「頑張ったのに残念な作品になった典型」ゴースト・イン・ザ・シェル 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
頑張ったのに残念な作品になった典型
映画館で観た作品だが、Blu-rayで2度目の鑑賞をした。
また映画館では英語音声字幕付きで鑑賞したが、今回は中心的な登場人物をアニメ『攻殻機動隊』のオリジナル声優が担当しているということもあり日本語吹き替えで観ることにした。
結果から言うとこの選択は正しかった。
2割から3割増しで作品に入り込めるようになった。
本作では9課課長荒巻役をビートたけしが演じている。荒巻の日本語吹き替えを押井版の大木民生かTVアニメ版の阪脩が担当しているかもという淡い期待を抱いていたがさすがにそれはなかった。
たけし監督作品でヤクザ役を観すぎているせいかたけしが話す度にせっかく脳内で構築した攻殻の世界観が壊れる。
もっともたけしは英語オリジナルでも1人だけ日本語で話すなど違和感ありまくりの浮きまくりだったので、全編日本語音声な分多少ましである。
たけしがなぜ1人だけ日本語を話していたのか、論理的な説明としては、電脳化が進んだ社会で特に電脳化率100%の9課では荒巻の話す日本語を他のメンバーが瞬時に英語に変換しているということになるのだろう。
しかしたけしの英語が下手すぎて取った苦肉の策であるのは誰もが想像するところだ。
また欲を言うならオウレイ博士か『イノセンス』の検死官ハラウェイを模した研究員のどちらかの日本語吹き替えに榊原良子を起用して欲しかった。
内容は本家の『攻殻機動隊』を軸に、『イノセンス』、TV版の『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』や『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』、新作『攻殻機動隊 ARISE』などすべてのシリーズから使える要素をつぎはぎした作品になっている。
しかもそれでいて続編制作に欲があるものだから『攻殻機動隊』とは違って最後にスカーレット・ヨハンソン演じる「少佐」はネットの世界に飛ばない。
その理論付けとして失われた記憶が戻りこの世に少佐をつなぎとめる存在として母親役の桃井かおりを用意し、同時に本作で「少佐」を日本人が演じないことへの弁明として本当は日本人であった過去も用意する。
本作の最大の弱点がこの取ってつけたような設定である。
アジア系の役に白人俳優を起用する「ホワイトウォッシュ」の問題がこの作品でも取り上げられたらしいが、別に史実や時代設定に縛られる作品ではないし、アメリカで制作されたハリウッド作品なのだから何もアジア系にこだわる必要はない。
近年問題の「ホワイトウォッシュ」を意識したために前述した設定を設けているとしたら本末転倒である。
それよりも主役がなぜ「少佐」と呼ばれているのか?むしろこちらに注意を向けて欲しかった。
かつて軍に所属経験がありその際の階級が「少佐」だったからに他ならないが、本作ではサイボーグ(義体)化する1年前は生身の市民活動家の少女である。
「少佐」と呼ばれるようになった由来がよくわからないし、またいくら脳以外を全身サイボーグ化したとはいってもわずか1年で超人的な活躍ができるだろうか?
だいたい本作の別の登場人物である「イシカワ」は純日本人名なのに演じているのはバリバリの黒人なのだから、全身サイボーグの「少佐」は「草薙素子」の名前のままヨハンソンが演じても良かったと思う。
そもそもこんなことにこだわっていたら全員日本人キャストで『鋼の練金術師』など制作できなくなってしまう。
また、かなり強い権限を持つ独立機関である公安9課が、いくら少佐を生んだとはいえ、ハンカという1企業の顔色を伺う設定も解せない。
それ以外ではクゼ・ヒデオがよくわからない。
基本は『攻殻機動隊』の敵役である「人形使い」の役回りになっているが、まずTVシリーズの『2nd GIG』の敵役の名前になっていること、その上もう1つのTVシリーズである『STAND ALONE COMPLEX』の敵役である「笑い男」の性格まで兼ねさせられ、あげくのはては「少佐」が生身の人間だった時の同じ活動家の同志である設定であり、なぜ彼が最後にネットの世界にダイブしなければいけないかの必然性もよくわからない。
良かった点は吹き替えを『2nd GIG』でもクゼ役を演じた小山力也が演じていることだろうか。
いろいろな制約ができてしまうといくら知恵を絞って脚本を練ってもこのような残念な出来になるという典型である。
かつて押井守がマンガ原作の設定を活かしただけで全く新しい作品を創り上げたように違う作品を創る手もあったと思うが、しょせんは『攻殻機動隊』のヒットありきで制作された実写映画だからそれも難しかったのだろう。
1995年に『攻殻機動隊』が発表されてからクールな戦う女性主人公は手を替え品を替えハリウッドで制作され続けている。
バンパイアものではあるがケイト・ベッキンセールが全身レザースーツに身を包んだ女戦士を演じた『アンダーワールド』シリーズ、シャーリーズ・セロンがタイトルロールのヒロインを演じた『イーオン・フラックス』、本作主演のヨハンソンがタイトル・ロールを演じた『ルーシー』に至っては、100%脳の機能を活性化させて最後はネットを通じて世界の一部になってしまう。ルーシーは禅思想を加味した草薙素子にしか思えなかった。
結局は『ゴースト・イン・ザ・シェル』の制作は今更なのだ。
本国アメリカでも不評だったようで制作費の半分も回収できなかったという。
またオープニングのサイボーグが完成するまでの映像を3Dプリンタを駆使して作成した実物を使用して撮影したようだが、逆にCG映像にしか見えなかったのでかえって驚く。
本編冒頭に出てくる芸者ロボットの顔も『ウルヴァリン: SAMURAI』に出演した福島リラの顔からわざわざ型を取って6個 ほど製作し、実際の役者にかぶらせて演技をさたらしい。
しかも元芸者だった人から所作まで学ばせる徹底ぶりだったらしい。ただ撮影後にCG処理を必要とする部分が結構あったためなのか、このシーンも筆者は単純に全部CGだと思っていた。
登場した当初は「不自然だ!」などとそれなりに叩かれていたCG技術だが、使い続けることでもはや実写との区別ができないレベルにまで達している。
『キングスグレイブ FFXV』を観ると、俳優を起用しなくても映画が制作できるのはそう遠い未来ではないと感じさせる。
一方実物で制作された芸者ロボの顔には、白塗りの下地に真ん中には日の丸のような赤丸があり、『イノセンス』のガイノイドよろしくパックリ四方に顔が割れる仕掛けまである。
おい!日の丸を割るな!とツッコミを入れたくなる衝動はさておき力を入れるべき場所、検証すべき場所がちぐはぐに思えるのは筆者だけだろうか。
インターネットを通じて海外の人も素の日本に触れられる機会が多くなっている現在、この手の映画の小道具を奇妙に見る人は世界中で確実に増えているのではないだろうか。
ステレオタイプのトンデモ日本観はもはや海外でも通用しないことを制作側はもっと知るべきである。
メイキングを観る限り、お金も時間も相当に費やして本作を制作していることは伝わってきたが、天地人に見離されたかのように不運な出来になってしまったのは非常に残念だ。
ただ筆者はヨハンソンらの演技は評価したい。(サイボーグを意識してか歩き方をわざとぎこちなくしているのはやりすぎ。)
眉根1つ動かさずに人を殺す草薙素子としてハードなアクションをこなせる女優が果たして今現在日本にいるだろうか?
ではバトーは?
今制作されれば『デビルマン』『ガッチャマン』の列に加わる作品が出来上がる確立の方が高く思える。
役者の演技力と面構えだけはいかんともしがたい。その意味ではやはり散々な出来であってもハリウッドではまだまともなレベルで実写化されたのだと思う。
もっともCG技術が進んでいけば価格自体が安くなっていくだろうからいずれは日本でも高いレベルでCGを多用できるようになるだろう。
そうなれば迫力のある外国人や日本人の顔をモーションキャプチャーしてキャラクターを作成し、CGで演技を付けてプロの声優を起用すればいいだけの話である。日本の俳優に頼る必要はない。
最後に、西山和枝社中の謡の一部を使ったりそれを匂わせる曲が所々流れるのは原曲に敬意を払っているようで好感が持てた。