「3人の女性を見ているうちに、少年の心の中が見えてくる。」20センチュリー・ウーマン 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
3人の女性を見ているうちに、少年の心の中が見えてくる。
この映画を監督したマイク・ミルズと言えば思い出されるのはクリストファー・プラマーをオスカーに輝かせた「人生はビギナーズ」で、突然ゲイをカミングアウトした老いた父親というインパクトのある設定の登場人物があれど、その父親を描くことで逆に内向的な息子の心が見え、また息子を見つめていくと父親の愛が見える、という鏡写しみたいな描写を感じる映画で、個人的に興味深かった記憶がある。
そういう意味で、こちらの「20センチュリー・ウーマン」もまた、3人の女性(恐慌時代に生まれ1999年に亡くなる母親、癌と闘いつつパンクをこよなく愛する写真家の女性と、幼馴染の早熟な美少女)に加えて家の改装をしてくれている男性などという周辺の個性的な人々を丹念に描くことで、結果的に映画の中心にいる少年(多感なティーンエイジャー)の心理が繊細に浮かび上がる、ということをやっているようで、やっぱり面白い脚本作り。こういうのって、意味が分からないととことん分からない可能性もあるんだけど、一旦その意図が解せると、登場人物がそれぞれにパズルのピースを持ち寄って、物語を通じて少年の「こころ」を徐々に徐々にくっきりと形作っている様子が感じられてくるから不思議。
ストーリーとしても、アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニングの3人3世代の女性たちそれぞれが担うそれぞれの世代の「20世紀」がそこにあって、それぞれが見てきた「20世紀」の先にある(映画の時間軸における)現在のアメリカが見えてくるような構成。それぞれの時代の栄枯盛衰を同時に見つめながら、それらが一本の道筋で繋がってすべてが20世紀だった、というのを感じるような。もっと言うと、そこから更に今、この作品を観ている21世紀の現代までの時間の流れをも感じるような、そんな物語だった。
とは言え、やっぱりこの映画は、60年代や70年代のアメリカを体感した人でないと分かりにくいなぁと、日本生まれ日本育ちの私はどうしても思った。きっと本国で生まれ育った(そしてできれば20世紀を生きた実感のある)人には、私には見えない背景や、私以上に感じるものがきっとこの映画にあるのだろうし、そういう意味でこの映画を本当に分かると思える日は来ないのかもしれないなぁと、少し映画を遠く感じながら眺めていた部分もあった。
男性監督が描いた物語のわりに随所で「女性の幻想」を感じないでもないのが気になったところではあるし(物分かりのいい男しか登場しないし)、やっぱり日本人には感覚として掴み切れない部分もあるかな?と思ったけれど、見終わってなんだか爽やかな気持ちになれたのは良かったと思う。