「性格破綻者のセザンヌと、寛大で理性的なゾラの友情物語」セザンヌと過ごした時間 Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
性格破綻者のセザンヌと、寛大で理性的なゾラの友情物語
直訳すると、"セザンヌと私"。いわゆる歴史人物モノだが、画家ポール・セザンヌと文豪エミール・ゾラという2人の有名人の知られざる友情物語という切り口に、が然、興味が湧くはずだ。
原作はなく、オリジナルなので、よくぞここまで調べあげたというべき、ダニエル・トンプソン監督(女性)取材の勝利である。
近代絵画において、ピカソに"我々の父"、マティスに"絵の神様"とまで評されるセザンヌだが、本格的に評価されたのはその死後で、実際には先に成功を収めた、幼馴染みのゾラだけが、セザンヌを"天才"と呼び、生活費を工面したり、公私にわたる擁護をしていた。
ストーリーは、ゾラの発表した小説「作品」(本作字幕では「制作」)のモデルとなった画家が、"セザンヌである"ことについて、2人が口論になり、関係に致命的な亀裂が入ってしまうエピソードを描いている。
登場するセザンヌは、ホントここまで性格破綻者だったのかと思うほど、コミュニケーション能力が絶望的に欠如している。それでもゾラは、40年間も"親友"でありつづけたのは凄い。
むしろ、絶交は信じられないほど呆気なく、"ブチ切れた"状態に近い。劇中でゾラは、"彼は天才です。しかし、その才能は花開かなかった"と断じている。
トンプソン監督は、小説「作品」はもちろんのこと、それぞれの伝記、幼馴染みだった2人の子供から大人になるまでの往復書簡、周囲の人々の日記やメモなど、あらゆる素材を元に創作している。
また第10回アカデミー作品賞を受賞した、「ゾラの生涯」(1937)を併せて見ると、セザンヌが出ている。また"ドレフュス事件"の詳細や、やはり画家マネを評価するゾラもクリアになる。セザンヌは、マネを嫉妬の対象として、ゾラを取られまいと気を揉んでいたのだろうか(amazonビデオで観られます)。
映画としては、2人の友情をやさしく包み込んでいるが、実際は100年以上も前のこと。真実は知るべくもない・・・そこで、女性遍歴も重大な要素という説を盛り込んでいる。他人事だが、あまりにもセザンヌは変わりすぎていて、いろいろ面白い。
(2017/9/17 /Bunkamura ル・シネマ1/シネスコ/字幕:齊藤敦子)