「今を生きる者たちを讃える」ブルーム・オブ・イエスタディ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
今を生きる者たちを讃える
われわれは全て歴史の中を生きている。そしてわれわれもまた、その歴史の一部となる。
これが、われわれが歴史の加害者/被害者であり、後世の人々への責任を負っているということだ。
しかし、同時にわれわれはこの今を生きている。現代には現代の問題があり、それは社会の問題だけでなく、個人の抱える切実なものやそうでもないものも含まれる。
人が生きるということは、そのようなものの総体である。だから、ホロコーストを研究する者が自慰行為に耽ることもあるし、その最終解決の被害者が不道徳な男女関係を経験してたとしても不思議なことではない。
ハンナ・アーレントが指摘したように、ホロコーストの加害者があまりにも凡庸な人間であったのと同じく、被害者もまたそのほとんどが凡庸な存在だった。
凡庸な存在を特別なものに変えるのは歴史のバイアスで、いつの時代もこれを利用する小賢しい人間がいる。
収容所にいた元女優はそのことを理解しているから、研究所が政府から予算を獲得する為の会議に批判的だ。会議の責任者に対する「あなたならナチの良い諜報部員になれる」という皮肉は、ホロコースト後を生きる全人類に向けられている。
ヒストリーを振りかざすことは、行き過ぎるとヒステリーになる。
ドイツに着いたばかりの研修生がベンツのトラックに乗ることを拒否したりすることは、そのことを強く印象付ける。
自分の依る文脈と、相手が依って立つ文脈が異なること。その文脈を交換しなければ、相互理解には至らないこと。このことが解らない人には、この作品は不謹慎なナンセンスギャグ映画だったのではないだろうか。
映画の冒頭は確かにそのようなものへの不快感を覚えずにはいられない。しかし、映画はこの後、歴史の加害者と被害者が共に生きている世界を讃えるのだ。
そして、ホロコーストの恐ろしさは、凡庸な存在をその痕跡、存在したことの記憶までも消し去ろうとしたことなのだという、アーレントの言葉に改めて思いを至らせることとなった。