「緩急つけたメリハリが深い感動を呼び込む」ハクソー・リッジ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
緩急つけたメリハリが深い感動を呼び込む
予告編からは、『ハクソー・リッジ』(原題:Hacksaw Ridge)はヨーロッパ戦線を描いた作品だと思っていました。ところが、実際は沖縄戦だったのですね。主人公の所属するアメリカ軍の敵となるのがわが祖国の同胞たちの日本陸軍と知って、見ていて複雑な心境となりました。
けれども、勇敢な日本陸軍の奮闘ぶり、そして最後の自決シーンで見せる司令官の切腹自決シーンなど、メル・ギブソン監督の日本人の武士道精神に対するリスペクトを感じさせてくれて好感が持てました。
作品は、第二次大戦の沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンド・T・ドスの実体験を描いた戦争映画。デズモンドはセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔なキリスト教徒であり、沖縄戦で多くの人命を救ったことから、「良心的兵役拒否者」として初めて名誉勲章が与えられた人物を描いた実話に基づく物語です。
舞台となる「ハクソー・リッジ」とは、沖縄戦において、浦添城址の南東にある「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地の北側が急峻な崖地となっており、日米両軍の激戦地となったことから、米軍がこの崖につけた呼称です。
やはり一番感激したところは、デズモンドの信仰心の強さを感じさせる信念でした。味方は撤退したあとの崖地に単身残って、敵軍に囲まれ襲撃を受け、自らの命を危険にさらしながら、「神のためにあと一人、もうひとり」と傷ついた傷病兵を、武器も持たずに救出し続けるシーンは感動しました。傷病兵を崖から降ろすことだって半端ではありません。150メートルの絶壁から、ガタイの大きい傷病をロープを巻き付けて降ろす作業を単身で行うのは、かなり大変だったことでしょう。
言葉ではなく、行動で自分の信念を証明し、仲間の信頼を勝ち得ていく。その姿にこれからご覧になる皆さんも、きっと胸が熱くなることでしょう。
またハクソー・リッジでの両軍が肉薄する戦闘シーンは圧巻そのもの。目の前を銃弾が飛び交い、ヘルメットを直撃して「チン」と音を立てるところなんぞ、思わず身体がピクリと反応してしまいました。
。敵も味方も問わず打ち込まれる米艦船からの怒濤の艦砲射撃。あれじゃあ、味方の戦艦の砲撃で死傷した兵士もいたに違いことでしょう。
使っている弾薬も半端でなく、火炎放射器の放射シーンで何人もの兵士が火だるまにされていくところはリアル過ぎて戦慄を覚えました。
この混乱状態が、戦場の真の姿を暴き出していると思います。とにかく無数の兵士が、一瞬で無残に死んでいくのです。
この激しさががあればこそ、デズモンドが活躍の困難さと勇気が一層引き立てられたのです。後半1時間延々と続く戦闘シーンの迫力は、映画史に残ることでしょう。第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞したのも納得の出来映えでした。
しかし、メル・ギブソン監督の素晴らしいところは、激しい戦闘シーンにメリハリをつける戦闘前後の描写に真価があると思うのです。
前半、かなり長い尺を使って、デズモンドが銃を持てなくなった経緯とそれに連なる父親のDV。そして太平洋戦争開戦後にアメリカの若者たちが抱いた時代の気分について、ゆったりと描かれます。特に看護師のドロシー・シュッテと恋に落ち、結ばれていくシーンでは、まるで青春映画を見ているかのような瑞々しい感性を見せてくれたのです。
デズモンドが軍隊に志願して、激しい訓練を受けている最中も、それは変わらず、戦争中という暗さ、悲惨さは微塵も感じさせてくれませんでした。
やがてデズモンドが沖縄に派兵されてはじまる、敵味方入り乱れての白兵戦。
タイトルにある「ハクソー」はのこぎり、「リッジ」は崖の意味。そのハクソー・リッジに縄ばしごで登り、初めて実際の戦闘を体験したとき、一気にたたみ掛けるように戦争の無意味さ、無慈悲さの洗礼を受けるという極端に対象な展開となっていました。
このように散々激しい映像をせつけたにも関わらず、ラストでは観客の緊張をクーリングさせるかのような、安らぎに満ちた映像で締めくくってくれたのでした。
このメリハリが、見ているものの魂を激しく揺さぶり、安堵させてくれるのニクい演出なのですね。
さらに特筆すべき点は、デズモンドの信念の見せ方が、押しつけがましくないことです。
デズモンドの入隊後は、信仰を貫こうとして、同僚たちから迫害に遭ってしまいます。これは、同じガーフィールドの主演による「沈黙―サイレンス―」にも通じるのではないでしょうか。「人を殺したくない」というデズモンドの信念に異論はありませんが、「大切な人が攻撃されたらどうするのか」という上官の正論にも納得してしまいます。彼の理想論は、まるで護憲論者が語る平和ボケのようにも見えてしまうのです。デズモンドの信念を絶対的に描かず、登場人物の問答を聞きながら、どちらの言い分が正しいのかと、観客に自問自答させる手法は、より深く作品に感情移入させるうまい演出なのだといえます。
物語は、アメリカ・ヴァージニア州の緑豊かな町で生まれ育ったデズモンド・ドスは、元気に野山を駆け回る少年でしたが、ある日誤ってケンカで弟を殺しかけてしまったことから始まります。これが後の本作の物語に繋がるトラウマとなりました。
加えてデズモンドの家族は、ある問題を抱えていたのです。父親のトムは、兵士として戦った第一次世界大戦で心に傷を負い、酒に溺れ、母バーサとの喧嘩が絶えなかったのです。とうとう銃を持ち出したトムが、銃口を母親に向けたとき、父から銃を取上げたデズモンドが、もみ合ううちに父親を殺しかけたことが、さらなるトラウマとなり、デズモンドは二度と銃を持てなくなってしまったのでした。
月日は流れ、成長したデズモンドは、看護師のドロシー・シュッテと恋に落ち、心躍る時を過ごしていました。
しかし第二次世界大戦が日に日に激化し、デズモンドの弟も周りの友人達も次々と出征していくのです。デスモンドの愛国心は人一倍でした。何か国のために自分ができることはないのかと真剣に悩みます。そして自分も軍隊に志願することを決意したのでした。ドロシーとの結婚も決まっているし、そもそも銃も持つことすらできないデスモンドがなんで入隊を志願したのでしょうか?
それは、子供時代の苦い経験から、「汝、殺すことなかれ」という教えを大切にしてきた彼自身であったからこそ、「衛生兵であれば自分も国に尽くすことができる」との思いからでした。
グローヴァー大尉の部隊に配属され、ジャクソン基地で上官のハウエル軍曹から厳しい訓練を受けるデズモンド。体力には自信があり、戦場に見立てた泥道を這いずり回り、全速力で障害物によじ登るのは何の苦もなかったのです。
しかし、狙撃の訓練が始まったとき、デズモンドは静かに、しかし断固として銃に触れることを拒絶するのでした。
軍服や軍務には何の問題もなく「人を殺せないだけです」と主張するデズモンドは「戦争は人を殺すことだ」とあきれるグローヴァー大尉から、命令に従えないのなら、除隊しろと宣告される。その日から、上官と兵士たちの嫌がらせが執拗に始まります。普通は軍隊が嫌になって新兵の脱走を図ることが、上官の懸案事項として普通なのに、デズモンドに対してはありとあらゆる手段で除隊への嫌がらせを行うところに違和感を感じました。それでもデズモンドの決意は微塵も揺るがなかったのはアッパレだと思います。
とうとう出征前に約束したドロシーとの結婚式のその日。デズモンドはライフルの訓練を終えないと休暇は許可できないといわれ、命令拒否として軍法会議にかけられることになります。
面会に訪れたドロシーに、銃に触れないのはプライドが邪魔しているからだと指摘され口論に。でもデズモンドは、逆にその”プライド”こそが大切だと気付くのです。「信念を曲げたら生きていけない」というデズモンドの深い思いに心を打たれたドロシーは「何があろうと、あなたを愛し続けるわ」と励ますのでした。いいシーンです。
「皆は殺すが、僕は助けたい」―軍法会議で堂々と宣言するデズモンド。ところが、意外な人物の尽力でデズモンドの主張は認められることに。
1945年5月、沖縄。グローヴァー大尉に率いられて、「ハクソー・リッジ」に到着した第77師団のデズモンドら兵士達。先発部隊が6回登って6回撃退された末に壊滅した激戦地です。
150メートルの絶壁を登ると、そこには百戦錬磨の軍曹さえ見たことのない異界が広がっていました。前進した瞬間、四方八方からの攻撃で、秒速で倒れていく兵士達。他の衛生兵なら見捨てるほどの重傷の兵士達の元へ駆け寄り、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中を走り抜けるデズモンド。感嘆の目を向け始める兵士達。しかし、武器をもたないデズモンドに、さらなる過酷な戦いが待ち受けていたのでした…。
信念溢れる主人公を熱演するアンドリュー・ガーフィールド。逆境を厭わない役柄を熱く演じるには、やっぱり彼が適役ですね。
余談ですが、完璧なギブソン監督の演出でも手榴弾を平手打ちではじき返し、キックで蹴飛ばすというのは、サービス過剰だったかもしれませんね。