「ミステリーになり得なかったサスペンスドラマ」22年目の告白 私が殺人犯です kimopingaさんの映画レビュー(感想・評価)
ミステリーになり得なかったサスペンスドラマ
【総評】
前半部に関しては、映像表現や、藤原竜也のミステリアスなキャラクター、テンポのよさ、ミステリーとしてのシナリオの仕掛けなど、冒頭から期待感の高まる映画であったが、
物語の第2幕となると激変し、陳腐なサスペンスドラマになってしまい、前半部に感じていた期待感は行き場を失い、劇場を出るときには「まぁ面白かったかな(?)」と錯覚させられた。
思い返してみると「あれ?おかしくね?」と感じることが多数あり、気付いてみれば、結構批判的な感想を持たされた、ある意味面白い映画であった。
【プラス点】
〈出演者〉
①藤原竜也
⇒冷徹・知的・不気味な雰囲気を醸し出し、常に上手を取られているように感じてしまうような、非常にミステリアスで、圧倒的な存在感を出していた。
〈映像表現〉
②起承転結の「転」までの構成
⇒スピード感があり、回想や情景描写がコンパクトにまとめられ、テンポが良かった。ミステリー・サスペンス特有の序章の間延び感を全く感じなかった。理由ははっきりとは分からないが、
シーンの繋ぎ方が上手かったのかと思う。
③劇中劇の描き方
⇒邦画の弱点である劇中劇の出来が良かった。ニコ生のコメント欄が映るシーンでは、様々な声が入り乱れた結果に生まれた混沌が自然に表現されていた。
へルタースケルターのそれと比較すると出来映えの差が理解できる。
④プロローグのイメージカット
⇒体感90秒程度のイメージカットであったが、
阪神大震災~連続殺人事件の時効成立のストーリーが分かり易く、序章へとスムーズに繋がり、めちゃくちゃ格好良かった。
〈ストーリー〉
⑤前半~中盤のシナリオの根幹が、細部にリンクし、仕掛けも面白かった
⇒前半~中盤のストーリーの構成は2段構えの仕掛けのあるミステリーであり、とても合理的で面白かった。細かいところでも徹底してシナリオが浸透しており、冒頭の記者会見のシーンでは「プレス発表でこんなマッピングする奴いるかよーww」と思っていたが、過剰なプロモーションにも理由がしっかりとリンクしており、いい具合に「やられた感」を感じることができた。
【マイナス点】
〈映像表現〉
①テンポが良すぎたため、所々笑いどころがあった
⇒序盤で夏帆が書籍にハサミを突き刺しながら悲痛を訴えるシーンでは、被害者遺族への同情を誘うよりも、急変した夏帆の「こいつやべえ奴」感がでてしまった。。
②途中で監督死んだんかって思うくらいの後半のテンポの悪さ
⇒TVのサスペンスの残り25分辺りのようなテンポになっていた。
〈出演者〉
③仲村トオルは完全なキャスティングミス
⇒個人的には好きな俳優ではあるが、声が篭っているは、渋すぎるはで、キャスター役には少々アクが強すぎる。報道番組などの劇中劇の完成度が高かったのに(高かったからか)、1人だけ浮いた存在であった。非常に勿体無かった。個人的な希望で言えば、久米宏だとマッチしたなー。
〈ストーリー〉
④里香が殺された理由に説明がついていない
⇒それまではいずれの事件も「被害者に近い者に殺害の瞬間を見せる」・「その目撃者を生かす」・「縄で絞め殺す」をルール、美学としていたはずだが、里香は誰にも目撃されずに殺されているという疑問点。牧村が死んでいなかったということが認識できていたような描写はなく、仕方なく殺したような動きではない。最初からあの場で殺害を計画している場面として作られていた。仮に牧村の生存を察知していたとしても、本来であれば、里香を解放するか、牧村の目前で里香を殺害or殺害の映像を牧村に送りつけるはずであった。最大のピンチの時でも牧村を殺さなかったのだから。ミステリーにおいて重要な犯人のポリシーが成立していない。それでもなお、犯人は一連の事件を「自分の作品」として愛でている。このような完璧主義の犯人であれば、この第5の事件で終わりにするのは不毛であり、彼にとっては駄作なはず。シナリオのご都合により犯人の美学は歪められてしまい、とても緻密に構成された前半部をぶっ壊したのだ。後半は陳腐なサスペンスとなってしまった。非常に良くない。
⑤ヤーさんの親分のせがれが何故鉄砲玉に・・・?
⇒腹違いとはいえ(そもそも本妻の描写なんぞなかったが・・・)、
自身のせがれを鉄砲玉に使う理由が分からない。無理があるが、息子に復讐をさせてやりたいという愛情表現だったと解釈できたとしても、 ならその描写はあって然るべき。遺族の行動が主題とも言えるこの映画で、その描写をカットすることは有り得ない。たぶん最後のエンドロールのシーンを入れたいが為に、又は早乙女太一を使いたいが為に、息子を鉄砲玉にするという謎展開に至ったのだろう。
こーゆーのが邦画を衰退させてるんだよなー。。。
⑥里香の最期の言葉があまりにも無情なものにも関わらず、なぜ曽根崎や牧村はリアクションがなかったのか
⇒「私は死ぬべきなんだ」的な発言は、非常に犯人を苛立たせるものであるが、それと同時に曽根崎は「俺は変えてやることができなかった」という無力感と復讐への絶望感を感じさせるものである。この非常に重みのある里香の最期の言葉に対し、それのアンサー描写が何も無く、「もしかして制作者は、この言葉が曽根崎に対してどれほどの意味を持っているのか分からなかったのか・・・?」と疑念を拭えない。
⑦ドキュメンタリー番組のクルーの存在意義が皆無
⇒本当にびっくりした。まるで意味が無かった。
ストーリーに1ミリも触れることが無く、その割にずっと出ている。「え、こいつら何だったん」て思った人ばっかだろうに。例えば、最後の犯人の獄中でぼやいてるシーンを、同じ撮影クルーが撮っていたってことであれば、ある種の、メディアや世間に対し、透明さや軽薄さ、恐ろしさを象徴する存在や、「個人の主義や主張は、多勢に対して効果や結果は生まないよね」って感じの皮肉になり得たと思うが・・・
ルール云々は警察側のプロファイリングの結果では?
鉄砲玉の所でも組長がというより、自分の母親が殺された私怨で勝手に殺しに行ったと解釈しました。親殺しには死を持って報いる世界ですし。
④里香が殺された理由に説明がついていない
⑥里香の最期の言葉があまりにも無情なものにも関わらず、なぜ曽根崎や牧村はリアクションがなかったのか
この2件は若干リンクしていると思います。
まず②ですが、医師夫人の事件を隠蔽された犯人が警察の囮捜査にあえてかかる描写があります。
そこで牧村と対決し因縁が生まれるわけですが、囮捜査に自ら乗る時点で犯人は既にマイルールを逸脱しており、牧村個人を狙う段においては過去4件の事件とは完全に別物の私怨であると私は見ました。
更に大切な人(牧村)の死の目撃者(リカ)をつくるという連続殺人の本来の目的を実行したところ、震災のトラウマ(殊にリカは高齢患者達を自分が死なせたという思いから強く病んでいましたね)に加え兄の死を目の当たりにした妹は死を望む。
パンフの概要ですが「自分を同じ境遇の人間の再生を確認する事で自らを癒そうとする試み」が犯人の犯行動機であり、しかし生を全否定する妹の姿にまさに闇を抜け出せない自分自身の姿、死ぬべきであった自分自身の姿を犯人は見たのでは。それゆえに殺し、殺人にも萎えた。
どう説明しても確かに陳腐なのですが、凡そは犯人自身も語った通りこのような具合かと思われます。
⑥の描写不足にも同意ですが、自分の至らなさから非力な老人達を死なせた負い目に苦しむリカの姿を曾根崎と牧村は見知っていたと思います。
⑤ヤーさんの親分のせがれが何故鉄砲玉に・・・?
鉄砲玉は組長の愛人の連れ子であり、疑似的な父子かもしれませんが、親子ではありません。
彼等は一貫して牧村達とは異なる倫理世界を生きており、鉄砲玉は橘組の下っ端として、組長の援護のもと、組長と共通の仇を討ったという事だと思います。