まなざしのレビュー・感想・評価
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重い現実
介護により疲弊していく家族の姿がよくでていると思う。全編を通して会話がほとんどないのもリアルで、淡々と介護をしながらも精神的に追い詰められ、おかしくなっていってしまう様子が人間の器用さとも脆さとも取れるような気がする。
介護を通して家族とはと考えさせられる。自分はどこまで親を介護してあげられるだろうか?また、親はどこまで介護してほしいだろうか?医療発展により延命が可能となっているこの時代、どこまで生きていたいか自分で決めるという選択肢もありなのではないだろうか?など様々な疑問、提案が思い浮かぶ。この作品をみて家族会議してみるのもいいと思った。
観ておくべき作品
福祉医療系大学に通う娘と観にいきました。
介護は実際に携わっている人でないと、環境や状況は実感として把握できません。
この映画は、ただひたすら身内の介護、それも離れていた父親。そして突然に介護を押し付けられたような状況。。
私にも高齢の母がいますが、同じようなことになるのかも知れない。。。もしそのような日がきたら。。。
まさに色々考えさせられた映画でした。
セリフも少なく、ただひたすら淡々と、カメラで日々追っていく。。
主演の根岸さんの存在が大きく、静かな、それでいて内面は葛藤している感情の表現が観ている側には切なく、救ってあげたいけど救えないジレンマに陥りました。
この静かな感じは、エンターテインメントを主流にしてカットの多い今の映画には無いもので、その分、力強さを感じます。「1つの家族の介護をリアルに体感した」これこそがこの映画のエンターテインメントなのかもしれないと思いました。
観た後、一つ一つのシーンが印象的で、やたら心に残っていて、一種のカルチャーショックを受けた感じです。
介護する側、される側のまなざしの変化がこの映画のキーワードなのだと思いました。
介護は出口のない迷路ではない、そこにまなざしがある限り、朝の光はあるのだ。。。。
1人でも多くの方に観ていただきたいと思います。
家族であるということ
殺人の罪で長年服役していた父親。憎み続けたその父親を突然介護することになった娘。病気のために自分では動くことも話すこともできない父親に対して、愛のない介護が淡々と続けられるという究極のシチュエーションの中で、たどり着く先には何があるのか。
在宅医療に携わる者として、家族が介護することならではの難しさはしばしば経験させられること。たとえ人生の終わりがみえてきても、長年の関係性を埋めることはできず、互いに苦しい思いをなさっていることもある。
なにが正しいかではなく、当事者がどうありたいのかをささえる立場として、シーンの数々を反芻しながらこの主人公の気持ちについて誰かと語りたくなるような、深い余韻を残す作品。
監督の卜部さんは、ご自身でも介護職として仕事されており、リアルに表現された介護シーンは、是非劇場で体感してほしい。
繰り返される介護の日々
受け入れる、赦すこと
在宅介護のリアルを映す意欲作
今もじんわりと胸に残っている。
エンドロール後、立ち上がれなかった・・・。
衝撃的でした!
あなたはこの現実と対峙できますか?
こんな映画は見たことがない。これを単なる「ものがたり」として見ていいものなのか。
あまりにも描写に作為がなく、今まさに目の前で起こっていることを淡々と見続けているような感覚を覚える。
この映画を見る者に逃げ場はない。スクリーンの存在すらなくなってしまうほど、生々しく、現実的。
とても重いテーマであるが目を背けられない。他人事として片付けられない、自らにも起こりうる事として、その現実に自分はどう向き合うことができるのか。
エンドロールが終わってしまえば元の世界に戻れるという感覚がない。
むしろ終わったあとからじわじわと自問自答してしまう。
この感覚はまず、この映画を体験した人でないと伝わらないのだろうと感じた。
ぜひ観て、この感覚を体感してください。
介護する側と介護されれ側
まるで観る側に説明するかのような台詞が多い娯楽映画がありますが、まなざしは台詞がほとんど無い介護する側の娘と介護されれる側の父。 肉親でありながら憎い相手を介護することは。この作品は自らが介護の仕事をなさるている卜部監督作品だからこそリアルそのものでけして他人事ではありません!今日明日貴方の愛する人や、憎い人も介護する側にされる側になるかもしれません。観て感じ一緒に考えられる作品でした。
これは介護の映画ではない
この映画で描かれているのは宣伝されている様な、「介護の現実」でも、「現代の高齢化社会とその家族」のような社会問題ではありません。
作品を通して一貫して描かれるのは、
家族に憎しみを抱えた一人の人間が「赦し」へ向かうプロセスです。
どんな家族にでも起こりえる普遍性と、
きわめて特殊な条件が出そろった奇抜性が双極する
現代の寓話という印象を受けました。
娘の元にある日、父親が刑務所から数十年ぶりに戻ってきます。
父親は過去に他人を殺していて、娘の家族を崩壊させています。
娘は青春や結婚を奪われ、父に対し憎しみと怨念を抱え生きてきました。
しかし戻って来た父は老いぼれ、動くことも、話すことも意思疎通がまったく出来ない。
そんな異常な制約条件の中でどうやって物語が進んでいくのか?
台詞も、音楽もない演出。
長回しの定点観測のようなカメラ。
キャラクターの前情報はほとんど描かれてはいませんが、
特異な演出に、観客は自然と父と娘の人生に想像を巡らせ、内面の心理に触れ、感情を揺さぶられます。
娘は義務感や少女時代の郷愁から父を世話していたものの、次第に過去の憎しみから逃れることが出来なくなり、父への虐待を始め、父も自ら人生の幕を閉じようと決意します。
最終的破局が訪れる寸前で娘は思い止まり、わずかな光が二人の間に射しこみます。
しかしそこにあるのはハッピーエンドでも、家族の絆を取り戻したとか、そのような劇性の高いドラマティックなものではありません。
光の正体は何なのか?
それには人により様々な解釈がありますし、答えはありません。
その解釈の多様性こそがこの作品の作り手達の狙いなのでしょう。
私はその光の中に「赦し」のようなものを見つけました。
しかしそれは形ある明瞭な「概念」でなく、二人の間に芽生えた、吹けば直ぐに吹き飛んで消えてしまう、微かな希望のカケラような何かでした。
それを文字にすることは憚られます。
その感覚を映画館で共有することこそが映画体験だと思うからです。
この映画を見終わって、「介護の現実を知った」などのレビューは筋違いかと思います。(もちろん取材を徹底したであろうことは明白で、介護技術のリアリズムを追求した映画としてはこれを超えるものはないでしょう。)
例えるならこの映画における「介護」とは、会話の出来ない二人のコミュニケーションツールであり、物語を進行させていゆく潤滑油のようなものというところ。
「介護」はこの映画の全てでもあり、本質ではないのです。
覚悟
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