「沈黙は神もまた苦しんでいたからか」沈黙 サイレンス DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
沈黙は神もまた苦しんでいたからか
日本におけるキリスト教信者への迫害は、1587年豊臣秀吉による、伴天連遂放令に始まる。秀吉は、唯一の絶対君主となるために一斉に刀狩りを行い、20万人の兵を率いて九州に侵攻、島津藩を降伏させて,天下統一を図った。1592年には,16万人の兵を朝鮮に出兵させ、明との友好的国交を絶ち、植民地化への道を探った。彼は早くから、スペインと、ポルトガルが日本を征服しようとしている意図を察知していた。それに対抗するために、彼は琉球王国、朝鮮、明の国を植民地化し、さらにポルトガル領インド、スペイン領フィリピンを征服する予定で居た。
そもそも秀吉を怒らせたのは、バテレン宣教師たちが、当時の習慣になかった牛馬肉を食べ、キリスト教を唯一の教えとして他の教義を否定し、さらにポルトガル人が日本人を奴隷として売買し、巨利を得ていることが発覚したからだった。秀吉の命令を受けて、1597年2月 長崎西坂でスペイン、ポルトガル、メキシコの司祭と20人の日本人信者、合計26人が焚刑に処されたことは、クリスチャンでなくとも人々を恐怖に陥れた。
秀吉の死後、徳川幕府は、さらにキリスト教信者への弾圧を強め、1614年1月にはキリスト教禁止令を発した。このときから実に1873年明治政府がキリシタン禁止令を撤廃するまでの長い間、政府はキリスト教を禁じたのだった。
1610年にポルトガル人、クルストファ フェレラ司祭は他の司祭たちと共に、マカオから日本に入国し、20年余りの間イエズス会地区長という最高の重職について、布教を続け。他の隠れ残っていた37人の司祭たちや信徒を統率していた。迫害が始まる前の日本には、九州から仙台まで、たくさんの教会が建ち、いくつもの神学校が作られ、40万人もの信者が居た。しかしその後、弾圧と迫害の嵐が吹き荒れ、1637年には島原の乱が起こり、3万7千人の一揆に参加した信者たちが惨殺された。
クリストファ フェレラ教父が20年余りの困難な布教ののち、幕府に拘束され、拷問を受けた結果、棄教したという信じがたいニュースがローマ教会に伝えられた。
と、いうところから、遠藤周作の1966年に発表された小説 「沈黙」が始まる。
映画はこの原作を忠実に制作されている。
ストーリーは
フェレラ教父を心から尊敬し慕っていた弟子のセバスチャン ロドリゴ司祭は、彼が棄教したというニュースが信じられず、事実を確かめようと、フランシス ガルべ司祭とともに、日本に密航する許可を教会から得る。彼らは舟で1638年、ポルトガル リスボンからポルトガル領インドのゴアを経て、マカオに着く。そこで二人の司祭は、出会った日本人キチジローを案内人として、九州五島半島のモトギ村に潜入する。彼らは隠れ信者たちのために洗礼、布教をするが、弾圧は激しく困難を極める。村では司祭や信者を見つけて、役人に密告すると、莫大な謝礼金が出るといった密告社会が出来上がっていて、告発された信者たちには、踏み絵をはじめとして見せしめのための、激しい拷問が待ち構えていた。
ロドリゴ司祭は、キチジローの密告により逮捕され、長崎奉行;井上越後守から尋問を受ける。この男はロドリゴ教父を改心させた男で、それまでの宣教師や信者たちへの迫害はかえって信者の信心を強化する役割しか果たしていないことを知っていた。そして、より効果的に司祭を改心させる手立てを考えていた。
拘束されたロドリゴ司祭は、自分が拷問されるのではなく、自分をかくまって、食べ物を差し出し世話をしてくれて信者たちが自分の代わりに、目の前で拷問を受けることに苦しみ抜く。問答無用に踏み絵を踏んだ信者たちが、許されることなく首をはねられ、海に突き落とされて死んでいく。唯一の仲間だったガルべ司祭も、信者を追って水死した。激しい拷問にあとで殉教していく信者のための彼の祈りは、神に聞き届けられない。
ロドリゴは井上越後守の計らいで、日本に渡航する目的だったフェレラ教父に会う。かつての師に棄教するように勧められるが、しかしロドリゴは、フェレラに軽蔑と、憐憫の情しか持ち得なかった。まして、自分を裏切ったキチジローというユダを赦すことができない。神は何故祈りを聞き入れてくれないのか。神は沈黙を守り、信者の祈りに応えてようとしない。
ロドリゴ司祭は長崎中を裸馬に乗せられ引き回しの刑をうけたあと、暗闇の牢のなかで人々のうめき声を聞く。3人の信者がロドリゴ司祭が棄教しないために穴吊りの刑で死につつある。自分が棄教しさえすれば信者たちの命は助かる。ついに、ロドリゴはフェレラに押されて、踏み絵を踏む。
その後、ロドリゴは岡田三右エ門という日本名とともに、幕府から住居と給与を与えられ妻帯する。先に沢野忠案庵という名を与えられていたフェレラとともに、幕府に請われるまま、翻訳やキリスト教関係の執筆などをした。ロドリゴは30年余り生き、江戸で病死する。死ぬときに彼は殉教した信者からもらった十字架を持っていて、棄教したのは偽りで、偽装転向していただけだったことがわかる。
というストーリー。
フェレラとロドリゴの棄教とは、異なる。フェレラは絶望から棄教した。3日間汚物をつめた穴の中で逆さに吊るされ、耳に開けられた小さな穴から少しずつ血を流し続け、自分と同じように5人の信者が吊るされているうめき声を聞きながら、彼は神に絶望する。「神が何ひとつなさらなかったからだ。わしは必死で祈ったが神は何もしなかったからだ。」「司祭はキリストにならって生きよと言う。もしキリストがここに居られたらたしかに、キリストは彼らのために転んだだろう、」とフェレラは言う。
ロドリゴが踏み絵に足を乗せたのは、「銅板のあの人は言った。踏むがいい。お前の足の痛さはこの私が一番よく知っている。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負たのだ。」という声を聞いたからだ。そして彼は、悟る。「神は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ。神は弱い者のためにあるのだから。」 ロドリゴは決して絶望していない。神は弱い者のために一緒に苦しんで、沈黙していたとわかったからだ。
自分の信心と志を曲げずに殉教していった信者たちよりも、痛みや恐怖から自分の信念を捨てた弱い者のために神は居る。という思想は作者、遠藤周作の一環したキリスト者としてのテーマだった。
当時、重税にあえぎ、貧困に苦しみ抜いていた人々にとって、生きていても良い事はない。死後に苦労が報われて、救われると信じたいという他力本願の思考は、限りなく仏教の親鸞の教えに近い。すなわち、「善人なおもて往生を遂げる。いわんや悪人をや。」という思想だ。
来世を信じて神に祝福されて死んでいきたいと願いながら殉教していく信者を前にして、「それは、神の教えとは違う」、と、ロドリゴは言うことができなかった。来世に行くために踏み絵を踏まずに拷問を受ける心の強い信者も、踏み絵を踏む弱い信者も、同時に神から赦されるべきだと、ロドリゴは考える。そして、ロドリゴは、自分を密告したキチジローのために、懺悔を聞き、赦しを与えた。
わたしはクリスチャンでも、親鸞の浄土真宗信者でもない。聖書は13歳のときに一度読んだきりだ。
人は宗教を持とうが持つまいが、人として、「良き人でありたい」と願いながら生きるものだ。「人は他人のために生きて初めて生きたことになる。」 というトルストイの言葉が好きだ。良き人になろうと努力をして、良き人として生き、良き人として死んでいきたい。踏み絵を踏むか、踏まないかは個人の問題だ。弱い人、強い人というものがあるわけではなく、人には誰でも弱い時も強い時もある。だから、遠藤周作が、この作品を発表したとき、カトリック団体から厳しい批判が出て来たことが不思議でならなかった。
人々がみな鉄の意志を持ち、正義と、神への愛のために生きることができるのであれば、文学や詩などありえない。芸術など成立しないではないか。
井上筑後守を演じたイッセー尾形の演技が冴えている。残酷な指導者ほど物腰が柔らかく、ねこなで声で優しい。そんなコントラストのある役を、ひょうひょうと演じていた。キチジローの窪塚洋介は、とても良い役者だ。
でも日本人役者の中で一番良かったのは、通辞役の浅野忠信。彼の日本人なまりのない英語が耳に快い。すばらしい。通辞役は、はじめ渡辺謙がやるはずだったそうだが、撮影スケジュールの関係で浅野忠信になったそうだが、これが正解。
この通辞は、自分もはじめは神学校で洗礼を受けたクリスチャンだったが、宣教師たちの白人至上主義の差別的態度や傲慢さに嫌気がさし、棄教した人物。貧乏侍の子供が食べていくのに有利なように、ポルトガル語を習熟したという秀才で屈折した男、という難しい役を浅野は淡々と演じていて、とても魅力的だ。
監督はフェレラ役を、はじめはダニエルデイ ルイスと考えていたという。本当に彼がやっていたら、もっとフェレイラの裏切る姿に複雑な陰影が現れていて良かっただろう。彼の心の葛藤なども、うまく表現されていたに違いない。
主役のロドリゴ役の アンドリュー ガーフィールドは今や一番輝いている若手の役者だろう。ことさらカメラが、彼の顔のアップを捕えているシーンが多かったが、さすが舞台俳優、、、苦悩する人の表情、心を痛めている表情が存分に表現されていて共感を呼ぶ。
この監督は、作品を、実に巧みな映像の力で、効果的に人に訴えることを得意とする監督だ。最高のテクニシャン。天才的なストーリーテラーだ。彼の手にかかれば、どんなつまらないお話も、わくわくどきどき連続、時には恐怖のどん底に突き落とし、時には最高の幸せ感で一杯にしてくれる。フイルム「シャッターアイランド」では、出だしから不安感をあおり、究極の恐怖感まで上り詰めさせてくれた。「ウルフ オブ ウオールストリート」では、裸の女の肛門に置いたコカインをレオナルド デカプリオが吸い込むシーンで始まり、終わりまでアメリカ的なアメリカのためのアメリカンテイストのシーン満載で、ゲップを連発させてくれた。
「ヒューゴの不思議な発明」では、映画というものの素晴らしさを、バケツ一杯の涙が出るほど巧に見せてくれた。彼は映像の魔術師。本物の映画屋だ。
その彼が1991年から「沈黙」の構想を持っていて、映画化することが念願だったという。日本の17世紀初頭を映像化するのに資金がかかりすぎるため、すべて撮影を台湾で行なった。それが、とてもとても残念。海と山の場面は良い。しかし、フェレイラが住居としていた西勝寺や、長崎奉行、井上筑後守の屋敷などが、安造りでがっかりした。
日本の四季の移り変わり、木漏れ日、真白の障子、欄間を通して光る陽、襖に描かれた山水画、生け花の楚々とした美しさ、淡い空気の変化、真新しい畳の香り、畳の縁飾り、磨き抜かれた廊下の輝き、瓦屋根に沁みる雨、緑の鮮やかさ、淡い色の花々、行灯の淡い影、朝夕の寺の鐘、本堂に至る石段、苔に覆われた庭、、、日本の屋敷、日本の生活様式の美しさ、、、、、。映画を作る前に、2日でも3日でもマーチン スコセッシ監督に、日本家屋での生活を体験してから撮影に取り掛かって欲しかった。そうすれば撮影を予算節約のために台湾のセットで行うなんてことはなかっただろう。残念だ。