「ラストシーンで全てを理解できる」シークレット・オブ・モンスター kojikoさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンで全てを理解できる
ネタバレになるので、まだ観てない人は読まないで下さい。
観終わった率直な感想ですが、完全に裏切られました、いい意味で。
予告編で見る限り、悪の教典の様に元々残虐性を持ったサイコパスが独裁者になっていくようなストーリーなのかな?というイメージでしたが、全然違いました。
邦題はシークレットオブモンスターですが、原題はthe childhood of a redear(独裁者の幼少期)。
原題の通り、序盤から後半までは、少年が独裁者になるまでの幼少期を淡々と見せられるわけですが、なんとなく理解はできても、異常とも思える少年の行動に釈然としない思いでいました。
ラストを観るまでは。
公式サイトに「果たして、この心理パズルミステリーをあなたは解けるか?」とありますが、まさにこのラストシーンで最後のパズルのピースがバシッとハマるわけです。
この美少年は一体、何に不満を抱き、不可解な癇癪を繰り返したのか?
◯教会でキリストの劇を稽古した後、教会の人間(大人だけ)に石を投げつける。
◯空腹だと言っていたのに、メイドが作った食事がまずいと言ってわざとらしく残す。
◯父親が会議をしている最中に、わざわざ裸でうろついて見せる。それを父親が注意すると、完全に父親を見下したような態度を取る。
◯フランス語習得のためフランス語教師が来ていたが、あることをきっかけに拒絶。その後数日間、部屋に引きこもり、猛勉強を始める。絵本一冊分のフランス語をマスターし、独学で充分だということを証明して見せ、もう教師は必要ないと言って教師を解雇に追い込む。
◯大勢の客人の前で母親から祈りを頼まれると「神なんて信じてないから祈らない」的な発言(うろ覚えなので多少違うかもしれません)を大声で叫び続け、それを止めようとする母親をグラスで殴りつける。
この悪意の根源はなんなのか?
ーその謎が解明できないまま、唐突に独裁者(大人)になったプレスコットが登場するラストシーンへと突入していくわけですが、ここからが答え合わせと言わんばかりの、まさかのどんでん返しでした。
もうこの映画は理解できそうもないと完全に諦めて油断していた私は、呑気にも大人に成長したプレスコットは一体どんな俳優が演じるのだろうと思い巡らせていただけに、つるっぱげのパティンソンが出てきた時の衝撃は凄かったです。
そうです、プレスコットの本当の父親は、母親の愛人であるチャールズ(ロバート・パティンソン)だったってわけです。
そっくりそのままチャールズの生き写しなんですから、誰がどう見てもこれは紛れも無い事実ですよね。
ロバート・パティンソンがちょい役で映画に出演するわけないと思っていたし、公式サイトのイントロダクションに父親、プレスコット、母親、チャールズと4人で並んでる画がいかにも意味深で、重要な何かを握っている人物なんだろうなとは思ってましたけど、まさかこう来るかと…。
日本の公式サイトには、ネタバレになるからだと思うんですが、キャスト紹介でロバート・パティンソンはチャールズ役としか載せてないんですよね。
いくら検索しても載ってないので、海外のサイトを調べてみたら、一人二役で演じていることが公表されていました。
日本の公式サイトをよく読んで見ると、制作に至る背景という項目にヒントととも取れる文面が載ってます。
プレスコットのモデルとなったムッソリーニについて語られているのですが、彼は(恐怖政治を徹底したときに不倫に関して異常に厳しかった)とあります。
プレスコットにとって両親の不倫はトラウマになっているわけですから、当然そうなりますよね。
知能が高く、感の鋭いこの少年が、両親の不倫に気づいてないわけがないでしょう。
両親がいくら表面上で取り繕っていても、自分の父親が本当の父親でないってことはわかっていたんじゃないでしょうか。
髪を短くするのを嫌がっていた理由は、チャールズに似ていることを気にしていたからだと思います。
両親はチャールズを何度か家に招いていますが、意図的にプレスコットへ会わせることを避けているように感じられました。
自分が実は愛人の子だと知っていたら、精神が歪んでも仕方ないと思います。
しかも、それを両親は何食わぬ顔をして隠しているわけですから、誰も信じられなくなりますよ。
母親はチャールズと出来ていて父親を拒絶、行き場のない父親は手当たり次第に若いメイドや家庭教師に手を出している始末…。
頭のいい少年ですから、邪魔な人間(不倫相手のメイドや家庭教師)を排除しようとしていたこともうなづけます。
両親が嘘つきで微塵も信頼できる存在ではないのに、神なんて信じられるわけがないでしょう。
そうなれば、教会の人間は偽善者に見えるだろうし、石だって投げつけたくなりますよ。
チャールズも同席している食事会で、母から祈りを強要された時に彼がとった行動というのは、彼にとって1番の偽善者である母と実の父親であるチャールズに対しての制裁なのかもしれません。
食事前に座席を変えたのはチャールズの隣が嫌だったからだと思います。
これをきっかけに限界を越えた彼の心は崩壊してしまいます。
この美しくも哀しいプレスコットが独裁者へと変貌していくには、充分すぎる動機だと思いました。
そして、この物語がさらに悲劇的なのは、そんな風に人格の歪んでしまった人間が、独裁者としての権力を手にしてしまったことではないでしょうか?
歪んでいるからこそ独裁者になってしまったわけで、もし平凡な幼少期を過ごしていたら、もっと違った形で政治活動をしていたかもしれませんね。
<最後に>
結末と動機を知った上で、少年の心理をなぞるために改めてもう一度この映画を観てみたいと思いました。
また新たな発見があるかもしれないので、一度ならず二度楽しめる映画ではないでしょうか。