海は燃えている イタリア最南端の小さな島のレビュー・感想・評価
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ニュースに実感を与える。
イタリア最南端の島の、島民の生活と難民救助の現場の、交わらない現実を切り取ったドキュメンタリーです。
少年の毎日、祖母の毎日。ラジオDJ、自作のブーメランにパチンコ。
すし詰めボートで海を渡ってきた難民たち。船の底で折り重なる遺体。手作りボールの出身地対抗サッカー。
牧歌的な風景と、逼迫した命の戦いは、ほんとうに隣接しているんだな。
わたしは何も見ないようにして、毎日を平和に生きているんだな。
そういう実感を得ました。
だから何をしたらいいかまでは、思い至ってませんが。
二つの世界の接点はお医者さんだけみたいでした。
その説明が何もなくて、鑑賞後に公式サイトで読んで気づきました。
予習があったほうがいいと思います。
島の位置もわからんし。
島の少年のお家の食卓シーンが衝撃でした。
スパゲッティを蕎麦のようにすすっておられました!
おいおい、イタリア人もすする人おるやないか、日本来てラーメンすするのはハラスメントとかゆってるけど君らもすするやないか!と思いました。
ゆってる人はすすらんのやろうけども、それが世界共通のマナーにはなり得ませんよ。
世界の縮図
イタリアの小さな島に一人しかいないお医者さんが、アフリカから大勢で漂着する瀕死の難民の救急救命をしている。
同じお医者さんにその島(よくわからないけど、たぶん高齢化して過疎化しているみたい、あまり若い人の姿は映らないから)で祖父母に過保護気味に育てられている小学生の男の子の心身症や弱視も診てる。
言葉の通じない難民の妊婦さんにエコーの説明をするときも、子供に病気について話すときも、穏やかで誠実でラテン人らしい明るさがある医師の態度は変わらない。
この子供と祖父母の生活描写と難民たちの救助シーンのコントラストで、環境による人間の命の重さの違いや、人が人を助けることの尊さや難しさについて考えさせられる。
瀕死の状態で大勢で海からやってくるアフリカ難民は、それこそ「藁をもすがる」力で助けを求めてくるので、手を差し伸べると一緒に海の中に引きずりこまれそうな怖さがある。おそらくこの小さな島で彼らが満足できるだけのものを提供しようとしたら、島での穏やかなイタリアの伝統的な暮らしは荒らされてしまうだろう。
だからといって、今世界中で起こっているように、住む場所を追われてたどり着いた人々を見放すことが当たり前でよいとは思えない。国を動かすような政治の話ではなくて、この島で起こっているように毎日の暮しの中に潜んでいて、善良そうな人々の無関心や保身のために他者を排除することが大勢の難民を殺し続けているということなのだから。
この映画のお医者さんのように、相手によって態度を変えることなくあらゆる立場の人に向き合っていきたい。
タイムリーな作品に出逢って
ジャンフランコ・ロージ監督の「ローマ環状線…」は、正直「難解」。
今回は、移民を扱った作品。今の時代にタイムリーである作品であった思う。島に住む少年が、島の流れに抗うことなく生活している。普段から「パチンコ」(この訳は妥当であるか?)に興じながらも。医者と少年の会話が実に面白いのだが、少年が「弱視」になってしまう。監督は「弱視」になることがこの映画に何かを訴えたかたのかは判らないが、それに対比してアフリカのリビア・ナイジェリア・チュニジアの人たちが、命からがら祖国を捨て、ボロボロとなった船で島にやってくる移民達とがほぼ交互に描かれて作品は流れる。移民達の惨状を映像を当して目の当たりにする。
この作品では、ディスクジョッキーの青年が島にいることが印象深かった。そして、赤い涙を流す移民の青年の姿に心に焼きついた。
燃えているのは海か?
一足先に難民映画祭にて鑑賞。
回収した遺体を前にやるせなさを感じさせる直立不動の隊員たち。『ローマ環状線…』の変奏的要素の強い本作にあって、終盤に垣間見えたこのショットが異様に突出している。現実に起きている事態との関連も勿論だが、それ以上にここまで必死の救助、加えて生きながらえた者たちの顔が写されたからこそ、より迫ってくる。最前線に立たされた彼らにとって、死を前に感覚が麻痺するなど有り得ないのだ。燃えているのは、砂漠の飢えや監獄の暴力から抜け出そうとする難民たちの命、人として当然のこととして助けようとする人々だ。
その他暗闇を切り裂く光(パチンコで遊ぶ少年や海に潜る男が手に持つ懐中電灯/難民を捜索するヘリのサーチライト)が蠱惑的に捉えられている。
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