ジムノペディに乱れるのレビュー・感想・評価
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知らぬ間に「聖地巡礼」していた
<思い出し/うろ覚えレビュー>
二ヶ月ぐらい前に鑑賞。行定勲監督作品コーナーの中で異彩を放っていたので、思わずレンタル。といっても、日活ロマンポルノリブート!とか知らなかったし、そもそも日活ロマンポルノ作品を多分、ほとんど観たことないので、比較対象がない。
全体が90分くらいで、10分に一回の濡れ場。そうなってくると、いわゆる普通の映画の設定やストーリー展開から離れなければ難しいよね。男一人だとどうしてもギャルゲー感(もしくはハーレム感)は出てしまうかも。
主人公と、主人公が手を出した女の子とその彼氏の3人?で追いかけっこになるシーンとか、面白かった。滑稽さと切なさを同居させられるあたり、さすが。
板尾さんが跨線橋と線路沿いを走るシーン、ここどっかで見たな、と思ったら、地元でした。なんかラッキー(笑)
あと、芦那すみれちゃん、かわいいです。顔と声と体が。
タイトル通り、全編通してサティのジムノペディが流れてるんですけど、この曲のアンニュイな感じってすごいなって。汎用性高い。
女性にモテモテの板尾創路の1週間
日曜日の午後、日本映画専門チャンネルで録画しておいた映画を
内容も何も知らずに、何気なく見てみたら・・・あれ? これって?
観賞用のTVはキッチンにあるのですが、同居人が行ったり来たり。
「なに、見てんだーー!」と、言われそうなので、足音がするたびに、停止ボタンを。笑
3回ぐらい停止して、何とも落ち着かないので、しばらくしてから、続きは自室でスマホで見ました。(悪いことしてないよ。月イチ衝撃作見てるだけ!)
前に園子温作の『アンチポルノ』を見たのですが、日活が45周年を記念した、ロマンポルノの「リブートプロジェクト」作品だったことを思い出し、行定監督も、そういえばこの企画に参加していたことに気付きました。(一定の低予算、70分前後の尺、10分に一度の濡れ場演出、撮影期間が1週間などの制約があるプロジェクト)
うだつの上がらない、映画監督の板尾創路、哀愁があって、なかなかよかったです。どうしようもない中年男なのに、女子が寄ってきてモテまくり。愛なのか、欲情なのか、本能なのか、自暴自棄なのか、渇きか、心の空虚なのか、行き詰まりなのか・・・いろんなものが交じりまくっていました。
エリック・サティのジムノペディが、けだるい感じで、一種の催眠術のようなBGMみたいでした。あとになって、植物状態となった監督の奥さんがピアノで弾いていた曲だったことがわかり、なるほどそこにつながっているのねと思いました。
多少笑ってしまうシーンもありました。自分がクスっと笑ったのは、
・最初のシーン。隣人の女性が片方の胸を出して、もだえながら誘ってる。
・あれ?いつのまにか、板尾さんが若者の風のTシャツ着てる。
「なんで俺のTシャツ着てんだよ!」
・病室でナースと絡むシーン。
医師とナースが入ってきて「離れなさい!」と言われる。
さかりのついた犬同志が離されるみたいだった。
板尾さんは『空気人形』でも、ちょっと寂しくてエロい中年男を演じていたような?
板尾さんしか出せない孤独なおじさんのオーラがありました。
ポルノ映画の意味
それこそ未だホームヴィデオというものが存在していなかった時代に、本や絵ではなく、動いている被写体を鑑賞するという手段は映画でしかない。そしてその表現を尤も端的に熱望されたのが男女の情事である。各映画会社はそれぞれ独自の指向でその類の作品を作ったが、日活がその中で最も有名な会社として記憶に残る。しかし現在、その座はヴィデオからDVDそしてネットへと明け渡されてゆく。勿論、その利用内容も、単に鑑賞するというものから男性の性欲解消へと変化していくのだが、あの時代の社会の希望と不安、混沌と不条理、理不尽がエロティシズムとのマリアージュにより、人間の業を強く現わす“ポルノ映画”というコンテンツをこれ又現在の名のある商業監督により復活させるという趣旨が今回のリブートである。
その第一弾が、「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定監督制作である。
約10分に1回のSEXシーンを挟むというルール以外は自由にテーマを設定できるという制作側からしたら願ってもない約束であり、監督自身の力量も否応なしに試されるということでもある。
はたして、本作品のテーマは、『ある男の不器用な愛』ということなのだろうか。それ程の強烈なインパクトの内容ではなく、主人公の映画監督の男の約一週間の出来事を追い、その男を慕う女達がそれぞれの理由で監督との関係を持ってゆくというプロセスである。その描写毎にバックにサティのジムノペディが流れ、官能的なシーンが演出されるというプロットだが、しかしどこか乾いた空気をも醸し出していて虚しさも又漂い続ける。結局どの女と交わってみても一時の性欲を満たすだけのつまらない行為であり、交通事故の後遺症なのか、イくこともまま成らぬので尚更萎えていく。そのジムノペディは同じ交通事故により植物人間と化した女が良く弾いていた楽曲であるからだ。その関係を持った女達の1人の映画講義での教え子が、偶然弾いた曲がそのジムノペディ。しかし急にピアノを止め、窓から男の妻と思しき人影をみたと訴えたところで、男は妻の死期を悟り、急いで後遺症の足を引き摺るように病院へと急ぐ所でfin。
まるで、今流行りの珪藻土足拭きマットの如く、湿気が乾いてゆくような表現や演出である。主役の板尾創路自体にそのイメージがあるのも手伝って、女も又どんどん乾き、枯れていくような感じが見受ける。迸るパッションとかとは真逆の、冷たく怠惰な空気がそこには流れ、悲哀とアイロニーが前面に押し出されている作品なのだ。決して悪くはない。まさに日活ロマンポルノの一つのテーマなのだろう。それは嘗てのATGを思い起こす感想だ。
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