ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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裏設定は「早く人間に(大人に)になりなさい」。おっさんは、久々にドゥニ・ビルヌーヴを楽しんだよ。
「ブレードランナー」(’82)
初見は、「ターミネーター」との特別同時上映。確か中学生だったように思う。自分大好きな盛りの中学生であれば、レプリカントがそもそも何なのかすら理解する気もなく、「明らかにロボット」なシュワルツェネッガーことターミネーターに夢中になったのはごくごく当たり前のことである。
その後も何度か観てはいるが、サイバーパンクなカルト人気は理解はするが、いつ見ても全く楽しむことはできていない。
「なにを追っているのか?誰と戦っているのか?」
「見た目が良ければ、それでいいのか?(ここではレイチェルのこと)」
楽しめない理由はそこにあった。
そしてうん十年。その続編ができるというニュースが流れ、ハリソン・フォードも出るという。やめときゃいいのに、とは思ったが、予告からはビルヌーブの作り出す映像は大いに期待の出来るものだった。
だが初日には行かず、何を血迷ったか、「ゲット・アウト」を優先した次第。
だって、ビルヌーブ、「ボーダーライン」「メッセージ」、続けてダメだったからね。
「ブレードランナー2049」
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ライアン・ゴズリング演じる主人公は早々にレプリカントであるということが判明するが、恋人はAIという。
室内限定の抱き枕的ダッチワイフから、持ち歩ける彼女に発展し、、VRのごとく、風俗嬢にお気に入りの顔を当てはめてSEX(と言っていいのか)する。
なんだ、そこらへんにうじゃうじゃいる大きなお友達、ということか。
大きなお友達が電車や駅構内で人の流れに乗らず、周囲に迷惑をかけていることも気にせず、理解せず、スマホという名の「恋人」と「対話」し、その画面を見て「悦に浸る」。
「her 世界でひとつだけの彼女」(’14)でもそうだったが、本作のテーマは
「はやく人間に(大人に)なりなさい。」
きょうび、ゴズリングがピノキオだろうが、レプリカントだろうが、人間だろうが、どうでもいいことである。人間らしさとか、生きることの意義だとか、自分探しとか、自分が特別だとか、「自分が、自分が」と言っているようじゃ人間(大人)になんかなれないよ、と。
ゴズリングは自分が特別ではないことを他者から教わり、それを受け入れ、他者のためにその身をささげて初めて人間となるのである。
もちろん表の話は、神になろうとするジャレット・レトと本来生まれるはずもないレプリカントの「奇跡の子供」という「神話的」な話は、リドリー・スコットのもと、然るべき設定。
これは「エイリアン コヴェナント」を観た後なら、全然予想内の話である。
だが、力の入れようはそんなところではなく、やはり映像とSF的ガジェットにある。尋常ではないほど、いずれも素晴らしく、退屈とは無縁の160分。
愚鈍でやかましく、ぬるい「メッセージ」のような辛気臭いものより「複製された男」のように画面にSF的要素を満たしたもののほうが、ビルヌーブはあっている。
次回が「DUNE」だなんて最高じゃないか。
追記
前作の主人公は、ストリップダンサーという恥じらいのないヘビオンナは後ろから撃ち殺し、奥ゆかしい美女にはキスを強要した。
なるほど、リドリー・スコットはデッカードのことをレプリカント、と言っていたのは、そんな「身勝手な人間」のことを予見して言っていたのかもしれない。
となると、本作は、「主人公を人間に戻す」話である。だから本作のKの設定はレプリカントであり、恋人は自分好みの「AI」なのだ。
だが、本作のメインユーザーはそんなことにはきっと興味がないだろうし、前作の立ち位置が結局「垂れ流し」映画なので、そういう意味では本作もしっかり「垂れ流し」て楽しむ映画にもなっている。
その点でも、本作は要求をしっかり満たすものになっている。
観客の感情を巧みにいざなうヴィルヌーヴの手腕
前作から35年。映画界の「伝説」に新たな続編をもたらすなど、どう考えても危険極まりない行為である。しかし彼らは見事に成し遂げた。特に心奪われたのはヴィルヌーヴ監督の構成力だ。「メッセージ」同様、彼はあえて観客のミスリードを利用しながら、これまで映画が到達したことのない深い境地へと手を伸ばす。今回も、主人公ジョーと同じく観客は一つの「確信」に則って感情をいざなわれ、待ち受ける真実に愕然とすることになる。「我こそは選ばれし者」というテーマは「マトリックス」でも描かれたが、運命や宿命ではなく、最終的には自らの決断によって全てを投げ打つからこそ、魂は激しく躍動する。そこにアンドロイドと人間の垣根を超えた生き様がある。ずぶ濡れになりながら役目を全うするジョーの姿には、どこか前作のロイを思わせる節も。3時間近くの旅路を終え、前作でデッカード以上に観る者を魅了したロイの心境に、いま初めて触れた気がした。
なるべくしてなった“あっち側”の物語
ドゥニ・ヴィルヌーヴと撮影監督のロジャー・ディーキンスは映像的に本当にすごいことをやってのけた。ビジュアルの権化みたいなオリジナルを継承しつつ、独自のスタイルで世界観を拡張した。続編としてこれほどの正解はないのではないか。
そして顕著なのが、ほぼ完全に“人ならぬ者”の物語になっていること。「デッカードはレプリカントか?」問題はもう当然のこととして推し進められ、もはやほぼレプリカントしか登場しない。メインの登場人物ではロビン・ライトとジャレッド・レトしか人間がいないのだ。
科学が発展した未来において、レプリカントと人間を分けるものは何なのかという、オリジナルが提示しっぱなしだったテーマは確実に深化している。今やレプリカントは被差別者の象徴であり、格差社会の写し絵であり、そして人間性のよりどころでもある。「ブレラン」ってこんなエモーショナルな作品だっけ?とオリジナルファンが戸惑うような、熱い映画だ。
荒涼とした未来世界
2049年のロサンゼルス。
最新型人造人間のレプリカント『 K 』( 捜査官 KD6-3.7 )をライアン・ゴズリングが好演。喜怒哀楽の感情を持たないレプリカントに、仄かな感情が芽生えているのではないかと感じさせるライアン・ゴズリングの演技に徐々に引き込まれていった。
次に何が起こるのか、生身の人間なのか、それとも人造人間なのか、ラスト迄緊迫感が途切れる事はなかった。
真っ白な雪景色のラストシーンがとても切なく、以前観たスティーヴン・スピルバーグ監督作『 A.I. 』を思い出した。
- 何が本物か
- 本物の記憶
BS12を録画にて鑑賞
進化するレプリカントの未来について・・・
映画館で観た時には、冒頭部分で長い瞬きをして見逃してしまい、内容をイマイチ理解できないままの鑑賞で、引き込まれることもありませんでした。ファンの人には申し訳ないですが、この作品は自分には合わなかったかな。
今回、BSでのテレビ放映ということで、もう一度見てみようかなって感じで鑑賞です。
退廃した近未来の状況は、画的に見応えがあったと思います。
ただ、どうなんでしょう、ファンの皆さん。前作の続き、見たかったですか?あのまま、終わっていた方が名作として伝説になったんじゃないですか。
映像の進歩は確かに魅力的だとは思いますが・・・
【ネタバレ】
結局は、前作の続きって感じですよね。デッカードとレイチェルの間に子供がいたって事なんだけど・・・
レプリカントが妊娠して出産したのが、重大なことであって、その子供を探すっていう話ですが、その子供が自分かもしれないと、困惑するブレードランナーがメインかな。
ハリソン・フォードの再登場とかは、ファンの人嬉しかったんじゃないかなとも思うんだけど・・・
【前作のネタバレ含みます】
前作「ブレードランナー」は、劇場公開版が気に入らなくて、リドリー・スコット監督が作り直した物など、いくつかのバージョンが存在します。
「ディレクターズカット/ブレードランナー最終版」で、監督がデッカードもレプリカントじゃないかってのを含ませた終わり方にしたのに、本作品で人間だった事が判明した。これって良かったのかな?
最後に一言、あの現実じゃない彼女が良い。アナ・デ・アルマス、彼女の存在がこの作品で一番の魅力でした。ビジュアル的にも、性格?的にも、非常に可愛らしい女性でした。
前作より好きだ
孤独で、特別でもない。「大義のために死ぬ」ことを否定したジョーは人間らしい、と言うか、もはやレプリカントか人間かは問題ではない。少なくとも、「モノ」ではない。ジョーという個人が存在し、自由意志によってあの選択をした。そして彼のおかげで父子は再会できた。
ジョイとの関係性がものすごく切ない。娼婦の身体を借りて、ジョーと身体を重ね合わせる。どれほど心が通じ合っていても触れ合うことはできないが、確かな愛を感じた。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の、映像と音楽はかなり好みだということを再認識。美しく、重厚感があり、落ち着いている。
フィリップディックの原作を読んだ後にこの映画は封切りで見た。八千代...
フィリップディックの原作を読んだ後にこの映画は封切りで見た。八千代のTOHOシネマだった。金曜日の仕事帰りのレイト・ショーの様な物だったので、大分寝てしまった。今日が初見と言っても良いかもしれない。ラ・ラ・ランドの俳優が出ている事は覚えていた。さて、
女長官が言う
『この社会は壁で仕切られている。その壁がなくなれば、社会は壊れる』この言葉だけで、誰が間違っているか先ずは分かってしまった。
プレジャータイプの話が少し出てくるが、所詮、この領域の技術は『南極3号』の域は脱していない。つまり、物理的男性に於ける性の処理の域を脱していないと言う事で、生物の初期の欲望なのだと思う。女性を含めた生きる哲学はそんな単純なものではないと言い換えられる。『さまよえるオランダ人の妻』の例えはもう語り尽くされた。
ルドガー・ハウアー演ずるレプリカントは雨の中で死を迎える訳であるが、フィリップ・ディックの描くアンドロイドもその運命をたどっていると思う。つまり、電気で動くアンドロイドは夢を見ることが出来ない。たから、この映画の様に奇跡は哀愁を帯びたもので終わるのだ。つまり、所詮、その夢は作られたもので、奇跡なのである。そうでなければ人間の未来は無いのだ。この映画の結論は原作に対するアンチテーゼとして評価する。作られた夢に対する結論だと思う。大変に残念な事だが、レプリカントには生殖能力はないのだから、この娘も人類の後継者ではないし、例え後継者であっても、物理的な男性の存在がなければ、人類の流れは途絶える。つまり、人類は滅ぶのだ。2049年の運命がそうであるならそれはそれで良いとは思う。
愛の無いAIに未来は無い。手塚治虫先生の火の鳥 宇宙編を想い出した。この映画もある意味に於いて傑作だと思う。でも、男のヒゲ面はやめてもらいたい。何しろ汚い。
長いな・・・
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旧型の人造人間レプリカントを捕捉し殺す新型レプリカントが主人公。
人間はそうやって旧型を完全排除しようとしていたが問題発生。
レプリカント同士が作った子供がどこかにいるとの情報が入る。
それは人間側にとっては恐るべきこと。よって主人公が排除を要請される。
主人公にはある記憶があったが、それは問題の子供が持ってるはずの記憶だった。
捏造された記憶だろう、と記憶捏造士を訪ねたが、それは本当の記憶だと言う。
こうして自分こそ問題の子供と信じ、その父親ハリソンを探し当てる。
しかし人間の手によってハリソンは連れ去られる。
そして主人公は自分が問題の子供でないことを知る。
やはり記憶は捏造で、問題の子供は女の子らしいとのこと。
失望しながらもハリソンは命がけで救出した。
結局、問題の子供とは記憶捏造士だった。
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劇場で見た。長い。160分以上。
そんなに長くしなきゃいけない内容でもないってのが正直な感想。
特に最初の1時間なんて話に動きがなくて眠かった。
あと集中力が欠けてたせいか何が何なんだかよう分からんかった。
記憶捏造士が何故に自分の記憶を主人公に移し、それを隠したのかとか、
人間がハリソンを誘拐したのは何故かとか。やっぱり長いのはアカンわ。
前作のようなSF史に残るような作品ではないが。
無限の彼方まで上がりきったハードルは、そりゃあ越えられるわけないですが。
個人的には、レプリカントと実体すらないホロのみのAIの恋愛(のように見えるもの)という概念に一番食いついたかも。アナ・デ・アルマスいいですね。その後の躍進も納得です。
前作の劇場公開版の続編という理解でいいのかな。
ドゥニ・ビルヌーブ監督の映画らしく、人間、レプリカント、AIの壁を超えた様々なかたちの愛を描いていた
ドゥニ・ビルヌーブ 監督(「メッセージ」等)による2017年製作(163分、PG12)のアメリカ映画。原題:Blade Runner 2049、配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント。
吹き替え版を視聴。
製作総指揮リドリー・スコットの下、前作の世界観を踏襲しながら、新しいAI的な要素(バーチャル彼女、3Dホログラム等)も取り入れて、人工レプリカントの進化や悲哀を突きつけて来て、流石ビルヌーブ 監督の作品という印象。
主人公ライアン・ゴスリングが人間ではなく、私企業によって製造されたレプリカントの警察官Kというのが、前作より一歩進んでいて未来的。恋人は、汎用的市販品らしいAIバーチャル彼女のジョイ。彼氏のお好みに合わせてか衣装も自由自在で、会話だけでなく食事も用意してくれる。演じているのがキューバ出身のアナ・デ・アルマス(007 ノー・タイム・トゥ・ダイ等)で、めちゃ可愛いく一途な感じが何とも魅了的だった。
肉体が無いAIアルマスは、人間の女性(マッケンジー・デイビス)の体を借りて彼女とシンクロする形で、大好きなゴスリングとセックスして思いを遂げる。彼女の気持ちはとてもいじらしいのだが、少し考えてみれば、0と1しかないプログラムから出来てるAIが肉体関係を求めるという何だか恐ろしい話でもある。感情というものが未だ理詰めでは分からないだけに、AIが愛する気持ちを有していてもおかしくないと思ってしまう。
主人公レプリカントのゴスリングは重傷を負っているのに関わらず、父親(ハリソン・フォード)を娘(カーラ・ジュリ)に合わせようと動いた。生身の人間ではなくレプリカントに本物のヒューマニズムを表現させるのが、何とも味わい深く感じられた。
レプリカント製作会社社長ウォレスの代理人レプリカントのラブ(シルビア・フークス:志田有彩)はゴスリングと闘い、ナイフで重傷を負わすのだが、勝利を確信した時にゴスリングにキスをする。湧き上がってきた勝利の歓喜的感情と恋情がconfusion してしまったのか?ココは正直、良く分からなかった。
デッカード(ハリソン・フォード)は人間と思って前作では見ていたのだが、本映画では放射能汚染されたラスベガスのホテルに、黒いイヌのレプリカント(寿命とウイスキー好きから考慮すると)と一緒に30年暮らしている訳で、また過去の記憶への拘りも強く、どうやらレプリカント設定なのかなとは思ってしまった。
とすると、レイチェル(ショーン・ヤング、昔の若いままの容姿での再登場させる映像技術には驚かされた)との娘は、レプリカント同士の子供ということになる。2人とも先を見据えて製造された繁殖能力授与型のレプリカントだったということだろうか。レプリカント達が奇跡と言っていた意味も、よく理解できる。また、リアルな世界で、ロボットやAIが自己増殖できる様になったら、人間の立場はとてもヤバイなと恐怖心の様な感情を覚えた。
映画全体を通して、人間、レプリカント、AIの壁を超えた様々なかたちの愛を描いていた印象で、リドリー・スコットではなく、ドゥニ・ビルヌーブ監督の映画らしいと感じた。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作アンドリュー・A・コソーブ 、ブロデリック・ジョンソン 、バッド・ヨーキン 、シンシア・サイクス・ヨーキン、製作総指揮リドリー・スコット、 ビル・カラッロ 、ティム・ギャンブル 、フランク・ギストラ 、イェール・バディック 、バル・ヒル。原作フィリップ・K・ディック、原案ハンプトン・ファンチャー脚本ハンプトン・ファンチャー 、マイケル・グリーン、撮影ロジャー・ディーキンス、美術デニス・ガスナー、衣装レネー・エイプリル、音楽ベンジャミン・ウォルフィッシュ 、ハンス・ジマー、
音楽監修デバ・アンダーソン、視覚効果監修ジョン・ネルソン。
出演
ライアン・ゴズリングK(加瀬康之)、ハリソン・フォードリック・デッカード(磯部勉)、アナ・デ・アルマスジョイ(小林沙苗)、シルビア・フークスラヴ(志田有彩)、ロビン・ライトジョシ(深見梨加)、マッケンジー・デイビスマリエッティ(行成とあ)、カーラ・ジュリアナ・ステライン(恒松あゆみ)、レニー・ジェームズミスター・コットン、デイブ・バウティスタサッパー・モートン、ジャレッド・レトニアンダー・ウォレス、エドワード・ジェームズ・オルモスガフ、ショーン・ヤングレイチェル、バーカッド・アブディ、ヒアム・アッバス、ウッド・ハリス、デビッド・ダストマルチャン。
ひいき目満点
キモをネタバレしているので
観る前の方は読まないでほしい。
何かの続編作品としては珍しく満足した。
前作通り、いや、それを超える映像美、世界観。
冒頭からシビレっぱなし。
内容は、回収しきれてない要素もあるものの。
いいんだよ。この作品はお金と宣伝は壮大だけども
基本は哀れなレプリカントKがどう生きたかを描いたものだから。
それでも、これ万人受けはしないだろう。
アクションで盛上げて勧善懲悪でスカッとするような
エンターテイメントでは無いからだ。
SF好きと公言しててもスターウォーズ最高組には
お口に合わなさそう。
まず主人公Kの人生だけどKが暗い。
感情は表では抑制しており、
唯一心を開いてる相手はホログラムの女性プログラム。
ひきこもりがフィギュアを嫁と言うのに似たようなものがある。
それもやっと愛せるかと思いきや途中でフリーズする物悲しさったら(私は思わず笑った)。
魂が無い、名前が無い、生きてる意義も価値も、愛してくれてる人もない。
とにかく無い無いづくしの中で、
唯一、もしかして自分は奇跡の子供で両親がいたんじゃないか?
仲間達に祝福されて生まれた子なのではないか?
と抱いた微かな希望。救い。
それさえも残酷に奪われてしまう。
デッカードに「おまえは俺にとってなんだ?」と
問われた時の悲しい目に、私も落涙しました。
誰に何を問われても自分はこうだ、と答えられないし、
それを考えて言語化する訓練もレプリカントは受けてないのです。
でも。
大義も使命も正直よくわからないけど、
一度は父かもと思ったデッカードを
娘に自分は会わせてあげられるのだと。
自分だけが、それを出来るんだと。
それが命をかけてでもやり遂げたいことでした。
小さな望みだけど他人のためにそんな生き方するって
人間より人間らしいのではないでしょうか。
前作のテイストを残す必要はあるんだろう。
前作の雰囲気を壊さないようにものすごく努力した、ということは評価する。
前作と比べないで独立した映画として鑑賞すると、まあ普通のできかな。
前作があまりに傑作だから前作を超えた、はあり得ないなあ。
前作が驚くべき(あるいは嘆くべき)未来図をビジュアライズしてくれて、それに喝采していたのではないか。本作にはその驚きが全然ない(カバーだから当たり前だがこれだけをとっても前作を上回れないことは明白)。
レプリカントって奴隷を工業的に生産できるってことが、ある意味産業的で革命的な意義なんじゃないのか。そりゃ妊娠できるように創るのはサイエンティストの研究材料としては面白いだろうし、聖書の話をこじつけて神を持ち出したり(ラケルの話は傑作だった! 前作からこのためにRachelと名づけていたのか?)、哲学的な話にしたり、人類と対決する続編を作る(!)のには便利と思うけど、分娩まで10ヶ月もかかったり出産で親が死んだりじゃ全然生産的じゃないと思うんだけど。なんか私、勘違いしてます?
デッカードが人間だとしたら娘は異種間のハイブリッド? 荒唐無稽すぎないか?
Kの秘密のようなものが早くわかりすぎたのも残念。オチじゃないってわかっちゃうよね。レプリカントはみな同じ記憶を持ってるという話なのか。
巨大な看板ジョイがジョー...って言ってるのは広告、つまり不特定多数に向かって言ってるのですよね? きっとどこのお宅のジョイもご主人様に「あなたは特別」って言うように設計されているのでしょう。持ち主に名前が無かったら「ジョーって呼ぶわ」っていうんですね。
Kってそれなりに強いけど殴られたりすれば傷つく程度の強さじゃない? それがとってつけたように(思い出したように)壁をバーンって突き抜けるのもちょっとおかしいよな。笑うところなんだろうか?
続編はレプリカントの地下組織が善玉で人類が悪役になるんだよね?
ターミネーターやマッドマックスシリーズのようにならないことを祈るのみ(笑)
この、時間をずいぶん空けた続編って、マッドマックスが当たったから作ったんだよね?
あとね。音がうるさいんだよ!!
映画内容想像より下回る
前作内容が完結していた物の続編映画
今作は35年後(2049年)の話で
タイレル社が潰れたあとのウォレル社が台頭している世界の話です
前作のレプリカントのレイチェルの妊娠した子供(人間?レプリカント?)を
捜査していく映画で主人公K(レプリカント)植えこまれ記憶を自分の物だと思い
デッカードを探し聞き込みをします今回のレプリカント寿命がありません
レプリカントと人間の話なので結末としてはかなしいものがたりになっています
電気羊はどこへ
劇場で鑑賞した時は、その比類なき映像美に圧倒されました。前作はDVDでファイナルカット版まで鑑賞して、世界観と哲学的なテーマに感銘を受けましたが、本作は果たして。
良かった点としては前述の通りロジャー・ディーキンスによる撮影。揮発性に富んだと言うか、浮遊感のあると言うか、微妙に現実離れしたフューチャー感溢れる映像。これはホントすごかった。
あと、主演のライアン・ゴズリング。感情の起伏のない、どこか退廃的なレプリカントを絶妙に演じていました。前作のブレードランナーは捜査力はともかく戦闘力という点では凄腕感が感じられなかったのに対して、今回は一定の強さは保持しており、ちゃんと伝わりました。この辺も好感度高かった。
個人的にイマイチだった点。まずテンポ。やはり冗長感は否めなかった。各シーンあと2〜3秒くらい早く切り上げられたんじゃないだろうか。。
次にジャレッド・レトのキャラ。盲目の必要あるか?とか、性格設定もよく分からなかったので明確な倒すべき敵感が無くて残念。端的に言って浮いてる。
そしてストーリー。これが1番大きかった。前作が自己の探究というテーマだった(少なくとも僕はそう思いました。)のに対し、今回はミステリー要素が強かったので複数の鑑賞に耐えうるか。そもそも謎解きの過程も一部強引だった気もしないでもない。特にデッカードとの邂逅の件とか。。。デッカードとレイチェルの間に子供ができてたとか、それを守るべく秘密組織ができてたとか、前作の世界感から外れすぎてた印象も受けました。
35年後に作られた、30年後の世界
カルト人気から世界的作品となったブレードランナーの正統なる続編。
監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。
ロサンゼルス市警所属のブレードランナー・Kは、郊外の農場で働いていた強力なレプリカント、ネクサス8型を処分する。
ドローン撮影での解析で、朽ちた農場の木の下に30年前に埋葬されたレプリカント・ネクサス6型の骨が埋まっていた。
骨にはなんと出産の痕跡があり、Kは大きな犯罪の臭いをかぎ取り、タイレル社を買い取りネクサス型の開発を引き継いだ資産家のウォレスを訪ねる。
前作から引き継いだ、前作以上の退廃的未来世界。
黙示録後のような滅びたラスベガスも、年老いたリック・デッカードも、そして彼がしがみつくレイチェルの記憶も全てが古くて新しい。
もしかして、自分も偽の記憶を植え付けられたレプリカントではないのかと疑い、悩み苦しむKと、彼を支える、美しき恋人ソフトのジョイ。
彼らが迫る、デッカードとレイチェルの子の真実とは?
巨額の制作費をかけたものの、またもや低空飛行となった本作ですが、やっぱりカルト人気と批評家の評判は高いという現状。
万人におすすめはしません。
前作を見た人ならわかると思いますが、アクション少なめ作品です。
ですがSFファンを公言する人なら、一度は見ても損はないし、自分のように波長の合う人もいるでしょう。
だってこの映画で主人公が空を駆けるスピナー、めっちゃかっこいい。
そしてデッカード役ハリソン・フォードの持つブラスター、なんと日本の留之助商店が作った超高精度なレプリカなのだ。
欲しいよね、留之助ブラスター。
デッカードの持つ、今風のレール付きのブラスターもまた佳きですよ。
切ない‥
ちゃんとした続編でした。
人間が創り出したレプリカントが出産。
誕生したのは人間なのかレプリカントなのか。
記憶・感情・身体、生命とは人間とは一体なんなのか?
前作に増して色々考えさせられる哲学的な内容。
人間のみならずレプリカント側にも翻弄されるライアン・ゴズリング演じるジョーが何とも切なかった。
SF映画に何を求めるかで評価が分かれるのでは?
良いテーマだと思うが、冗長で途中でダレるため、早送りして見ることになった。最近(4,5ヶ月前)Cyberpunk2077というブレードランナーからも影響を受けているゲームやブレードランナー ブラックアウト 2022を楽しみブレードランナー(1982)をそんなに楽しめなかった自分としてどうしてなのかと考えた。おそらくSF映画に対する期待(SF的ガジェットによる見たことのないような刺激的な世界観の体験)と実際(人類に利用され、見下され、自我を持つことすら許されない(人間の意図に忠実に意識を持たなければならない)レプリカント(その中でもブレードランナーは更に同類の駆除を求められているという意味で悲劇にすぎる)の反撃の狼煙までの道)との落差についていけなかったからかもしれない。が、それ以上に長い(2時間43分)。もう少し削るべきでは?この作品を楽しめる方は、前作のファンや、アクションが好きでなく、知的な人かもしれない。と書きながら、WikipediaをSF的ガジェットそれぞれの案はおもしろいし、ストーリーも面白いと思いながら読んでいた。知的な旨味のある創作物の旨味を視聴者に面白く伝えるのは難しいということだろうか?
予想外に良い続編だった、特にラストが良い
普通、続編はがっかりすることが多いがこの作品は違った。前作の雰囲気を忠実に再現して、続編らしい続編でしたね。ただ、前作が希望を残して終わった感じだったのに、こちらの雪のラストシーンはちょっと切なすぎますね。
気になったのが、Kがラヴを殺すシーン。長すぎるしやりすぎた。ここでは、ラヴが殺されることが重要なので、どうやって殺すとかどうやって格闘するとかは重要ではないはずで、もともと長い作品なのでこのシーンはもうちょっと短くあっさりやったほうがすっきりしたように思う。「危険な情事」を思い出してしまった。
残念な出来
前作は伝説的な作品。それまでに見た事がないリアルで独創的な近未来のビジュアルは、その後のSF映画に多大な影響を与えた。そんな「ブレードランナー」の特徴的なビジュアルとは、雑然とした都市の在り方だったのだが、今回はだだっ広い郊外が多い。なぜかというと、前作のラストシーンで主人公とヒロインは郊外へ向かって旅立って行ったからです。その続き物となるために本作は郊外のシーンが多くなりましたが、しかしそのラストシーンとは、映画会社側の命令で後で付けで足されたものであり、元々の監督の構想ではなかったラストシーンでした。
そんな前作のラストシーンを引き継いでしまったので、「ブレードランナーらしからぬ」郊外のビジュアルばっかりになっちゃって、前作とのイメージのギャップが出てしまっている。
また物語の内容も「レプリカントは子供が産めた」という、前作のテーマ性に比べたらどうでもいい必然性に欠ける事柄でしかなかった。前作は自我や命の定義に関する謎がビジュアル化された、もっと奥深いものでした。
そんな前作の監督リドリー・スコットを制作に迎え、満を辞しての超大作となりましたが、往年のブレランファンを満足させてくれるものにはなっていません。これは監督であったリドリー・スコットと、長年ブレランを熱心に追求してきたファン達との、認識のギャップも大きかったんだと思います。長年のファン達はブレランについて議論し、考察し、色々な想像を広げてきて、むしろ監督自身より強い思い入れが育まれていたと思います。作中で使われた銃なんかも、ファンの熱心さによって劇中以上の精度でモデルガン化されたりしていました。
しかしリドリー・スコット自身はファンではないわけで、そのようなファンの熱に同調する事もなければ、また良い意味で裏切る事も出来なかった、と言えます。むしろブレランオタクの若手監督が指揮を執った方が良かったのかも。
本作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、前年に稀代の傑作SF「メッセージ」を撮りあげているのですが、今回はその作風が裏目に出ました。「メッセージ」はそもそも、今までのSF映画のセオリーを打ち崩す新しいタイプの作品であり、今までのSF映画に決別する意思を持っていたからこそ傑作になった。にも関わらずその同じ監督が、往年のハードSF映画であるブレランの続編を撮るというのは矛盾しています。尺が163分もあり、そこにおいてヴィルヌーヴ監督の静かで上品なスタイルは、眠気をもよおさせてしまうだけでした。
タイトルなし
圧倒的な映像技術と独特の世界観。前作を見ていなくても見れるが、見た方が良かったかも。何度も見返す。人間と感情を持つアンドロイドの差別、互いの脅威が根底にある。ハリソン・フォードも結局レプリカント。ライアン・ゴズリングはレプリカント同士が産んだ奇跡の子供ではなく、追手を避けるために、その記憶を植え付けられたレプリカントだった。
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