ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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裏設定は「早く人間に(大人に)になりなさい」。おっさんは、久々にドゥニ・ビルヌーヴを楽しんだよ。
「ブレードランナー」(’82)
初見は、「ターミネーター」との特別同時上映。確か中学生だったように思う。自分大好きな盛りの中学生であれば、レプリカントがそもそも何なのかすら理解する気もなく、「明らかにロボット」なシュワルツェネッガーことターミネーターに夢中になったのはごくごく当たり前のことである。
その後も何度か観てはいるが、サイバーパンクなカルト人気は理解はするが、いつ見ても全く楽しむことはできていない。
「なにを追っているのか?誰と戦っているのか?」
「見た目が良ければ、それでいいのか?(ここではレイチェルのこと)」
楽しめない理由はそこにあった。
そしてうん十年。その続編ができるというニュースが流れ、ハリソン・フォードも出るという。やめときゃいいのに、とは思ったが、予告からはビルヌーブの作り出す映像は大いに期待の出来るものだった。
だが初日には行かず、何を血迷ったか、「ゲット・アウト」を優先した次第。
だって、ビルヌーブ、「ボーダーライン」「メッセージ」、続けてダメだったからね。
「ブレードランナー2049」
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ライアン・ゴズリング演じる主人公は早々にレプリカントであるということが判明するが、恋人はAIという。
室内限定の抱き枕的ダッチワイフから、持ち歩ける彼女に発展し、、VRのごとく、風俗嬢にお気に入りの顔を当てはめてSEX(と言っていいのか)する。
なんだ、そこらへんにうじゃうじゃいる大きなお友達、ということか。
大きなお友達が電車や駅構内で人の流れに乗らず、周囲に迷惑をかけていることも気にせず、理解せず、スマホという名の「恋人」と「対話」し、その画面を見て「悦に浸る」。
「her 世界でひとつだけの彼女」(’14)でもそうだったが、本作のテーマは
「はやく人間に(大人に)なりなさい。」
きょうび、ゴズリングがピノキオだろうが、レプリカントだろうが、人間だろうが、どうでもいいことである。人間らしさとか、生きることの意義だとか、自分探しとか、自分が特別だとか、「自分が、自分が」と言っているようじゃ人間(大人)になんかなれないよ、と。
ゴズリングは自分が特別ではないことを他者から教わり、それを受け入れ、他者のためにその身をささげて初めて人間となるのである。
もちろん表の話は、神になろうとするジャレット・レトと本来生まれるはずもないレプリカントの「奇跡の子供」という「神話的」な話は、リドリー・スコットのもと、然るべき設定。
これは「エイリアン コヴェナント」を観た後なら、全然予想内の話である。
だが、力の入れようはそんなところではなく、やはり映像とSF的ガジェットにある。尋常ではないほど、いずれも素晴らしく、退屈とは無縁の160分。
愚鈍でやかましく、ぬるい「メッセージ」のような辛気臭いものより「複製された男」のように画面にSF的要素を満たしたもののほうが、ビルヌーブはあっている。
次回が「DUNE」だなんて最高じゃないか。
追記
前作の主人公は、ストリップダンサーという恥じらいのないヘビオンナは後ろから撃ち殺し、奥ゆかしい美女にはキスを強要した。
なるほど、リドリー・スコットはデッカードのことをレプリカント、と言っていたのは、そんな「身勝手な人間」のことを予見して言っていたのかもしれない。
となると、本作は、「主人公を人間に戻す」話である。だから本作のKの設定はレプリカントであり、恋人は自分好みの「AI」なのだ。
だが、本作のメインユーザーはそんなことにはきっと興味がないだろうし、前作の立ち位置が結局「垂れ流し」映画なので、そういう意味では本作もしっかり「垂れ流し」て楽しむ映画にもなっている。
その点でも、本作は要求をしっかり満たすものになっている。
観客の感情を巧みにいざなうヴィルヌーヴの手腕
前作から35年。映画界の「伝説」に新たな続編をもたらすなど、どう考えても危険極まりない行為である。しかし彼らは見事に成し遂げた。特に心奪われたのはヴィルヌーヴ監督の構成力だ。「メッセージ」同様、彼はあえて観客のミスリードを利用しながら、これまで映画が到達したことのない深い境地へと手を伸ばす。今回も、主人公ジョーと同じく観客は一つの「確信」に則って感情をいざなわれ、待ち受ける真実に愕然とすることになる。「我こそは選ばれし者」というテーマは「マトリックス」でも描かれたが、運命や宿命ではなく、最終的には自らの決断によって全てを投げ打つからこそ、魂は激しく躍動する。そこにアンドロイドと人間の垣根を超えた生き様がある。ずぶ濡れになりながら役目を全うするジョーの姿には、どこか前作のロイを思わせる節も。3時間近くの旅路を終え、前作でデッカード以上に観る者を魅了したロイの心境に、いま初めて触れた気がした。
なるべくしてなった“あっち側”の物語
ドゥニ・ヴィルヌーヴと撮影監督のロジャー・ディーキンスは映像的に本当にすごいことをやってのけた。ビジュアルの権化みたいなオリジナルを継承しつつ、独自のスタイルで世界観を拡張した。続編としてこれほどの正解はないのではないか。
そして顕著なのが、ほぼ完全に“人ならぬ者”の物語になっていること。「デッカードはレプリカントか?」問題はもう当然のこととして推し進められ、もはやほぼレプリカントしか登場しない。メインの登場人物ではロビン・ライトとジャレッド・レトしか人間がいないのだ。
科学が発展した未来において、レプリカントと人間を分けるものは何なのかという、オリジナルが提示しっぱなしだったテーマは確実に深化している。今やレプリカントは被差別者の象徴であり、格差社会の写し絵であり、そして人間性のよりどころでもある。「ブレラン」ってこんなエモーショナルな作品だっけ?とオリジナルファンが戸惑うような、熱い映画だ。
電気羊の夢をみたアンドロイドとヒューマンの30年後の姿を描いたお話です。更なる未来へと繋がる話を描きたかったのだろうと思うのですが、テーマが昇華不良気味かも。
アナ・デ・アルマスの過去出演作を辿ってこの作品へ。
「ブレード・ランナー」を鑑賞し直してからの鑑賞です。
前作の終わり方には、かなり好印象を持ちました。
その続編をあえて製作したこの作品。意義は?
人間とレプリカの未来を、どのように描くのか?
期待と一抹の不安。さて。
◇
途中までは前作の世界観を引き継いでいる感じがあったが…
デッカード(ハリソン・フォード)が登場する辺りから
逆にストーリーが迷走し始めた気が…。・_・シマス
以下、簡単にあら筋。あらあら
前作のデッカードのような役目を果たしている「K」。
警察機構に雇われているらしく、その命令を受けて
レプリカによる反逆の目を摘んで行っているようだ。
一度Kが対処した場所に、埋められていた「何か」の跡。
その痕跡を調査するうちに、過去の色々な痕跡が見つかる。
・女性型レプリカ一体分の骨格
・人為的に付いた傷が認められるという事
・その傷が「出産」に因るということ …帝王切開だ
レプリカが妊娠・出産していたという事実。
母体は命が尽きているが、その赤子の行方が分からない。
死亡? それともどこかで生存?
父親は? 誰? 生きているのか?
※ この辺りまでは、話の展開にまだ筋が通っていた
気がするのですが…
◇
この時代、レプリカにも新世代が登場している
宇宙の開発等にレプリカは欠かせない。
レプリカ同士でレプリカを産み出す技術があれば
開発や作業の効率は格段に向上する。
その技術の結晶をめぐる争奪戦?
・新型レプリカ
・旧型レプリカ
・ヒューマン
その赤子は今どこにいるのか「K」もまた探すのだが
キーとなる人物を追いかけた先で出会ったのは…
さらには、その人物を拘束しようとする組織の存在。
※ というか、もうこの辺りでは
誰が何のために何を考えて行動しているのか という
根本的な部分が理解困難に… ・△・; タスケテ
最後は
デッカードが誰かと出会って終わるようなのですが
それでその後どうなるの? という印象 ・◇・; デス
正直なところ、何がどうなった?それでどうした?
との印象が拭えないエンディングでした。 うーん。
あ、アナ・デ・アルマスは綺麗でした。
ヴァーチャルなパートナーとして魅力的です。
それが確認できたのは収穫でした。
※というよりも
アナ・デ・アルマスの演じたヴァーチャル人格を
もっと掘り下げたストーリーを観たかった気もします。
さらなる続編…は、うーん。多分無いか。・△・
◇浮かんだ疑問点
鑑賞中と鑑賞後、色々と疑問点が浮かびました。
・デッカードが隠れて生き延びた理由
・レイチェルだけが、繁殖可能なレプリカだったのか?
・それともそれを試すプロトタイプだったのか?
・レイチェルは4年後には命が尽きたのか?
・レイチェルとの子(?)を隔離した理由
・そもそも、その子を皆が探している理由は何?
・隔離した子を誰が育てたのか?
・子を旗頭に据えて反乱を企てていた組織がある?
→ かなり物騒な雰囲気だったのだが…
・人間との間で誕生した子は、人間?レプリカ?
・レプリカの間で生まれた子どもは?
→ レプリカと扱われる気がしますが…
そして何よりも、あの終わり方にどんな意味があるのか。
自分の娘と30年近くの時を経て逢えたことで、その後に
何かが起きるのか?
うーん。
一体何を描きたかったのかなぁ…。
書きたいテーマが空中分解したような印象 ・△・; デス
レプリカの寿命に制限が無くなり、
レプリカ同士で子を作れるのであれば
もくかしたら、その後に待っているのは
人間の方が不要となる未来だったり…。
あぁ それは嫌です。はい。
◇最後に
「妊娠・出産可能なアンドロイド」
それを扱った作品を思い出しています。
「アミテージ・ザ・サード」(1995年 AIC製作のOVA)。
女性警察官アミテージが主人公の、全4話のお話。
翌年にアメリカで再編集版に新作カットを加えた劇場板が
作成されているようで、日本よりもアチラの方で人気が
あったような気もします。
このOVA作品、ブレードランナーの後に作られていて
この作品の後にブレードランナー2049が作られている訳ですが
世界観の構築等に、相互に影響を与える事があったのかもなぁ…
などと勝手に想像しています。・-・; ドウデショウ
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
荒涼とした未来世界
2049年のロサンゼルス。
最新型人造人間のレプリカント『 K 』( 捜査官 KD6-3.7 )をライアン・ゴズリングが好演。喜怒哀楽の感情を持たないレプリカントに、仄かな感情が芽生えているのではないかと感じさせるライアン・ゴズリングの演技に徐々に引き込まれていった。
次に何が起こるのか、生身の人間なのか、それとも人造人間なのか、ラスト迄緊迫感が途切れる事はなかった。
真っ白な雪景色のラストシーンがとても切なく、以前観たスティーヴン・スピルバーグ監督作『 A.I. 』を思い出した。
- 何が本物か
- 本物の記憶
BS12を録画にて鑑賞
進化するレプリカントの未来について・・・
映画館で観た時には、冒頭部分で長い瞬きをして見逃してしまい、内容をイマイチ理解できないままの鑑賞で、引き込まれることもありませんでした。ファンの人には申し訳ないですが、この作品は自分には合わなかったかな。
今回、BSでのテレビ放映ということで、もう一度見てみようかなって感じで鑑賞です。
退廃した近未来の状況は、画的に見応えがあったと思います。
ただ、どうなんでしょう、ファンの皆さん。前作の続き、見たかったですか?あのまま、終わっていた方が名作として伝説になったんじゃないですか。
映像の進歩は確かに魅力的だとは思いますが・・・
【ネタバレ】
結局は、前作の続きって感じですよね。デッカードとレイチェルの間に子供がいたって事なんだけど・・・
レプリカントが妊娠して出産したのが、重大なことであって、その子供を探すっていう話ですが、その子供が自分かもしれないと、困惑するブレードランナーがメインかな。
ハリソン・フォードの再登場とかは、ファンの人嬉しかったんじゃないかなとも思うんだけど・・・
【前作のネタバレ含みます】
前作「ブレードランナー」は、劇場公開版が気に入らなくて、リドリー・スコット監督が作り直した物など、いくつかのバージョンが存在します。
「ディレクターズカット/ブレードランナー最終版」で、監督がデッカードもレプリカントじゃないかってのを含ませた終わり方にしたのに、本作品で人間だった事が判明した。これって良かったのかな?
最後に一言、あの現実じゃない彼女が良い。アナ・デ・アルマス、彼女の存在がこの作品で一番の魅力でした。ビジュアル的にも、性格?的にも、非常に可愛らしい女性でした。
「ラヴ」というレプリカントについて
ウォレスの命令を確実にこなす、冷徹な存在をとして描かれている反面、折々で涙を流すなど「感情」を示唆する描写があって、その心中を察するに余りある。
これこそが新型レプリカントの対峙するであろう状態で、あまりにも残酷すぎる。
最後のシーン、Kを倒したと思い込んでデッカードの元に戻った際の無邪気にも見える笑顔は、胸をえぐられるような気持ちになった。
前作のロイやレイチェルやゾーラ、今作のKやジョイの葛藤は比較的分かりやすく、共感も得やすい。
でも、本当の深淵はこちらが気付けないような形でひそんでいるのかもしれない。
前作より好きだ
孤独で、特別でもない。「大義のために死ぬ」ことを否定したジョーは人間らしい、と言うか、もはやレプリカントか人間かは問題ではない。少なくとも、「モノ」ではない。ジョーという個人が存在し、自由意志によってあの選択をした。そして彼のおかげで父子は再会できた。
ジョイとの関係性がものすごく切ない。娼婦の身体を借りて、ジョーと身体を重ね合わせる。どれほど心が通じ合っていても触れ合うことはできないが、確かな愛を感じた。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の、映像と音楽はかなり好みだということを再認識。美しく、重厚感があり、落ち着いている。
長いな・・・
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旧型の人造人間レプリカントを捕捉し殺す新型レプリカントが主人公。
人間はそうやって旧型を完全排除しようとしていたが問題発生。
レプリカント同士が作った子供がどこかにいるとの情報が入る。
それは人間側にとっては恐るべきこと。よって主人公が排除を要請される。
主人公にはある記憶があったが、それは問題の子供が持ってるはずの記憶だった。
捏造された記憶だろう、と記憶捏造士を訪ねたが、それは本当の記憶だと言う。
こうして自分こそ問題の子供と信じ、その父親ハリソンを探し当てる。
しかし人間の手によってハリソンは連れ去られる。
そして主人公は自分が問題の子供でないことを知る。
やはり記憶は捏造で、問題の子供は女の子らしいとのこと。
失望しながらもハリソンは命がけで救出した。
結局、問題の子供とは記憶捏造士だった。
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劇場で見た。長い。160分以上。
そんなに長くしなきゃいけない内容でもないってのが正直な感想。
特に最初の1時間なんて話に動きがなくて眠かった。
あと集中力が欠けてたせいか何が何なんだかよう分からんかった。
記憶捏造士が何故に自分の記憶を主人公に移し、それを隠したのかとか、
人間がハリソンを誘拐したのは何故かとか。やっぱり長いのはアカンわ。
前作のようなSF史に残るような作品ではないが。
無限の彼方まで上がりきったハードルは、そりゃあ越えられるわけないですが。
個人的には、レプリカントと実体すらないホロのみのAIの恋愛(のように見えるもの)という概念に一番食いついたかも。アナ・デ・アルマスいいですね。その後の躍進も納得です。
前作の劇場公開版の続編という理解でいいのかな。
ドゥニ・ビルヌーブ監督の映画らしく、人間、レプリカント、AIの壁を超えた様々なかたちの愛を描いていた
ドゥニ・ビルヌーブ 監督(「メッセージ」等)による2017年製作(163分、PG12)のアメリカ映画。原題:Blade Runner 2049、配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント。
吹き替え版を視聴。
製作総指揮リドリー・スコットの下、前作の世界観を踏襲しながら、新しいAI的な要素(バーチャル彼女、3Dホログラム等)も取り入れて、人工レプリカントの進化や悲哀を突きつけて来て、流石ビルヌーブ 監督の作品という印象。
主人公ライアン・ゴスリングが人間ではなく、私企業によって製造されたレプリカントの警察官Kというのが、前作より一歩進んでいて未来的。恋人は、汎用的市販品らしいAIバーチャル彼女のジョイ。彼氏のお好みに合わせてか衣装も自由自在で、会話だけでなく食事も用意してくれる。演じているのがキューバ出身のアナ・デ・アルマス(007 ノー・タイム・トゥ・ダイ等)で、めちゃ可愛いく一途な感じが何とも魅了的だった。
肉体が無いAIアルマスは、人間の女性(マッケンジー・デイビス)の体を借りて彼女とシンクロする形で、大好きなゴスリングとセックスして思いを遂げる。彼女の気持ちはとてもいじらしいのだが、少し考えてみれば、0と1しかないプログラムから出来てるAIが肉体関係を求めるという何だか恐ろしい話でもある。感情というものが未だ理詰めでは分からないだけに、AIが愛する気持ちを有していてもおかしくないと思ってしまう。
主人公レプリカントのゴスリングは重傷を負っているのに関わらず、父親(ハリソン・フォード)を娘(カーラ・ジュリ)に合わせようと動いた。生身の人間ではなくレプリカントに本物のヒューマニズムを表現させるのが、何とも味わい深く感じられた。
レプリカント製作会社社長ウォレスの代理人レプリカントのラブ(シルビア・フークス:志田有彩)はゴスリングと闘い、ナイフで重傷を負わすのだが、勝利を確信した時にゴスリングにキスをする。湧き上がってきた勝利の歓喜的感情と恋情がconfusion してしまったのか?ココは正直、良く分からなかった。
デッカード(ハリソン・フォード)は人間と思って前作では見ていたのだが、本映画では放射能汚染されたラスベガスのホテルに、黒いイヌのレプリカント(寿命とウイスキー好きから考慮すると)と一緒に30年暮らしている訳で、また過去の記憶への拘りも強く、どうやらレプリカント設定なのかなとは思ってしまった。
とすると、レイチェル(ショーン・ヤング、昔の若いままの容姿での再登場させる映像技術には驚かされた)との娘は、レプリカント同士の子供ということになる。2人とも先を見据えて製造された繁殖能力授与型のレプリカントだったということだろうか。レプリカント達が奇跡と言っていた意味も、よく理解できる。また、リアルな世界で、ロボットやAIが自己増殖できる様になったら、人間の立場はとてもヤバイなと恐怖心の様な感情を覚えた。
映画全体を通して、人間、レプリカント、AIの壁を超えた様々なかたちの愛を描いていた印象で、リドリー・スコットではなく、ドゥニ・ビルヌーブ監督の映画らしいと感じた。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作アンドリュー・A・コソーブ 、ブロデリック・ジョンソン 、バッド・ヨーキン 、シンシア・サイクス・ヨーキン、製作総指揮リドリー・スコット、 ビル・カラッロ 、ティム・ギャンブル 、フランク・ギストラ 、イェール・バディック 、バル・ヒル。原作フィリップ・K・ディック、原案ハンプトン・ファンチャー脚本ハンプトン・ファンチャー 、マイケル・グリーン、撮影ロジャー・ディーキンス、美術デニス・ガスナー、衣装レネー・エイプリル、音楽ベンジャミン・ウォルフィッシュ 、ハンス・ジマー、
音楽監修デバ・アンダーソン、視覚効果監修ジョン・ネルソン。
出演
ライアン・ゴズリングK(加瀬康之)、ハリソン・フォードリック・デッカード(磯部勉)、アナ・デ・アルマスジョイ(小林沙苗)、シルビア・フークスラヴ(志田有彩)、ロビン・ライトジョシ(深見梨加)、マッケンジー・デイビスマリエッティ(行成とあ)、カーラ・ジュリアナ・ステライン(恒松あゆみ)、レニー・ジェームズミスター・コットン、デイブ・バウティスタサッパー・モートン、ジャレッド・レトニアンダー・ウォレス、エドワード・ジェームズ・オルモスガフ、ショーン・ヤングレイチェル、バーカッド・アブディ、ヒアム・アッバス、ウッド・ハリス、デビッド・ダストマルチャン。
ひいき目満点
キモをネタバレしているので
観る前の方は読まないでほしい。
何かの続編作品としては珍しく満足した。
前作通り、いや、それを超える映像美、世界観。
冒頭からシビレっぱなし。
内容は、回収しきれてない要素もあるものの。
いいんだよ。この作品はお金と宣伝は壮大だけども
基本は哀れなレプリカントKがどう生きたかを描いたものだから。
それでも、これ万人受けはしないだろう。
アクションで盛上げて勧善懲悪でスカッとするような
エンターテイメントでは無いからだ。
SF好きと公言しててもスターウォーズ最高組には
お口に合わなさそう。
まず主人公Kの人生だけどKが暗い。
感情は表では抑制しており、
唯一心を開いてる相手はホログラムの女性プログラム。
ひきこもりがフィギュアを嫁と言うのに似たようなものがある。
それもやっと愛せるかと思いきや途中でフリーズする物悲しさったら(私は思わず笑った)。
魂が無い、名前が無い、生きてる意義も価値も、愛してくれてる人もない。
とにかく無い無いづくしの中で、
唯一、もしかして自分は奇跡の子供で両親がいたんじゃないか?
仲間達に祝福されて生まれた子なのではないか?
と抱いた微かな希望。救い。
それさえも残酷に奪われてしまう。
デッカードに「おまえは俺にとってなんだ?」と
問われた時の悲しい目に、私も落涙しました。
誰に何を問われても自分はこうだ、と答えられないし、
それを考えて言語化する訓練もレプリカントは受けてないのです。
でも。
大義も使命も正直よくわからないけど、
一度は父かもと思ったデッカードを
娘に自分は会わせてあげられるのだと。
自分だけが、それを出来るんだと。
それが命をかけてでもやり遂げたいことでした。
小さな望みだけど他人のためにそんな生き方するって
人間より人間らしいのではないでしょうか。
前作のテイストを残す必要はあるんだろう。
前作の雰囲気を壊さないようにものすごく努力した、ということは評価する。
前作と比べないで独立した映画として鑑賞すると、まあ普通のできかな。
前作があまりに傑作だから前作を超えた、はあり得ないなあ。
前作が驚くべき(あるいは嘆くべき)未来図をビジュアライズしてくれて、それに喝采していたのではないか。本作にはその驚きが全然ない(カバーだから当たり前だがこれだけをとっても前作を上回れないことは明白)。
レプリカントって奴隷を工業的に生産できるってことが、ある意味産業的で革命的な意義なんじゃないのか。そりゃ妊娠できるように創るのはサイエンティストの研究材料としては面白いだろうし、聖書の話をこじつけて神を持ち出したり(ラケルの話は傑作だった! 前作からこのためにRachelと名づけていたのか?)、哲学的な話にしたり、人類と対決する続編を作る(!)のには便利と思うけど、分娩まで10ヶ月もかかったり出産で親が死んだりじゃ全然生産的じゃないと思うんだけど。なんか私、勘違いしてます?
デッカードが人間だとしたら娘は異種間のハイブリッド? 荒唐無稽すぎないか?
Kの秘密のようなものが早くわかりすぎたのも残念。オチじゃないってわかっちゃうよね。レプリカントはみな同じ記憶を持ってるという話なのか。
巨大な看板ジョイがジョー...って言ってるのは広告、つまり不特定多数に向かって言ってるのですよね? きっとどこのお宅のジョイもご主人様に「あなたは特別」って言うように設計されているのでしょう。持ち主に名前が無かったら「ジョーって呼ぶわ」っていうんですね。
Kってそれなりに強いけど殴られたりすれば傷つく程度の強さじゃない? それがとってつけたように(思い出したように)壁をバーンって突き抜けるのもちょっとおかしいよな。笑うところなんだろうか?
続編はレプリカントの地下組織が善玉で人類が悪役になるんだよね?
ターミネーターやマッドマックスシリーズのようにならないことを祈るのみ(笑)
この、時間をずいぶん空けた続編って、マッドマックスが当たったから作ったんだよね?
あとね。音がうるさいんだよ!!
映画内容想像より下回る
前作内容が完結していた物の続編映画
今作は35年後(2049年)の話で
タイレル社が潰れたあとのウォレル社が台頭している世界の話です
前作のレプリカントのレイチェルの妊娠した子供(人間?レプリカント?)を
捜査していく映画で主人公K(レプリカント)植えこまれ記憶を自分の物だと思い
デッカードを探し聞き込みをします今回のレプリカント寿命がありません
レプリカントと人間の話なので結末としてはかなしいものがたりになっています
電気羊はどこへ
劇場で鑑賞した時は、その比類なき映像美に圧倒されました。前作はDVDでファイナルカット版まで鑑賞して、世界観と哲学的なテーマに感銘を受けましたが、本作は果たして。
良かった点としては前述の通りロジャー・ディーキンスによる撮影。揮発性に富んだと言うか、浮遊感のあると言うか、微妙に現実離れしたフューチャー感溢れる映像。これはホントすごかった。
あと、主演のライアン・ゴズリング。感情の起伏のない、どこか退廃的なレプリカントを絶妙に演じていました。前作のブレードランナーは捜査力はともかく戦闘力という点では凄腕感が感じられなかったのに対して、今回は一定の強さは保持しており、ちゃんと伝わりました。この辺も好感度高かった。
個人的にイマイチだった点。まずテンポ。やはり冗長感は否めなかった。各シーンあと2〜3秒くらい早く切り上げられたんじゃないだろうか。。
次にジャレッド・レトのキャラ。盲目の必要あるか?とか、性格設定もよく分からなかったので明確な倒すべき敵感が無くて残念。端的に言って浮いてる。
そしてストーリー。これが1番大きかった。前作が自己の探究というテーマだった(少なくとも僕はそう思いました。)のに対し、今回はミステリー要素が強かったので複数の鑑賞に耐えうるか。そもそも謎解きの過程も一部強引だった気もしないでもない。特にデッカードとの邂逅の件とか。。。デッカードとレイチェルの間に子供ができてたとか、それを守るべく秘密組織ができてたとか、前作の世界感から外れすぎてた印象も受けました。
35年後に作られた、30年後の世界
カルト人気から世界的作品となったブレードランナーの正統なる続編。
監督『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。
【ストーリー】
ロサンゼルス市警所属のブレードランナー・K(ライアン・ゴズリング)は、郊外の農場で働いていた強力なレプリカント、ネクサス8型を処分する。
ドローン撮影での解析で、朽ちた農場の木の下に30年前に埋葬されたレプリカント・ネクサス6型の骨が埋まっていた。
骨にはなんと出産の痕跡があった。
レプリカントには、本来そんな機能は付与されていない。
Kは大きな犯罪の臭いをかぎ取り、タイレル社を買い取ってネクサス型の開発を引き継いだ資産家のウォレスを訪ねる。
前作から引き継いだ、前作以上の退廃的未来世界。
黙示録後のような滅びたラスベガスも、年老いたリック・デッカードも、そして彼がしがみつくレイチェルの記憶も全てが古くて新しい。
もしかして、自分も偽の記憶を植え付けられたレプリカントではないのかと疑い、悩み苦しむKと、彼を支える、美しき恋人ソフトのジョイ。
彼らが迫る、デッカードとレイチェルの子の真実とは?
巨額の制作費をかけたものの、またもや低空飛行となった本作ですが、やっぱりカルト人気と批評家の評判は高いという現状。
万人におすすめはしません。
前作を見た人ならわかると思いますが、アクション少なめ作品です。
ですがSFファンを公言する人なら、一度は見ておいて損はないし、自分のように波長の合う人もいるでしょう。
だってこの映画で主人公が空を駆けるスピナー、めっちゃかっこいい。
そしてデッカード役ハリソン・フォードの持つブラスター、なんと日本の留之助商店が作った超高精度なレプリカなのだ。
欲しいよね、留之助ブラスター。
Kの持つ、今風のレール付きのブラスターもまた佳きですよ。
切ない‥
ちゃんとした続編でした。
人間が創り出したレプリカントが出産。
誕生したのは人間なのかレプリカントなのか。
記憶・感情・身体、生命とは人間とは一体なんなのか?
前作に増して色々考えさせられる哲学的な内容。
人間のみならずレプリカント側にも翻弄されるライアン・ゴズリング演じるジョーが何とも切なかった。
SF映画に何を求めるかで評価が分かれるのでは?
良いテーマだと思うが、冗長で途中でダレるため、早送りして見ることになった。最近(4,5ヶ月前)Cyberpunk2077というブレードランナーからも影響を受けているゲームやブレードランナー ブラックアウト 2022を楽しみブレードランナー(1982)をそんなに楽しめなかった自分としてどうしてなのかと考えた。おそらくSF映画に対する期待(SF的ガジェットによる見たことのないような刺激的な世界観の体験)と実際(人類に利用され、見下され、自我を持つことすら許されない(人間の意図に忠実に意識を持たなければならない)レプリカント(その中でもブレードランナーは更に同類の駆除を求められているという意味で悲劇にすぎる)の反撃の狼煙までの道)との落差についていけなかったからかもしれない。が、それ以上に長い(2時間43分)。もう少し削るべきでは?この作品を楽しめる方は、前作のファンや、アクションが好きでなく、知的な人かもしれない。と書きながら、WikipediaをSF的ガジェットそれぞれの案はおもしろいし、ストーリーも面白いと思いながら読んでいた。知的な旨味のある創作物の旨味を視聴者に面白く伝えるのは難しいということだろうか?
予想外に良い続編だった、特にラストが良い
普通、続編はがっかりすることが多いがこの作品は違った。前作の雰囲気を忠実に再現して、続編らしい続編でしたね。ただ、前作が希望を残して終わった感じだったのに、こちらの雪のラストシーンはちょっと切なすぎますね。
気になったのが、Kがラヴを殺すシーン。長すぎるしやりすぎた。ここでは、ラヴが殺されることが重要なので、どうやって殺すとかどうやって格闘するとかは重要ではないはずで、もともと長い作品なのでこのシーンはもうちょっと短くあっさりやったほうがすっきりしたように思う。「危険な情事」を思い出してしまった。
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