劇場公開日 2017年9月23日

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「今日の生は明日の亡霊である」プラネタリウム nagiさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5今日の生は明日の亡霊である

2017年10月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

失って初めてその愛しさに気付かされる、とはよく言ったものである。
普段当たり前のように接していた身近な人を突然亡くしたとき、我々は深い悲哀に暮れる。後に残るのは後悔ばかりだ。

そんな時、降霊術というのは1つの慰めになるのかもしれない。実際に「視えているか」はさておくとしても、自分にとって大切な人に会いたい...という強い思いがある人ならば、それによって彼は再会の幻想を抱くことができるかもしれない。(プラシーボ効果と言ってしまうとなんともロマンに欠ける。)

2人の降霊術による快感を得たアンドレは、その魅力に取り憑かれる。そこから彼の狂気的なまでの彼女らへの惚れ込みは、他者から見れば常人のものとは思えない。

アンドレの狂気的なまでの熱意は、虚無感への決死の抵抗である。
理想は、いつも遅れてやってくる。それはこの世の常だ。誰しもそうで、人は皆、失って初めてその真の価値に気付かされるし、理想へ努力し到達したその姿は、過去の自分にとっての理想なのである。
そこで我々に残るのは後悔と虚無感だ。しかし、アンドレは2人の「降霊術」を体験し、それを悟った。彼は、先にある理想をもがきながらも必死で追いかけた。

人は失いそうになると、嫉妬を抱く。そこから生まれるのは亀裂と溝である。失うと、愛おしさに胸が締め付けられる。人は失わずには本当の価値・愛を見出せないのだろうか?なんとも無常なものだ。

美しきナタリー・ポートマン演じるローラは、大切なものに嫉妬し、失い、そして新たな明日を歩み始めた。

今日の生きる自分は明日の亡霊である。とは、そんなこの人間世界のニヒリズム的な側面をよく表している。

それにしても、ナタリー・ポートマンの美貌には吸い込まれそうになった。

nagi