「レインコートを着てでもシャワーを浴びたい!」パターソン 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
レインコートを着てでもシャワーを浴びたい!
ここ数年ほど年間200本以上映画館で映画を観ているが、本当に面白い!観て良かった!と思える作品には年間数本しか出会えない。
まさに本作はその1本に当たる。
本作の監督であるジム・ジャームッシュの作品を観るのは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『デッドマン』『ブロークン・フラワーズ』『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』、それに『10ミニッツオールダー』の短編を入れて9作品目になる。
シネフィルのジャームッシュはかつて撮影監督として宮川一夫を起用したいと思ったが、既に高齢だった宮川が断ったというエピソードがある。
この宮川はフランスで宮川週間と銘打った特集上映が組まれるくらい有名な映画カメラマンである。
『羅生門』で志村喬演じる杣売りが山道を歩くシーンで志村にS字の道を歩かせることで移動カメラを2度またがせてワンカットにまとめることに成功したり、溝口健二からは撮影の構成やカメラの位置はすべて宮川に任されていたり、とにかく日本を代表する巨匠たちから信頼の厚いカメラマンである。
前回観た『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も期待せずに観に行ったのだが、生きるのに飽きたヴァンパイアのカップルが主人公という設定が秀逸だった。
男ヴァンパイアは音楽狂で音楽知識も豊富だが今はそれすらちょっと飽きていたり、各時代時代の有名な作家と友達だったりと知的好奇心も満たしてくれる。
女ヴァンパイアの妹が登場して物語は急展開するのだが、2人のカップルがとにかく波風を立てないように生きていたいと願うのには笑ってしまう。
ただ確かに数百年生きていればそうなるだろうなと妙に納得してしまった。
さらにいろいろな引用にも洗練されたものを感じた。
そして同じことが本作にも言える。
パターソン市に住むパターソンという名の男の1週間を追った物語だ。
起床して、バスドライバーとして働きに出て、始業前にノートに詩を書き、中東アジア系の彼女の持たせてくれた弁当を食べながらまた詩をノートに書き、インド系の上司から自宅の愚痴をこぼされ、帰宅する際倒れたポストを直し、彼女とキスする度に吠える愛犬マーヴィンの散歩がてら行きつけのバーに行ってビールを1杯注文して黒人のマスターと他愛ない話をする。
多少の異同はあるものの土日を抜かせばほぼ変わらない毎日を過ごしている。自宅正面を捉えたカメラアングルは常にいっしょである。
活動的で常に何か新しいことを始める彼女とパターソンはまったくの正反対だ。
パターソンは地味で仕事着以外でも毎日似たような服装だが、内面は詩という自分だけの宇宙を持っている。
一方彼女は服装も含めて常に新しいことを求め続けるアバンギャルドな性格だが、どこか表面的で微妙に悪趣味だ。
穏やかな自宅を勝手に改装していって草間彌生のような神経質で落ち着かない空間にしてしまったりする。
美術館で観る分にはいいけど、自宅ではちょっと…と思ってしまう。
ただそんな彼女の行動をあまり肯定はしていないながらもパターソンが許せてしまうのは、彼の内面が豊かで余裕があるからだろう。
パターソンはスマホどころか携帯電話も持っていない。
筆者も携帯電話自体持つのが遅かったし、いまだにスマホではない。
しかしつい最近ライブで本人認証の際にスマホかタブレットが必要なことがあり、うっかり注意事項を読み忘れて必要な画面を印刷することも忘れてしまい会場で相当苦労する羽目に陥った。
また過去に携帯電話自体を解約してみたこともあるが、知り合った人から「携帯の番号交換しましょう」と言われ、「いや、持っていなくて」と答えるとほぼ全員から呆れた顔をされた。
昔はなくても平気だったのに徐々に社会が我々の生き方を規定していく、まさにパターソンと同じ経験をしたし、現在進行形でそれを感じている。
電車に乗ってもスマホ画面を見るために顔を下に向けている人を多く見る。都会も地方も変わりはない。
スマホを持たない筆者からは異様な光景に映る。
ジャームッシュは詩という内面世界を提示することでめまぐるしく変化してがちゃがちゃと騒々しい現代社会に静かに抗議している。
たしかパターソン家にはテレビもなかったように感じる。
本作を観た友人が「最近の映画は貧乏人は不幸せに我慢しろと暗に伝えてくる映画が多いが、『パターソン』からはあまり裕福でなくても人生をポジティブに捉えるメッセージが伝わってくる」と言っていた。
たしかにバスドライバーという職業はセレブからはほど遠いが、パターソンのように自分たちの考え方1つで世界は豊かになると示してくれる。
土曜日に2人で過ごす最高の贅沢が古い白黒映画の鑑賞なんて実につつましやかではないか。(彼女のギター購入は相当な散財っぽいが…)
時折映る軍服姿のパターソンの写真があるがイラクやアフガンで従軍したのだろうか?バーでエヴェレットのオモチャの銃を取り上げるシーンの伏線になっているように感じた。
重要な役割を担う大阪出身の詩人永瀬など、本作はパターソン以外主要な登場人物に白人がいないユートピアを体現しているようだ。大上段から人種差別を語ることなくメッセージを込めているのもスマートだ。
ある種の符牒のように毎日登場する双子、バスの中で交わされる乗客の会話、どれも何か意味があるのではないか?と何度も観返したくなる作品である。
他にも詩人のアレン・ギンズバーグやフランス画家のジャン・デュビュッフェの名前などが出てくる。
ギンズバーグの詩自体は読んだことはないが、彼らビートジェネレーションを描いた映画の『オン・ザ・ロード』を観て、ジャック・ケルアックの原作の『路上』も読んだことや、デュビュッフェの絵を国立西洋美術館の常設展示で観たことなどを想い出させてくれた。
『スター・ウォーズ』の出演依頼注目の集まるアダム・ドライバーだが、本作も含めて『ヤング・アダルト・ニューヨーク』『沈黙』など面白い作品を選んで出演している印象を受ける。
詩は少ない言葉の中から無限の広がりを持たせることができるまさに宇宙だ。
小学生の時はテストで詩の解釈が正解と尽く外れて苦手意識を持っていたが、大人になってから短歌や俳句、漢詩、西洋詩などをいろいろと触れてみることで自分独自の解釈をしていいことに気付いてその面白さに目覚めた。
つい最近は頼山陽という江戸時代の詩人の漢詩を集中的に読んでいたが、漢文なので意味を取るのが難しいながらも無限の広がりを持つ詩をいくつも発見した。
筆者は本作の核をなすウィリアム・カーロス・ウィリアムズという詩人を知らなかったが、本作を観て興味を持ったのでいずれ彼の詩を読んでみようと思う。
ただし本編中で永瀬が手にしている本は実在しない小道具だから、日本語訳だけで読み「レインコートを着てシャワーを浴びる」ことになると思う。