古都のレビュー・感想・評価
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単なる懐古趣味ではない、古典を現代に息づかせる試み
嵯峨野の竹林や桂川にかかる渡月橋など、いかにも京都らしい景色の四季折々の美が映され、ちょっとした観光気分も味わえる。
原作は川端康成の昭和の小説だが、登場人物は平成の現代に生きる人々に置き換えられている。そこで作り手は、現在の京都の都市景観や、呉服店など伝統的な産業が衰退するエピソードを追加して、半世紀以上を経て日本人が変わった部分、変わらない部分を描き出そうと試みているようだ。
生き別れた双子の姉妹を二役で演じた松雪泰子、それぞれの娘に扮した橋本愛と成海璃子のキャスティングもいい。双子姉妹が偶然再会する原作のエピソードを反復し、“もうひとつの古都”パリで橋本愛と成海璃子も偶然出会うのだが、その先のドラマをもう少し見たかった。
ともあれ、美しい日本の風景と、日本人の心の機微が丁寧に描かれ、しみじみと味わい深い一本だ。
テーマや登場人物へのウエイトが散漫で、焦点を絞り切れていないような印象が…
原作本を読んだ上での京都旅行の後、
1963年の岩下志麻版と
1980年の山口百恵版に引き続いて鑑賞した。
事前の情報では、
“その後の千重子と苗子”
の物語とのことだったので、
監督が川端文学をどう解釈して
原作外の双子の将来を描いたか、
に注力して興味深く鑑賞した。
この作品、千重子の夫が娘に発する、
「京都の人間は、
ほんまもんに囲まれて目だけは肥えている。
そやけど、自分では何が出来る、
何がしたい、それが分からなくなる」
との科白に集約されているように思う。
多分に、伝統を継続するための
“重責と主体性”が
この映画作品の大きなテーマなのだろう。
そして、そのために、
同じ伝統的古都としてパリを取り込んでも
みたのだろうが、
それまで再び会うこともなかった双子が
ラストシーンで娘同士が再会するとの場面を
設けたものの
双子を前提とした物語の意味性も失われ、
母娘の愛憎も、
最終版での目覚めを用意されていた
とは言え周りの人々に比べ
その双子と娘たち主要4名が
主体性を欠く人物設定だったこともあり、
また、何よりも私が注目していた
人としての“奥ゆかしさ”
を感じ取れない結果、
全てが上手く絡み合っていないような、
テーマや登場人物へのウエイトが散漫で
焦点を絞り切れていない印象が残った。
映画の世界では、
原作を大いに超えた作品も数多くあるが、
この「古都」においては、
川端文学を忠実に映像化した岩下志麻版が
優れた印象で、
原作から飛躍しようとした山口百恵版と
この松雪泰子版が
良い出来に感じなかったのは、
総合芸術としての映画界への期待からすると
少し残念に思えた。
アレンジ必要だった?
2021年8月7日
映画 #古都 (2016年)鑑賞
#成海璃子 と #橋本愛 が従姉妹の役である。この2人はどちらもしっかりとした演技派というイメージがあり、このキャスティングだけでも興味をそそられる。もう数人と言われれば、#多部未華子 とか、#二階堂ふみ とか、#清原果耶 とかの名前があがるのかな?
とても良かった。設定がよく、とっても映画らしい映画だと思った。 女...
とても良かった。設定がよく、とっても映画らしい映画だと思った。
女優陣がみな素晴らしかった。エンディング曲も秀逸。
30代でこれだけの映画が撮れるのはすごいことなんだろうと思う
岩下志麻と山口百恵の主演で、1963年と1980年の2度にわたって映画化されていることも知らなければ原作も読んだことなかったので、そちらの方が気になる。
この映画は海外の人に向けて作られている様に感じた。
地元京都の人がみたらどう感じるのか知りたい。
伊原剛志はおいしい役どころ
松雪泰子より橋本愛の方が光ってた。
パリの着物は斬新な柄に見えたがそれでも映えてたのは確か。
首のラインが美しい。
新山詩織の歌う中島みゆきの「糸」のエンディング曲は良かった。
西陣織にも北山杉にもあまり触れられていないのは、それでいいのか?
京都府と京都市の後援を得て、オールロケとか。小道具や衣装も本物が使われているらしい。
パリでのシーンもオールロケとか。
百恵版の面影も
御旅所のシーンや、お布団のシーンで山口百恵版を思い出しました。
それだけでも十分映画ファンには楽しめます。
印象を選ぶキーワードになぜ「美しい」がないのだろう。
この映画の最大の印象は「美しい」です。
美だけで心は伝わるか
川端康成の名作文学を現代版として映画化。双子姉妹のその後。
元々の「古都」に関しては、その昔中村登監督版もしくは市川崑監督版を見たぐらいで、正直ほとんど覚えておらず。
なので、これはこれで、久々の文芸の香り漂う作品として、ちょっと期待していたのだが…
一人二役の松雪泰子、その若き頃の蒼姉妹、それぞれの娘役の橋本愛、成海璃子ら女優陣。
映像、音楽、着物や舞踊などの日本文化、そして古都・京都…。
それらの美しさは特筆すべきもの。
だけど、話の方は…。
母となった双子姉妹。自分の人生に行き詰まりを感じるそれぞれの娘。
日本とパリを舞台に、2組の母と娘の人生が交錯するのだが…
どうも話に面白味を感じられず。
本当に日本の美を見るだけの映画。
古都から新都へ。
自分にとっては大ファンだった山口百恵の引退記念作品としての
「古都」が一番印象深い。原作が名作なだけに幾度のドラマ化も
されてきた古都の後日談にあたる本作。30代の監督が現代化した
古都は千恵子と苗子のそれぞれの娘達の後継問題等を描いている。
京都といえば外国人観光客が多いことからそれを十分に配慮した
色彩や国際親交行事などの見せ場は多いが、ストーリーとしての
魅力には遠くやや勿体ない印象が残る。京都の伝統を守るための
課題は多く山積、それらを背負う次世代はさぞ大変だということ
はよく分かるのだが、どの家業も同じく苦しい時代を迎えている。
当の子供達が何も考えていないのではなく、考えすぎて前が見え
なくなっている部分が自分の若い頃と重なって見えてくる。子供
は親の持ち物ではないと自ら反抗した過去のあらゆる経験や失敗
を経てからでは原作や映画世代に自ずと感じ入る部分が出てくる。
松雪泰子の二役は美しく常に張り詰めた表情の千恵子は絶品だが、
娘を演じる橋本愛は懸命な役作りが前面に出てしまってやや残念。
(失くしてはならない、守らねばならない、それらを継ぐのは人間)
心に沁みました
私は原作や前作の「古都」を知らなかったのですが、ストーリーの中で描かれた描写は、どれも失いたくない、受け継いでいきたい失われつつある日本の風景、そして「日常」がひとつひとつ丁寧に描かれていて、静かに感動しました。そしてその大切さに気づくことができる、とてもとても奥の深い本当に素晴らしい映画でした。エンディングに流れる曲、中島みゆきさんの「糸」新山詩織さんの歌声がとても良かったです。余韻となって心に染み、自然と涙が流れてきました。
うつくしい
静かでおだやかな映画だった。なんとも心地よい。この手の映画が苦手な人はつまらないと寝てしまうのかもしれない。
一人二役の松雪さんが、本当に2人の人間に思えるほど演じ分けていてさすがの一言に尽きる。
娘役の2人もよかった。棒読みとの意見があったが、よく見られる感情を入れすぎて逆に嘘くさい演技ではなく、穏やかな中にも宿る心情が現れていて映画の空気感を損ねていない。
ラストに流れる「糸」を聴きながら映画を思い返したらなんとも感慨深い気分になり、観てよかったと思った。
日本文化PR的な要素が多少くどいとも思わなくもないが、全体的に大変素晴らしい作品だった。
のこしたいもの。
映画古都はすっかり世界的に有名な観光地になった京都の見たい景色、覗いて見たい生活や風習、継承される伝統文化、時代の変化と共にそれらを残して行く事の難しさが眈々と美しさの中に描かれていきます。
日本人だけでなく世界中の京都好きの人に京都の今を見てもらえると良いのにと思いました。
今の、京都。
原作はあらすじを知っている程度。この映画は、原作の続編のスタンスだという。それが良かった。原作をなぞれば時代にあわないもの(ある意味、時代劇)になっていた。この映画は、現代の京都(風景も伝統工芸も京都で生きてる人々も)を上手く映し出していたように思えた。
今の日本は、ブラックギルやセイタカアワダチソウが我が物顔の自然界のように、伝統も美意識も食文化も外来のものが幅を利かせている。それを悪だとは言い切れないが、少なくとも、忘れてはいけないものを忘れようとしていることに、気付いていない。
そのことをこの映画は、監督の持つ「外にいた人間の眼」で教えてくれようとしている。
婿役の井原剛志が「ほんまもんに囲まれて、眼だけは肥えている」と京都人を評する。まさに、門前の小僧。だからこそ、そこで育ったものは、意志があるなら家業を継ぐ資格があるのだと思う。
松雪の見せる憂い、橋本の見せる葛藤、成海の見せる挫折、じつにいい。それらを乗り越えることでたどり着けるなにかに、橋本と成海の二人が行き着き、運命のごとくようやく出会った、そんなラストが良かった。
てことは、続編があるのか?
(ただし、背景に移りこんだ大型クレーンは、人物かお墓で隠せなかったのか?という不満はあった)
松雪泰子のPV
原作である川端康成の古都は読んだ事があります。それだけに、映画の出来という点に関しては、せいぜい55点くらいしか出せません。
せっかくだから良い点から言うと、松雪泰子さんが好きな方でしたら、最高の作品だと思います。大変美しいです。
次に気になる点としては、①カメラに関して、黄金比率が成ってない。アングル内に柱や襖など余計な物が写っている事が多い。これは監督の拘り? にしても、とても見にくいです。それと被写体は女性なので、美しく撮れる角度が当然あるのだけど、これ以外のダメな角度が目立った。京都を撮るに当たっても、美の観点が解らない人間が撮るであろう御法度ショットが盛り沢山でした。
②役者。 松雪泰子さん以外、本当に演技に気持ちが入っていないなぁ〜とガッカリしました。さらに若手女優さんのボー読みと演技の小ささ。脇役やチョイ役で出てたベテランさんも、ああ…適当に流してるなぁ〜と、あからさまに分かってしまう演技でしたね。
※ これ事実なんですけど、上映中に寝てしまう方が何人も居ましたね。
③全ての責任は、監督にある。
これは松雪泰子さんのPVですか? ならいいですが。
役者さん達は、ダレてて、これは監督が役者を使えてない証拠。古都の原作者である川端康成に失礼な内容。古都である京都に失礼なほど、日本の美の理解が無いこと。
もっともっと努力が必要ですね。以上。
伝統は人の心のなかに
文学作品として完成された長編小説の続きを映画にした、意欲的な作品である。
各シーンには京都の美しい風景が沢山出てくるが、実在するのは風景だけではなく、人も実在の人をうまく登場させている。舞が通う大学で講義しているのは同志社大学の前学長の村田晃嗣だし、舞に書を教えるのは書道家の小林芙蓉さんだ。村田教授はともかく、小林芙蓉さんという本物を登場させることで、書の説得力が格段に違ってくる。パリの展示会で生け花を活ける女性も、迷い続けた舞が座禅をしたときの僧侶も、皆その道のオーソリティの方々である。よくぞ出演されたと拍手を送りたい。
原作の川端康成は美学の小説家である。同じく美学の小説家であった三島由紀夫とは歳の差を超えた親交があった。三島の美学が空間的なのに対し、川端の美学は時間的だ。街の歴史と人の歴史との邂逅を描く。それは茶の湯でいうところの、一期一会の美学だ。
映画にも茶室のシーンが出てくる。碗に抹茶を入れ、茶匙を戻し、湯を入れて茶筅で茶を点てる。主人は最初から最後まで一言も発しない。千利休による、余分なものを究極まで削った静かな作法の美学がある。
京都はいろいろな顔を見せる街だ。かつては和歌と恋に明け暮れる貴族の街であり、その裏では芥川龍之介の「羅生門」に見るようなスラムでもあった。利休以後は文化の中心であり、茶の湯の美学は京都のいたるところ、そして京都人の心に綿々と受け継がれている。
映画も茶の湯の美学に倣い、余分なものを削った引き算の美しさを意図しているように思える。川端の原作のその後の話を創作した訳だから、とかく説明が多くなりがちなところだが、どのシーンにも余分な台詞はほとんどない。そもそも台詞自体が少ない映画なのだ。説明的な台詞よりも、風景と自然の音と役者の表情と音楽で伝える。あたかも茶の湯のようだ。凛として潔い。
生きていくのが苦しいのはどこでも同じだが、京都には伝統があり生業がある。流行りもあれば廃りもある。人生だけでなく、伝統も綱渡りのように歩んできた。数百年の老舗の敷地や建物に伝統があるのではない。京都という古い街に生きてきた人々の心のなかにこそ、伝統がある。
女たちは伝統に支配され、あるいは反発し、儚い人生を生きて、娘に自由を託す。しかし娘もまた、伝統に押しつぶされそうになりながら、綱渡りのような危なっかしい人生を生きていく。それでも何が美しくて、何が大切なのか、女たちは皆知っている。それが京都という古都の伝統なのだ。この映画は川端の美学を真っ向から受けとめて、さらなる美しさを上手に描いている。姉妹都市であるパリでのシーンも、少ない台詞で女の人生をよく表現していた。稀にみる素晴らしい作品である。
惜しむらくは、エンディング曲だ。エンドロールを眺めながら、映画の冒頭のシーンから最後のシーンまで、京都の歴史と伝統と女たちの人生を反芻しているのに、「糸」がかかった瞬間に安っぽくなってしまった。映画の価値を損なうほどではないが、千年以上の歴史をバックボーンにした映画に、たかだか数十年の個人の人生を歌った曲は相応しくない気がする。名曲「糸」は場所を選ばないが、この映画は京都を舞台としなければ成り立たない。そこを考えてほしい。中島みゆきは個人的にはとても好きな歌手ではあるが、この映画に限っては別の曲を選んでほしかった。
そもそも「糸」は出逢いの曲だ。しかしこの作品は別れの映画である。同じ中島みゆきなら、「時代」のほうがまだ、この作品に相応しかっただろう。時代は巡って別れと出逢いを繰り返す。
余談だが、「古都」という名前の日本酒がある。佐々木酒造の大吟醸だ。川端康成が自身の作品名を揮毫したことで知られている。なかなか手に入らないので飲んだことはないが、すっきりした辛口らしい。また京都に旅したときにでも飲んでみたいものである。
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