「具体によって制限される健常者と、スクリーン内に入ることもできる視覚障害者」光(河瀬直美監督) Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
具体によって制限される健常者と、スクリーン内に入ることもできる視覚障害者
フランス語タイトル:Vers la lumière.第70回記念のカンヌで話題となっている、河瀬直美監督の最新作。
初日の初回。満員とは行かないまでも、バルト9のシアター6は400席の同館最大クラスなので、なかなかの集客である。まるでパルムドールを受賞するかのような報道が続いており、それほど前評判がいい。日本人は、"空気"に弱いから、実際に受賞すれば爆発するだろう。
目の不自由な人向けのイヤホンによる、"映画の音声ガイド"の制作をしている美佐子と、視力を失いつつある弱視のカメラマン・雅哉が出逢い、惹かれ合っていく話。
多くの人にとって、目の不自由な人が感じる、"映像のない映画"という概念をはじめて知ることになる。
"具体があるほど、人間のイマジネーションは限定される"…なんとなく分かっているつもりの事実だが、その現実を強烈に気付かせる作品になっている。
カメラワークも映像が制限されていたり、ソフトフォーカスを使う。また意図的なホワイトアウトやブラックアウトも挟んでくる。さらに"セリフ"、"音楽"、"背景音"、"環境音"などの、音素材を大切にクロスオーバーさせている。アンビエンスサラウンドと、2chファントムの使い分けも効果的だ。
"映画の音声ガイドを作る"という行為は、目に見える状景を言葉に置き換えることだが、"言葉"という具体を使った時点で、作品の拡がりを制限してしまうという矛盾をはらんでいる。いまコメントを記している、この本文も主観という言葉によって、映画の価値を制限しているということになる。
そして目からウロコの事実。健常者は障害者が制限されていると思うが、そうでもないこともある。何不自由なく映画を観ている我々は、当然スクリーンのこっち側にいる。しかし聴覚障害者は、"音声ガイド"によってスクリーンの中に入っていくことができる。俳優とともにシーン内にいるというのだ。
河瀬監督の前作「あん」(2015)は、ハンセン病差別がテーマであった。連続して社会的弱者がテーマの映画が続く。「あん」同様、近作は一般的に解釈しやすい、親切な作りになってきている。その「あん」にも出演している永瀬正敏が、カメラマン・雅哉を演じる。映画には実際に視覚障害者の出演者もいるが、永瀬正敏はその中で、自然にその制限された動作を演じている。
ヒロインの美佐子を演じるのは水崎綾女(みさきあやめ)。映画「ユダ」(2013)のキャバクラ嬢役の主演で注目され、グラビア好きやバラエティ番組好きのミーハーなら知るところだが、一般には知名度は低い。しかしカンヌ新人賞の「萌の朱雀」(1997)で、当時中学生の尾野真千子を見い出だし、「殯の森」(2007)でもスタッフの一員だった、うだしげきを主役に選んでいるので、河瀬監督には珍しくない。水崎綾女の、その演技を観れば主演抜擢の理由にうなずけるはず。これからの活躍も期待したい。
カンヌの結果は29日(月)未明。コンペティションは20作品もあるので、あまり期待してもねぇ。負けないくらい素晴らしい作品ではある。
(2017/5/27 /新宿バルト9/シネスコ)
河瀬直美監督には残念な結果だったけれど、何百、何千という作品がコンペティション出品にさえ至らないわけで、日本映画唯一、かつ日本人監督最多の出品回数となった本作。映画ファンなら、心の"眼"に刻むべき価値があります。
音声ガイドをしているものです。(私は、美佐子と違って、ライブでしています)
素晴らしいレビューなので、ついメッセージを書かさせていただきます。
>聴覚障害者は、"音声ガイド"によってスクリーンの中に入っていくことができる。俳優とともにシーン内にいるというのだ。
おっしゃる通りなのです。
ガイドは、「右から左に歩く」と言わない。「美紗子は雅哉に向かって歩く」です。
だって、映画の中の世界にいるのだから。