いていく。
映画の主題は、事件の顛末では(当然にして)ない。
あのときの「・・・たら、・・・れば」の思いを解消する「過程」そのもの。
興味深いのは、ただただ死んだ女性が誰なのかを尋ね歩くだけでなく、行動するジェニーのスマホにひっきりなしに患者からの電話が入ってくること。
事件に関係がある(ありそうな)内容もあるが、まるっきりの患者からの懇願もある。
そして、ひとつひとつにジェニーは対応していく。
「・・・たら、・・・れば」の思いを、二度としたくない。
これが繰り返し繰り返し描かれることで、結末が活きてきている。
事件の顛末は、いわゆる衝撃の結末からは程遠い。
しかし、名もなかった女性の名前がわかり、家族がわかり、家族との生活を知ることで、ジェニーの胸のつかえは少し下りる。
(名もない女性「LA FILLE INCONNUE」というのが原題)
ラストのカットは、映画監督ダルデンヌ兄弟流の映画的表現だ。
診療所を続けていくことにしたジェニーが、患者の老婦人の迎え入れる。
入口のブザー音。
診療所のドアを開けるジェニー。
ドアからなだれ込んでくるハイウェイの騒音。外界の生活、普通の人々の暮らし、それを表す騒音だ。
杖をついた老婦人の傍らで彼女を支え、階下の診療室へと降りていく・・・
何気ないカットなのだが、映画巻頭のジェニーからあきらかに変わったとわかるカット。
社会的な問題を背景にして、ひとが変わる瞬間を描き続けてきたダルデンヌ兄弟らしいエンディングだった。
彼女の真の姿に感動した。
医者である彼女の印象が前半部分と後半部分が大きく変化した。最初は上から物を言う何か腹のたつ医者に感じた。
ある失態を境に、彼女の医者として人間として真の姿が徐々に浮き上がってくる。その流れは素晴らしい速さで描かれている。
しかし、被害者を黒人に設定した点が、どうしても解せない。
忙しそうなので、助手でも雇えば良いのに。
しばらくインターホンの音は、ご勘弁。
退屈なストーリーに眠気が
映画を見る前のあらすじ通りの展開で特に変化もなく、淡々と進んでいく
この手の映画はフランス映画の特徴のよう
どうして警察に相談しないかとか、そんな疑問が最初に浮かぶが主人公が探偵のように行動した結果、ある結末を得る
一直線のストーリー展開なので見る人によっては退屈で、最後の結末も容易に想像できるので、それ以外の要素に意味を求める映画といえるかも。
小さな診療所に勤める医師ジェニーと助手のブライアンが残業中に入口の...
小さな診療所に勤める医師ジェニーと助手のブライアンが残業中に入口の呼出ベルが鳴った。診察時間を過ぎていた為応答しなかったが翌朝近所の工事現場で身元不明の女性の遺体が発見され、その女性が前日の夜に診療所の呼出ベルを鳴らしていたことが防犯カメラの映像から判明する。あの時応答していれば女性を助けられたかも知れないと自戒の念に囚われるジェニーはその女性の身元を調べ始めるが、そこには予期せぬ闇が横たわっていた。
サスペンスというよりも、自分なりに真摯に医療と向き合ってきたジェニーが、救えたかも知れない命を追いながらも自分の患者達に寄り添う姿を淡々と描く静かなドラマ。主人公を演じるアデル・エネルの透き通った瞳が印象的な美しい小品でした。
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