わたしは、ダニエル・ブレイクのレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリーか映画か
よかった。
映画業界の何かのアワードで一番を取る映画ではないのかもしれないが、訴えるものがあった。
観ているうちにドキュメンタリーを観てるのか映画を観てるのかどっちだったか、と錯覚する。それだけ自然〜に撮れているということ。
皆さんほぼ無名だけどそれがいい。ロビンウィリアムスとか出てたら、まさに「映画」になってしまう。
ほぼ音楽がない?のも影響していると思う。
ダニエルのような愛すべき命や人生が世界中沢山あるが、人知れず日々なくなっている事を痛感した。
映画の中の彼らが、今も元気でやってるかとても気になる。つまり、良い映画!
社会派と言われるケンローチ監督の良さが伝わった。
1人の市民だ。それ以上でも以下でもない。
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」(ケン・ローチ監督)から。
2016年6月24日、EU離脱が国民投票によって正式決定した、
イギリスの市民感情が知りたくて、この作品を観たくなった。
2016年・第69回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞したのも、
偶然とは思えず、ますます興味関心が膨らんた。
冒頭からメモは増えたが、やはり主人公が最後に
(朗読するはずたった)「申立書」の全文が、全てを表現している。
「私は依頼人でも、顧客でも、ユーザーでもない。
怠け者でも、たかり屋でも、物乞いでも泥棒でもない。
国民保険番号でもなく、エラー音でもない。
きちんと税金を払ってきた、それを誇りに思ってる
地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。
私は、ダニエル・ブレイク。人間だ、犬ではない。
当たり前の権利を要求する、敬意ある態度というものを。
私は、ダニエル・ブレイク。1人の市民だ。
それ以上でも以下でもない。ありがとう。」
真面目に生活している人たちの、心の底からの叫びは、
単なるクレイマーの大声とは大きく違う。
作品の中で、主人公、ダニエル・プレイクは、
壁にこう落書きし、市民の多くから喝采をあびる。
「飢える前に申し立て日を決めろ。電話のクソなBGMを変えろ」
これが、今のイギリスの実体なのだろうか。
国民にとって「EU離脱」が何かを変えるのだろうか?
福祉社会はとっくに崩壊している
オックスフォード大学を出てBBCに入社したエリートなのに、一貫して労働者階級の視点に立って社会批判をしてきたケン ローチ監督。イタリアリアリズム手法で、素晴らしい映画ばかりを作って来た名匠も、81歳になって、もう引退宣言をしたはずだけれど、政府の福祉政策が機能していない現状に怒り狂って、この映画を製作した。監督の憤怒の結晶だ。
テーマは、彼が50年前(1966年)に製作した映画「CATHY CANE HOME」(キャシー故郷に帰る)と全く同じ。福祉とは誰のために、何のためにあるのかを鋭く問いかけている。この映画では、キャシーが幸せな結婚をして、新築の素敵なアパートに入居するが、子供禁止で子持ちは入居できないアパートだったので仕方なく引っ越しするが、夫が運悪く大怪我をして収入を絶たれ、赤ちゃんを抱えて夫婦はホームレスとなった末、子供をソーシャルサービスに奪われてしまう。そんな不条理な社会に翻弄される若い夫婦を描いた作品。
あれから50年経ったが、社会福祉政策は一向に良くならないで、悪くなるばかり。福祉制度そのものが形骸化しており、人間味のないものとなり、救われなければならない人々が、年齢や性別の関係なく取り残されている。一部の富裕層ばかりが肥え太り、大多数の真面目に働いて、社会を支えてきた善意の人々が報われない社会になっている。
ケン ローチは言う。政府の福祉関係者は、「人を人として扱わない。人を辱め、罰することを平気でやる。真面目に働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやりかたに憤る。」と、政府の援助を受けるための複雑で官僚的なシステムと、それに関わる職員達を激しく批判している。
ストーリーは
英国、ニューカッスル。
59歳の大工、ダニエル ブレイクは職場で心臓発作を起こして倒れ、医師に仕事を続けることを止められたため失業する。病気が良くなるまで政府の福祉を受けなければならなくなって、失業手当を申請するため福祉事務所に行ってヘルスケアプロフェッショナルの審査を受ける。審査官に医師の診断書を渡してあるのに、50メートル歩けるか、電話のダイヤルが回せるか、自力で排便することができるか、などという馬鹿げた52問の質問に答えさせられた挙句の末に、ダニエルには失業手当が出ないと言い渡される。
納得のいかないダニエルは、審議不服申し立てをするために福祉事務所に電話するが、1時間48分間も待たされた後で、不服申し立てと、新たな手当受給申請をするには、すべてがオンラインサービスなので、オンラインで申請するように指示される。パソコンを使えないダニエルには手も足も出ない。
職安の待合室で職員の説明を聞くために列に並んでいたダニエルは、子連れのケイティという女性が、約束の時間に遅れたという理由で、係員との面接を拒否されて、言い争いをしている現場に立ち会う。遅刻しただけなのに聞く耳を持たない係員は、警備員を呼んで彼女を排除しようとする。その横暴さにに怒ったダニエルも、ケイテイと一緒に役所から排除、追い出されてしまった。
彼女は、ロンドンの低所得者向けの住宅に住んでいたが、役所の命令で300マイルも離れたニューカッスルの公営アパートに強制移住させられたばかりだった。慣れない土地で係官との約束時間に遅れただけで、話を聞いてもらおうとしたケイテイに対して面接官は警備員を呼んで建物から追い出した。ケイテイの落胆と怒りに、ダニエルは心から同情する。他人ごとではない。公営アパートは古く不備なままで、あちこち修繕しなければ住めない状態だった。電気代を払えないケイテイに、ダニエルは自分が軍隊に居たときに得た知識でロウソクで部屋を暖める方法を教え、壊れた水洗便所を修理し、子供たちのために木工オブジェを作ってやったり、力になってやる。ケイテイは掃除夫として雇ってもらうために職探しに奔走し、ダニエルもまた失業年金を得るためには仕事を探しているという証明が必要なため、職探しに足を棒にしていた。そんなときに、やっと役所から届いたメッセージは、「申請却下」の知らせだった。就職するための努力をしていないから失業手当が出ない。心臓病で働けないのに仕事を探している証明が必要だという矛盾に、ダニエルは怒りで一杯だ。
ダニエルは食べて行くために家財道具や家具の一切を売り払った。そんな折、ケイテイはスーパーで万引きをして注意勧告を受けた後、親切(?)な警備員からエスコート職を勧められ遂に売春宿で働く。それだけはやめてくれとダニエルは懇願するが、政府から援助を受けられないでいる二人にとって現状を打開する方法はない。
ダニエルは役所の壁に「私、ダニエルブレイクが飢え死にする前に不服申し立てを受け入れろ」とスプレーで書いて、警察に逮捕される。釈放後すっかり落ち込んでいるダニエルの、申し立て審査の日、ケイテイはダニエルに同行する。ダニエルは審査官の前でアピールする原稿を準備していた。しかしその直前に役所の洗面所でダニエルは、力尽き心臓発作を起こして倒れ、死ぬ。役所が準備した公営葬儀場で葬儀が行われ、ケイテイはダニエルが準備していた供述書を読み上げる。「わたしは今まで真面目に働き、一日として遅れることなく税金を払い、社会の一員として、市民として誇りをもって生きて来た。しかし政府は私を犬のように扱った。私は人間なのだ。」 それは人としての尊厳を踏みにじった政府と福祉関係者に対する強烈な抗議だった。
というお話。
映画の中でケイテイが子供に食べさせるために自分は極度の飢餓を我慢してきたため、フードサービスで缶詰めをもらった時、思わずその場で缶を開けて手掴みで中の豆を食べてしまい、職員に責められ泣き崩れるシーンがある。すかさずダニエルが、「大丈夫、君が悪いんじゃない。気にするな。」と言い聞かせる。哀しいシーンだ。
売春宿に入って来たダニエルが、ケイテイに大泣きしながら「こんなこと止めてくれ、止めてくれ。」と叫ぶシーンも悲しい。
ケン ローチの作品にはいつも体に障害を持った人々が出てくる。盲目のサッカーチームが、目を塞いだ健常者チームとゲームに興じる。ダニエルのアパートの隣の住人が盲目で、彼と一同居しているのはアフリカ系イギリス人だ。ケイテイの5歳くらいの息子も自閉症と思われる。一部の富裕層ではない、普通の市井の人々は、障害者とともに生きている。ケン ローチの「普通の人々」への温かい眼差しにはいつも好感を覚える。
それにしても福祉制度に携わる職員の横暴さはどうだ。政府の援助を必要としている人々のプライバシーを平気で晒しものにして、審査と称して自分が神にでもなったように、あなたには手当を出しましょう、あなたのは却下です、と自分たちの物差しで配分する。
援助を必要とする人にとって何が辛いかというと、年や福祉の申請審査官の顔が見えないことだ。相手は姿を現さない。名前のない、顔を見せない審査官という目の前に立ちふさがる大きな壁は、傷ついた年寄りを見る目も聴く耳を持たない。コンピューターで、申請した後、いつまで待たされるのかわからない。誰が審査して、それがどこまで進んでいるのか、ただ膨大な書類の束が埃を被っているだけなのか、何もわからない。そんな暗礁に乗り上げて、審査官の結果をただただ待たなければならない。待つ間がどれほど長いのか、誰にもわからない。そのあいだ、どうやって食べどこに住めば良いのか。
ひとりで戦ったダニエル ブレイクは、やっと障害年金が出る直前に、力尽きて心臓発作を起こして死んだ。ダニエル ブレイクの怒りは私たちの怒りだ。資本主義社会で、福祉制度そのものが機能しない。飾りなのだ。真面目に体が動けなくなるまで働いて、税金を払い続けている労働者の蓄積を、ほんの一部の富裕層がかっさらっていく。
これほど貧富の差が広がった爛熟期にある資本主義社会で、福祉とは欺瞞以外の何物でもない。それがよくわかる映画。人は誰でも年を取る。年を取れば働けなくなる。その立場になった時、何が私たちを待ちかまえているのだろうか。
この映画、見る価値がある。
なんて悲しいんでしょうか
ここまで融通の利かない労働組合と、仕事だからこそこなす人と、ダニエルもケイティも子供達もみんな出会えてよかったですね。
子供のために風俗で働く追い詰められたケイティの選択も、それを悔しがるダニエルも、みんな頑張って生きてるのに、最後の最後にはラストチャンスで心臓発作。
すごく悲しいけど心にグッとくる作品でした。
私はすごく好きでした。
ダニエルが死んでしまったことが本当に悲しいです。
本当に世の中にある話題なわけで、この生活に自分がならない保証もなくて、この生活の人たちの声を代弁してくれているような映画でした。
私も、誰もが、ダニエル・ブレイク
イギリスの名匠ケン・ローチが、2度目となるカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した社会派ドラマ。
労働者階級の主人公を通じて、失業、貧困、理不尽な社会制度の実態を描いてるが、あくまでイギリスの話。日本人には…そんな事は全くなかった!
国籍云々と言うより、自分の身に置き換えて、もし自分だったら…?
求職難や生活苦を経験した人なら誰にも通じる。痛烈なほどに。
大工40年の初老の男、ダニエル・ブレイク。
心臓病を患い、医者から仕事を止められる。
国から援助を受けようとするが、役所の判定は就労可。
ここでまずイラッと。ドクター・ストップなのに、何で仕事出来るって判定?
要は援助を貰えない。
納得いけないダニエルは何とか援助して貰えるようとするが、それには申し立て、申請、電話待ち、申し立て、申請、電話待ち、申し立て、申請、電話待ち…。
何でこんなに複雑?
援助受ける為には色々あって、その中の一つで失笑モノだったのは、履歴書講座。履歴書なんて中学生でも書けるっつーの。しかも、この講座受けないと処罰の対象になるとか。信じられん…。
このダニエルさん、かなりの頑固者で、皮肉屋。言いたい事もすぐ言ってしまう。
だから、お偉いお役所様の印象は悪い。
癇癪持ちの頑固親父は手に負えないけど、でもダニエルは言われた事は一応はちゃんとやる。何度も何度も申し立てや申請の為に役所に赴き、パソコンも習ってみたり(大工40年なのでパソコンなど触った事も無い)、アホらしい講座にもちゃんと顔を出す。ま、不服そうにではあるけど。
意外と実直で素直。
自分だったら、うんざりして途中から放り出すなぁ…。その昔、就職に苦労してた時、職安の何かの講座か説明会を受ける事になって仕方なく行った事あるけど、何でこんな事しなきゃいけないんだろう、と終始思ってた。
いつだったか市役所行った時も、あまりにも融通が利かない対応にカッとなってクレーマーした事もあった。
これでも(自分で言うのもなんだけど)穏やかな性格とよく人に言われている。
さすがに我慢の限界も。何だか見てて、色々思い出してしまった。
脱線してしまったので、話を戻すと…
ある日ダニエルは役所で、ロンドンから越してきたばかりで生活困窮のシングルマザー、ケイティと知り合う。
市役所職員との話によると…
何かの審査の為に時間厳守で来なくては行けなかったのだけれど、ロンドンから越してきたばかりで道も分からずバスも間違い、遅刻。それだけで違反。
職員と言い合ってると、黙ってられないダニエルが助け船を出し、それが縁で仲良くなる。
ケイティの境遇も不遇だ。
仕事も無い。金も無い。子供は二人。食べる物は必然と子供優先に。
ある配給所で、我慢出来ずに缶詰めを開けて食べる惨めな自分に泣くシーンが切なかった。
ある時つい万引きをしてしまう。同情したのか憐れに思ったのか、店員が仕事を紹介する。
その仕事とは…。若い女性が手っ取り早く稼げる仕事と言ったら…。
それを察知したダニエルは…。
この一件でちょっと仲違いもあったが、生活苦同士、友情を育む。
ダニエルはこのシングルマザー一家の生活を助けようとする。
しかし、そんなダニエルの生活も苦しくなる一方。
求職活動しないと手当てを受けられないとの事であちこち職を探し、一ヶ所気に入られるが、そもそも心臓病で働けないし、お役所様の命令でやむなくした手当ての為の求職活動なので、相手先の怒りを買う。ここも見てて切なかった。
これまでちょいちょいプチギレてきたダニエルの我慢の限界も頂点に。
遂には軽犯罪に当たる事をしてしまうが、同じ境遇の者は拍手喝采。
下層階級者の代弁。
ラストはまさかの悲劇。
心臓が悪いのに、色々とストレスを与え続けた役所が悪い。
これは前に何かの作品のレビューでも書いたが、社会はいつだって恵まれてる者の味方。本当に救いの手を求めてる者には冷淡。
私たちも、この国の一人だ。社会の一員だ。
こんな不平等ってあるか!
ダニエル・ブレイクを通じて人の尊厳を…なんて、大層な事は言わない。
人一人を、どうか見て欲しい。
カンヌ・パルムドール作品は合う合わないの差が激しいが、本作は大当たりだった。
アナログ人間には 頷くシーンが多々ありました。 何するにも ネット...
アナログ人間には
頷くシーンが多々ありました。
何するにも
ネットで登録とかだから
鉛筆派は
諦めちゃってます(笑)
医者からは仕事を止められ
給付金を貰うには
仕事探しをしなきゃいけない
勤められないのにね...
理不尽だゎ...
予想以上の重さ
誰も「制度」よっては救われていない結末。
ケイティさえも、売春を続けているのかやめたのか、明らかにされていなかったように思う。
元の職場の同僚や隣人の黒人青年が手を差し伸べていたのに、ダニエルはなぜそれにすがろうとせず、「制度」にばかり頼ろうとしたのか。
「制度」は、幸せになるためのものではなく、不幸に陥るのを防ぐためのものだと聞いたことがある。
ダニエルを襲った様々な問題は「自業自得」だったのか。
市民を追い詰める役人
主人公Danielの正直な堅物ぶりは「幸せなひとりぼっち」のOveを若干思い出させましたが、Danielの場合、困っているシングルマザーの家庭を自ら進んで助けます。音楽鑑賞はラジカセとカセットテープ、パソコンはさっぱりだけれど、大工歴40年のアナログおじさん。愛する妻を働きながら介護して看取り、真っ当に生きている善良な市民そのものです。彼が心臓発作で仕事が出来なくなり、支給申請のため役所を訪れます。
真面目に税金を納めてきた市民を救えない行政とは何なのか。思考が麻痺してプロトコールに沿うことしか出来ず、全く融通の効かないお役所仕事、助けを求める市民をたらい回し拒絶するためにいるような役人達。市民が反論しようものなら、まるで犯罪者扱い。Danielがやかましく注意する生ゴミや犬のフンの始末といった守るべき近隣マナーとは、全く趣旨の異なる規則でがんじがらめです。
問題は救うべき人が多すぎること、そして援助の程度を客観的にケースバイケースで判断するには時間がかかること。不正を企てる市民が紛れていることも事実であり、時に厳しい目線が向けられてしまい、助けるべき人に行き届かないこと。
医師の意見書や診断書で一発解決とはいかないようで、日本より厳しいと思いました。
非情な役人達の態度に、怒りを通り越して呆れるばかりですが、行政が手を差し伸べるべきことを、隣人や友人達で助け合い、補い合っている所に救いがあります。
空腹で思わず缶を開けて素手で食べてしまったり、やむなく万引きをしたり、八方塞がりで堕ちていくシングルマザーの姿に涙が堪えられませんでした。一方でDanielは最期まで自分らしく生きて尊厳を保ちました。決して他人事ではありません。公務員は勿論、多くの人に観てもらいたいです。。。
"When you lose your self-respect, you're done for."
偏屈だが人情はある。
以前イーストウッド卿が撮った作品のジジイ(ゴメンね)にも
やや通じるところがあるな…なんて最初のやり取りで思った。
偏屈親父とは言わないまでも正義感が強く真正直なダニエル、
それは違うだろう、酷い扱いだと思ったらすぐに断固猛抗議。
弱者とはいえ、意見をハッキリと伝えるので周囲の方が戦々
恐々となり面倒だと放棄する。きちんと血税を払って働いて
きたのに、いざ自分が困ったときには何もしてもらえない…
それどころか、正しい申請をしているはずなのに却下される。
名匠が引退を撤回してまで撮ったテーマだが日本にも通じる。
背景には年金削減や受給詐欺対策もあるのだろうが、だから
といって偏屈だったり遅刻したり逆らってくる扱い難い人間
に処罰まで与えるなんてすごい規定だな。役所側もルールに
従い杓子定規な対応しかできないので根本的解決方法がない。
オンラインの普及も一部の闊達なお年寄り以外はダニエルと
同じように訳の分からない世界。未だにパソコンも使えない
高齢者はそこからお勉強しないと申請さえもできないご時世。
ケン・ローチの怒りはおそらく頂点に達しただろうが、それ
を声高に叫ばず、あくまでスプレー缶で壁に落書きする姿勢
がいかにも彼らしく、最後に読み上げられる声明でタイトル
の意味がしみじみと伝わる。いい作品ではあるけれど多くの
問題点が挙げられたままで終わっていることに難題を抱える。
(真っ当に生きられない世の中でどんどん小賢しくなるのかも)
明日は我が身の心持ちで。
ダニエルもケイティも、頑張ってるのに全然報われなくて辛かったです。
ケイティがこっそり缶詰開けて食べちゃうところが辛かった。
一番辛いのは、人としての矜持が少なからずあって、ちゃんと生きたいと思うが故に、どんどんよくないスパイラルに絡められていってしまうっていうことです。人を助け、子供を愛し、妻を愛し、働いているのに、働きたいのに働けないのに。
私もダニエルやケイティになることがあるかも、そう思いながら観ました。
そんな中で一つダニエルにいいたいのは、助けるだけでなく、ちゃんと助けてもらって欲しいってことです。
助けてもらうのはバツが悪いでしょう、プライドも傷つくでしょう。でも、助けてっていえないと、本当の意味であなたを誰も頼れないと思うんです。
私にもダニエルと同じように助けられる存在にはなりたくないっていう気持ちがあります。でもその気持ちは、見方を変えると、助けられる対象を見下ろす視点です。見下ろすのではなく、同じ高さがふさわしいと思います。
もちろん、自分自身にこそ、いいたいことなんですが。
ダニエルは助けてって言えなくてついに困窮極まります。その状態になって初めてケイティの娘の「あなたを助けさせて」という言葉に、ハッとしたようでした。そして、助けてって言えたようでした。
その結果、事態は好転するかに思えた。あゝ、ホッとした。よかったよかった。
でもそうはいかなかった。
かなしい、本当に悲しい。なんで?なんで今心臓発作が?良さそうな担当者がやっと見つかったのに!ケイティが付き添ってくれているのに!
現実の惨状を、より観客に突き刺すため、ダニエルは死ぬことになったのだろうなと思いました。
現実はもっともっともっと辛くて残酷だから。
ダニエルのような人を増やさないために、できることを考えて行動で示せと、ケンローチが叫んでいるんだと思いました。
何をしたらいいんだろう、どうすることがいいんだろう。答えがあるかわからないけれど、考えなく続けなくては、と思っています。
でもね、これだけはゆっときますけどね、パソコン操作は、もうちょい前から学んでおけよと思いました。もうパソコンなしでは何にもできませんよ。
よくぞ言った
よくぞ言った、ケンローチ!
福祉政策とは何か
物事が規則通りに行われたとしても救えない悲惨が社会を覆っている。
救済を求める人々への役人たちの対応は悪意そのものの嫌がらせに思えてくる。
「1人でも多く救済せよ!」という方針が下されていたら、結果は違ったはずだ。
生活物資受給所でのシーン
ケイティがあまりにもお腹が空いて、受給所で思わず缶詰を開けて食べるシーン。
そのあと我に返った彼女は自分の惨めさに泣き崩れる。
人の尊厳はどこで傷つくのか、どんな場面で壊れるのか、見せつけられた気がした。「もう我慢ができない!」を発しないと・・・。
私もダニエルのように、いつか心臓病を患うような気がする。
けど、希望は捨てる必要はない。捨てさせようという権利は誰にもないのだ。そしてその希望が人と人をつなぎ、生きる証しになるのだ。
私はダニエル.クレイグと勘違いしそう
ストーリーはイギリスのおじいさんの奮闘記と言う事でわかりやすい。イギリスもユーロ脱退とか底辺には住みにくいんだろうな。階級社会だしな。黒人の兄ちゃん良いやつだな。ただ、題名がダニエルクレイグと被るな。向こうで言えば佐藤さん並みに多いのかな?
ケン・ローチの静かな激昂
「映画が声を上げている!」と思った。
あまり前情報を入れずに見に行った映画だったので、ケン・ローチ監督の新作で、ローチ監督らしい社会派のドラマだろうくらいの感覚でいたし、実際に、一人の貧困な男をめぐる物語として映画ははじまっていく。しかし、物語が進めば進むほどに、この映画が社会に対して声を上げて何かを呼び掛けているのを感じてくる。「こんな社会は間違っているだろう!」「こんな制度はおかしいだろう!」「平等や同権の意味は何だ!」と、頭の中で疑問や疑念が渦巻いてくる。そしてそれは、おそらく、どこの国のどんな社会にも通じる、大きな問題に違いないとはたと気づく。人々が、というよりも、国や社会や制度が、ある一定の層の人々に対し、公然と差別をはたらいているようなもの。映画という媒体を飛び越えて、人々の目を覚まさせる、そんな作品だった。
きっと公務員の人たちは悪くないんだよ。彼らも仕事としてしていることで、慈善事業というわけではないから、「温情」とやらを簡単に持ち出すわけには行かないし。だから一人の公務員の女性がダニエルにネット申し込みのやり方を教えてあげようとすると彼女の上司が「前例を作るわけにいかない」といってそれを止めるシーンがある。彼らも、何かおかしいと思いながらも、無力さを感じて仕事をしているはず・・・って、同じように働く社会人として、彼らの気持ちもちょっと分かるような気がしたり。
ダニエルと若いシングルマザーとの交流に、心救われる部分がある。もちろん、彼らの生活に救済はない。それでも、重く考えさせられる題材の中で、彼らのこころの触れ合いを感じて、少しだけ安らぎを感じる。二人の役者も本当に素晴らしかった。
映画だからと言って、ダニエル・ブレイクを安易に救済せずに幕を閉じる。カタルシスも残さずに観客の前から映画自体が立ち去る。残された私たちはますます考えてしまう。この映画を見た夜は、ちょっと眠れなくなった。
よかった
そもそも役所になんか頼ろうとしてもどうせ気分よくならないに決まっているのでなるべく当てにしないことにしていた。しかし、里親活動をするに当たって児童相談所のお世話になったら、とても手厚く面倒をみていただいて、今ではその印象が逆になっている。部門によってきっと違うのだろう。
おじいさんが車椅子の弁護士を頼ったとたん、すんなり事が運びそうになっていたのが、よかったのだが、本来そうあるべきであり、なんとも残念な気持ちになった。
ヒロインがシングルマザーで、生活苦から風俗嬢になってしまうところがあまりに切なかった。リアルな現実なのだろうし、現実にそうして生きている人がいるのだが、本人も触れて欲しくないだろうし、実際ユーザーもいる。問題視しづらい問題だ。市場原理の負の側面だ。
ダニエルの不器用な生き方が涙と笑いを誘った。
私は、一人の人間である。
私にはダニエルブレイクという名前がある。
心臓発作で職を止められた男が再就職に孤軍奮闘とする、しかし国の政策により、非常に苦しい求職活動を余儀なくされる。このダニエルを演じたデイヴ・ジョーンズが実にピカイチ。
彼の演技が実に素晴らしい。違和感を感じさせない。
この国の政府は、貧困者に容赦なく厳しく冷たい。ケイティが「フードバンク」で行った
とっさの出来事に、驚かずにはいられない。
終盤近く、トイレで顔から湧き出る汗をひたすら拭くダニエルの姿で泣けた。ダニエルは
人間として決して悪い奴ではない。でもあまりにも不器用すぎで、困った人間に頗る優しい。
しかし自分が生きていくには「やはりそれなりのお金が必要。」なのかと、終わった後なぜかため息をついてしまった。
この監督は、フェードアウトが好きなのだろうか?
何かあったら言ってくれよ 本当に
観終わった直後は「救いのないドキュメンタリー」映画にする意味あるか?が正直な感想 政府が杓子定規で弱者に辛く当たるなんて事実を今更訴えるべきことか? 何か釈然としなかった
が、後でちょっと気づいた
うまくいっている、いきそうな描写は家族がダニエルを頼ったり最後にダニエルがケイティを頼ったりした時
逆に作業場の旦那やチャイナが何かあったら言ってくれよと言っても何も言わずケースワーカーが手助けしようとしても心を閉ざして悪い方向に(尊厳を傷つけられて)行ってしまう
何もできないかもしれないけど心を開き、頼り、頼られることで尊厳が保たれる
これが監督のメッセージだったんじゃないかと…
思いたい!w
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