「『涙こそが目の本質ではあり、視覚ではない』ジャック・デリタ 河瀨直...」光(河瀬直美監督) songさんの映画レビュー(感想・評価)
『涙こそが目の本質ではあり、視覚ではない』ジャック・デリタ 河瀨直...
『涙こそが目の本質ではあり、視覚ではない』ジャック・デリタ
河瀨直美監督のカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作『光』を観てきた。
思わず唸ってしまう佳作に心がゆすぶられた。
僕は、映画は映画館で観るのが断然好きなのだが、
最近は映画館でもバリアフリーに気を使った映画館も増えているし、車いす専用のスペースを設けていたり、
障碍者の方にとってまだまだ不充分だという声も聞かないこともないことにはないが、
以前に比べて配慮されているように思える。
最近は聴覚障碍者を主に配慮する目的で、スマホなどに専用アプリをダウンロードすると、
端末のマイクが音声を拾って、専用メガネに「日本語字幕」「外国語字幕」「手話映像」を
表示したりする優れものもあるよう。
しかし、主な表現手段を視覚に委ねて観る者に伝えるのが映画や絵画、彫刻、写真などの芸術である。
視覚障碍者にその表現を言語で伝えるむつかしさがすこし理解できたように思える。
様々な「光」が演出される映画だった。光を失いつつある弱視を患うカメラマンの雅哉(永瀬正敏)と、
視覚障碍者のための映画音声ガイド制作者の美佐子(水崎綾女)。この二人のつながりを、
まさしく「光」でもって描いている。
山肌に落ちていく落日、部屋の中に西日が差し込み、部屋に吊るされたプリズムの中を通過する光の反射。
弱視のカメラマン雅哉が“俺の心臓”と言わしめたローライフレックスのファインダーを通して見える光・・・。
でも、この作品は雅哉と美佐子の魂の想像力と共感性に「光」を当てたのだと思う。
劇中、美佐子の作った音声ガイドに雅哉は
「そのガイド、今のままではじゃまなだけです・・・その解釈はあなたの勝手な想像でしょう」と
容赦ない批判を向けてくる。確かにそうなのだ。その情報は美佐子の主観に過ぎないのだ。
美佐子は「あなたは表情がない。想像力がないのではないですか」と反論する。
しかし、同じガイドスタッフから
「あのね、目の見えない人達は私たちよりずっと豊かな想像力の世界に生きているのよ」と諭される。
伝えることのむつかしさをこの一場面が雄弁に語っていた。
映画を通して手持ちカメラが多用されていた。
ドキュメンタリータッチの手法で創作にリアリティさを演出しているカメラワークは役者の演技を引き立たせてた。
ひとつ気になったのがこの映画のキャッチコピーは「珠玉のラブストーリー」となっている。
だれやこんなコピーつけたのは。どこ観とんねん。この映画の主題は「ラブストーリー」ではない。
舞台は河瀨直美監督のふるさと、奈良県がベースとなっている。
エンドロールのロケ地に天理市がテロップされてた。
僕が高校・大学を過ごした場所でもある。(柔道ばかりしてたけど 笑)
すごく懐かしく映像を見ていた。
いいなぁ、あの夕日が里山に消えていくやさしい光にまた会いたくなってきた。
河瀬監督に一言。最後に樹木希林を使うのはずるいな(笑)