エルネストのレビュー・感想・評価
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タイトルの意味
ゲバラの広島訪問の場面から始まり、その後はキューバで医学を学ぶボリビア人学生たちの姿が描かれる。
キューバ危機などはありつつも、学問を続けていた彼ら。
そんな中、フレディは母国ボリビアでのクーデターの報に接し、ボリビアに戻って戦うことを決意する。
そこで与えられた名がエルネスト。
最後の20分あたりから急にゲリラ戦の現実が迫ってくる。
ゲバラの最期の地、ボリビア。
フレディも、ゲバラも、若すぎる。
この国はゲバラの後もクーデターや経済危機などが続いて大変な状態のようだ。
最後に、ゲバラの言葉はやっぱり重いと感じた。
何故日本人は怒らないのか、何故広島の碑文には主語がないのかと言う問いかけは今も変わらず意味を保つのではないだろうか。
怒りと革命。
冒頭のゲバラ来日時の様子がとても印象に残っている。
なぜ日本人はアメリカに対して怒らないんだ?は彼が
革命家であることを象徴する言葉で、彼に触発されて
ゲリラ活動に身を投じた今作の主人公フレディ前村の
決意にも繋がる。共に医師を目指した青年が、やがて
革命に身を投じていくという生きざまもよく似ている。
弱者を助けたいと願う心優しい青年がラストの裏切り
であっけなく散っていく運命は切なく、その三か月後
にはゲバラも処刑されたという結末がさらに重く響く。
弱冠25歳。もしも違う時代違う環境に生まれていたら、
彼はきっと素晴らしい医師になったに違いないだろう。
オダギリジョーの全編スペイン語の熱演は素晴らしい。
見る価値なし。
これは酷い。
「チェ・ゲバラ没後50周年という事でゲバラが亡くなる時期と重なる時代を生きた日系人に無理矢理スポットを当ててみました♪話に山も谷もないけどゴメンね〜」という感じだ。
映画のタイトルはゲバラの本名である『エルネスト』としており、字面だけ見れば、「この作品ではゲバラのどういった側面が描かれるのだろう!?楽しみ!」と思わされる。
しかし、そういった期待は盛大に裏切られる。
というのも、タイトルがエルネストとされた理由は、主人公である日系人が革命戦士としてボリビアに入国する際にコードネームとして名付けられたことに由来し、ゲバラ本人とは間接的な関わりを持つのみである。
従って、ゲバラはストーリーにちょこちょこ出てくるだけであり、「エルネストはいつ表立つんだろう?」と疑問に思っているうちに映画は終わる。
「ゲバラが主人公でないということは映画紹介に書いてあるだろ!」と反論する人がいるかもしれない。
しかし、今度は肝心の日系人に焦点を当てたストーリーが全く面白くないという問題が立ち塞がる。
南米ではかなり裕福なボリビアの日系人が医学を学ぶためにキューバに留学をし、クラスの男女関係のいざこざに慈悲をもって接してみたり、キューバ危機に巻き込まれてみたり、時たまゲバラやフィデロ・カストロと会えたり、祖国の軍事政権に立ち向かうために革命戦士になってみたり…、と歴史に変化をもたらすような行動を一切しない。
まぁ、一般的な日本人に比べれば激動の人生?なのかもしれないが映画にするには人生の起伏が全く足りていない。
こんなストーリーになるくらいなら、「南米の貧困層の青年がいかにして革命戦士へと変容し、そして、無残に散っていったのか」みたいな方向性にした方がまだ良かったはずだ。
日系人にこだわろうとするからこんなことになる。
製作者側の自己満足映画、見に行くべきではない。
革命戦士は儚い
阪本順次監督作品を観るのは『この世の外へ クラブ進駐軍』『亡国のイージス』『魂萌え!』『座頭市 THE LAST』『北のカナリアたち』『団地』に続いて7作品目になる。
筆者が観た中では本作を除けば1番近作になる『団地』が最も面白かった。まさかあんな展開になるとは全く予想できない映画であった。
昔ほど諸手を挙げてチェ・ゲバラを讃えられなくなってはいるものの、日系ボリビア人のフレディ前村を知ることもでき、なかなか見応えのある作品だったと思う。
今までもチェ・ゲバラを主役とした映画としてガエル・ガルシア・ベルナル主演作品の『モーターサイクル・ダイアリーズ』やベニチオ・デル・トロ主演作品の『チェ』2部作を観ているが、本作でゲバラを演じたホワン・ミゲル・バレロ・アコスタが1番ゲバラらしさを醸し出していたと思う。
しかも実年齢は25歳の青年役を演じたオダギリ・ジョーよりも12歳も若く、今年で29歳の青年である。若さに似ず落ち着いた貫禄も兼ね備えている。
キューバを含めた中南米ではそれなりに名の知れた存在のようだが、監督の阪本がオーディションで見出した逸材だという。
既に40歳を過ぎたオダギリが日本を舞台とした作品で25歳を演じたなら違和感があるかもしれないが、周りが全員外国人だと不思議と受け入れられてしまう。
やはり日本人は童顔なのだろうか?それともこれもオダギリの演技力の賜物だろうか?
オダギリがバイクに乗って巡回診療をするシーンは、『モーターサイクル・ダイアリーズ』においてベルナル扮する若き日のゲバラがバイク旅行をする姿に重ね合わせることができて懐かしい想いを抱いた。
キューバはアメリカとの国交が途絶えた1961年以来歴史の止まってしまった国である。
正確には先進国であるアメリカの工業製品が入って来なくなったので社会インフラが止まったということである。
本作でアメリカのクラシックカーが盛んに街を走っているが、あれは今現在の実際の姿である。
車が自国に輸入されないので昔からある車を壊れたら修理して大切に乗り継いできたのだ。むしろその選択肢しかなかった。
キューバに行くとクラシックカーしか走っていないため、まるでタイムスリップした感覚に襲われるらしい。
もちろんインフラ整備も他国に比べて進まなかったために建物も当時のままである。
しかし2015年にアメリカとの国交が再開したので、これからはアメリカの工業製品がどっと押し寄せて車も新車が増えるだろうし、現代的な建築物が増えていくと思われる。
昔ながらのキューバを見られるのもあと数年かもしれず、阪本はちょうどいい時期に本作を監督したのかもしれない。
本作は何の前情報もなしに観たのだが、『チェ』2部作を観ていたこともあって、作品終盤にフレディがゲバラ率いるゲリラ部隊に参加してボリビアに向かうところで彼が死ぬことはわかってしまった。
わずか50人を率いて革命を起こそうとするゲバラはやはり無謀だったと思う。
生存者は数名に過ぎず殆どが死んでしまったにもかかわらず、後世ゲバラの名前だけが語り継がれることに、筆者は釈然としない想いを抱いていた。
川を横断しようとする際に銃撃を浴びて部隊員たちがあっけなく撃ち殺されていくシーンでは、理想に殉じた彼らの儚さが良く現されていて良かった。
筆者はゲバラよりも彼らに心を寄せたい。
ほとんどの共産主義革命は後にひどい大量虐殺を招き、とんでもない独裁者を生んでいる。ソ連ではスターリン、漢族では毛沢東、カンボジアにはポル・ポト、彼らがどれだけ自国民を殺したことかその災禍は計り知れない。
比較的温和なキューバ革命ですら、キューバ国内の資本家は資本主義の手先と見なされ工場などの資本財全てを没収されてしまった。
彼らはキューバで生きることもままならず、アメリカへ亡命する者も多かった。中には生きるために底辺の仕事から身を起こした人もいたという。
彼らからすればキューバ革命を主導したカストロ兄弟やゲバラは悪魔の手先である。
去年フィデル・カストロ(兄)が亡くなった時、そういった亡命キューバ人の多くが祝杯をあげたという。
またこんな話もある。カストロは不満分子を一掃する手段としてアメリカへの亡命を奨励したらしいが、その中にわざと犯罪歴のある者や精神障害者を潜ませたという。
革命の理想は結構だが、それが維持できず結局は社会全体が窮乏していき、失業者の中には観光客からの恐喝や窃盗で生活をまかなう者までいたという。
歴史には必ず光があれば闇がある。
南米の人々は、先住民のインディオ、奴隷として連れて来られた黒人、先住民と白人(主にスペイン人)の混血であるメスチーソ、そして白人の4種を基礎として、さらにその4種が複雑に絡み合うことで構成されている。
もちろん本作のフレディ前村のようにアジア系移民や彼らと現地人の混血もある。
キューバも似たような構成だろうと思っていたが、キューバは違った。キューバの先住民はスペイン人に完全に滅ぼされたらしい。
今では白人と黒人とその混血児でほとんど構成され、言語はスペイン語である。
キューバ革命で倒されたバティスタには、先住民、黒人、白人、漢族など様々な血が入っていたらしいが、考えてみればカストロ兄弟もアルゼンチン出身のゲバラも白人である。
バティスタが私利私欲を肥やすためにアメリカ資本と手を結んだことでキューバ国民が搾取されることになり、革命は起きたわけだが、旧宗主国の白人が率いる社会に逆戻りしたと見ることもできる。
なんとも皮肉である。
もちろん最悪なのは倫理観の欠如したアメリカ企業であるのは言うまでもない。
作品冒頭で広島原爆戦没者慰霊碑を訪れたゲバラが石碑の「「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉に主語は誰か問うシーンがある。
東京裁判で東條英機を始めとするA級戦犯全員の無罪を言い渡したインド判事ラダ・ビノード・パールも慰霊碑に訪れて石碑を見た際に、原爆を落としたのはアメリカであり「繰り返させない」の間違いではないかと指摘している。
記者役の永山絢斗が「どうしてアメリカに怒らないんだ」というゲバラの台詞が衝撃だったとインタビューで答えている。
別に今さらアメリカに謝罪しろとか損害賠償を寄越せという必要はないが、日本国民としてその事実を心に刻んでおく必要はあるだろう。
また我が国は核兵器を落とされた国だから核兵器を持つべきではないという考えは、理想的ではあっても現実的でも論理的でもない。
現在北朝鮮は核兵器開発の最終段階にあり、さらに西の漢族国家は日本の各都市に向けて数百発の核弾頭を向けている。
むしろ論理的には、2度と相手に核兵器を撃ち込ませないために、最も核兵器を持つ資格があるのは世界でも日本だけであると言える。
ただ戦後70年以上刷り込まれてきた核アレルギーを払拭するのは難しいだろう。
日本の安全保障の課題はアメリカは解決してくれない!
何より我々日本国民1人1人が考えるべきだろう。
こういう歴史や社会問題を背景とした映画を観る際、さまざまなことを考えながら観てしまうので、最近はあまり楽しめない時が多い。
ひとえにこの手の作品がステレオタイプで表面的、真の問題がはぐらかされていると感じてしまうことが多いからだが、本作では名もなき革命戦士に焦点が当たったことやゲバラの発言などから興味深く観ることができた。
モーターサイクルダイアリーでのエルネストと、フレディの共通点
オダギリジョーだから観ました。ラテンアメリカの世界には大変疎いです。全然国の位置とかも分りません。
ボリビアってどこ?なわたしが観ました。
チェゲバラはモーターサイクルダイアリーズを見ていたので、その分だけ知ってるという感じです。
モーターサイクルダイアリーズのエルネストも、フレディと同じく正義感を持った純粋な青年で、医学への希望を胸に学ぶ学生でした。
真面目で正義感の強い感じ、寡黙な感じが、確かによく似ているなと思いました。
40代のオダギリジョーが、まだ青さのある20代らしい青年に見えて、上手ね、と思いました。
ルイサを妊娠させたのに責任を取らない同級生に、食ってかかる感じとか、生まれた子供とルイサを支えるためにお金を渡そうとする感じとか、
優しい人だなと思いました。金を渡す代わりにやらせろ的なことを言わないけど、フレディはルイサが好きなんですよね、多分。
ボリビアでの少年期の回想が、フレディの最期とリンクしたのに驚きました。
まったく想像していなかったから。
少年フレディが成金息子としてえらそうに施しをしていたとは思いません。フレディに寄り添ってみてきた観客としてはそう思います。
ですが、脈が速いといわれていた少年は、きっと誰かにフレディの行いは成金の気まぐれな哀れみだと教えられたのでしょうね。
これまで興味のなかった世界の話ではありますが、人の切実さは伝わりました。
よって、もうちょっと勉強したいなと思いました。
フレディとルイサとチェゲバラ以外の人がぜーーーーんぜん見分けられなかったです。
ラストに出てきた学友は、ほんとうにフレディの学友だった方なんでしょうかね。
子役が(笑)
お題は興味あったのですが
いまいち
感情移入出来ず残念でした。
夢叶わず⁇
最後が呆気ないというか
えっ?
ここで
殺されちゃうの?
も少し携わってた人なのかと
勝手に思ってました。
想像していたものほどでは・・・。
あくまで日系人フレディという人物を知らなかった自分の思い込みなのだが、フレディは、ゲバラの「側近として活躍」していたのかと思っていた。どうやらそうではなかった。革命兵士のひとりなだけであった。なにかを成し遂げたわけではなかったし、ゲバラとの関係も希薄の思えた。
ただ、その祖国愛が深い。ゆえに彼の行動に感銘を受けた同窓生は、いまだ彼の行動に敬服しているし、立派なことだと思う。だけど、それに見合うような感動や感激は得られなかった。
今後の海外での成長、活躍を祈る。
『FOUJITA』『オーバーフェンス』『湯を沸かすほど…』と全く違う役者の一面を見せる小田切。テレビ界の山口雅俊に鍛えられたオダギリが今回は『エルネスト』。前回、洋画家のFOUJITAを演じたが、それよりも今回のボリビアのフレディー(エルネスト)という役を自分のものにしているところは圧巻であった。オダギリの存在感、役者魂が溢れんばかり。今後も、海外で伸びて成長してほしい役者だ。それと対照に広島の新聞記者を永山と演じている。ゲバラとの別れ際に、なぜ「ボン・ヴォヤージュ」という挨拶?
今回の作品の監督は阪本氏だが、これまでの作品とは、確実に一線を画している。しかし、今回戦士としてボリビアに向かってからの話の展開がイマイチ。愛する祖国ボリビアで軍事クーデターが起きているにも関わらず、フレディーは人伝にに聞いていることになっている。この件は、事実なのか?? 祖国を愛するフレディー。日本人である私にとって「我が祖国の血」というものは判らない。フレディーがゲバラに出逢い投げかけた質問にゲバラが静かに答える。その言葉は、フレディーに何をもたらしたのか。その答えは、この映画では、あまりに訴求力が弱すぎた。
フレディーの父親と母親はどんな方であったのか。
対象人物は間違いではないのだが・・・
チェ・ゲバラがボリビアへ戦闘参加した際、日本人が付いていったという話自体は興味深いのだが、これは正確ではなく、正しくは『日系ボリビア人』。まるで今年ノーベル文学賞を与えられる日系イギリス人と同様の距離感を感じる。
テーマは大変興味深いのだが、ストーリー展開がどうもチグハグなような印象を受けてしまった。ゲバラが広島に訪問したこととキューバ危機の問題、そして日系ボリビア人であるフレディの物語を織り交ぜ、交錯しながらの流れが上手く飲み込めずに進んでしまっている。結局、フレディの祖国愛による闘争への参加、そして儚くも散ってしまう生涯を描こうとしているのだが、どうしても中途半端さが否めない。フレディの神がかった能力の起因するところの川で溺れた経験等も上手くアバンタイトルとかに織込めばもっと劇的に演出できるのではないだろうかとか、そもそもゲバラをもっと前面にだすか、若しくは核問題とかは落とし込まなくてもよかったのではないだろうかとか、下世話な言い方だが『ツッコミどころ満載』といった構図なのである。最後の処刑時に、友人の弟に殺される不条理や、ボーヴォワールの引用、そして”オンブレ・ヌエボ“を入れ込むところとか、哲学的に色々重要なものを無理矢理詰め込んでパンパンになってる袋に思えてならない。もし監督の意図がそうであるのならばこれも一つの手法ということなのだろうが、せっかくの題材が生かし切れていないように思えるのは自分だけだろうか・・・少々解せない作品であった。
なんとも
ゲバラが革命後に関わった人物の物語なので英雄的な要素が全く無い物語です。主人公が医学を学びながら国の情勢によって兵役など左右され思想がゲバラ的になり母国ボリビアのクーデターにより内戦に加わり末路を辿るのですが、ただ淡々と話が進み終わって見ると あれっ?主人公はどこで活躍したんだ?と思いました。ただ活躍したと思うのは敵兵に捕まりゲバラや仲間の事を最後まで喋らなかった事で直ぐに処刑されてしまう、えぇ?此処で死んじゃうの?なんも英雄めいた事してないのに?と端切れが悪い映画でした。実録の物語だから仕方ないけともう少しエンターテイメント的な要素があっても良かった。隣で観てた子供が中盤頃で ママつまんないから出たいと言ってそのまま出て行きました。
日本、日本人とキューバの意外な接点
映画冒頭、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花するエピソードから始まる。
慰霊碑に刻まれた碑文、"安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから"の意味を尋ね、この文章の主語は誰なのか、を問う。もちろん日本人が作ったものだから、ゲバラの質問の意図するところは、"なぜ日本人はアメリカに原爆投下の責任を問わないのか"ということになる。
ここから映画は、米ソの核戦争の緊張が高まった"キューバ危機"下のハバナへ展開していく。
あまり知られていない日本とゲバラの接点。本作のタイトル"エルネスト"は、ゲバラの本名、"エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ"である。しかし本作の主人公はチェ・ゲバラではない。
ゲバラとともに、ボリビア戦線で闘い、共に1967年に命を落とした日系2世ボリビア人、"フレディ・前村・ウルタード"を描いている。ゲバラからファーストネームの"エルネスト"を戦士名として授けられたフレディ・前村を、オダギリジョーが演じ、その人物像に迫る。
映画として、ゲバラやフィデル・カストロ、また"キューバ危機"や"キューバ革命"を取り巻く世界を取り扱った作品は多くあるが、そこに日本や日本人が関わっていたという証言は新しい。本作のベースとなる原作「革命の侍」は、フレディの実姉マリーとその息子エクトルの共著であるが、阪本順治監督が脚色を施している。
映像はそれほど綺麗ではない。埃っぽいし、彩度を抑えた画作りで、むしろ1960年代の時代性を醸し出すためのフィルターを意図しているとしたら成功だ。とくに日本のシークエンスはセットや小道具、衣装やセリフに至るまで、"昭和"をリアルに再現している。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ(2005/2007/2012)をはじめとする、デジタルVFXで作られた、"小綺麗な昭和"はノスタルジーの美化であり、リアルではないと改めて思う。
ちなみに本作を観るにあたり、"キューバは医療大国である"ということも知っておいたほうがいい。国民の平均寿命は先進国並み。日本より国民所得は低いが、外科手術を含む多くの医療費が無料。国民ひとりあたりの医者の数や看護婦の数、病院のベッド数は日本を上回るという。
本作の主人公フレディ・前村は、ボリビア人で医者を志す青年。キューバに医学を学ぶために留学している。そしてキューバ革命に参加したチェ・ゲバラも、アルゼンチン人の医師であった。キューバという国において2人は外国人であり、医療に従事したという共通点を持つが、"ラテンアメリカ人"として参戦した、"人民解放のための革命"への想いが、淡々と綴られている。
日本でのシーンを除き、全編スペイン語の日本映画。肉体改造とスペイン語習得で撮影に臨んだ、オダギリジョーの迫真の演技に圧倒される。ゲバラとフレディ・前村がボリビア政府軍によって処刑されたのは1967年。まさに50周年である。ゲバラ霊廟に眠るフレディ・前村への敬意が込められた映画である。
(2017/10/6/ユナイテッドシネマ豊洲/ビスタ/字幕表示なし)
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