「想像していたのと違っていたが…」20センチュリー・ウーマン masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
想像していたのと違っていたが…
てっきり二人のお姉様方に21世紀で生きる手ほどきをされて成長する少年の物語だと思い込んで鑑賞。
二人のお姉さまのぶっ飛びぶりを楽しみにしたところは少しはぐらかされた気がする。
1979年、自分はまだ小学生だった。いま振り返れば確かにいろいろな物事に変化が起きていた時代だったのだと思う。でもそれは結果論に過ぎず、まだインターネットも発達していないテレビ全盛の時代に、東北の片田舎に住んでいた小学生には時代の変化を察知する感性も育つ土壌はなかった。この1年後にはポリスやジョンレノン、レーガン、ウォークマン、ベータマックスビデオを知り、少しずつ世界の容貌が見えてくるわけだが、それでも自分の生活レベルで意識が大きく変わった記憶はない。
二人のお姉さまはこの時期ちょうど多感な年頃にあり、母親は既に自分が時代の遺物になろうとしていることに焦りを感じている。だからお姉様方に息子の教育係を頼めば、きっとこの先も一人で生きていく術を身に付けるだろうと画策する。高齢で産んだ子どもだから、自分にないものを授けることができ、息子が若いうちに自分がこの世を去っても、彼が露頭に迷うことなく生きていくようにするための最善策と考える気持ちは分からなくもない。
ところが、このお姉様方自身が迷える子羊であることは、さすがの母親も捉えきれていなかった。
1979年は、きっと誰にも理解されていない時代だったのではないか。みんなが露頭に迷っていたのではないか。この30年と少しの間が、長い長い変化の時代で、2017年になって、まもなく2018年を迎えるいま、ようやくそれを客観視しつつ乗り越えようとする世代が成長してきていることを感じる。
あと一月足らずで50歳になる自分は、それを頼もしくも、羨ましくも感じながら、置いていかれまいと焦ってもいる。自分の息子もいよいよ来春から社会に出る。しかも自分と同じ道を歩む選択をした。何か気の利いたことの一つも言ってやりたいが、言いたいことすべてが時代遅れの世迷い言のようにも感じる。だから言葉を失ってしまう。
アネット・ベニング演じる母親もこんな感じだったろうか。
だからこそ、エンディング近くで息子から掛けられる言葉は、自分のような世代には本当に励みになる。
「母さんがいれば、僕は大丈夫だよ。」
それが良いことかどうかは別として、20世紀末の亡霊がいまようやく振り払われようとしている。そんなことを感じる作品である。