わたしは、ダニエル・ブレイクのレビュー・感想・評価
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原題が突きつけられる瞬間、息が止まりそうになる
本作は人間の尊厳とは何かを、時に静かに、時に力強く問いかける。ロンドンから遠く離れたニューカッスルで、病を患い、失業手当の煩雑な手続きに悩まされる主人公ダニエル。彼は人道を外れることもなく、何十年と真面目に働き続け、税金だってきちんと払い続けてきた男だ。天に顔向けできないことなど何もないと、自信を持って生きている。しかし国が定めた制度や行政のあり方は、そういったまっとうな人間を否定するような理由をあれこれ並べ立て、人を選別し、弾き飛ばすことを平気でやってのける。その様子をケン・ローチは落ち着いたトーンで描き続けるが、しかし根底には怒りが沸々とみなぎっているのがわかる。かつて人はもっと繋がり合い、助け合い、慈愛を持って接し合う生き物ではなかったのか。「I, Daniel Blake」という原題が現れる瞬間、息が止まりそうになった。人間の尊厳をこれほど力強く突きつける場面が他にあるだろうか。
ディストピアは始まっているか
どうしたんだろう。
アマプラで試聴した直後にちょっと辛口のレビューを投稿したつもりなのに、なぜか投稿が到達しておらず下書きも存在しない。
これは「おまえ、もう一度練り直せ」という映画の神様のお告げなのか。
で、練り直してみた。
映画の出来としては総じて悪くないと思う。
その好ましい点については、文章の終わりの方にきちんと書きたい。
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ただモチーフの現象面に淫して「社会派ドラマの傑作」と全肯定してしまうのは何だか違うよなぁ…とモヤモヤが消えない。
また、一部のレビュアーさんの「ダニエルもダニエルで、ちょっとアレじゃない?」というご感想に少なからずシンパシーを覚えることも確かだ。
などということを、神様の「やり直し!」の刑のあいだに振り返りつつ、もしこれがこんにちのイギリスの行政サービスとして当たり前のレベルだとしたら、明日はわが身とゾッとする。
すでに日本でも、こんな硬直的な運用が散見されるからだ。
昨今可決され施行されることになったハラスメント関連の改正法は、カスタマーハラスメントの防止措置がセクハラやパワハラに加えて義務化される。
だから最近、ほとんどあらゆる消費者接点の店頭で「カスハラには厳正に対処します」というポスターが掲示されている。
しかし、行政のみならず一部の民間の現場でも、凄まじい顧客対応が横行している。
典型的なのはPCのOSや米国系大手ネット通販のサポートデスクだ。
あれは「サポート」ではなく「アビューズ(顧客虐待)デスク」だと思う。
すべてに共通するのは責任逃れとたらい回しであり、それ、おかしくないですか?という声を届かせるルートも手段もない。あっても隠されているか、非常に分かりにくく、苦情を申し立てる側に諦めさせる設計ではないか、とさえ勘繰る。
すべてがファッキンなワークフロー設計によるもので、改善する仕組みも組み込まれていない。
それなのに「どう考えてもおかしいでしょ?」という正当な苦情が、今後はあの窓口担当の伝家の宝刀「違反審査となります」や、管理主任の「お引き取り願います。警備員!」に容易に繋がってしまいそうなのだ。
しかもその最前線で聞き流さざるをえずに毎日謝罪し逃避し疲弊しているのは、アウトソースされたコールセンターのオペレーターの方々である。
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『ダニエル・ブレイク』で読み間違えてはいけないのは、社会の分断や貧困の放置や官僚的な政府…と言ったステロタイプな告発映画であるということでは決してなく、このクソみたいな社会はどんな政治勢力が作ったシステムであろうと当たり前のように出現する、ということだ。ソ連を見よ。
つまり、人間の作り上げる仕組みのすべては作った瞬間から腐り始めている。
そのことに異議を唱える確かな方法論が、ダニエルやケイティのような一度底辺に滑り落ちた人には見つけられない。
その底なしの人間の愚かさに震撼せよ、というのがこの映画の(ケン・ローチの)言いたいことではないか。
・・・・・しかし、だ。
マジメに考えるほど、ここがモヤモヤするのだ。
ダニエルやケイティを支援してくれるのは、フードバンクの人びとと善意を持つ役所の窓口女性、そして終盤になって登場する人権派?の弁護士くらいだ。
あ、あとはダニエルの落書きに快哉を叫ぶ通りがかりのおじさんと、道の向こう側からヒューヒューと声援を送るバニー耳の謎の集団だけか。
しかし、だ。
イギリスには社会的弱者の側に立つ社会福祉士やケースワーカーは一人もいないのか?
生活保護申請をさまざまな手口で跳ねつけようとする役人に対峙するために申請支援をするNPOは一つもないのか?
政党を問わず、こういった市井の問題に異議を唱える地方議員は一人もいないのか?
それらが本当に、まったくないとしたら、イギリス(少なくとも舞台となったヨークシャー)は、すでに本物のディストピアである。
だから、何かおかしい。
見せられていないものがある。
という感覚を拭えない。
それは、映画を作る人間として、誠実なのか?
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美点を最後に。純粋に技術論ではありますが。
『石炭の値打ち』と同じく、ケン・ローチの指揮する撮影の目線は、常に生身の人間と等身大だなぁと思う。
凝ったアングルやパンがまったくない。
ドキュメンタリーかと見まごうほど淡々と人間の自然な所作を追い続ける。
だから視聴する者は、まるでその場にいてカメラのすぐ後ろで目撃しているような没入感を覚える。
役者が演じる人びとと同じ空間で同じ空気を吸っているような錯覚を覚える。
「人の優しさ」の表現も抑制的で奥床しい。
その静謐な凡庸さを、ディストピアと重ねて観るところに、彼の作品の独特のテイストを感じる。
生活保障のセーフティネットが人間の尊厳を傷つける、データ管理社会の無慈悲
1960年代から映像作家としてのキャリアを積み、1990年代に漸く注目されるようになって、還暦過ぎた今世紀に代表作を生み出した老熟の映画監督ケン・ローチ(1936年生まれ)のカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。日本で最初に評価されたのが、「大地と自由」(1995年)と「ケス」(1969年)の2作品で、どちらも未見でタイトル名だけは記憶に残っていました。個人的に注目し始めたのは、「SWEET SIXTEEN」(2002年)「やさしくキスして」(2004年)「麦の穂をゆらす風」(2006年)からです。この前者2作品の現代劇は、貧困や移民の社会問題を取り上げ、リアリズムの率直で厳しい演出タッチが特徴の良作でした。ポール・ラヴァーティ(1957年生まれ)の脚本も、独自の視点と切り口のある興味深いもので面白く、深く感心したものです。後者の「麦の穂をゆらす風」は、アイルランド独立戦争とその後の内戦を旧来のドラマチックな演出を排して冷静沈着に描いた歴史劇でした。この秀作で最初のパルム・ドールを受賞しています。
このケン・ローチ監督が79歳の時に制作した今作は、現代イギリス社会が抱える福祉制度の煩雑で非効率な問題点を痛烈に批判した告発映画になっていました。日常生活に密着したテーマは、本来ドキュメンタリー映画の領域にある分野ですが、それを敢えて劇映画として再構築することにローチ監督の真価があります。何も映っていない真っ暗なタイトルバックでは、主人公ダニエル・ブレイクと労働年金省から任命された医療専門家アマンダとの面接場面の会話が流れます。心臓以外はどこも悪くないブレイクにとって、手足について取るに足らない質問ばかりか、我慢出来ずに漏らしたことはあるかと人間の尊厳にかかわる無礼な内容まであり、気分を害するものでした。医療従事者ではない医療専門家という曖昧な立場の者が政府の委託事業者(外国資本?)として介在する理由は、行政の効率化と癒着の善悪であり、結果審査を厳しくして不正を排除し予算の上昇を抑える狙いもあるのでしょう。それで本当に困っている人が救われているのかの問題提起が、この導入部で斬新かつ完結明瞭に表現されていました。事務的で人情味の無いアマンダを敢えて見せない演出は、医療専門家ひとりの話ではないということ。しかし、ブレイク側にも対応の問題点が無い訳ではありません。心臓発作が原因で医師から休職を命じられたのであれば、演技でもいいからもっと同情を得るよう協力的にアマンダの質問に答えていれば良かった。ここに良くも悪くも、ダニエル・ブレイクという大工職人のプライドと頑固さがあって、その後の追い詰められた状況に苦しむ展開になっていきます。
面接で心証を悪くし支援給付の審査を一度落ちると更に手続きが複雑になるのは、如何にもお役所仕事で驚きます。提出書類をそのままに、担当の面接官を変えて再チャレンジの仕組み作りが双方無駄が省けて良いのではと、素人目には思いました。支援手当の再申請を諦めたブレイクが職業安定所に行き求職者手当を要望するも、就労可能な場合だけと断られる。ならば不服申し立ての手続きをして下さいと言われても、オンラインのパソコン操作がブレイクには出来ないし、相談窓口もサイトで予約しないと困窮状態を聞いてもらえない。四面楚歌の状況に落胆するブレイクの視界に、ロンドンからニューカッスルに親子3人で引っ越して来て、給付金手続きに遅刻した理由で交付が下りないケイティ親子の姿が映る。ここから社会保障から見捨てられた弱者の人間ドラマが始まります。
ケイティに同情しながら、役所の対応の冷たさに怒るブレイクが知り合って最初のカットに、この映画の脚本・演出の技巧の高さがありました。それはお互いの不満を語りながらスーパーで買い物をした後、ブレイクがケイティ家族の家を訪ねるシーンの繋ぎのカットです。ブレイクとケイティに娘のデイジーが一緒に歩いてくるのに、息子のディランがいない。するとクマのぬいぐるみを入れたカートを押しながら後を追い掛けるディランが現れて、周りをうろつき回って漸く母親のところに追いつく。この2ショットでディランがどんな少年でどう母親から接しられているのかが分かります。デイジーの肌の色の違いからは、ケイティの私生活の複雑さを暗示する設定になっていて、それでも素直に育っているデイジーと無邪気なディランの、このケイティ一家の今日的な家族の姿にリアリティが感じられます。また子役のプリアナ・シャンとディラン・マキアナンの自然な演技が素晴らしい。ディランの名前をそのまま役名にした配慮もあり、ローチ監督の細部に行き届いた丁寧な演出でした。
支援手当の再審査を諦め休職者手当を申請する上で、一応職探しをしている建前上履歴書の提出を迫られるところからブレイクの心理的、精神的な負担が増加します。医者から仕事を止められている事実、大工仕事以外はしたくないブレイクの誇り、それでも手書きした履歴書を心当たりの会社を回り手渡しては、いざ採用となっても断ざるを得ない。矛盾の渦中に入ってしまったベテラン大工職人ブレイクの徒労が痛切に伝わってきます。この履歴書の作成講義のシーンがまた面白く、自己PRの重要性を説く熱く高慢な講師に対して、受講生の態度は冷めきっている。実力以上の表現で誤魔化しても、実際に仕事を始めたら能力は分かってしまいます。だからと言って、採用審査の基礎となる履歴書を蔑ろにする姿勢は好ましくないのは明らか。役所で求職の証拠を問われ、手書きの履歴書を見せたブレイクは、面接官に規則違反の判断を下される。そして、今度は慰労手当なる救済申請の余地はあるという。生活保障のセーフティネットが充実しても、個別に特化することで非効率になる現実問題は、けして人間に優しくない。規則違反を続ければ支給停止は延々と続くと脅かす面接官の最期の言葉は、フードバンクの配給票の必要性まで及びます。ブレイクの人間としての尊厳を傷つける面接官の説明は規則の報告であって、血の通った人間の言葉ではない。沈黙したまま席を立ち役所を後にするブレイクを捉えたカットに、ローチ監督の静かな怒りが込められていました。この映画の主張としてのクライマックスを構成するために、ケイティ一家にブレイクも付いて行って、そのフードバンクのシーンを先に見せています。しかも貧困に陥ったケイティが空腹の余り、その場で缶詰の蓋を開けて食べてしまう衝撃的なシーンでした。お金に困っているケイティがスーパーにひとり買い物に行くシーンでは、精神的に正常ではなくなっている状況から万引きに手を染める展開は映画的に予想できるものです。しかし、店長から初犯の温情を受けての帰り際、ケイティを捕まえた警備員が相談に乗る善意をみせてメモを渡すところの微妙な表現に、この脚本と演出の巧妙さがありました。ブレイクがケイティの売春の現場まで足を運び説得するシーンまでの最小限の説明ショット、ケイティ一家とブレイクが親密になる流れも自然に描かれていて、物語の雄弁さと無駄の無さは傑出しています。
役所の職員には相談者の悩みに親身になって接してくれるアンという女性もいました。彼女には正直に心の内を明かし、制度の不備により茶番劇を演じてきた自分の存在価値を憂い、(データから俺の名前を消すためか?)の言葉になって吐露します。そして現実にも、アンの言うように(根がよくて正直な人たちがホームレスに)なってしまうのでしょう。この会話から役所の壁に、私はダニエル・ブレイクと落書きして、映画のタイトルになりました。人間の尊厳をもったダニエル・ブレイクという、ひとりの大工職人の男の物語は、最後悲劇的な結末を迎えます。これは映画的な決着としてより、社会の矛盾に翻弄されても人間の尊厳を守り抜いた男の話として完結しています。同時に作者の怒りは充分な説得力を持ち、イギリス社会の欠陥を鋭く突いたリアリズム映画として見事に成立しました。映画初出演のデイヴ・ジョーンズの演技は、作品の狙いに合った現実感を醸し出し、俳優のオーラを感じさせませんが、淡々と演じる演技力も、それなりの技巧が必要と思います。キャスティングの良さとローチ監督の作品全体の演出と噛み合った成果でした。ケイティのヘイリー・スクワイアーズの演技は、過酷な人生を経て来た女性を好演していて、ジョーンズとの絡みも自然でした。
この社会派作品から連想した映画に、黒澤明監督の「生きる」やヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ウンベルトD」などの古典があります。21世紀のローチ監督のリアリズム映画には、それらのドラマチックな演出は無く、取材した内容を再構築しても、より現実的な日常風景として人物や対象物を捉えるクールさが際立ち、これも映画の品格になっていると思いました。勿論その再構築には、映画的な表現の技巧を施した脚本と演出があって、観ている時に改めて意識せずとも、最後まで見入ってしまう魅力があるという事です。その意味で題材は地味ながら、映画の面白さを改めて意識した秀作でした。
こう言った運動が移民排斥運動につながる
『あるある』の話で、行政機関だけでなく、民間会社でも、こう言ったトラブルは沢山経験していると思う。
電話での保留音楽が『ヴィヴァルディの四季 春の第1楽章』聞き覚えがある。共感をしてしまう。
さて、こんな状況に直ぐに『切れる』老人が僕の世代以上に多い。
『順番を守れ』って騒ぐ老人をよく目にすると思う。
最近、世界を回るようになって、色々な国の老人に出会うが『騒ぐ老人』は日本だけの様だ。
この映画の老人が住むアメリカ(イギリス?!)だけでない。日本でも失業手当を受け取るには、手続きが必要。勿論、窓口はさしあたっては他人事で話は進むが、冷静に判断して、きちんとした手段を取れば、以前の様な(窓口を盥回しにあう)手間はかからない。はずだ。
『揺り籠から墓場まで』と言っていたイギリスとは驚きだが、そう言った国であるから尚更、こう言ったトラブルには、対処していると想像する。アメリカはそもそも、未就業の保健制度すら無い。
この老人の気持ちには、共感出来る部分はあるが、こう言った運動が移民排斥運動につながる事実も忘れてはならない。また、貧困者はこんな稚拙な生き物では無い。そこを理解してこう言う映画は作るべきだと思う。
最期にこの老人へ
日本にいれば10万円の貰えたのにね。そして、
売春組織に引っ掛る女性へ
もっと高い物を万引きしていれば、まともな仕事を紹介されていたかもね。ブラックジョークだよ♥
グローバリズムが行く着く先
自分は、この「わたしは、ダニエル・ブレイク」のような役所のシステム、弱者切り捨ての政策、貧富の差は、グローバリズムがもたらす物と思っている。国や地方自治体が、国民の生活を守るために行っていた国営事業を民営化し、大手の資本が入ってくると、当然、効率化、人件費切捨てへ舵を切り、対人のサービスではなく、十把一絡げのサービスにならざるを得ない。米国や英国は、グローバリズムの先鋒で最たる国。
グローバリズムが進めば進むほど、移民の増加、失業者の増加、効率化、マニュアル化が進み、労働者も入れ替え可能となって、非人間的な管理社会になっていく。
それでも、ダニエルは、オンライン申請と格闘し、シングルマザーのケイティと二人の子どものため力を尽くし、お互いに支えあって生きようとした。そんな人たちが、今、増えているのだろう。
誰でも、歳をとって就職ができなくなって収入がなくなれば同じような問題を抱える。核家族化、単身家族化、一人暮らしが多くなってきた日本でも同様、身につまされる。
タイトルなし(ネタバレ)
ストーリー 6
芸術 5
演技 5.5
エンタ 6
総合 6
最後、心臓発作で死ぬ、が衝撃的。医者でもない人が医者の診立てを否定して結果医者が正しかった。ダニエルさんのジブンゴト度が半端ない。
イギリス版「水際作戦」の実態
規格内の人が知らないだけで、日本の社会保償制度もイギリスと同じ事が起きている。
日本の役所の対応の悪さを称した「水際作戦」なる語句が既に存在し、役所の窓口が派遣社員ら非正規に切り替えているのはニュースで取り上げられている。
ハロワ職員は既に10年前から非正規に切り替えられた。
対岸の火事は「親切な隣人どうしの共助」「本人の自助努力」では解決できない事をダニエルの自助で物語っている。
なかなか難問
ダニエル・ブレイク氏の尊厳を考えるなら、福祉の不備が悪いと言える。立場を逆転させたら、役所の職員に「失業保険を受給したいが働けない」と言う人間に、お金出していいものか? ただ、線引きがはっきりし過ぎると、漏れていく人が多く出てしまう。国の財政が余裕あれば、給付も規制しないだろうが、そうじゃなければ、切り捨てだよなぁ。
だけど、倒れそうになるまで食べずに我慢するケイティ、家財を売り払い、スカスカの部屋で毛布をかぶるダニエル、これは今すぐ援助しなくちゃダメでしょう。ダニエルはたぶん医療費が払えないから、薬を飲んでなかったんだろうな。担当医から指示するとか、何か手段は講じられないのか。
貧困は連鎖するとも言われるので、デイジーとディランの将来が心配である。デイジーといえば気になる点が…。あのたっぷりとしたドレッドヘアは、誰にやってもらったのかな? 美容院だったら、かなりいいお値段すると思う。一体、編んでどれくらいもつものなの…?
日テレ映画天国の録画を一年経って見たら、CMが「今日から俺は」だった。なんか、タイムカプセルみたいだー。
政府官僚への怒りの表明
都会の扶助制度から追われたシングルマザー家庭と長年の疲れで身体を壊したベテラン労働者。明日に持ち越す金はなくても真面目に暮らしてきたし、これからもそうするつもりだ。でも仕事がない。健康を取り戻すまでは休むように言われている。
公的扶助制度はそうした人々が利用していい制度。なのに役所は外部に業務を委託、人々を機械的に処理しようとし、一人一人に向き合ってはくれない。貧しい者どうしでは助け合うのにも限界がある。そして誰にだって、自分も他の人と同じ人間だという尊厳がある。
英国労働者の良心をベースに、社会問題を丁寧に告発していく脚本が良いと思った。
ラストは辛くて泣いてしまった。
こうした映画作品が注目されることで、行政が効率化の追求をやめ、経済的強者達がそのやり方を再考するようになればいいな…。
ケン・ローチ監督の思い
日々窓口で、訪れる人々の相談に応じている職員の方々は、個人的感情を抑えて対応する必要が有り、大変な事も多いだろうと思います。
その一方で、本当に必要とする人に救済の手を差し伸べる国であり、行政であって欲しいと改めて感じる作品でした。
新しく仕事を始めたケイティの仕事先に、ダニエルが訪れた場面で涙が溢れました。
ラストの展開は、ケン・ローチ監督の「今可能な最善の対応を!」( 場合によっては手遅れになってしまう )とのメッセージなのかも知れません。
ダニエルとケイティに対する周囲の人々のちょっとした優しさに救われる場面も。
日テレを録画にて鑑賞
私は、と力強く言える姿
心臓病患者として、手当てをもらいたいだけなのに、なぜここまでの労苦が必要で、人を人としてみなされないのか。
きっと、自国でも同じような事態は起こっているのだろうと感じまたしたし、今まさに、日本でも現金支給のための役所的な手続きをしなければならないといった話が進んでいることに、懸念を覚えます。
その中でも、ダニエルブレイクが、粘り強く、しぶとく、諦めずに、時に周囲の協力も得ながら、煩雑な手続きを進めていく姿は勇ましくありましたし、
ラストシーンで、悔しくも弔辞になってしまっ「私は、ダニエル・ブレイク」と、自分のことを卑下もせず、過剰な自信も持たず、誇り高く述べている姿に凛々しさを感じました。
「”おかしい”ことは、”おかしい”」と言える彼の強さに心が温まり、私もこのような人間になりたいと思う。とても心に突き刺さる1本です。
隣人には手を差し伸べたい
ドクターストップで就労可能と認定されるってのが納得できなかった。大工じゃなければ、可能ってことなのか。
何でもかんでもネットで申請する、分からない人には助けないっていう社会は嫌いだなと感じた。役所側からしたら仕事を回すためには仕方ないのかもしれないけど、それって本当の目的からはズレてしまってるんじゃないだろうか。今の自分はそこまで感じてないけど、立場が変われば、また違う世界に見えるのかな、と感じた。色々経験しないとな。
もう少し歳をとってから観るとまた感じ方ちがうんだろうな。
ダニエルさんとケイティさんが心から支え合っている姿に、救われた。近くにそんな通じ合える人がいれば、それだけでも幸せなんじゃないかな、「わたしは、ダニエル・ブレイク」って認識できるよね。
万引きする、とか、落書きする、とかそのエネルギーがあれば、もっと違うことに早くにベクトルを向ければ、良いのに、とドライな自分もいたけど、実際は難しいんだろうな〜。前向きに動き始めた時に発作が起きるってのは溜まったもんじゃない。
人の心の救いになれる人になりたい、隣人には手を差し伸べたい、よくブレるけどやっぱり継続したいなって強く感じた。あと、イギリス行きたい。
これはひどい
まずアマゾンプライムの紹介文がひどい。
隣の誰かを助けるだけで人生は変わる、なんてこのエンディングからよく思い付いたな。
主人公が何も成し遂げないで突然死亡。
あの二人の子供達はどうなったの?
どの辺で一体誰の人生が変わったの?
リアルを描いたのはいいが、これって映画としてどうなのよという気持ちが止まらない。
この映画が高評価なのも全く理解できない。
ほっこりしたくてこの映画を見ようと思う方には見ない方が良いと言いたい。
観て良かった
※ネタバレありです
ふとプライムでオススメされて予告の時点で引き付けられたので鑑賞しました。
観て良かったです。
私はハッピーエンドの物語が好きですが、最後お手洗いにダニエルが立った時、そこで心臓発作起こして亡くなるパターンだったら辛いな、と思ったらその通りで悔しくて涙が止まりませんでした。
ケティがお腹が空きすぎてトマト缶をその場で開けてしまうシーンでも胸が締め付けられました。
何故貧しいのに子供を産むんだろうとか昔なら思っていたけど、自分が子供を産み、更に自分が産まれた時のきっかけを母から聞くなどして、妊娠出産なんてひょんなことも多く世の中予定調和で生まれてきた子の方が少ないだろうと思うようになりました。
産んでから子供に申し訳ないと思って必死になるもんですよね。(全ての人がそうな訳では勿論ない)
PCの操作に四苦八苦するダニエルを見てて今すぐ手伝いに行きたいと思いました。
ねえ、なんでそんなに不親切なの?
オンラインでしか受け付けないならそのためのスタッフと設備を用意するべきじゃないか。人手が足りない&管理のデータベース化のためのオンライン受付なんだろうけど、あまりに意地悪なシステムじゃないか。
履歴書講座だって書き終えた履歴書を添削する係がいてもいいじゃない。
まとまった感想が書けないです。
悔しくて虚しくて優しさもあって悲しくて寂しくて・・
万引きについても考えさせられます。万引き家族も見たけど、私は万引きはやはり犯罪だと思う。どんなに辛くても人の物を盗むのは許されない。店主が許して商品をあげた時、自分ならどうするだろうかと自問しました。
決して明るい映画では無いけれど何だろう、、心の財産になるような映画。
観た人とじっくり語り合いたい。
悲しい
あまりに静かで、いつかとんでもないことが起きるのでは?とドキドキしながら観ていた。
でも、なかなか?何も起きない。
ただただ、淡々と時間だけが過ぎていく。
何も解決しないまま。
理不尽なたらい回しにも、ため息をつくだけのダニエル。
なんとか幸せになって欲しかったな。
ケイティ親子にも。
その後幸せになっただろうか?
隣人には手を差し出す。
座右の銘にしようかな。
何と言えばいいか分からない後味
何の予備知識もなく観たら、とんでもない映画だった。
真面目に勤労し、納税し、妻の介護までしてきた1人の男が、心臓病で仕事出来なくなったことを就労不可と認めない、医学知識の浅い人間が安易に出した結論のみによって、社会からはじかれていく。
身体に無理をさせて仕事に就くべきだったのか。
どんな屈辱や理不尽にも耐え、何度も求職者申請を続けるべきだったのか。
初めだけ手を貸してくれるかもしれない友人知人から、信頼を担保にお金を借りれば良かったのか。
いや、そうではないだろと思いたい。
一つ目は死んでしまう。そんなの過去の奴隷と同じではないか。
二つ目、三つ目は、赤の他人の話や創造だと思って外から見るから言えることだと思う。
二つ目三つ目を推奨しているような、映画に批判的なレビューを読んだ。
とても恐ろしい考え方をする人間がいるんだと思った。
昨今増加している、匿名では正しいことだけを追求する理想論自己陶酔にしか、私には思えない。
本人に非がないのに、惨めさに耐え続けるのが市民なのか。
返すあてもないお金を借りて、周りから信頼を失い老いていくのがベストか?
残酷な外野の正義感などいらない。
真綿で首を絞めるような、リアルな不幸を見事に描いている傑作だと思う。
清貧と言う名のレクイエム
「万引き家族」の原点のような映画、カンヌで常連の是枝監督にも影響を与えたのであろう。舞台は英国だが普遍的な社会問題を真正面から描いている。しかしながら、本当に観て欲しい人たちには観てもらえない映画だと思うと閉塞感と無力感に苛まされる。ケイティの「彼は決して貧しくはなかった、お金では買えないものを多く持っていたから・・」の弔事は一抹の慰め、せめてもの救いを与えてくれた気がする。
落ち込んでいたら、浅はかにもフィリップマーローの「強くなければ生きられない、優しくなければ生きている価値が無い」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)の名セリフが浮かんできた。
エグいほど現実
ちょっと前にまさに主人公のような境遇になったので、他人事ではなく感じ入り込んでしまった。あの公務員の感じまでそっくり。自尊心削られるんだよ。お金のために、何で自分をここまで貶めなきゃならないんだろう。あのときの情けない無力な、踏みつけられた自分を思い出す。
他人事では全くない!!
ダニエルの第一印象は声が高いというものでした。生活描写やお役所対応がリアルで引き込まれます。人々の善意で成り立っているのだから、仕事の話は取り合えず受けて欲しかったです。母子に入れ込み過ぎなんじゃないかと思われるギリギリのバランスだったと思います。日本の政治や企業も「今だけ、自分だけ、お金だけ」の風潮で、2018年12月30日にTPPが発効し、国民の暮らしは更なる地獄に叩き落とされますが、人々に善意があるかは日本ではあまり期待できない気がします。
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