「革命戦士は儚い」エルネスト 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
革命戦士は儚い
阪本順次監督作品を観るのは『この世の外へ クラブ進駐軍』『亡国のイージス』『魂萌え!』『座頭市 THE LAST』『北のカナリアたち』『団地』に続いて7作品目になる。
筆者が観た中では本作を除けば1番近作になる『団地』が最も面白かった。まさかあんな展開になるとは全く予想できない映画であった。
昔ほど諸手を挙げてチェ・ゲバラを讃えられなくなってはいるものの、日系ボリビア人のフレディ前村を知ることもでき、なかなか見応えのある作品だったと思う。
今までもチェ・ゲバラを主役とした映画としてガエル・ガルシア・ベルナル主演作品の『モーターサイクル・ダイアリーズ』やベニチオ・デル・トロ主演作品の『チェ』2部作を観ているが、本作でゲバラを演じたホワン・ミゲル・バレロ・アコスタが1番ゲバラらしさを醸し出していたと思う。
しかも実年齢は25歳の青年役を演じたオダギリ・ジョーよりも12歳も若く、今年で29歳の青年である。若さに似ず落ち着いた貫禄も兼ね備えている。
キューバを含めた中南米ではそれなりに名の知れた存在のようだが、監督の阪本がオーディションで見出した逸材だという。
既に40歳を過ぎたオダギリが日本を舞台とした作品で25歳を演じたなら違和感があるかもしれないが、周りが全員外国人だと不思議と受け入れられてしまう。
やはり日本人は童顔なのだろうか?それともこれもオダギリの演技力の賜物だろうか?
オダギリがバイクに乗って巡回診療をするシーンは、『モーターサイクル・ダイアリーズ』においてベルナル扮する若き日のゲバラがバイク旅行をする姿に重ね合わせることができて懐かしい想いを抱いた。
キューバはアメリカとの国交が途絶えた1961年以来歴史の止まってしまった国である。
正確には先進国であるアメリカの工業製品が入って来なくなったので社会インフラが止まったということである。
本作でアメリカのクラシックカーが盛んに街を走っているが、あれは今現在の実際の姿である。
車が自国に輸入されないので昔からある車を壊れたら修理して大切に乗り継いできたのだ。むしろその選択肢しかなかった。
キューバに行くとクラシックカーしか走っていないため、まるでタイムスリップした感覚に襲われるらしい。
もちろんインフラ整備も他国に比べて進まなかったために建物も当時のままである。
しかし2015年にアメリカとの国交が再開したので、これからはアメリカの工業製品がどっと押し寄せて車も新車が増えるだろうし、現代的な建築物が増えていくと思われる。
昔ながらのキューバを見られるのもあと数年かもしれず、阪本はちょうどいい時期に本作を監督したのかもしれない。
本作は何の前情報もなしに観たのだが、『チェ』2部作を観ていたこともあって、作品終盤にフレディがゲバラ率いるゲリラ部隊に参加してボリビアに向かうところで彼が死ぬことはわかってしまった。
わずか50人を率いて革命を起こそうとするゲバラはやはり無謀だったと思う。
生存者は数名に過ぎず殆どが死んでしまったにもかかわらず、後世ゲバラの名前だけが語り継がれることに、筆者は釈然としない想いを抱いていた。
川を横断しようとする際に銃撃を浴びて部隊員たちがあっけなく撃ち殺されていくシーンでは、理想に殉じた彼らの儚さが良く現されていて良かった。
筆者はゲバラよりも彼らに心を寄せたい。
ほとんどの共産主義革命は後にひどい大量虐殺を招き、とんでもない独裁者を生んでいる。ソ連ではスターリン、漢族では毛沢東、カンボジアにはポル・ポト、彼らがどれだけ自国民を殺したことかその災禍は計り知れない。
比較的温和なキューバ革命ですら、キューバ国内の資本家は資本主義の手先と見なされ工場などの資本財全てを没収されてしまった。
彼らはキューバで生きることもままならず、アメリカへ亡命する者も多かった。中には生きるために底辺の仕事から身を起こした人もいたという。
彼らからすればキューバ革命を主導したカストロ兄弟やゲバラは悪魔の手先である。
去年フィデル・カストロ(兄)が亡くなった時、そういった亡命キューバ人の多くが祝杯をあげたという。
またこんな話もある。カストロは不満分子を一掃する手段としてアメリカへの亡命を奨励したらしいが、その中にわざと犯罪歴のある者や精神障害者を潜ませたという。
革命の理想は結構だが、それが維持できず結局は社会全体が窮乏していき、失業者の中には観光客からの恐喝や窃盗で生活をまかなう者までいたという。
歴史には必ず光があれば闇がある。
南米の人々は、先住民のインディオ、奴隷として連れて来られた黒人、先住民と白人(主にスペイン人)の混血であるメスチーソ、そして白人の4種を基礎として、さらにその4種が複雑に絡み合うことで構成されている。
もちろん本作のフレディ前村のようにアジア系移民や彼らと現地人の混血もある。
キューバも似たような構成だろうと思っていたが、キューバは違った。キューバの先住民はスペイン人に完全に滅ぼされたらしい。
今では白人と黒人とその混血児でほとんど構成され、言語はスペイン語である。
キューバ革命で倒されたバティスタには、先住民、黒人、白人、漢族など様々な血が入っていたらしいが、考えてみればカストロ兄弟もアルゼンチン出身のゲバラも白人である。
バティスタが私利私欲を肥やすためにアメリカ資本と手を結んだことでキューバ国民が搾取されることになり、革命は起きたわけだが、旧宗主国の白人が率いる社会に逆戻りしたと見ることもできる。
なんとも皮肉である。
もちろん最悪なのは倫理観の欠如したアメリカ企業であるのは言うまでもない。
作品冒頭で広島原爆戦没者慰霊碑を訪れたゲバラが石碑の「「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉に主語は誰か問うシーンがある。
東京裁判で東條英機を始めとするA級戦犯全員の無罪を言い渡したインド判事ラダ・ビノード・パールも慰霊碑に訪れて石碑を見た際に、原爆を落としたのはアメリカであり「繰り返させない」の間違いではないかと指摘している。
記者役の永山絢斗が「どうしてアメリカに怒らないんだ」というゲバラの台詞が衝撃だったとインタビューで答えている。
別に今さらアメリカに謝罪しろとか損害賠償を寄越せという必要はないが、日本国民としてその事実を心に刻んでおく必要はあるだろう。
また我が国は核兵器を落とされた国だから核兵器を持つべきではないという考えは、理想的ではあっても現実的でも論理的でもない。
現在北朝鮮は核兵器開発の最終段階にあり、さらに西の漢族国家は日本の各都市に向けて数百発の核弾頭を向けている。
むしろ論理的には、2度と相手に核兵器を撃ち込ませないために、最も核兵器を持つ資格があるのは世界でも日本だけであると言える。
ただ戦後70年以上刷り込まれてきた核アレルギーを払拭するのは難しいだろう。
日本の安全保障の課題はアメリカは解決してくれない!
何より我々日本国民1人1人が考えるべきだろう。
こういう歴史や社会問題を背景とした映画を観る際、さまざまなことを考えながら観てしまうので、最近はあまり楽しめない時が多い。
ひとえにこの手の作品がステレオタイプで表面的、真の問題がはぐらかされていると感じてしまうことが多いからだが、本作では名もなき革命戦士に焦点が当たったことやゲバラの発言などから興味深く観ることができた。