「マーティン・スコセッシ監督の致命的な過り。」沈黙 サイレンス お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
マーティン・スコセッシ監督の致命的な過り。
神は存在しているのか?
もし存在しているのだとして、これだけ祈り続けても、なぜ一言も応えてくれないのか?
これが「沈黙」という作品のメインテーマであり、タイトルの由来でもあるはずです。
しかし、この作品の中で、ただ一度だけ、神は声を出し、赦しを与えています。
この最大のテーマについて、どうやら監督は見落としてしまっていたようです。
監督が気がついていないのだから、観衆も気がつくはずがありません。
こうして、この作品は、単なる異文化との衝突をグロテスクに描くだけの作品に堕してしまったのでした。
遠藤周作先生も草葉の蔭で泣いておられることでしょう。
ロドリゴ司祭が棄教する、まさに瞬間、初めて神は声を発し、赦しを与えていたのですが。
だからこそ「沈黙」というタイトルだったのですが。
名監督をしても気がつかなかったということが、残念でなりません。
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