「壮大な歴史ダイジェスト+媚韓?」関ヶ原 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
壮大な歴史ダイジェスト+媚韓?
司馬遼太郎の同名小説を映画化した作品である。
筆者は司馬遼太郎の幕末三部作『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』は読んでいるが、これは読んでいない。
現在まで続く坂本竜馬人気は『竜馬がゆく』を著したことで司馬遼太郎が作ったと言っても過言ではない。
見方によっては竜馬はヨーロッパ資本の世界戦略の一環における手先に過ぎなかったとも思えるし、筆者には竜馬よりも勝海舟や山岡鉄舟の方がよほど大きな人物だったように思える。
またロシアバルチック艦隊を大日本帝国海軍が破った日本海海戦の戦術面において実は秋山真之は決定的な役割を担っていないというのもよく言われることである。
しかしいずれにしろ司馬が取り上げることでそれらの人物は至高の存在に化ける。
司馬史観が現在の日本人に与えた影響は大きい。
だからと言ってそれが映画の成功を約束するわけではない。
監督は『ラストサムライ』に出演した経歴を持つ原田眞人だが、誰を主役にするかで二転三転したらしい。
まずは小早川秀秋を主役にしようと考え、次は島津義弘、結局石田三成に落ち着いたようだ。
近年性格の純粋さが見直されて光成の株は若い女子の間でも上昇中とのこと、そこへ主役に岡田准一を配しているので狙いとしては間違っていない。
筆者個人としてはNHKの大河ドラマで戦国武将はよく取り上げられるものの、九州の大大名が取り上げられることはほとんどないので、島津義弘ならより新鮮さを感じたかもしれない。
まず全体を通しての指摘が数点ある。
秀吉存命中から関ヶ原開戦に至った経緯を追い、関ヶ原を経て、最後は光成が処刑されるまでを2時間半にまとめたせいか歴史のダイジェスト映画になってしまっている。
1つ1つのエピソードがあまり深く掘り下げられないままただただ矢継ぎ早に流れていく。
筆者はある程度は戦国時代の歴史を理解しているが、あまり歴史を知らない人には厳しかったろうと思う。
2時間半にまとめたことが影響しているのか1人1人の会話が早口に感じ、間をほとんど感じない。
会話も当時のものにこだわっているのか難しい単語や言い回しがしきりに出てくる。
さらに島津は薩摩弁、秀吉子飼いの加藤清正や福島正則は名古屋弁のきついイントネーションで話される。そこへ音響が加わるなどがあってはっきり言って登場人物たちが何を話しているのかわからないシーンがいくつもあった。
筆者の斜め前の坐席にカップルが座っていたが、映画の間中しきりに顔を寄せ合って何か話していた。
男性の方は中盤からだれているように見受けられた。
筆者は会話がわからないせいか一生懸命聞き取ろうと集中するので2時間半という長丁場も眠くなることはなかったが、もしそれが飽きさせないための監督の意図であるならあまりにも変化球すぎる。
CGに頼らずエキストラを延べ3000人動員した合戦シーンはさすがに迫力があるだけにどうにももったいない。
どうせ聞き取れない会話ばかりならばいっそ関ヶ原前のシーンは大幅に削り、より関ヶ原の合戦シーンに時間を割けば良かったのではないだろうか。
2度目に主役にしようとした島津義弘には、関ヶ原で勝敗の大勢が決まったのを見届けるや退却するために東軍に自ら突っ込んで血路を開いて薩摩に落ち延び、その変わり自軍も九割以上の戦死者を出すという壮絶なエピソードがある。
このために島津を恐れた家康が薩摩の所領をそのままにしたとも言われ、関ヶ原の戦いにおけるハイライトの一つなのだが、本作では一切描かれなかった。
光成が主役の映画なので確かに描く必要はないが、その他の東軍と西軍の個別の戦闘でここまでの派手さはないので3000人集めただけに大画面でその迫力を味わいたかった。
今までも大河ドラマなどで関ヶ原の戦いは何度も出てくるが、この島津の撤退戦はほぼ観たことがない。
また細かいことになるかもしれないが、いずれも朝鮮半島がらみの見過ごせない問題がある。
実際の戦闘描写はなく会話だけのシーンになるが、朝鮮征伐の経緯が秀吉を中心として五大老五奉行を交えた会議で話し合われる。
確かに朝鮮征伐の際に光成と加藤清正・福島正則の確執が大きくなり、結果的に関ヶ原の戦いで加藤・福島が徳川家康の東軍に加わった原因にもなった。
この前振りは重要である。しかしあれほど他の日本人同士の会話では聞き取れないくらいの言い回しや薩摩弁などにこだわったのに、「蔚山」を「ウルサン」、「釜山」を「プサン」と韓国語で発音してしまう。
当時であれば「蔚山」は「いさん」であり「釜山」は「ふざん」であるべきだ。
また、銃器の扱いに慣れた朝鮮兵(捕虜)が唐突に登場するのだが、当時日本の銃器の数は50万丁を誇り世界一である。
ヨーロッパの強国と戦争しても勝利できるくらい圧倒的な数の銃器を持っていたと言われている。
現に朝鮮征伐では日本軍は寡兵であってもその銃器で明・朝鮮の連合軍を凌駕する。
朝鮮征伐で明・朝鮮軍は戦うごとに副将級や将官クラスが多数戦死しているが、全戦役を通じて日本軍で大大名は全く戦死していない。
むしろ加藤清正や島津義弘は数万の敵に囲まれても銃器を効果的に使用して逆に明・朝鮮両軍に万単位で戦死者を出させている。
明から派遣された名将と誉れの高かった李如松ですらあまりの日本軍の強さに戦意を喪失したり、日本軍は圧倒的な銃器を使用して味方に倍する敵をほとんど撃退している。
正史『明史』では「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来七年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」と総評されている。
朝鮮にも旧式の大砲はあったらしいが、銃器においては日本から相当遅れていたようだ。
そんな朝鮮からわざわざ技術者を連れ帰って来るだろうか。
また彼が戦死する際には「わが同胞よ!」と朝鮮語を叫ぶ。あまりにも不自然だ。
まさか韓国に媚を売っているのだろうか?
このような状況では、NHK大河ドラマをはじめとして、島津義弘や加藤清正を主役にした映画やドラマは当分制作されないだろう。
おそらく史実を辿っていくと、彼らの朝鮮征伐の際のとんでもない活躍を描かざるを得なくなってしまうからだ。
韓国ではあまり史実には依拠していないらしいが『鳴梁海戦』などの日本軍を倒すフィクション映画が制作されている。
もし日本と韓国が真に対等であるなら日本も韓国(朝鮮)を戦争で打ち負かす映画があってもいいはずである。
映画とは関係のないところでそんな感慨も抱いてしまった。