「ディストピアは始まっているか」わたしは、ダニエル・ブレイク LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
ディストピアは始まっているか
どうしたんだろう。
アマプラで試聴した直後にちょっと辛口のレビューを投稿したつもりなのに、なぜか投稿が到達しておらず下書きも存在しない。
これは「おまえ、もう一度練り直せ」という映画の神様のお告げなのか。
で、練り直してみた。
映画の出来としては総じて悪くないと思う。
その好ましい点については、文章の終わりの方にきちんと書きたい。
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ただモチーフの現象面に淫して「社会派ドラマの傑作」と全肯定してしまうのは何だか違うよなぁ…とモヤモヤが消えない。
また、一部のレビュアーさんの「ダニエルもダニエルで、ちょっとアレじゃない?」というご感想に少なからずシンパシーを覚えることも確かだ。
などということを、神様の「やり直し!」の刑のあいだに振り返りつつ、もしこれがこんにちのイギリスの行政サービスとして当たり前のレベルだとしたら、明日はわが身とゾッとする。
すでに日本でも、こんな硬直的な運用が散見されるからだ。
昨今可決され施行されることになったハラスメント関連の改正法は、カスタマーハラスメントの防止措置がセクハラやパワハラに加えて義務化される。
だから最近、ほとんどあらゆる消費者接点の店頭で「カスハラには厳正に対処します」というポスターが掲示されている。
しかし、行政のみならず一部の民間の現場でも、凄まじい顧客対応が横行している。
典型的なのはPCのOSや米国系大手ネット通販のサポートデスクだ。
あれは「サポート」ではなく「アビューズ(顧客虐待)デスク」だと思う。
すべてに共通するのは責任逃れとたらい回しであり、それ、おかしくないですか?という声を届かせるルートも手段もない。あっても隠されているか、非常に分かりにくく、苦情を申し立てる側に諦めさせる設計ではないか、とさえ勘繰る。
すべてがファッキンなワークフロー設計によるもので、改善する仕組みも組み込まれていない。
それなのに「どう考えてもおかしいでしょ?」という正当な苦情が、今後はあの窓口担当の伝家の宝刀「違反審査となります」や、管理主任の「お引き取り願います。警備員!」に容易に繋がってしまいそうなのだ。
しかもその最前線で聞き流さざるをえずに毎日謝罪し逃避し疲弊しているのは、アウトソースされたコールセンターのオペレーターの方々である。
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『ダニエル・ブレイク』で読み間違えてはいけないのは、社会の分断や貧困の放置や官僚的な政府…と言ったステロタイプな告発映画であるということでは決してなく、このクソみたいな社会はどんな政治勢力が作ったシステムであろうと当たり前のように出現する、ということだ。ソ連を見よ。
つまり、人間の作り上げる仕組みのすべては作った瞬間から腐り始めている。
そのことに異議を唱える確かな方法論が、ダニエルやケイティのような一度底辺に滑り落ちた人には見つけられない。
その底なしの人間の愚かさに震撼せよ、というのがこの映画の(ケン・ローチの)言いたいことではないか。
・・・・・しかし、だ。
マジメに考えるほど、ここがモヤモヤするのだ。
ダニエルやケイティを支援してくれるのは、フードバンクの人びとと善意を持つ役所の窓口女性、そして終盤になって登場する人権派?の弁護士くらいだ。
あ、あとはダニエルの落書きに快哉を叫ぶ通りがかりのおじさんと、道の向こう側からヒューヒューと声援を送るバニー耳の謎の集団だけか。
しかし、だ。
イギリスには社会的弱者の側に立つ社会福祉士やケースワーカーは一人もいないのか?
生活保護申請をさまざまな手口で跳ねつけようとする役人に対峙するために申請支援をするNPOは一つもないのか?
政党を問わず、こういった市井の問題に異議を唱える地方議員は一人もいないのか?
それらが本当に、まったくないとしたら、イギリス(少なくとも舞台となったヨークシャー)は、すでに本物のディストピアである。
だから、何かおかしい。
見せられていないものがある。
という感覚を拭えない。
それは、映画を作る人間として、誠実なのか?
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美点を最後に。純粋に技術論ではありますが。
『石炭の値打ち』と同じく、ケン・ローチの指揮する撮影の目線は、常に生身の人間と等身大だなぁと思う。
凝ったアングルやパンがまったくない。
ドキュメンタリーかと見まごうほど淡々と人間の自然な所作を追い続ける。
だから視聴する者は、まるでその場にいてカメラのすぐ後ろで目撃しているような没入感を覚える。
役者が演じる人びとと同じ空間で同じ空気を吸っているような錯覚を覚える。
「人の優しさ」の表現も抑制的で奥床しい。
その静謐な凡庸さを、ディストピアと重ねて観るところに、彼の作品の独特のテイストを感じる。
