光(河瀬直美監督)のレビュー・感想・評価
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事前に予告編を観ない方が良いと思います!
全体的にはよい映画であることは間違いない。
ただ、消えいくものの美しさ、別れに向き合うというのをテーマにしながら、結局は向き合いきるというよりは、新しく分かりやすく魅力的なものの登場によって乗り越えたという印象を受けてしまって、それが映画の深みを損なわせていると感じた。
具体的には、美佐子の中森への喪失体験への共感が恋愛感情につながってしまったこと。
せめて、河瀬直美の処女作「萌の朱雀」のように、直接的な恋愛表現がない形で想像させてほしかった。
受容というよりはより性的な意味をもつキスをいきなりするとか、ポスターがそのシーンであるとかに、劇中で「映画の音声ガイド」に求めている深さにたいしてこの浅さは…と感じてしまった。
あと、事前に予告編を観なくてよかったと心から思った。
文脈から切り離されたくない重要なシーンや台詞が入りすぎている。
いつものように映像は綺麗だし、着眼した素材も素晴らしかっただけに、残念度合いも大きかった。
河瀬直美の唯一性がどんどん薄まって来ている気がする。
透明
不思議な透明感を持った作品だと感じた。
考えてみれば、闇も透明も「見えない」って事で括ったら同じようなもんだ。
何から感じ取ったのかは分からんが、静寂とか整然とか…静かな水面を想像してた。
主人公の分かりやすい成長を主軸に据えているとはいえ、それを取り巻くものが一癖も二癖もあるモノばかりで…人の内面の複雑怪奇なシンプルさに気づき、そして、それを選択した監督に畏怖の念さえ抱く。
映画の音声ガイドなんて職業をよくぞ選んだものだと思うが、直接的に関わり第三者的に距離をおくにはもってこいのポジションだ。
作品毎にご自身が監督として関わっておられるのかもしれないが、健常者からすれば頭にも過らない。
永瀬さんの視界がゼロになった時にドキっとした。
このまま映像が更新されていかないのではないかという懸念が頭を過ぎり、視覚障害者の世界に一歩、いや半歩、足を踏み入れたような気になった。
恐ろしい。
作中にある言葉通り、僕はこの映画を通して、盲目の方が生きる世界に少し関われた。
そして、その世界に全く色がないわけではないという事も感じられたように思う。
目で観るのとは別の認識が出来る色があるのではないのだろうかと思う。
そして、最後に盲目のカメラマンは叫ぶ。
「そこに辿り着くから、待っててくれ」
と。
同情からの善意…それだって善意なわけだが、そうではなく、並び立つ個としての理解を求められたようであった。
意欲作であった。
圧倒された!完全にもって行かれた!
重いテーマながらいくつかのエピソードと情景をうまく組み合わせながらやんわりと話を作って冒頭の伏線がどうなるどうなる〜ここでドーン!ヤラレター!な感じ
それぞれの演技も流石の上手さで感情移入もできて映像も訴えるものがあったしそういった意味でとても楽しめる
あと、昔から見てる人なら おお、これは!と思うエピソードが上手くハマっててより感情移入できた
女性映画作家ならではの繊細さ
なんとなくわかるような、分からないような..
人生経験を積み上げればそうするほど分かりやすくなるような...
でも引き込まれる、不思議な力に。
光を求める二人。
美佐子は父との記憶。
中森は写真に映される光を。
想像力ないのは中森?
それとも美佐子?
むしろ二人とも想像しようもしない。
傷ついて真の自分と本気に向き合わない。
最後に、映画の音声ガイドができ、劇場で最後の台詞は、「光」がある。二人とも、光の正体を掴んだ感じが半端じゃない。
この映画を見るには、観客の感受性が最も重要だと思うし、見終わって解釈しようとしても、あくまでも個人的な意見になるだけ。でも本当に光を浴びるようになる気分だったー
常生活の光をもっと大事にしたいと...
またもう一つの側面、映画。この映画の中また映画が出る。
美佐子は映画のシーンを解説しようとする。彼女の理解は盲目の人の理解を左右していると言ってもよいだろう。
ここで改めて映画は何?と問いかける。 スクリーンのイメージがなければ残りは何?ガイド付き、画面なしの映画は小説の朗読テープとどんな区別がある?
映画は初めから光なしではできないもの。映画を見る人の目に光が映せないなら?
しかしこのような発想は、美佐子が一生懸命映画のガイドを再編するときだけ浮かんだ。曖昧なままでよく分からなかった。
全体的にとてもいい感じでできてる映画だが、振り返るとちょっと単一的な物語になっている。
「光」をテーマに、盲目のカメラマンと、映画にガイドを作る職を勤める女性を設定するのは確かに斬新だー
でもなんとなく何か足りない気がする。
せっかく劇中劇を設置したのに、そん辺よく分からなかった。
クロースアップが多かった。
その分水崎綾女をはじめ、役者さんの演技を魅了した!
素晴らしかった。
奈良の町、山の風景、光、逆光....主人公の感情が繊細に描かれている。
さすが女性監督、お見事。
それを含めた4.0点。
具体によって制限される健常者と、スクリーン内に入ることもできる視覚障害者
フランス語タイトル:Vers la lumière.第70回記念のカンヌで話題となっている、河瀬直美監督の最新作。
初日の初回。満員とは行かないまでも、バルト9のシアター6は400席の同館最大クラスなので、なかなかの集客である。まるでパルムドールを受賞するかのような報道が続いており、それほど前評判がいい。日本人は、"空気"に弱いから、実際に受賞すれば爆発するだろう。
目の不自由な人向けのイヤホンによる、"映画の音声ガイド"の制作をしている美佐子と、視力を失いつつある弱視のカメラマン・雅哉が出逢い、惹かれ合っていく話。
多くの人にとって、目の不自由な人が感じる、"映像のない映画"という概念をはじめて知ることになる。
"具体があるほど、人間のイマジネーションは限定される"…なんとなく分かっているつもりの事実だが、その現実を強烈に気付かせる作品になっている。
カメラワークも映像が制限されていたり、ソフトフォーカスを使う。また意図的なホワイトアウトやブラックアウトも挟んでくる。さらに"セリフ"、"音楽"、"背景音"、"環境音"などの、音素材を大切にクロスオーバーさせている。アンビエンスサラウンドと、2chファントムの使い分けも効果的だ。
"映画の音声ガイドを作る"という行為は、目に見える状景を言葉に置き換えることだが、"言葉"という具体を使った時点で、作品の拡がりを制限してしまうという矛盾をはらんでいる。いまコメントを記している、この本文も主観という言葉によって、映画の価値を制限しているということになる。
そして目からウロコの事実。健常者は障害者が制限されていると思うが、そうでもないこともある。何不自由なく映画を観ている我々は、当然スクリーンのこっち側にいる。しかし聴覚障害者は、"音声ガイド"によってスクリーンの中に入っていくことができる。俳優とともにシーン内にいるというのだ。
河瀬監督の前作「あん」(2015)は、ハンセン病差別がテーマであった。連続して社会的弱者がテーマの映画が続く。「あん」同様、近作は一般的に解釈しやすい、親切な作りになってきている。その「あん」にも出演している永瀬正敏が、カメラマン・雅哉を演じる。映画には実際に視覚障害者の出演者もいるが、永瀬正敏はその中で、自然にその制限された動作を演じている。
ヒロインの美佐子を演じるのは水崎綾女(みさきあやめ)。映画「ユダ」(2013)のキャバクラ嬢役の主演で注目され、グラビア好きやバラエティ番組好きのミーハーなら知るところだが、一般には知名度は低い。しかしカンヌ新人賞の「萌の朱雀」(1997)で、当時中学生の尾野真千子を見い出だし、「殯の森」(2007)でもスタッフの一員だった、うだしげきを主役に選んでいるので、河瀬監督には珍しくない。水崎綾女の、その演技を観れば主演抜擢の理由にうなずけるはず。これからの活躍も期待したい。
カンヌの結果は29日(月)未明。コンペティションは20作品もあるので、あまり期待してもねぇ。負けないくらい素晴らしい作品ではある。
(2017/5/27 /新宿バルト9/シネスコ)
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