劇場公開日 2017年2月18日

  • 予告編を見る

「気持ちのいい作品」天使のいる図書館 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5気持ちのいい作品

2024年6月11日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

幸せ

老女アシタカレイコの「思い」に仕掛けた大どんでん返しが見事な作品。
神の実在は証明されていないから「いない」と考える主人公吉井サクラ。
神と奇跡の関係は誰もが感じてしまうこと。
だからこそ、突然田中があのすすき野にやってくるのだろう。
彼のそこまでの描写を描かないことで、奇跡感が増す。
だからあのシーンには「なぜ?」や「そんなわけない」などという言葉は不要だ。
タイトルに込められた意味も、神=天使の実在を匂わせている。
サクラは図書館に落ちていた白い羽根を拾って、それをゴミとしてゴミ箱に捨てた。神はいつもそこにいるというメッセージがそこにあるのだろう。それを捨ててもなお神がサクラに語り掛けない瞬間などないのだろう。それをどう処理するのかは、結局のところ本人の選択でしかない。
2度登場した羽根は、奇跡ではなく「実在」の証明を象徴するものだ。
サクラはレイコの行きたい場所のひとつがどうしてもわからず、方々探し回った末にようやくその場所を発見する。
意気揚々とレイコを待つサクラ。しかし彼女はとうとう現れなかった。この瞬間ようやくレイコとカフカの関係がわかった。レイコがサクラに呟いた「来年…」の意味が頭にリフレンした。
同時に見えてきた様々なものだったが、レイコの写真に写る男性は、レイコの旦那だと思い込まされていた。まんまと作品に騙されるのだ。
頭のいいサクラの考えることは鋭くもあるが恐ろしく方向がズレていて、古い新聞記事を探すための伏線に気づくあたりは鋭すぎて、見ていても何をしているのかわからない。
しかしレイコの写真に写る男性を見ていたことでその人物が誰なのかわかり、同時にレイコがなぜ図書館を訪問していたのかを察知する。
このサクラを動かす原動力となった動機こそが、祖母の死と自分自身の感情への不信だ。
そしてレイコと祖母がどうしても一致してしまう。
祖母の死と悲しみ しかし出てこない涙 感情に対する不信 特に他人の感情に対する共感は一切できず、「他人の主観だから理解できない」ことに分類することを決めている。
司書でありながら小説には全く興味はない。
そんなサクラはレイコの写真の場所を特定することこそがレファレンスサービスであると信じて疑わない。
しかしレイコとその場所に出かけるのを繰り返しながら、祖母との会話をしている感覚になるのだろう。
どうしても受け入れられないフィクションに対しレイコは言う。「小説は事実でないから面白い」「あなたは現実を物語に浸す必要がないほど幸せなのね」
そして「私は恨まれているの」という謎の言葉。
そうして祖母と対話しているかのように、レイコの気持ちに寄り添い始めながら、人の思い、特に叶わなかった事とその苦しみや願いなどを共感していく。
この作品は、
主人公サクラの偏った思考と言動に、彼女の過去と自分への嫌悪を再考察させることで成長に導く物語だ。
サクラの母が祖母の浴衣を持ってきても無関心だったのに、レイコの「浴衣の着付け」という言葉に反応して喜ぶのは、彼女の変化の表れだ。
特に田中がサクラに言ったセリフは、彼女を大きく揺さぶった。
「君は確かに知識が豊富だ。知識は想像力を開く扉だ。しかし余計な知識は想像力に蓋をするだけだ。それではまるで機械と同じだ。君がしているのは機械以下だ」
茫然自失 落ちるところまで落ちた そしてレイコからすべてを聞いた。
そしてまた新しく体験するのは、
奇跡の起きたすすき野で「死なないで」と泣いたこと。悲しみと涙の意味の理解。
レイコが死んだあと、一人で出かけた秋祭りに流した涙。偲ぶという意味の理解。
読み始めた小説も「恋愛」ものだけは理解できない。
人は皆、経験することでしかわからないことがたくさんある。
やがて再訪問したカフカは、サクラをデートに誘う。
また新しい経験が、この日常の奇跡が訪れたサインが「天使の羽」によって象徴される。
面白く胸が熱くなるいい作品だと思った。

余談だが、小芝風花ちゃんはなぜ左利きの演技をしたのだろう?
うどんの食べ方は明らかに変だし、自転車の乗り降りも右利きだった。

R41